3-2 トラヴ王国に広がる大耕作地、アルコ
マンリーコと名乗った彼は、幼い頃からこの山で育ったらしい。
母親と二人慎ましやかに生活し、年に数度山の外の世界を見せに連れ出してくれると嬉しそうに語っていた。
ただ……
「旅先はいつもこの国の外なんだ。この国について知っていることは、トラヴ王国と呼ばれていることくらい。僕ももう子供じゃない、一人でこの国を巡ろうと考えたことは幾度もあるけれど、本当に恥ずかしながら、方向音痴で山から出ることも叶わなくて。僕を連れ出してくれて、本当に助かったよ」
そんなに迷子になるような山であっただろうか。人が頻繁に往来するけもの道があり、標高も決して高くはなく、視界も悪くない。
本当に筋金入りの方向音痴なんだなぁと心音がぼんやりと考えていると、エラーニュがマンリーコに問いかける。
「これから行く当てはあるんですか? それほどの方向音痴で、国を巡って帰ってこれるのでしょうか」
マンリーコは頬を掻きながら苦々しげに返す。
「いやぁ、山から降りればある程度方角は掴めるんだけれどね、如何せんトラヴ王国の地図は見たこともないんだ。
君たちはこの国の人かい? もし良かったら近くの都市までの道を教えて欲しいんだけれど」
「いえ、わたしたちはハープス王国からの旅の途中です。この国には、初めて足を踏み入れました」
やり取りの最中、エラーニュは心音からの穴の空くような視線を感じ、ちらりと視線を流す。
また心音のお人好しが発動したのだろう、エラーニュはその視線の意味を察し、嘆息まじりに続けた。
「……ですが、わたしたちも大きめの都市を目指しています。他にも仲間がいるので独断はできませんが、コトさんを助けてくれた恩もあります。マンリーコさんの同行も提案してみましょう」
「本当かい? 優しい人に出会えて良かった。僕が育った国の人々の営みを詩にするのが夢だったんだ」
マンリーコは吟遊詩人と名乗った。この山奥に住んでいて、外の世界に出るのは年に数度という中で、はたしてそう名乗れるだけの活動をしているのかは甚だ疑問であるが、少なくとも彼は詠う事が好きで、また恒常的に活動しているそれと比べても遜色のない歌声をしているように心音は思えた。
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山を下り村に着くと、村に残っていた三人のパーティメンバーが宿の外で各々身体を動かしながら心音とエラーニュの帰りを待っていた。
近隣で危険な生物による被害等の噂は聞かなかったため、その点に関してはそれほど心配していなかっただろうが、昨晩聞いた山の魔女の話が少し気になっていたのか、無事に二人が帰ってきたことにそれぞれが安堵の表情を浮かべた。
ともあれ、やはり気になるのは、見知らぬ青年を一人連れて戻ってきたことだろう。
シェルツが三人の思いを代弁するように心音に問いかける。
「おかえり二人とも。コト、できるだけ一人での行動は避けるようにね、ここは勝手を知るヴェアン近郊じゃないんだ。……ところで、彼は?」
心音が応えるより先に、件の彼がシェルツたちの前に躍り出て、滑らかにお辞儀をした。
「僕はマンリーコ、吟遊詩人さ。彼女たちは迷える僕を拾い上げてくれたんだ。厚かましいお願いだと思うのだけれど、僕を大きな街まで連れて行ってくれないだろうか。誰かの導きがないと、僕はこの国を歩けないんだ」
「つまり、すっごく方向音痴さんみたいですっ」
ミステリアスな自己紹介をした彼の言を、心音が一瞬で台無しにする。
いやはやお恥ずかしい、と額に右手をあてがうマンリーコの姿が少し滑稽に映った。
マンリーコと心音二人に任せていても、話がまとまらなそうである。事情を知るエラーニュが、簡潔に説明する。
「彼は山で野生動物に襲われたコトさんを助けてくれたんです。次の目的地はアルコ地方のバードだったと思いますが、そこまでの同行を許しても問題ないとわたしは思っています。いかがでしょう?」
信頼のおけるエラーニュの言葉である。シェルツはヴェレス、アーニエを顔を見合わせると一つ頷き、了承の意を示す。
「コトの恩人なら無碍には出来ないね。バードまではそう遠くもないし、荷車に一人増えても大丈夫ですよ」
「ありがとう、親切な旅人さんたち。お礼と言ってはなんだが、道中は僕の詩で旅路を飾ろう」
こうして、少しだけ賑やかになった一行は、トラヴ王国アルコ地方にある都市、バードへ向かい始めた。
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グリント王国から西に位置するトラヴ王国。アルコ地方はその中の南方一帯の地域である。
国内では比較的温暖な地域なため、耕作を軸にトラヴ王国の食糧庫の役割を担っている。その立ち位置から成功を収めた領主が居城を構えるバードは、国内では首都に負けず劣らずの大都市として有名であった。
広大なアルコ地方を、心音たちパーティとマンリーコを乗せた馬車が荷車を揺らし進む。
見渡す限りの農地が広がっており、麦を主体としたまだ若い冬作物が、のびのびと成長できる空間に揺れながら満喫していた。
その、のどかな風景の中を、穏やかな二つの旋律が流れる。
一つはコルネットの音色、もう一つは調子の高い男性の声音である。
W.A.モーツァルト作曲
【「フィガロの結婚」より「やさしいそよ風が」】
心音が奏でる音楽に、即興でマンリーコが詩を乗せる。
まるで予めそのために作られたかのような調和具合に、長い旅路も短く感じるほどであった。
明るく和やかな選曲を中心としたそれらをパーティ皆が心地よく受け入れていると、耕作地帯に訪れた昼下がり、文明の線を引いたかの如く巨大な街が見えてきた。
言わずもがな、あれが目的地であろう。
マンリーコの歌声が止まり、彼は感慨深そうにため息を漏らす。
「あれがこの国の.......トラヴ王国の街なんだね。他の国々とは、また違った趣を感じるよ」
白い壁にダークブラウンの屋根。街に近づくにつれてその特徴がはっきりとしてくる。
街の入口を見るに多くの人の出入りがあるが、行列ができることもなくスムーズに人が流れている。検問の体制はそれほど厳しくないのであろうか。
実際、いざ検問まで辿り着いてみると入市の簡単な理由を問われ代表者の冒険者証の提示を求められた程度で、あとは入市税を払うとすんなり通されてしまった。
こんなに簡単に人を通してしまって治安上問題ないのだろうかと心音は疑問に思ったが、門をくぐった途端に街人たちの視線がこちらに向けられたのを感じ、ああそういうことなのかな、と独り言ちた。おそらく、街ぐるみで入市者の動向を目利きしているのではなかろうか。
まだ積もってはいないようであるが、おそらく雪国なのだろう。ダークブラウンの屋根には少し急な傾斜がつけられていた。
冬の気配がする街を見渡しながら歩む。
冷たい空気は、不思議と肺に新鮮さを伝える。どんな地にいようが変わらないその感覚で胸が満たされるのを心音が感じていると、中心に大きな噴水を携えた大広場が視界に拡がった。
マンリーコは両手を広げ、芝居がかった滑らかな動作でくるりと回りながらその噴水の前に躍り出て、高らかに歌い始めた。
「大地に広がる豊穣の
胸部に広がる白き営み
澄んだ大気は飛沫と交わり
結ぶ民衆の象徴となる
ああ美しきアルコよ
ああ美しきトラヴよ」
突如声を響かせたマンリーコに大広場中の視線が集まる。
知らない人の振りをしよう、と心音たち五人の中で暗黙の了解が成立したところで、一人の女性がマンリーコの元へ歩み寄り、彼に声をかけた。
「マンリーコさんを注意しに来たのでしょうか」
「しっ、面白そうだから聞き耳を立てるわよ」
心配そうな心音とは対照的に、アーニエはすっかり見世物として楽しむつもりである。
会話を聞き、何か問題が大きくなりそうであれば助けに入ろうと、五人は息を潜めて会話に集中することとした。
「柳色のあなた。今の詩、もしかして吟遊詩人なのですか?」
「おや、可憐なお嬢さん。そうさ、僕はさすらいの吟遊詩人。初めてこの街に来たのだけれど、素晴らしい街並みだね」
亜麻色の髪を肩口で束ねて流している、身なりの綺麗な女性である。彼女はマンリーコの言に納得顔で頷くと、片手で長いスカートの裾を摘み、一礼しながら名乗りを上げた。
「私はレオナ、アルコ領主夫人に仕える女官を務めております。先程の歌声、優しくて柔らかい、とても甘美なもので.......よろしかったら、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「いやはや、お褒めに預かり光栄だね。僕はマンリーコさ。しかし、まるで夢で見たような.......初めてとは思えない、不思議と歌心を擽る風情ある街だよ」
「マンリーコさん.......良い響きです。マンリーコさんはどちらからいらしたのですか?」
レオナと名乗った女性は、繰り返しマンリーコに対して質問を重ねる。
丁寧な言葉遣いだが、その言葉の勢いにはやや熱がこもっているように思えた。
「ちょっと、これはアレなんじゃないの?」
「そうですね、完全にホの字です」
「歌が引き合わせた出会い.......素敵ですっ!」
アーニエ、エラーニュ、心音の女性陣三人が密かに盛り上がりを見せる。自身の恋路に疎い心音も、他人のそれとなれば話は別である、彼女も一介の女子高生なのだ。
困惑するシェルツとヴェレスを余所に三人が黄色い会話を交わしていると、いつの間にかマンリーコはレオナと別れ、心音たちの元へ戻ってきていた。
その姿を意識に入れた心音が、色めいたテンションそのままにマンリーコへ距離を詰める。
「マンリーコさんっ! あの女性とはどうなったんですか?」
「ん? ああ、とても素敵な婦人だったよ。彼女は詩をよく理解できる、素晴らしい感性をお持ちだ。予定があるようで一時の別れを告げたけれど、明日また僕にあの声を聞かせてくれるみたいだよ」
「きゃー! これはもうホクホクですねっ!」
いつにない浮き立ち具合に引き気味のヴェレスとフリーズしているシェルツに対し、やはりアーニエとエラーニュは浮いた笑みを浮かべて心音に同調している。
マンリーコ本人もどこかふわついた節があるのか、心音の反応に対して特別反応は示さずに、ややおずおずと別の話題を切り出した。
「それで、少し図々しいかなと自負しているのだけれど、もう一日行動を共にさせてもらっても良いだろうか? お恥ずかしいことに、先立つものを何も持ち合わせていなくてね。大自然の中なら兎も角、こうも街の中だと宿を確保するのにもままならなくて」
「そんなことなら任せなさい! その代わり、色々と話聞かせなさいよ」
いつもならシェルツに判断を仰ぐところであるが、それを待たずにアーニエが二つ返事で了承した。
マンリーコは「助かるよ」と安心した表情を見せたが、その表情が翌朝には疲労の色に変わっていることを、この時点での彼は想像に及んでいなかったようであった。
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第三楽章の主舞台となる街へ。
彼らが織り成す歌劇チックな物語をお楽しみ下さい♪




