2-10 詩と歌は想いを乗せて交錯し
およそ三千人もの観客を収容する大劇場。
中央に位置する舞台から、放射状に客席が広がっている。
その様相は、さながら石造りのコンサートホールだ。
競演会当日、国中から詰め寄った人で溢れたそこで、〝国を謳う歌謡い〟が決められようとしている。
参加人数は四十八人、一人に割り当てられた歌唱時間は六分間。
参加する歌唱者の入れ替えの時間も含めると、一日中審査が続けられることとなる。
テレーゼの出番は午後である。下見としての意味合いで、午前の審査が始まる前に客席からステージを見下ろしながら、心音は感嘆を漏らす。
「わぁ、すっごく広い劇場です。天井も無いので、音を響かせるのが大変そうですね……」
「そうですね。でも、不思議と歌われた歌は劇場中に響くのよ。大昔の魔法技師が特別な回路を舞台に仕込んだらしいわ」
回路というのは詠唱無しで魔法を発現させるための、魔力の導線である。
魔法陣と似た役割を持つが、魔法陣が、込められた魔力が尽きるまで円形に刻まれた文様の上に継続的に魔法を発現させるのに対し、
回路は魔力を通している間のみ、その回路を起点とした魔法を発現させる。
狭い範囲のみか、そこを起点とした任意の範囲か。
継続的な発現か、その時だけの発現か。
いずれも、魔力を決まった通り道で流すことにより、知識がなくとも詠唱と同様の効果を得られるようにするためのものであるが、作成にはかなり高度な専門技術が必要なため、それらを作るもの――魔法技師の絶対数は決して多くはない。
大昔の、音を響かせる回路。
心音は心当たりを覚えたが、国の機密であることを思い出し、そっと胸の内にしまった。
下見を終え、控え室に向かおうかと思った矢先、早めに客席に来ていた観客同士の会話が耳に入ってきた。
「白銀の騎士様、私も会いたいなぁ」
「まさか本当にいるなんてね、私もファンクラブ入っちゃった!」
「でも、アレって本当なのかなぁ?」
「あぁ、白銀の騎士様が、この国の王子様ってやつ? 誰が言い出したか分からないけど、それもそれで素敵ね」
テレーゼの肩がぴくりと震える。
――――もしやんごとなき方が一介の貴族に肩入れしたとしましょう。その先のその方の処分は果たしてどうなるのか……
この噂がローエン王子の特定まで進めば、事は素敵な話では済まなくなる。
呼吸に詰まったテレーゼの手を、心音は両手で優しく包み込んだ。
「大丈夫です、核心的な証拠はないはずです。噂だけでは、糾弾できませんっ」
テレーゼは肺に留まっていた息を吐ききり、頷きながら返す。
「そうね。大丈夫、いつも通り歌えますわ」
二人は客席を後にする。
不確定な心配事を重く抱えていても仕方がない。
今は目の前の大ステージを堂々と乗り切ろうと、前向きな気持ちを踏み出す脚に乗せた。
♪ ♪ ♪
競演会では、国が指定した五人の審査員がブラインドで審査をする。参加資格に身分の隔ては無いが、いざ審査をするといった時に音楽以外の力が働かないようにするためだ。
劇場の下手側に設けられたロイヤルボックスには、王族の姿もある。まさに国を上げた大イベントと言えるであろう。
恣意的な野次や歓声で審査に影響をきたさないよう歌唱参加者は客席に立入ることはできず、舞台袖に設けられた聴席で音だけを聴くことが出来る。
心音のたっての希望で、テレーゼと二人、午前中に出番を迎えた数人の歌唱を聴席で聴いていた。
皆、バウトの伴奏付きで歌唱しているようである。バウト奏者は希少である旨を昨晩テレーゼから聞いていた心音は意外と伴奏付きの演奏が多いことに驚きを見せたが、テレーゼ曰く、どうやら競演会公式の伴奏者がいるらしかった。
伴奏者を自力で用意できる者など貴族か特別なコネクションがある者のみで、多くは公式伴奏者を依頼するとのことであった。
テレーゼからは聞いていなかったが、恐らく選考会や何らかの審査が事前にあったのだろう、どの歌手も、かなり高レベルの歌唱を披露していた。
曲が被る人もそう多くはないことから、作曲の文化も進み、たくさんの曲が生み出されてきたことが伺える。
舞台慣れしている心音は大した緊張も感じず半ば観光気分で先行者の演奏を楽しんでいる中、対照的にテレーゼの緊張感は高まっているのが見て分かるほどである。
いよいよ出番が近づき、テレーゼの様子に気が付いていた心音は明るげな笑みを浮かべてテレーゼの手を取った。
「深呼吸です、深呼吸! 大丈夫です、何人かの演奏を聴いてきましたが、テレーゼさんがいつも通りに歌えれば、必ず結果はついてくるはずですっ! いつも以上のことをしようとして固くなってしまうより、せっかくの大舞台を満喫するくらいの気持ちで行きましょう!」
張り詰めていた中、手と聴覚同時に陽だまりのような鼓動を受け、テレーゼは驚きと共に不思議な安心感を覚える。
何故か、心音がこういう風に言うのだからきっと大丈夫なのだろう、と思えたのだ。
「そうね、なかなかない機会です。私達二人の音楽で、皆さんを虜にしてしまいましょう」
そう口にすると、少し気が大きくなったように思えた。
前の歌手が奏でていた歌が、ホールに吸い込まれて消える。
いよいよテレーゼと心音の出番である。
二人はいたずらっ子のように笑みを交わし合うと、弾む心を落ち着かせながら、大観衆の待つステージへと爪先を向けた。
♪ ♪ ♪
約三千人の客席が、少しの隙間もなく埋め尽くされている。
天には青空が広がり、白い雲が日光を良い塩梅に絞ってくれている。
普段は演劇などが上演されるステージは、一人で歌うにはあまりに広大に思えた。
一瞬怖気付くが、隣で揺れる桜色の髪が視界に入ると先程までの心意気を思い出し、意気揚々とステージの中央まで歩み出た。
薄緑色の華やかなドレスに身を包んだテレーゼと、薄紅色の慎ましやかなドレスで着飾った心音。
二人が揃ってお辞儀をすると、客席から拍手が返ってくる。
顔を上げたテレーゼと心音は視線を交差させ、心音は一歩後ろへと下がる。伴奏者の定位置だ。
会場が静まり、呼吸すらはばかられる瞬間が駆け抜ける。
テレーゼは深く息を吸い、強く芯のあるピアニッシモで導入部を歌い始めた。
Lentoで進行する独唱。
耳を澄まさなければ聴き逃してしまいそうなそれに、会場中の呼吸が静まる。
聴客の集中力が極限まで高められたところで導入部はフレーズの終わりを迎え、少しだけ音量を増して主題が紡がれる。同時に、心音が奏でるコルネットの音色が通奏低音の役割を担って伴奏しはじめる。
歌唱のヴィブラートに合わせて、同じ周期でコルネットにもヴィブラートがかけられる。
主題が一巡し、歌詞は二番へと移る。するとコルネットの伴奏は通奏低音から分散和音を伴ったものへ変わり、曲に推進力が生まれた。
前へ進む力と共に音量は増し、客席を巻き込んで緊張感が高まっていく。
二番の歌詞が終わり、その緊張感の終着点、三番に差し掛かると同時に、心音の伴奏は歌唱に寄り添い、同時に動きながら和声を作り出した。
二重に動き、響き渡る豊かなフォルテ。
思わず腰が浮く者、目を見開く者、息に詰まる者。
会場を支配する二重奏は激風のように吹き抜ける。
やがてその風は緩やかに収まり、最後の和音を優しく奏で、天へと音は吸い込まれていった。
鼓動すら止まったと錯覚させられる静寂の間。
堪えきれず誰かが拍手を始めると、次第にその数は増え、割れんばかりの大喝采へと成長した。
競演会の性質上、声援や野次は禁止されている。しかしその激しさすら感じる拍手は、聴衆全体の想いを代弁していた。
テレーゼと心音は舞台前方に躍り出て、一礼する。収まることを知らない拍手の雨に、思わず二人は顔を見合わせて笑い合った。
いつもお読み頂きありがとうございます!
久しぶりのガッツリ音楽回。架空の曲なので演奏動画の投稿は無しですが、イメージを楽しんでいただければ幸いです。




