2-9 乙女の二重唱
あれから数日、魔人族の活動について目撃情報や噂話などを調査して回っていたが、やはりローエンの言っていた通り、都市伝説的な信憑性の薄い噂話程度のものしか確認できなかった。
それよりも今この城下町ヴァーグで話題を独占しているのは、先日の決闘に現れた謎の騎士についてであった。
本日の聞き込みを終え、屋敷内にあてがわれた部屋にヴェアンの冒険者五人が集まったところで、シェルツは嘆息する。
「まるでお伽噺に出てくる〝白銀の騎士〟か」
「この国ではかなり有名な逸話みたいですね。長編的な伝説話になっていますが、児童向けの絵本にもなっていて、知らない人はいないと言っても過言ではないでしょう」
エラーニュがここ数日で得た情報を整理して返した。
心音も収集した情報をここぞとばかりに重ねる。
「正体不明の〝白銀の騎士〟を慕って、愛好会まで創設されたみたいです!」
「みたいね。それだけならいいんだけど、一部の過激な支持者が、件の白銀の騎士様の正体探りまで始めたみたいで、日和見してもいられない気がするわ。ヴェレス、あんたは何かないの?」
「アーニエ、俺に振るなよ……。あー、お前らが話した話題に追加するような情報はねぇが、街中を回っていると、色んなところから歌声が聞こえてきたな。コトはなんか知らねぇか?」
「たしかによく歌声が聞こえてきましたが、音楽が盛んな街なのかなって思って特別調べていませんでしたっ。何か行事でもあるんでしょうか?」
白銀の騎士の正体が突き止められるのは阻止したいところであるが、心音としてはヴェレスの話を受けて歌声に興味が惹かれつつあった。
ちょうどその時、階上から美しい発声が響いてきた。これは、テレーゼであろうか?
「テレーゼさんに聞いてみましょう!」
心音が名案とばかりに発する。
また脱線し始めているのを感じつつ、それでも白銀の騎士についての情報もテレーゼと共有すべきだろうと、五人はテレーゼの部屋を訪ねることにした。
テレーゼの自室の扉をノックすると、歌声が止み少しして扉が開かれる。
街で聞こえた歌声のことを尋ねると、テレーゼは微笑みながら答えてくれた。
「この国では年に一度、〝国を謳う歌謡い〟を決める競演会が開かれているの。私も歌うことが大好きで、ここ何年かはずっと出場していますわ」
「わぁ、そんなに素敵な催し物があるんですね! いいなぁ、ぼくも見てみたいですっ」
心音が瞳を輝かせて胸の前で手を合わせる。
音楽と聞けば目がない心音にとって、どんなお祭りよりも興味がひかれるものなのだろう。
「ふふ、せっかくですので、一曲聴いていってくださる? 感想や意見が欲しいの」
「もちろんですっ!」
心音がテレーゼの提案を快諾すると、テレーゼは深く呼気を取り入れ、五人の聴客の前で声帯を震わせ始めた。
美しく伸びるソプラノ。
ヴィブラートのかかったロングトーン。
クリアな発音に詩的な歌詞。
地球の音楽で言ったら、ロマン派の西洋音楽、作曲家で言えばワーグナーが作る音楽に似ている気がする。
心音はその歌を聴いた印象を頭の中で転がす。
そうしていると、自然と手元の楽器ケースに手が伸び、コルネットを取り出していた。
テレーゼの歌が二番の歌詞に差し掛かると、心音はコルネットで歌に合わせて伴奏を始めた。
テレーゼは突然のことに驚くが、綺麗にハーモニーを重ねるその伴奏に心地良さを感じ、そのままフィナーレまで歌い切った。
演奏が終わると、テレーゼは心音に駆け寄りその両の手を自身のそれで包み込んだ。
「コトさん、素晴らしいですわ! なんて美しい音色なのでしょう。私の歌声にピタリと合わせてくださいましたね! あぁ、なんて素晴らしいのでしょう……」
まくし立てて一呼吸、テレーゼは名案を思い付いたと言いたげな表情で続ける。
「今年の競演会、是非私の伴奏者として出演してくださいませんか? たくさんの観客も入ります、この国の民たちに、その音色を響かせましょう!」
たくさんの人に聴いてもらえる。
魅力的な提案に心音は即答したくなるが、思い直してシェルツたちの反応を伺う。
苦言を呈されるかと思いきや、彼らの反応は悪くはないようで、それを代表するようにシェルツが「急ぎの旅ではないから大丈夫だよ」と背中を押してくれた。
「決まりですね? 競演会は三日後です。あぁ楽しみですわ」
せっかく他国に来ているのだ、その地の文化を楽しんでもバチは当たらないだろう。
調査を並行しつつも、五人は少し気楽な気持ちでグリント王国に滞在することにした。
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王城を見上げるように位置する豪奢な屋敷から、重なり合う旋律が溢れ出てくる。
疲れを知ることなく日没まで流れ続けるそれは、使用人たちの間でも良い評判を獲得していた。
あれから二度目の太陽が山脈の向こうへ消え、星空と共にルーヘンテッツァ邸にも熱気を冷ます空気が流れ込んでくる。
音の止んだ部屋で、テレーゼは大きく開いた部屋の窓を閉じた。
しっかりと断熱された館内は一定の気温が保たれているが、冬の気配がマーブル状に秋を上書きし始めたこの頃、窓を開けっぱなしにしていては館内を冷え込ませてしまうということは明らかであった。
だいぶ日も短くなってきた。
夕食まではまだ少し時間があると、ゆっくり後片付けをしながらテレーゼと心音は会話を交わす。
「楽しい時間は過ぎゆくのが本当に早いわね。何度聴いても見事な音色と伴奏技術です」
「テレーゼさんこそ、こんなに綺麗な歌声はすごく久しぶりに聴きました!」
タイミングを見て、使用人が紅茶を運んでくる。
小さなティーテーブルを二人で囲むと、カップから漂う香りを楽しみながらテレーゼは言葉を思い出すようにゆっくり紡ぐ。
「コトさんがお話していた〝わせいほう〟でしたっけ、その技術は私も会得したいわ。やはり難しいのです?」
心音は口に運ぼうとしていたカップを宙で止め、それを戻しながら低く唸り、返す。
「きちんと理論を学ぼうとすると、前提となる五線譜や十二音階の関係についても触れなくちゃいけないので……。それに、実はぼく自身もまだ初歩の初歩しか理解できないくらい膨大な世界でして。
なので、綺麗に音が重なって耳が心地よい場所を感覚で探すのが一番かもですっ!」
「〝机上より戦場〟ということですのね。それならより一層、コトさんとのこの時間を大切にしなくちゃいけないわね」
もし対外念話を使用していたら、〝習うより慣れろ〟とでも変換されたのだろうか、この世界に来て学んだ慣用句を、心音は確かにその通りだと受け取った。
昨日今日と、心音はテレーゼからこの国の音楽事情について聞いていた。
楽器よりも歌唱が主体の文化であり、独唱がほとんどで伴奏が付くことは稀らしい。
その伴奏も歌唱の基準音としての通奏低音(※1)くらいで、合唱する際に使うくらいだとか。
伴奏で使うバウトという楽器を実際に見せてもらったが、心音の身の丈ほどもある巨大な縦笛といった外見で、音もバスフルートのようなエアリード(※2)の楽器であった。
長く低音を吹き続けなければならないのに、普通に演奏していてはすぐに息が足りなくなってしまう仕組みであるため、口で息を吐きながら鼻で呼吸する〝循環呼吸〟という技術が必要で、その難しさから伴奏者を務められる人は絶対数が少ないらしい。
そういった事情から、心音のように自由に動き回る伴奏はテレーゼにとって、いやこの国にとって正に新しい文化であったのだ。
夕飯までの間、紅茶を楽しみながら心音とテレーゼは互いの話を交わし合う。
音楽のこと、冒険のこと、貴族社会のこと、互いの国のこと、そして……
「――コトさん、想い人がいらっしゃるでしょう?」
「ふぇっ!?」
心音が動揺してカップを落としかける。
なんとか無事にソーサーにカップを納め、はたしてどちらのせいか、速まった胸の鼓動を感じながら、心音は問い返す。
「えっと、どうしてまた突然……?」
「ふふ、コトさんの奏でる音楽を聴けば分かりますわ。心に鮮やかな華が咲いたような歌い方をしているもの。
歌詞を聴いていたならご存知でしょう? 私が競演会で歌う曲は恋の歌なの」
地球の西洋音楽でも、恋慕を題材にした歌曲は多く作られていた。
音楽と感情は切っても切り離せない。
強い衝動となる感情である恋愛は、それだけで大きな動機を伴った題材となり得るのだ。
「……分かりません。ぼく、そういうことに疎くて、今まで経験もなくて。今抱えている気持ちが、その、こ、そういう気持ちなのか、それとも、尊敬する気持ちなのか」
「そう、まだ自分の心を掴みあぐねているのね。私は今、焦がれる気持ちの真っ只中にいますわ。あなたとはこの気持ちを分け合えると思ったのですが」
テレーゼは微笑み吐息を漏らすと、ちょうど良い熱さとなった紅茶を口に運び、その熱で唇を濡らす。
心音も同じようにしてカップに口を付けるが、猫舌な心音にはまだ少し熱かったようだ。
「でも、やっぱりコトさんとはいい音楽を奏でられそうですわ。明日の競演会、よろしくね」
テレーゼが立ち上がると同時、部屋のドアがノックされ、夕飯の知らせが来た。
いよいよ明日が競演会本番である。
楽曲のテーマを真に理解出来ているのかはともかく、その音符に乗せられた想いはきっと表現出来ているはずだと心音は自身に言い聞かせ、カップの熱が残った手のひらでコルネットのレザーケースを抱き寄せた。
※1.曲を通して演奏される和声における基音。現代におけるコードネームのようなもの。
※2.振動する薄片を持たず、空気を管のエッジにぶつけて音を発生させる発生原理。
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