2-8 安寧の食卓
「お父様方は?」
「只今向かっている最中との伝令がありました」
屋敷に着くとテレーゼは使用人と二三言交わし、前来た時と同じく応接間に五人を案内する。
着席し一呼吸、テレーゼは少し申し訳なさげに眉を下げる。
「本当はすぐにでも豪勢におもてなしを、と思っていたのですが、まだお父様方が戻っていないみたいで。昨日の大雨の影響かしら……。
私個人ではこの家の全てを自由にできる権限はないの。今、私が持ち出せる一番高価なお菓子を持ってこさせますわ」
テレーゼが無事に戻ってきたということに、屋敷中がバタバタとしている様子が伺える。心音たちがいようといまいと、祝い事のようなことはしていたのだろう。
「私、この三日間は生きた心地がしませんでした。昨日も朝から……」
口の中でとろけるような砂糖菓子に顔を緩ませながら、テレーゼと心音たちはお互いの三日間を語り合う。
今無事だということが信じられないくらいの苦難を超えてきたと思い返す。そして、今に繋がる最後のピースとなったのが――
「テレーゼさん、あの白銀色の騎士はどなただったのですか?」
窮地を救った英雄とも言える、例の騎士のことをシェルツは訪ねる。
テレーゼはカップをテーブルに置き、笑みを崩さずに淡々とした口調で答える。
「私にも、分からないの。彼は決闘場で私に、素性の一切を聞かないのならばこの場は預かろう、とだけ耳打ちしました」
シェルツの問いも、分からずじまいということらしい。
しかし、シェルツはその反応を見て何か確信めいたものを感じたようで、遠慮がちに再び問いかける。
「断定はできませんが、あの剣捌き、光を伴う剣戟魔法、あの騎士はもしかして――」
「いけません、その先は胸の内に秘めていてください」
シェルツが言い終わる前に、テレーゼは首を横に降りそれを制する。そして不安を塗り隠したような笑顔で壁にかけられた絵画を見る。そこには白馬に乗った騎士が勇敢に戦う様子が描かれている。
「仮にですよ? もしやんごとなき方が一介の貴族に肩入れしたとしましょう。その先に待つその方の処分は果たしてどうなるのか……」
問の回答とも言えるその言葉を聞き、シェルツは固唾を飲んだ。このことは、決して他言してはならない推察のようである。
話題が落ち着いたところで、玄関口に馬車が到着した様子が窓から見えた。華美な装飾がなされた荷車から降りてくる人物を、屋敷の使用人たちが恭しく迎える。
「お父様方が帰ってきたようですわ。私からあなた方のこと、紹介させてくださいね」
音程の上がった語尾を、尾長鶏の尾のようにふわりと流しながら立ち上がるテレーゼの表情は、出会った時とはまるで表裏が逆のようで、彼女本来の明るさを垣間見た気がした。
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心音は、今まで生きてきて一度も目にしたことがないほどの豪華絢爛なご馳走を目の前に、くりっとした黒目を忙しなく飛び回らせていた。
食卓を囲むのはこの屋敷の主たるルーヘンテッツァ侯爵、侯爵夫人、テレーゼとその兄でこの家の長男でもあるルーヘンテッツァ卿、そして心音たち五人である。
一般庶民が一生の中で経験することのないであろう空間に、五人は一様に萎縮していた。
対する侯爵は誰の目にも上機嫌と映る様子で、それは夫人も長男も同様であった。
侯爵は綺麗に整えられた薄金色の頭髪を指で軽く流すと、貴族としての落ち着きを保ちつつも隠しきれない歓びをそのまま声に乗せる。
「あなた方のために用意した食卓だ、遠慮なく食を楽しんで欲しい。先程も話したとおり、感謝してもしきれないほどなのだ」
それを聞き、我慢の限界といった様子でヴェレスがぎこちない手つきでナイフを用いて肉料理に手をかける。
それに微笑みを向けると、侯爵は続ける。
「もちろん、この食事くらいでは恩は返せないと思っている。何か欲しいものなどはないか?」
パーティの皆はこういう時の代表と、シェルツに視線を向ける。そんな役回りに少し眉を下げながら笑った後、表情を正して侯爵に向き直った。
「俺たち……私たちは見返りを求めて行動したわけではありません。困ってる人を見過ごせない、と言う大切な仲間の意思を尊重した結果です」
シェルツは心音をチラリと見やる。当の心音は、あの時わがままを言ってしまった自覚があったのか、照れたように髪をつまんだ。
「なんと素晴らしい精神だ。しかしだな、ハープス王国から来たと言ったね? 他国の貴族のためにここまでしてくれた恩義には我々も応えなくてはならない」
そうだな、と顎に手を当て、侯爵は二の句を次ぐ。
「見ず知らずの国で冒険者としての仕事を果たすのも、ラクではないだろう。しばらく我が屋敷に滞在するといい。ここには領地の小さな出来事も、国の情報ですら集まってくる。あなた方の調査の助けにもなるのではないかな?」
正直なところ、かなり嬉しい提案である。大枠の目的があって渡航してきたが、具体的な行動の指針はその都度決めなくてはならないのだ。
テレーゼもそれに重ねるように、希望を口にする。
「私も、もっと皆様とお話がしたいわ。先程聞かせていただいた冒険のお話、とても興味深かったの」
食事会の準備ができるまで、テレーゼと心音たち五人は互いのことについて話したりしていたが、その流れでハープス王国での冒険譚を話していたのだ。箱入りの貴族の令嬢であるテレーゼにとって、その武勇伝の数々は憧れの対象にすらなり得たらしい。
エラーニュがシェルツに視線で何かを訴えかける。付き合いの長い相手からのサインをシェルツは正確に受け取り、侯爵に返事を返した。
「では、お言葉に甘えて、しばらくこの国での活動の拠点にさせて頂きたいと思います。素敵な提案を、ありがとうございます」
侯爵は満足気に頷き返し、食事を再開する。
炒られた肉料理に新鮮な野菜、華麗に彩られた海鮮料理に柔らかなパン。
どれも絶品といえるそれらをしばらく楽しんでいると、テレーゼが思い出したとばかりに心音に顔を向け、明るい声を放つ。
「そうです、コトさんが肌身離さずお持ちになっているそれは、楽器なんですよね? 私もその音色を聴いてみたいわ」
場も温まってきた頃合、こういった場を音楽で飾るのも良いだろう。
心音は二つ返事で了承し、楽器を取りだし調子を確かめる。
――そうだなぁ、ここは優雅なバロック音楽がいいかな。
心音がコルネットに息を通すと、軽やかな音が飛んで跳ねる。
G.F.ヘンデル作曲
【「水上の音楽 第二組曲」より「アラ・ホーンパイプ」】
ヘンデルが王の舟遊びのために作曲したとされ、その優雅な旋律は当時から高い評価を得ている。
弦楽アンサンブルや金管アンサンブルでもよく演奏され、心音も金管五重奏で演奏したことがあり、スムーズに旋律が湧き上がってきた。
水が跳ねるようなスタッカートに、ゆったりとした水流を彷彿とするスラーにトリル。
部屋の景色を水面の煌めきに彩りながら、喜びに充ちた時間はゆっくりと過ぎていった。
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一旦落ち着きを見せた今エピソード、このまま終わるのかどうか.......もう少し続きます!




