2-6 泥中の行進
ハルの洞窟とグリント王国城下町の間は、馬車で三時間ほどの距離である。
この国の馬車の速度は徒歩の七、八倍程だと言う。歩くとなれば、単純計算で不眠不休でも丸一日近くかかってしまう。
不眠不休というのはさすがに不可能であるため、荷車の中身を極力軽くし、交替で人の力で荷車を引くことにした。
起案者は心音であり「人力車作戦ですっ!」と声高らかに言っていたが、その言葉の意味は兎も角内容は有用であると、採用された次第である。
シェルツとエラーニュ、ヴェレスとアーニエ、エルドの護衛二人、という三組の組み合わせで回しながら荷車を引く。
貴族に引かせるわけにはいかないとエルドは除外されたのと、心音は荷車の中で定期的に他者強化をかける役割を担っていた。
朝出発して、太陽はそろそろ天頂にさしかかろうとしている。
具体的な距離までは掴めないが、周りの景色を見るにまだまだ先は長いことが伺える。
移動速度自体は思っていたよりは遅くないが、問題として浮上しているのは――
「ちぃ、また来やがった。今度はグリントサイだ!」
馬車であれば逃げきれていたものでも、速度が格段に落ちているせいで多くの魔物や野生生物に襲われているのだ。
冒険者七人で移動しているため危険度はさほど大きくないのだが、時間が取られること、なにより荷車の中にいてもゆっくりと休むことが叶わないことが問題であった。
突進してきたグリントサイが、エラーニュが張った防壁にぶつかって止まり、シェルツが〝風槌〟で吹き飛ばす。
グリントサイは硬い甲殻を持つため、物理攻撃が通りにくい。
飛ばされて怯んだサイの隙を狙い、最後に心音が〝火球〟を発現させて丸焼きにした。
様々な特性を持った生物がいて、有効な攻撃が得意な者もそれぞれであるため、全員が常に警戒していなくてはならないのは辛いところである。
疲労は移動効率の低下と、身の危険に直結する。シェルツが剣を鞘に納め、ため息をひとつ。
「一時間の昼休憩をとるよ。交替で荷車の中で食べるのも難しそうだからね」
深夜のうちに到着する予定であったが、明日の日が昇る辺りまでずれ込むしれない、と昼食を摂りながら現状確認をする。
しかし、疲労から派生するリスクを軽減するには、そうする他ないだろう。それでも決闘までには間に合うのだ。
昼食を食べ終え、少しの仮眠を取った後、再び街へ向けて車輪を転がし始めた。
♪ ♪ ♪
日が暮れ始めてから、雲行きが怪しくなる。
一瞬夕立が通り過ぎ、荷車の中でやり過ごすことができたが、雨が止んだ後もどうも湿った空気が鼻を覆う。
完全に暗くなる前に、と早めの夕食を取り、日が落ちる前に距離を稼ごうと進行を再開するが、夕日が海の向こうに消えると、月は雲に隠れたまま、辺りを闇が支配した。
それでも、心音の精霊術により先を照らし進むことができていた。
光に魔物が誘い出されないかも警戒していたが、不自然なほどに襲撃はなかった。
その違和感から感じていた嫌な予感は、天候の変化として訪れることになる。
「わー、避難よ避難!」
荷車を引いていたアーニエが慌てて荷車内に退避する。すぐにヴェレスも、大量の水が大地を打つ轟音と共に避難してきた。
突如降り出した大雨に、進行の停止を余儀なくされる。
小雨なら兎も角、馬車というのは大雨の中を走る想定では設計されていない。最低限の耐水加工はされているとはいえ、このままでは車内まで水浸しなってしまうということで、撥水加工が施された野営用のテントの布を屋根に被せた。
聴覚を埋めつくす轟音に揉まれながら、シェルツは焦る心を吐露する。
「視界は最悪、音も頼りにならない、雨に体温と体力は奪われ、足元はぬかるみ進むのも困難。どうする、どうするべきだ?」
自問する言葉に、他の六人も頭を悩ませる。
雨音のせいで会話もままならない状況をまずどうにかしようと、心音は閃きを試行しようとする。
(ノイズキャンセルのヘッドホンみたいに、特定の音を打ち消せれば……)
音響魔法を応用し、辺りに桜色の力を広げる。
すると雨音は急激に弱まり、車内に落ち着きが返ってきた。
「これで、話し合いくらいならできそうですか?」
「これはコトが……? 音響魔法は音を発するだけじゃなくて、抑制することもできるんだね。助かるよ」
聴覚――五感のひとつが不自由であるというのは、普段その恩恵を受けているだけあってかなりのストレスとなる。その障害が取り除かれたことは、閉塞的な心境を僅かに明るくした。
とは言え、この天候が回復しない限り、どうにも行動が出来ないことに変わりはない。
いたずらに時間だけが過ぎていく。せめて、と情報の整理をしていた中、確認しておくべきと思い心音はエルドに訊ねる。
「決闘って、普段はどのくらいの時間に行われる、とかありますか?」
エルドは腕を組み小さく唸る。
「特に決まりはないな。ただ、決闘は多くの人の前で罪の所在を明らかにすることに意義がある故、正午付近に行われることが多いかな」
「それなら、まだ間に合う可能性はありますね!」
心音は大袈裟に明るく言ってみせた。
少しわざとらしさを感じるそれも、現在の陰鬱とした空気を和らげるには、十分な効果があった。
「そうだね、今は雨が止むことを信じて待とう」
前向きな方向に気持ちが切り替わり、シェルツも落ち着きを取り戻したようだ。
交替で仮眠をとりながら、雨が通り過ぎるのを待つこととした。
♪ ♪ ♪
結局、雨が上がったのは夜中の二時頃であった。
体制を整え直し、心音たち一行は進行を再開する。
大雨の後で、野生生物や魔物も活動的ではなく、戦闘行為に発展することが無いのは僥倖であったが、如何せん大地が雨をこれでもかと言うほど吸い、車輪が思うように進まないのが問題であった。
シェルツは荷車を引きながら、このままでは間に合わないと感じ、苦渋の決断を下す。
「みんな、ここからは歩くよ。エルドさんもすみません、テレーゼさんのために宜しいでしょうか?」
冒険者たちはもちろん、責任を感じているエルドにも断る理由は無かった。
その足で歩み進む道中の負担を減らすため、心音は歩きながらも他者強化を続ける。
奏でるは行進曲、強化の効能だけでなく、気分も盛り立てたいと考えての選曲だ。
シューベルト作曲
【軍隊行進曲】
歩みと共に繰り返される基音と小太鼓のような刻み。
その上を、軽やかなメロディが楽しげに歌い転がる。
行進曲というのはその名の通り、行進時に歩みを揃えるために演奏される。
行進曲を耳にすることで、運動能力や集中力が向上するだなんて研究結果もある辺りには、音楽の持つ力に興味深さを感じることができよう。
時間に追われ、悪路の中焦りもする状況であるが、心音の奏でる音楽によって、心と共に気持ち身体も軽くなるのを皆感じていた。
それを実感し、エルドは感心を示す。
「音に魔法を乗せる魔法士なんて、初めて会ったよ。家柄上、俺は多くの魔法士と会ってきたが、そもそも他者強化を得意とする魔法士自体まず見ないな。どうだ、俺にその真髄を教えてはくれないか? 褒美は弾むぞ」
「すみません、ぼくの魔法はかなり特殊で……伝えるのが難しいんです」
一度楽器を下ろし、光球は維持しつつ心音は苦笑混じりに答えた。
特殊だと言うのは本当であるが、実際は精霊術の効果を高めるための音楽であるから、そもそも伝えるのが無理な話であった。
「そうか、まぁうちの国の者でもないみたいであるし、長く引き留めても仕方が無い。興味はそそられるが、諦めよう」
今回の宝石の騒動を見るに、欲しいものを獲得するためには労力を惜しまない性格のようであるが、そのために人に迷惑をかけるのは良しとしないのであろう。テレーゼのためにその足で泥濘を歩く様子もそれを裏付けする。
心音はついでとばかりに、話を膨らませる。
「他者強化は難しいって聞きますけど、どうしてなんでしょうか?」
心音自身が他者強化を得意としているだけに、難しいと言われてもいまいち実感として分からなかった。
エルドはその辺りにも詳しいようで、嬉々として解説してくれた。
「そもそも身体強化というのは、自身の周りに自分の魔力を纏わせて、それを疑似的な身体の一部として筋力や耐久度のかさ増しをしているわけだ」
前提として話されたそれは、ごく基本的な考え方なのであろう。それに対してやや呆けた様子を見せた心音に対し、エルドは「ん、こんなことも知らなかったのか?」と挟み、まぁいい、と続ける。
「それに対し、他者強化は自分の魔力を他者の周りに纏わせて身体能力を強化するわけだが、自分の魔力を自身の動きに合わせて感覚的に操作するのとは違い、他者の運動の意思を察知して他者に纏わせた魔力を反応させなければ、効率よく強化は伝えらないのだ。
まさか、その理論も知らずに感覚で強化していたというのか?」
信じられないものを見るような視線を向けられ、心音は慌ててごまかす。
「そんなまさか、たまたまぼくと同じ〝得意〟を持つ人に出会わないので、不思議に思っただけです、あはは……」
特異な人扱いされていろいろと探られてもかなわない。せいぜいが〝少し変わった人〟程度で収まっていたいのだ。
しかし実際、心音の場合精霊を媒介としているため、精霊の〝想いに反応する〟性質が強化先の人物の行動する意思を読み取り、他者強化を簡略化してくれていたのかもしれない。
〝起源派制圧作戦〟の時など、一度に多くの対象を強化する場面もあったが、これからは少し考えて実行した方が良いのかもしれない。道理でリザイア警部からの心音の評価が高かったと、今になって理由が知れた気がした。
音楽や会話を交えながらだと、長くつらい道中も少し短く感じることができた。
いつの間にかしばらく歩いていたらしい。すっかり朝日が上がると、遠くに街が浮かび上がってきた。
「もう一息だ。日が昇って歩きやすくなったね、出来る限り急ぐよ」
シェルツが声掛けをし、皆の気持ちを高める。
今確かに視界に入った街を行く先に定め、一行は泥中の行進を続けた。
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今話では、久しぶりに心音の演奏曲目が登場しました。
作者ツイッターで、いつものように心音の演奏をイメージした録音を投下しているので、是非ご覧ください♪




