4-9 温かい手のひら、業火の裏側で
曖昧な景色。
ぼんやりとした光に包まれた空間で、金髪の青年がこちらに手を伸ばす。
ぼくは手を伸ばそうとするけれど、身体が重くてうまく動かせない。
それでも強く息を吸い、力を込めて腕を持ち上げた。
視界に入ったぼくの右腕は黒い煤にまみれていたけれど、
それは彼の手に触れたとたんに剥がれていったんだ。
とても安心する手のぬくもり。
不思議な感覚が、ぼくの胸を駆け巡る。
きみの家で飲んだセロリのスープが胸に落ちた時のような、じわりとひろがる、温かさ。
♪ ♪ ♪
瞼の隙間から入ってくる光を感じ、夢から覚めたと理解する。
なんだか居心地のよい夢を見ていた気もするが、思い出そうにも思い出せない。
夢というのはそういうものだろうと独りごちると、心音はいよいよ目を開き、状況を確認する。
(見覚えのある天井、シェルツさんの家……)
ただでさえ鈍い思考が安心感で更に緩くなるが、ごろりと身体をねじり横を向くと、ベッドの端に人間の手がかかっているのが目に入り、ぎょっとして覚醒する。
目線をその手から腕へと流し、到達した先の頭頂を捉えた。
「シェルツ、さん」
そこには、ベッドの横で床に座り込み眠るシェルツの姿があった。
彼の傍らには水の入った桶とタオルが放られており、心音は、シェルツが自分を看病してくれていたのだと察しを付けた。
同時に、この状況を生み出した経緯を、思い出す。
「ぼく、助かったんだ。また、シェルツさんに助けてもらったんだ」
絶望が支配する炎の中から救ってくれた青年が、すぐそばで眠っている。
なんとなく、ただなんとなしに、その手に自分の手を重ねようとすると、寸前でシェルツの手がぴくりと動き、心音は驚いて手を引いてしまった。
「ん……コト、起きたのかい…………! コト! 目覚めたんだね! 身体の調子はどう⁉」
「ひゃ、ひゃい! もも問題ない、でしゅ!」
シェルツが起き上がるなり、その両の手で心音の手を握りしめるものだから、心音は動揺して妙な返事をしてしまった。
その声を耳にしたシェルツは途端に脱力し、浮いた腰をどかりと下ろすと、深く息を吐き、再び口を開く。
「本当に、よかった。酷く衰弱していたんだよ。火傷はそれほど酷くはなかったけど、かなり身体は弱っていたんだ。もう目を覚まさなかったらどうしようかと……」
シェルツの顔を見るに、目の下のクマが濃い。自身の体調を投げうって心音のケアに尽くしてくれていたことが伺えた。
心音はなんだか罪悪感すら感じ、おずおずと訊ねる。
「ぼく、どのくらい眠っていたんでしょうか」
「あれからもう五日目だよ。少しずつ輸液で栄養剤を入れていたけれど、一向に意識が戻らないから、もう心配で心配で」
シェルツは力なく笑った。そのまま一つ溜息をつくと、事の運びを明らかにするため、問いかける。
「コト、いったい何があったんだい? 分かってることだけでも教えてほしい」
「えっと、精霊術工房からの帰り道で、魔物に襲われたんです。意識を取り戻した時には既にあそこに閉じ込められていて……たぶん、あの建物〝起源派〟の人たちのものだと思います」
「やっぱりそうか。どこからか、コトの情報を掴んだんだね。実は既に首都警察と連携して調査は進んでいて、だいたいの事情は把握できているんだ」
「そう、なんですか。
…………あの、シェルツさんはどうしてあの場所が分かったんですか?」
現状に至るまでの自身を巡る事情が知りたい、というのは当然の欲求であろう。
シェルツは一度立ち上がり、半身を起こした心音の横、ベッドの空いたスペースに腰かけると、組んだ両手を膝の上に投げ出し、部屋の扉に目線を向けながら話し始めた。
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シェルツたち四人が心音の捜索を始めて三時間。
日は傾き、今日の捜索はこれまでかと、馬上で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるシェルツの鼻に、焦げた匂いが届く。
その異臭の元を辿ろうと風上に視線を向けると、空間から煙が漏れているのが見えた。
「……あれは認識阻害の結界かな? 中の建物が燃えている?」
それが位置する場所を確認すると、タイネル山の麓、登山道からは離れた、誰も寄り付かなさそうな場所であった。
「あんな所に建物が隠してあっただなんて、知らなかった。嫌な予感がする、急ごう」
心拍が早くなるのを感じながら、シェルツは馬を走らせ急行した。
シェルツが辿り着いた頃には、認識阻害の結界は完全に剥がれ落ちていた。
煌々と燃え上がる火炎は燃え尽きる時を知らず、建物に近づくと明らかな異変が聞こえてきた。
「……! これはコトの音響魔法だ!」
炎の中から漏れでるコルネットの音を感じ取り、シェルツは即座に信号弾を打ち上げた。パーティ内で決めていた、光魔法を用いた合図である。
「風の流れは巡り巡り、我を包みて循環せよ。〝風繭〟」
信号を出すなり、すぐにシェルツは炎の中へ飛び込んでいった。〝風繭〟によって自身を空気で包み込み、しばらくは熱を緩和できるだろうが、時間との勝負には変わりはない。
初めは音の発生源を探してみたが、音響魔法によりあらゆる空間が音で埋め尽くされていて、音は頼りにできなかった。
しかし、探索してるうちに、シェルツは炎が指向性を持っていることに気がついた。そう、特定の発生源から建物全体に広がるように。
だんだんと息苦しくなっていくのを感じながらも、シェルツは炎の中を疾走していく。
「ここか!」
チャペルのような部屋の地面に、ぽっかりと穴が空いているのを見つけた。そこから炎が走り出ているのを確認すると、一息に飛び込んで辺りを探る。
心音の居場所は、すぐに見つかった。
重たそうな枷を付けられ、どれだけの間拘束されていたのか、酷く衰弱しているように見える。
シェルツはぎりりと歯を食いしばるが、今は何においても助け出なきゃいけない。
ここぞという時の切り札、武具に魔力を纏わせ切れ味や耐久性を上げる〝武具強化〟を使うと、枷を一閃、心音を自由にしてから背におぶった。
泣きじゃくる心音の声を聞きながら、果たしてここをどうやって脱出しようか思案する。
ここに来るまでは強行突破で来れてしまったが、また〝風繭〟を使おうにも、元となる空気は、熱く薄くしか存在していない。
炎の中を無対策で突っ切ろうものには、シェルツも心音も大火傷必須、最悪の場合すら考えられる。
「はは、これは人生最大の危機、かな」
シェルツがアシンメトリーな笑みを浮かべ、強行突破を選択したその時、辺り一帯が一瞬で霧に包まれ、炎が消え失せた。
「あんたね、もうちょっと考えてから動きなさいよ」
「助かったよ、アーニエ。本当に」
一気に暗くなった地下空間を、杖に光を灯しながら、気だるそうにアーニエが歩み寄ってきた。
一見いつもの彼女だが、付き合いの長いシェルツは、先のセリフが震えていたのを聞き逃さなかった。
「信号を受けて駆けつけたらこれよ。あたしだって動揺もするわ。コト、生きてるの?」
「うん、少なくとも今はね。早く王都に戻って治療してあげないと、どうなるかは分からない」
「それなら早く行きなさい。ここの調査はヴェレスとあたしでやるわ」
地上に出ると、ヴェレスが大声でシェルツの名を呼ぶ声が聞こえた。信号に気が付き駆けつけてくれたようだ。
エラーニュとも合流し、四人で情報共有をした後、シェルツとエラーニュは王都へと急行した。
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シェルツから事の流れを聞き、心音はしゅんと頭を垂れる。
「ぼくのせいで、皆さんも危険な目に合わせてしまったみたいで、ごめんなさい」
「コト、それはいいんだ。でもね、あの炎は明らかに地下を発生源としていた。コトが広げたもの、だよね?」
「はい、あのままだと良くない連鎖が起きてしまうのが分かって、ああするしかなかったんです」
「あの中から助かる算段はあったのかい?」
「いえ……あのまま、ぼくも燃やされるだろうなと、覚悟していました」
少しずつ語気が強くなっていくシェルツの声に、対照的に心音の声は勢いを無くしていく。
シェルツは一度立ち上がると、心音に向き直り、片膝を折り目線を合わせて、言い聞かせるように言葉を並べた。
「いいかい、もう、自分を犠牲にするようなことはしないと約束してくれ。ああするしかなかったくらい追い詰められていたのは分かる。けれど、俺たちをもっと信じてくれてもいいんだ」
話してるうちに、泣きだしそうなくらい悲痛な声になっていく。
シェルツは再び心音の手を取り、誓を立てるように続ける。
「認識阻害がかかっていようと、辺境の地であろうと、俺は必ずコトを見つけ出す。自分自身を傷つける必要なんて無いんだ。もうあんなことはしないって、約束してくれるかな」
真っ直ぐに心音を見つめるシェルツの瞳は澄み渡る青空のようで、心音は吸い込まれそうな錯覚を得る。
重力を見失い、ふわふわとした感覚を覚えながら、それでも地面をその足で確認し、心音は返事をした。
「約束、します。心配させて、ごめんなさい。あと……ありがとう、ございます」
「……よし。何より、コトが無事でよかった。何か食べられそうかな? 胃に負担にならないものを、母さんが用意してくれてたはずだ」
シェルツに手を引かれ、心音は立ち上がる。
少しふらついた所をシェルツに支えられ、どこか気恥しさを覚えながら、確かに地面を捉え歩みを進めた。
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一旦落ち着きました。次回から第二幕の終わりに向けて動き出します……!




