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精霊《ルフ》と奏でるコンチェルティーノ  作者: 音虫
第二幕 精霊と奏でるアリア=デュオ  〜王国に落ちる影〜
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4-8 冷たさ、熱さ、温かさ

 硬い地面を水滴が叩く。


 再び目を覚ました心音の視界は、闇におおわれていた。

 うっすらと見える周囲を見るに、なるほど、牢屋の中に逆戻りらしい。

 最初と違い、歌えないように猿轡(さるぐつわ)を噛まされ、手足にも枷がつけられており、ほとんどの自由が奪われていた。


(無事では、返してくれないよね。ぼく、どうなっちゃうんだろう。ここで、死んじゃうのかな)


 朦朧とする意識の中を支配するのは、暗い絶望。

 行動にはこれ以上ないほどの制限がかけられ、たとえ無詠唱で擬似魔法を発現するにも、状況を打破するだけの出力は出せない。

 確認のために捻出したロウソク大の火も、発現した瞬間に消えていった。


 できる行動は、何も無い。

 絶望の中思考を回すが、考えるほどこの状況はどうしようもなく、心を締め上げていくだけであった。


 久しく流していなかった涙が、心音の頬を伝う。

 思えばここに閉じこめられてから何も口にしていない。

 憔悴しきった身体と心は、心音の精神をどん底まで追い詰めていた。


 コツ、コツ、コツと、硬い靴を打ち鳴らす音。


(また、この音……)


 聞き覚えのある音とその間隔。

 それが心音の前で止まると、やはり聞き覚えのある地鳴りが降ってきた。


「意識はあるか? まぁどうでもよいか。一応はお前に話したという事実だけを作ろう」


 何者かの指示できたのか、それとも己の矜恃なのか、男は独り言のように話し始めた。


「もうじき、我らの総指揮者がここへ到着する。そうなれば、お前はここから解放され、そして間違ったこの世界からも開放されることになる。お前から得られた贈り物の中身は、この世界を変える光になるだろう。安心して旅立つことだな」


 つまりそれが意味するのは、死に直結する人体実験ということだろう。

 暗く落ち切った心音の心を、チクリと指す痛みが襲った。


「あと、その枷は魔法を封じる。無駄な足掻きはやめておくことだな」


 言いたいことは言い切ったのであろう、男は来た方向へと靴音を響かせ去っていった。


 再び訪れた静寂。

 失意の中、今しがた聞いた言葉を反芻し、心音の中に一つの疑問が湧き上がる。


(あれ、この枷、魔法を封じるって……でもさっき小さな火を出せたよね?)


 あらためて無詠唱の擬似魔法の発現を試みると、やはり小さな火が発現し消えた。


(……もしかして、封じるのは魔法であって、精霊(ルフ)を媒介にした擬似魔法……精霊術は無効化されない?)


 心音を閉じ込めた者達にとって、想定外のことがあったようである。

 活路を見出すとすればそこしかない、が。


(でも、だめ。全然出力がだせない。これじゃあどんな魔法を使っても逃げ出せない……)


 丈夫な枷、鉄格子、そして猿轡。

 この想定外は、状況を打破するに弱すぎる要素であると感じた。


(せめて、音楽を奏でられれば。そしたら、擬似魔法の効果は大きくなって、何かが変えられるのに)


 楽器もなければ、歌うことも出来ない。

 そのせめて、は無い物ねだりに過ぎなかった。


 唯一使えるのは、規模の小さい擬似魔法。

 得意な火魔法もあの様子。精神力が弱まっている今、いつも以上に無詠唱魔法は難しいものとなっているようだ。


 他に使える魔法を考える。


 火。

 水。

 風。

 土。

 光。

 冷却。

 音響魔法。

 自己強化。

 他者強化。

 空気組成の操作。

 

 他には、他には……


(……あれ、そういえば、音響魔法を無詠唱で発現させたことって、ない?)


 最も身近に扱ってきた、音を扱う魔法。

 それを使う時は、いつも自分が奏でる音と共にあった。


(今まで、考えたこともなかった。もしかして、声が出せなくても音は出せる……?)


 試しに、この場で鳴ってもおかしくない音、水滴の落ちる音を、任意のタイミングで出してみる。


 トツ、トツ、トツトツ、トツトツ、トツトツ。


 一定間隔で響いていた水滴の音が、心音が念じたタイミングで倍に増えた。


(できた……。 これなら、もしかして擬似魔法の効果も大きくできる?)


 わずかな希望が差し込む。

 手持ちの手札で何かできないか、鈍い思考を回す。


 鉄格子は何とかなりそうである。

 しかし、やはり邪魔になるのは、四角く分厚い、手足につけられた枷であった。


(この枷がある限り、長い距離は逃げられない。枷は身体に密着してて、手足を切り落とすくらいしないと……)


 わずかな希望も、沈んだ心を照らすには小さすぎるものであった。

 そしてトドメを指すように、再び靴音が近づいてきた。


(例の総指揮者、が到着した? 何か出来るとしたら今が最後かもしれない)


 このあと待っているのは、おそらく苦しみからの死であろう。

 そしてそうなった自分からもたらされたものは、きっとこの世界を蝕む。

 自分の大切な人達にも、良くないことが起きるであろう。

 そうなるくらいであったら……。


(ヴェレスさん、アーニエさん、エラーニュさん、ティーネちゃん、ティリアさん、リッツァーさん……シェルツさん。ごめんなさい、もう、こうするしかないかな)


 心音は精神を振り絞り、いくつかの火種を生み出した。

 そして、無詠唱の音響魔法で、奏で慣れたコルネットの音が響き始める。



 ファリャ作曲

 【「恋は魔術師」より 火祭りの踊り】



 突如一帯に燃え上がった大音量の音楽は、瞬く間に他の現象へと変換され始めた。

 心音が散りばめた火種は熱く、大きく、広く燃え盛り、指向性を持って建物全体へと燃え移っていく。


 ――想起するのは、この世界に落とされた原初の記憶、マキアの大火災。


 身をもって経験した凄惨な記憶は、心音のイメージをより強固なものとして、絶大な勢いを持って燃え続ける。


(これで、悪い事を考える人たちや、そのリーダーの考える野望も、阻止できたかな)


 これだけの火災の中では、彼らもただじゃ済まないであろう。

 そして自身もこのまま燃え尽き、彼らの悲願とやらは、永劫に封じられることとなる。


(お家に、日本に、帰りたかったなぁ)


 長く感じていた絶望感のせいか、泣き叫ぶような悲壮感は湧き上がってこない。あるのは、諦めと、悪事を断つことのできた安堵である。


(また会いたかったよ。パパ、ママ、ごめんなさい)


 走馬灯だろうか、この世界で過ごした記憶が走り抜ける。

 そこには、凪の森で死地から救ってくれた、金髪碧眼の剣士を見上げる光景も浮かび上がっていた。


 その光景はあの時のように涙でぼやけていて、記憶を辿るように手を伸ばす。

 枷に繋がれた鎖がジャラリと揺れ、声に出せない想いが、外界へ迸る。




『(シェルツさん……!)』




 ――――コト!!



 甲高い金属の音ともに、ぼやけた視界に金髪碧眼の剣士が見える。

 現実と走馬灯の区別もつかず、妄想の産物かとぼんやりしていると、それは手を握る感触として現実を教えてくれる。


「大丈夫!? コト!! しっかりして!!」


 猿轡を外してもらい、口から入ってきた熱い呼気が肺を満たす。


「シェルツ……さん?」

「コト、少しじっとしててね」


 シェルツは立ち上がり腰を落とすと、剣を振り切って枷を正確に切り落とした。


「ほんもの?」

「いいからコト、ここを脱出するよ」


 シェルツは剣を鞘にしまうと心音を背負い、その瞬足で場の離脱を試みる。


「シェルツさん……シェルツさん! ――――――っ!」


 絶望に泣き叫ばなかった心音が、シェルツの背中で初めて心を瓦解させた。

 堰を切ったように溢れ出た、子供のような嗚咽。

 業火の中響き渡ったそれも一瞬、すぐに体力の限界を迎えると、安心出来る背中の中で、優しい夢に沈んでいった。


いつもお読み頂きありがとうございます。

ブクマ等のレスポンスも、とても嬉しいです!

第四楽章も折り返しです、この後もお楽しみください……!

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