4-8 冷たさ、熱さ、温かさ
硬い地面を水滴が叩く。
再び目を覚ました心音の視界は、闇におおわれていた。
うっすらと見える周囲を見るに、なるほど、牢屋の中に逆戻りらしい。
最初と違い、歌えないように猿轡を噛まされ、手足にも枷がつけられており、ほとんどの自由が奪われていた。
(無事では、返してくれないよね。ぼく、どうなっちゃうんだろう。ここで、死んじゃうのかな)
朦朧とする意識の中を支配するのは、暗い絶望。
行動にはこれ以上ないほどの制限がかけられ、たとえ無詠唱で擬似魔法を発現するにも、状況を打破するだけの出力は出せない。
確認のために捻出したロウソク大の火も、発現した瞬間に消えていった。
できる行動は、何も無い。
絶望の中思考を回すが、考えるほどこの状況はどうしようもなく、心を締め上げていくだけであった。
久しく流していなかった涙が、心音の頬を伝う。
思えばここに閉じこめられてから何も口にしていない。
憔悴しきった身体と心は、心音の精神をどん底まで追い詰めていた。
コツ、コツ、コツと、硬い靴を打ち鳴らす音。
(また、この音……)
聞き覚えのある音とその間隔。
それが心音の前で止まると、やはり聞き覚えのある地鳴りが降ってきた。
「意識はあるか? まぁどうでもよいか。一応はお前に話したという事実だけを作ろう」
何者かの指示できたのか、それとも己の矜恃なのか、男は独り言のように話し始めた。
「もうじき、我らの総指揮者がここへ到着する。そうなれば、お前はここから解放され、そして間違ったこの世界からも開放されることになる。お前から得られた贈り物の中身は、この世界を変える光になるだろう。安心して旅立つことだな」
つまりそれが意味するのは、死に直結する人体実験ということだろう。
暗く落ち切った心音の心を、チクリと指す痛みが襲った。
「あと、その枷は魔法を封じる。無駄な足掻きはやめておくことだな」
言いたいことは言い切ったのであろう、男は来た方向へと靴音を響かせ去っていった。
再び訪れた静寂。
失意の中、今しがた聞いた言葉を反芻し、心音の中に一つの疑問が湧き上がる。
(あれ、この枷、魔法を封じるって……でもさっき小さな火を出せたよね?)
あらためて無詠唱の擬似魔法の発現を試みると、やはり小さな火が発現し消えた。
(……もしかして、封じるのは魔法であって、精霊を媒介にした擬似魔法……精霊術は無効化されない?)
心音を閉じ込めた者達にとって、想定外のことがあったようである。
活路を見出すとすればそこしかない、が。
(でも、だめ。全然出力がだせない。これじゃあどんな魔法を使っても逃げ出せない……)
丈夫な枷、鉄格子、そして猿轡。
この想定外は、状況を打破するに弱すぎる要素であると感じた。
(せめて、音楽を奏でられれば。そしたら、擬似魔法の効果は大きくなって、何かが変えられるのに)
楽器もなければ、歌うことも出来ない。
そのせめて、は無い物ねだりに過ぎなかった。
唯一使えるのは、規模の小さい擬似魔法。
得意な火魔法もあの様子。精神力が弱まっている今、いつも以上に無詠唱魔法は難しいものとなっているようだ。
他に使える魔法を考える。
火。
水。
風。
土。
光。
冷却。
音響魔法。
自己強化。
他者強化。
空気組成の操作。
他には、他には……
(……あれ、そういえば、音響魔法を無詠唱で発現させたことって、ない?)
最も身近に扱ってきた、音を扱う魔法。
それを使う時は、いつも自分が奏でる音と共にあった。
(今まで、考えたこともなかった。もしかして、声が出せなくても音は出せる……?)
試しに、この場で鳴ってもおかしくない音、水滴の落ちる音を、任意のタイミングで出してみる。
トツ、トツ、トツトツ、トツトツ、トツトツ。
一定間隔で響いていた水滴の音が、心音が念じたタイミングで倍に増えた。
(できた……。 これなら、もしかして擬似魔法の効果も大きくできる?)
わずかな希望が差し込む。
手持ちの手札で何かできないか、鈍い思考を回す。
鉄格子は何とかなりそうである。
しかし、やはり邪魔になるのは、四角く分厚い、手足につけられた枷であった。
(この枷がある限り、長い距離は逃げられない。枷は身体に密着してて、手足を切り落とすくらいしないと……)
わずかな希望も、沈んだ心を照らすには小さすぎるものであった。
そしてトドメを指すように、再び靴音が近づいてきた。
(例の総指揮者、が到着した? 何か出来るとしたら今が最後かもしれない)
このあと待っているのは、おそらく苦しみからの死であろう。
そしてそうなった自分からもたらされたものは、きっとこの世界を蝕む。
自分の大切な人達にも、良くないことが起きるであろう。
そうなるくらいであったら……。
(ヴェレスさん、アーニエさん、エラーニュさん、ティーネちゃん、ティリアさん、リッツァーさん……シェルツさん。ごめんなさい、もう、こうするしかないかな)
心音は精神を振り絞り、いくつかの火種を生み出した。
そして、無詠唱の音響魔法で、奏で慣れたコルネットの音が響き始める。
ファリャ作曲
【「恋は魔術師」より 火祭りの踊り】
突如一帯に燃え上がった大音量の音楽は、瞬く間に他の現象へと変換され始めた。
心音が散りばめた火種は熱く、大きく、広く燃え盛り、指向性を持って建物全体へと燃え移っていく。
――想起するのは、この世界に落とされた原初の記憶、マキアの大火災。
身をもって経験した凄惨な記憶は、心音のイメージをより強固なものとして、絶大な勢いを持って燃え続ける。
(これで、悪い事を考える人たちや、そのリーダーの考える野望も、阻止できたかな)
これだけの火災の中では、彼らもただじゃ済まないであろう。
そして自身もこのまま燃え尽き、彼らの悲願とやらは、永劫に封じられることとなる。
(お家に、日本に、帰りたかったなぁ)
長く感じていた絶望感のせいか、泣き叫ぶような悲壮感は湧き上がってこない。あるのは、諦めと、悪事を断つことのできた安堵である。
(また会いたかったよ。パパ、ママ、ごめんなさい)
走馬灯だろうか、この世界で過ごした記憶が走り抜ける。
そこには、凪の森で死地から救ってくれた、金髪碧眼の剣士を見上げる光景も浮かび上がっていた。
その光景はあの時のように涙でぼやけていて、記憶を辿るように手を伸ばす。
枷に繋がれた鎖がジャラリと揺れ、声に出せない想いが、外界へ迸る。
『(シェルツさん……!)』
――――コト!!
甲高い金属の音ともに、ぼやけた視界に金髪碧眼の剣士が見える。
現実と走馬灯の区別もつかず、妄想の産物かとぼんやりしていると、それは手を握る感触として現実を教えてくれる。
「大丈夫!? コト!! しっかりして!!」
猿轡を外してもらい、口から入ってきた熱い呼気が肺を満たす。
「シェルツ……さん?」
「コト、少しじっとしててね」
シェルツは立ち上がり腰を落とすと、剣を振り切って枷を正確に切り落とした。
「ほんもの?」
「いいからコト、ここを脱出するよ」
シェルツは剣を鞘にしまうと心音を背負い、その瞬足で場の離脱を試みる。
「シェルツさん……シェルツさん! ――――――っ!」
絶望に泣き叫ばなかった心音が、シェルツの背中で初めて心を瓦解させた。
堰を切ったように溢れ出た、子供のような嗚咽。
業火の中響き渡ったそれも一瞬、すぐに体力の限界を迎えると、安心出来る背中の中で、優しい夢に沈んでいった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
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第四楽章も折り返しです、この後もお楽しみください……!




