4-6 震える吐息
区切りの都合上、やや長めです。
目を覚まして最初に感じたのは、硬く冷たい地面の感覚と、冷え切って力が入らない自身の身体。
心音はなぜこの状態に陥ったのか記憶を辿るが、どうもハッキリとしない。
明かりのない空間。
聞こえる音は、どこかで水が滴り硬い地面を穿つ音。
空気はひんやりとしている。秋めいた頃、まだ暖かさの残る外界からは切り離された場所のようにも感じた。
だんだん視界がはっきりしてくると共に、ここがどういった場所なのか、なんとなく掴めてくる。
「冷暗所、そして鉄格子……牢屋……?」
窓もない石造りの四角形の一面は、動物園の猛獣の檻か、はたまた犯罪者を収監する刑務所か、鉄格子で締め切られていた。
「えっと、たしか山を降りて王都に向かうところで……」
ぼんやりとした意識が覚醒していくに従い、記憶が蘇っていく。同時に置かれてる状況の異常性を認識する。
「……っ! エーカさん! ソロウさん! いたら返事してください!」
心音が張り上げた叫びは、暗い空間を何度も往復して響き続ける。
しばらく反響し、それが収束するまで、返事が返ってくることは無かった。
「いない、のかな。あの蛾の群れの狙いはぼくだった……?」
蛾の鱗粉で眠らされたらしいことは思い出した。
であるのに、身体には蛾が捕食を試みた痕跡はなく、このようなところに幽閉されているということは、初めから目的があって統率されていた魔物の群れ、ということになるであろう。
「この気温、湿度、窓のない牢屋、音の反響の仕方……地下か、洞窟の中とかかな」
牢屋の中や鉄格子の外を見回してみるが、それ以上の情報は掴めそうになかった。
牢屋の中は、用を足すためだろうか、人が入るには小さすぎる穴がひとつ空いているだけである。
「装備は脱がされてるかぁ…………っ!! ない!! ぼくのコルネット!!」
肌身離さず携帯していた愛機が無いことに気が付き、途端に動転する。
当然ながら滞魔剣も手元にないことに気が付き、いよいよ心臓が締め付けられる思いが込み上げてきた。
「ぼく、どうなっちゃうの……?」
楽器がないことに気が付いた途端、今まで冷静に状況分析をしていたことが嘘のように、弱々しく座り込んでしまった。
心音にとって楽器とは、自身が生きる手段そのものであるのだ。
意気消沈とする中、コツ、コツ、と硬い靴を打ち鳴らす音が牢屋に飛び込んできた。
(誰か来る……?)
鉄格子の外を確認すると、ぼんやりと光が音と共に近づいてくるのが分かった。
それは心音の前で止まると、低い地鳴りのような声が降ってきた。
「随分とやかましい声が聞こえたが、ようやくお目覚めか」
闇の中に浮かぶその顔は口元までしか見えないが、その高さから屈強な体躯をしていることが伺えた。
心音は少しでも現状の理解に努めようと、心を落ち着かせ、質問を投げかける。
「ここは、どこですか? 何の目的でぼくを捕らえたのでしょうか?」
「ふん、もっと取り乱しても不思議ではないが、なかなか落ち着いたものだな。
それらに答えても仕方の無いことだ。これからお前は人類の未来のために殉ずるのであるからな」
「人類の未来のため……?」
どうやら一筋縄では情報は引き出せそうにないようである。どうすれば会話が繋がるか、心音は必死に思考を回す。
「……ぼくは、いったいどんな役に立てるのでしょうか。人類のために何か出来るというのでしょうか?」
「ほう、人類のために身を捧げる気概があるか。そうかそうか、やはりお前は我らが悲願……いいや、お前が知る必要のないことだ。簡単には力尽きてくれるなよ?」
そこまで話しきると、声の主はぼんやりとした光と共に離れていった。
心音は引き留めようとしたが、会話の様子から有用な情報は漏らしてくれなさそうだと思いとどまり、今交わした会話を反芻する。
(人類のために殉ずる……我らが悲願……)
引っかかるキーワードといえばその二言くらい。その二言と結びつく心音の記憶というと……
(もしかして、起源派の仕業? ということは、ぼくを待っているのは……)
――――そのために、コトのような特異な人間を見つけたとなれば、徹底的に実験の材料とすることを厭わない
いつかシェルツが心音に注意喚起として話した言葉が脳裏を過ぎる。
悪寒が背筋を走った。
(このままじゃ、きっと無事では帰れない。なんとか脱出しなきゃ)
現状を確認する。
楽器と武器は、手元にない。
精霊術の触媒も取り上げられているようだ。
いくつかの触媒をポケットにしのばせていたが、冒険用の装備も取り上げられ、今はインナーのみになっている。
枷の類は付けられていない。
素手で脱出できそうな構造ではないが……
(魔法のある世界で、どうして枷もせずに一人置かれてるんだろう?)
鉄格子は丈夫そうではあるが、冒険者くらい洗練された攻撃魔法が使えれば、切断や溶断することも難しくはないだろう。
試しに、イメージを固めて、無詠唱で手のひらに炎を燻らせてみる。
問題なく豆粒大の火が発現したことから、〝凪の森〟のように魔法が分解される空間でもなさそうだ。
「楽器は無いけど……歌なら」
心音は小さく歌を口ずさむ。
その歌に精霊が呼応し、火は拳大の炎となった。
「うん、楽器の音ほどじゃないけど、ぼくの音楽に精霊は応えてくれるみたい」
なんの思惑があって魔法への対策をとっていないのかは分からないが、じっとしている訳にも行かない。
辺りに人の気配がないことを確認し、心音は脱走を試み始めた。
♪ ♪ ♪
鉄格子を溶断して抜け出したあと、心音は出口を求めて静かに動き始めた。
武器や楽器等の装備品を回収できないかと、楽器に込められた精霊の痕跡を辿ってみたが、丈夫な鉄製の扉に阻まれ、今出せる魔法の出力では破れそうになかった。
出口がある可能性が高い方向ということで、先程、光とともに訪れた人影が去っていった方向を目指す。
ほどなくして、光が漏れている天井を発見した。階段が続いていることから、隠し床のようなものであろうか。
心音は息を潜めて階段を登り、耳を澄ませて辺りの様子を伺う。
少なくとも真上の部屋に人の気配がないことを確認すると、ゆっくりと床を上げ、地下から脱した。
暗闇に慣れた目にとって眩い光に、顔を顰める。
天井付近にのみ存在する窓から差し込む光を見るに、お昼頃であろうか。蛾の襲撃からそれほど時間が経っていないのか、あるいは日をまたいで一周してしまったのか。
目が慣れてきたのを確認し、部屋をぐるりと見回す。西洋風の室内、天井は高く、空間の広さでいえばチャペルくらいの規模はある。
この部屋を見るだけでも、この建物がある程度の規模を誇っていることが予想できた。
じっとしていても見つかってしまうだけである。この部屋唯一の扉へと向かい、心音は屋敷の中を探索し始めた。
チャペル風の部屋の外は、真っ直ぐな一本道が続いていた。その廊下の両端には等間隔で石像が並び、やはりあの部屋は何かしらの儀礼的な意味があるのではと、心音は思考を浮かばせた。
廊下を突き当たると、開けた空間に出た。
エントランスのようなそこからは、いくつかの部屋へ向かう廊下や扉が存在しているらしい。
中央部には一際大きな像が飾られ、その周囲には……
「……っ!」
心音は慌てて傍の柱に隠れた。
象の近辺で、長剣を携えた男が四人談笑しているのが視界に入る。
心音を攫った者の仲間だろうか?
それとも一介の冒険者が出入りできる建物なのか?
ハッキリとしない現状では、下手に姿を見せる訳にはいかないと、心音は柱に隠れたまま、聴覚から情報を拾おうとする。
「そろそろ〝根源の時〟が近づいてるみたいだな」
「しばらくの間準備してきたからな。例の仕入先からも〝兵隊〟をだいぶ買っただろう」
「それに、決定打となりうる〝贈り物〟を手に入れることができたらしい。それを紐解いてから、王都を落とすらしいぞ」
「なんと、この時期に見つかるとはすごいな! やはり神は世界をあるべき姿に戻したがっているのだ」
何やら良からぬ会話に聞こえるが、その意味はハッキリと読み取れない。心音はそれを自分の言語能力の低さ故かと落ち込むが、実際彼らの会話には隠語が多かったのだ。
心音は引き続き柱の影で息を呑む。
「それで、その贈り物とやらはどう活用するんだ?」
「さあな。でも、贈り物から得られた実験結果は、王都を落とした後にこそ効果が発揮されるらしい」
「〝偽りの王に裁きを下し、世界は真の姿を取り戻す〟というのが現実になるということか」
「しかし、素晴らしい贈り物だ。起源人の存在を証明する、生きた伝説ではないか」
(……! 贈り物って、ぼくのこと……?)
自身の存在が人類への危機となる。言い聞かされていたそれが現実味を帯びてきたことに、鼓動が苦しくなる。
自身のためだけではない。今を生きるもの達のためにも、ここから逃げ出さなくてはならない。
心音は落ち着いて部屋の様子を見る。
エントランスらしきこの空間も、例のごとく天井付近にしか窓はない。
しかし、一際大きな扉が中央に配置されていることから、おそらくそこが出入口と当たりをつけた。
(あの人たちがいなくなったら、あの扉を抜けてみよう)
そう決めると、心音は気配を殺して機を伺い始める。
ほどなくして、彼らは会話を終えたようだ。誰からでもなく、各々散っていこうとする。
(よし、今のうちに……)
「あぁ、ところで、そこに嗅ぎなれない匂いが居るな? そろそろ出てきたらどうだ」
心音の顔が一気に青ざめる。
なぜ、どうして、いつから、どうやって。
動転して泳ぐ目線の先に、足元から心音の顔を覗くネズミが飛び込んできた。
見覚えのあるネズミ、これは精霊術工房で見た……
(もしかして使い魔!? 存在は聞いたことがあったけど、今まで頭の中になかった……っ)
パスを繋いだ動物が得た感覚を自身のものとリンクさせる使い魔。
思えば、最近妙に小動物を見かける機会が多かった。
男が剣に手をかけて近づいてくる。
一刻の猶予もない。
覚悟を決め、心音は戦う決心をした。
深く息を吸い、それを吐ききると、再び息を吸って口を開く。
部屋の四方から、突如歌声が響き始めた。
「なに!? 感じた匂いは一つだったはずだが……」
心音の音響魔法で響き始めたそれにより、四方で火が灯り始める。
それは次第に小さな龍の形となり、四方から四人を襲い始めた。
(冒険者認定試験の時に使った術を再現してみたけど……四つコントロールするのは難しいし、楽器じゃないから思ったように精霊が反応してくれない……っ!)
火の龍は彼らを襲い続けるが、なかなか決定打を与えられない。一撃で仕留めるだけの火力が出せていないのだ。
(精霊術がダメなら、近接で戦うしかない。精霊さん、お願い、そのまま火を維持して!)
精霊に願い、歌を止めると、身体強化を目いっぱいかけて柱から飛び出した。
一瞬で四人のうちの一人に肉薄すると、男の手首を捻り手刀を打ち付け、武器を取り上げる。
剣を手に入れたことにより正面突破が可能になる。
徐々に小さくなっていく龍に翻弄される男達を、一人、二人と無力化する。
「お前は、地下に幽閉してるはずの〝贈りもの〟じゃないか。楽器がないと魔法を使えないんじゃなかったのか?」
「答える義理は、ありませんっ!!」
気合を入れ直し、最後の一人に上段から袈裟斬りに剣を振り押す。
その剣筋は流れるように肩口へ向かい――――心音の手元から剣が弾かれた。
「……え?」
「俺の剣が見えなかったか? 悪いな、俺は王宮騎士あがりだ」
状況を理解するより早く、心音は腹部に鈍痛を感じる。薄れゆく意識の中で、男の肩にネズミが登っていくのが見えた。
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いつもお読みいただき、ありがとうございます♪
ブクマ等のレスポンスも、嬉しいです!
誤字報告、すごく助かります!
人の手も借りて二重三重に査読してますが、どうしても誤字等でてしまいますね……
なにか気になる所があれば、教えていただけると喜びます!




