4-4 懐かしの精霊術工房
目を覚まし、一瞬自分のいる場所が分からなくなり、すぐに懐かしい香りを感じて現実を取り戻す。
「ティリアさんの、朝ごはんの匂い」
すっと起き上がると、心音は手際よく身支度を済ませ、リビングへと出る。
「あ、コトちゃん! おはよー!」
心音の視界に真っ先に飛び込んだティーネが、元気に片手で手を振る。
昨晩あんなにもはしゃいでいたのに、朝早く元気に目覚める様は、若さだけではないバイタリティを感じさせる。
「おはよう、コトちゃん。ちょっとまっててね〜、すぐ朝ごはん出来るから」
家族全員分の朝食を作るため台所に立つティリアの背中を見ると、帰ってきたんだなぁ、という安心感を得られた。
シェルツとリッツァーも揃い、久々に一家揃っての朝食。
味も栄養価も逸品のそれを味わいながら、それぞれが今日の行動を確認し合う。
シェルツは五段位認定試験のための準備を、リッツァーとティリアは仕事に、ティーネは学校でそろそろ試験があるらしい。
話が流れ、自然と心音の順番が回り、視線が集まる。
とはいえ、これから心音が話す予定は、昨晩も少し触れた内容であったから、予想通りといったものであった。
「ぼくは、タイネル山の精霊術工房に行ってきます! ピッツさん、いるでしょうか?」
「そう言うと思ってね、既に今朝連絡をとってあるよ。コトくんならいつでも歓迎さ! と、彼からの言伝だ」
「わぁ、リッツァーさん! ありがとうございますっ! やっぱりこの世界のみなさんは心が読めるのでしょうか……?」
最後にぼそりと呟かれた言葉にヴァイシャフト家四人は顔を見合わせるが、コトが特別分かりやすい人なだけだよ、と伝えるものはいなかった。
食事が終わり、各々の目的を果たしに動き始める。
精霊術工房もかなり久しく感じる。
聞きたいことはたくさんある。弾む心を携え、工房行きの馬車を探しに心音は街へ出た。
♪ ♪ ♪
シェルツから聞いていたアドバイス通りに物流局を尋ねてみると、精霊術工房行きの定期便がちょうど出るところであった。
慌てて事情を話すと、帰りの交通手段は保証できないが、それでもいいなら乗っていってもいい、と許可を得られたので、馬車で三時間ほどの交通手段を確保することが出来た。
定期便には、道中で野生動物や魔物の襲撃があった時に対応できる冒険者が二名付いている。
今回は女性冒険者のペアが付いていたようで、彼女たちと同じ荷車に乗り行動することとなった。
最近の王都の様子……魔物の数が減ってきたことや、首都警察の動きが活発なことなどを聞きつつ、気付けばタイネル山は目の前にあった。
そのまま何事もなく精霊術工房の門へ辿り着き、例のインターホンのようなもので列先頭の局員が会話をすると、すぐに扉が開いて中へと入れた。
職員が出てきて荷物のやり取りをしているのを横目に、心音はきょろきょろと辺りを見渡す。
すると、建物から現れたひょろりとした男性を視線の先に捉え、心音は目を輝かせて駆け寄った。
「ピッツさん! お久しぶりですっ!」
「おぉ、コトくん、待っていたよ。元気そうでなによりだ。ふむ、その髪が噂の……」
ピッツは目立つほどヒゲも生えていない顎を擦りながら、ほのかに笑みを浮かべて返事をした。
相変わらず疲労が溜まっていそうな目元をしているが、その声の調子は社交的な明るさを感じさせる。
「ぼく、旅先で色々体験して、ピッツさんに聞きたいことたくさんできたんです! お時間大丈夫ですか?」
「うむ、今は忙しい案件も抱えていないからね。しかしコトくん、巧みに言葉を操るようになったねぇ。これも経験の賜物か」
成長した姪っ子を見るように、ピッツはうんうんと優しく頷いた。
「さ、立ち話もなんだ。中で何か飲みながらゆっくり語ろう」
心音は物流局の人達にお礼を言うと、ピッツの勧めるまま、工房の中へと入っていった。
♪ ♪ ♪
心音は、精霊術工房を離れてから今までの出来事を、ピッツに話した。
王国聖歌隊に入り、音響魔法を修得したこと。
その音響魔法を通して、創世祭で王都中に音を届けたこと。
精霊術を駆使して、冒険者認定試験を突破できたこと。
〝空間冷却〟の思念を精霊に伝えて発現できたこと。
チャクトで遠隔魔法や他者強化を使い大敵を破ったこと。
シェンケンでコルネットの音に猫がじゃれついたこと。
ベジェビで大きな光を精霊術で維持したこと。
心音と精霊にまつわるエピソードを聞きながら、ピッツは考え込み、どこか納得したように頷くと、感想を述べた。
「コトくんも感じているとは思うけど、春に精霊付与の儀をした時と比べて、かなり多くの精霊がコトくんの中に宿っているようだね」
「そんなに、たくさんの精霊がぼくの中にいるんですか?」
自身の身体のことであるから、精霊の変化についてはよく感じていた。
それでも、今まで生きてきて馴染みのなかった感覚である。客観的に見た状態を知りたく、少しだけ緊張を孕んだ声で心音は訊ねた。
「今日再会して私が感じた直感を言うとね、コトくん、キミの中にひとつの大森林を感じたよ」
ピッツは至って真面目な顔で、冗談のような規模の言葉を紡いだ。
スケールが大き過ぎて、心音にはその具体的意味が分からず、重ねて訊ねる。
「それって、どのくらい多いんですか? この工房の森よりたくさんですか?」
「たしかに、ここの森は精霊向けに最適化されてるから、かなりの数の精霊が住んでいる。しかしコトくん、キミの中にいる精霊は、それとは比べ物にならないよ」
そうだな……、とピッツは少しの間思考を回し、ある程度の概算を立てる。
「この工房で働く二十人の精霊術士、その全員で工房の五倍の規模の森を制御したとして、コトくんが保有する精霊の数には……それどころか……」
ピッツは言葉を区切り、いいや、と首を振ると、話題を転換する。
「ところでその髪、まるで魔人族の魔力光のようだね。今はきっと抑えているんだろう? 精霊に敏感なものでないと光は分からないくらいだが、それでも色についてはハッキリと発色しているね」
心音は自分の髪を手に取り、サラサラとしたそれを下に流すと、補足するように口を開く。
「髪だけじゃなくて、精霊術を思念や演奏で補強する時も、桜色の魔力光のようなものが出てるみたいです」
「ふむ、なるほど。コトくんの性質に精霊が呼応しているということか? となると……今まで魔力光は彩臓に依存するものと思われていたが、もしやそうではなく、個人のもっと根本的なところ――精神や心、魂に依存しているというのか……?」
顎に手を当てて熟考することしばらく、はっと息を吸うと、言い聞かせるようにピッツは言葉を並べた。
「いいかい、コトくん。このことは易々と他の人に話しちゃいけないよ。もしかしたらこれは歴史的な発見だ。キミの身を狙うものは増えるだろうし、旅も出来なくなるからね」
「き、気をつけますっ」
シェルツからも以前、出自がバレないような身の振りをしなきゃいけないことを理由と共に聞いていた。
最近は対外念話を使うことも減っていたため忘れかけていたが、あらためて気をつけていかなければいけないようだ。
「よろしい。さて、他に聞いておきたいことはあるかね?」
「あ、シェンケンで、ちょっと変わったダガーを買ったんです! これに、精霊の付与ってできますか?」
「おぉ、これは珍しいね。レフィド鉄鋼かな? これなら十分に触媒として機能するよ」
ピッツは立ち上がると、着いておいでと歩き始めた。
心音も席を立とうとしたところで、足元を駆けて行った小さなネズミに少し驚いたが、自然豊かな土地では様々な生き物もいるだろうと納得し、ピッツの後に続いた。
ネズミは、何かを求めるように工房の出口へと向かっていった。
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精霊付与の儀は滞りなく済み、手元の滞魔剣からはたしかなエネルギーを感るようになった。
次の定期便が工房に来るまで三日。
その間、積もる話や工房の手伝い、精霊術の勉強などで充実した時を過ごすことができた。
もう少しで定期便が到着するという時、ピッツが世間話程度に、軽い口調で話し始めた。
「そういえば、この世界には太古〝大精霊〟という存在がいたらしいよ。この国で伝承として残ってるものはないけど、他国や他種族の国では言い伝えられているみたいだ。なんでも、ハッキリとした意識を持ち、ヒトとも交信していたらしいね。
らしい、というのも、恥ずかしながら私はこの目で伝承を確認したことがなくてね。国外に出るのは、特別に指定された冒険者や軍人でない限りは難しいのさ。
まぁ、お伽噺のようなことだ。話半分くらいの認識でいいよ」
心音も精霊とは関わりが深くなってきた自覚がある。もしそんな存在と出会えたら、とても素敵なことだな、と心が跳ねた。
話の区切りを見計らったように、定期便の馬車からの連絡が入った。あのパネルへ魔力を流すことで、工房内部のパネルを通じて声を届けられていたらしいことを、心音は初めて目の当たりにした。
ピッツと共に玄関門へ向かいながら、別れの挨拶をすませる。
「ピッツさん、今回もありがとうございましたっ! また、遊びに来てもいいですか?」
「もちろんさ、いつでも顔を見せに来てくれたまえ」
荷物の受け渡しが終わり、定期便の馬車は山を下り始める。
群れからはぐれたのか、カラスが一匹、山を下るように飛び立った。
お読みいただきありがとうございます!
第二幕は最後まで書き上がっております。
のんびりお楽しみください♪




