第二楽章 王都ヴェアン
長い夢の中にいた。
目を覚ましたらすぐに忘れてしまうような、マーブル模様の夢。
久しく感じていなかった心地の良い安心感を感じる、温もりのある夢。
沈んだ意思を遊ばせ、ふわりふわりと、浮いていく。
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こちらの世界に来てから一度も安心して眠れていなかった心音は、馬車の揺れるリズムを心地よい子守唄替わりとして、深い眠りに落ちていた。
折れた足の治療はエラーニュが継続して行っており、この様子では直ぐに完治するであろう。
森から目的の街までは、途中で野営を挟みつつ馬車で三日ほどかかる。そんな中パーティの面々が心配してるのは、心音が森を出発して以降、二晩は眠り続けていることであった。
「余程疲れていたんだろうけど、ここまで起きないと心配だね」
心音が眠る馬車の奥の方を見ながらシェルツが呟いた。
「この子、体内に魔力がないから、治療に体力を使うしかないのですが、そのせいもあると思います」
エラーニュは読んでいた本を捲りながら返した。
「治療は一旦中止して、起きるのを待った方がいいかしらね。このまま永眠だなんて、寝覚めが悪いわよ」
立てた指の周りで水の粒を回転させながら、アーニエが不機嫌そうな声を出す。
「実は治療自体は昨晩でほとんど終わってます。夜が明ける頃には目覚めてもいいと思っていましたが、もうお昼ですね」
太陽が天頂を通過した頃合、やや汗ばむ程度には大気が温まっていた。
「あー、なんかじれってぇな。つついたら起きねぇかな?」
ヴェレスが心音の頬を人差し指でつつき始めた。
「こらヴェレスやめなさいよ」
「ん、んん……」
「「「……え?」」」
呻き声を上げ、モゾモゾと動き出した心音。目を擦りながら起き上がったその眼前には、ドアップの大男の顔面が。
「やぁぁぁぁぁ!?」
「うぉぉぉぉぉ!?」
『コト! 目が覚めたんだね!』
「え? えと……あ、シェルツ、さん? と、ヴェレスさん」
『あー、良かった。これで今晩も気持ちよく寝れそうだわぁ』
『コトさん。果物、用意しています。とりあえず栄養を摂ってください』
「えと、あ、ありがとう、ございます」
弱々しい声、風が吹けば倒されそうな様子ではあるが、粒ごとに分けたブドウの様な果物の入った籠を受け取り、一粒ずつ口に運び始めた。
爽やかな甘さと瑞々しさで身体が満たされていくように感じる。実に三日ぶりの食事である。次々と果実を口に運ぶと、籠はすぐに空になった。
『うん、いい食べっぷりね。安心なさい、お代はシェルツにツケといたから』
『冗談はよしなよ。その果物、コトのカバンから出したものでしょ』
ニヤケ顔で言うアーニエに、呆れた様子でシェルツが付け加えた。
「本当に、助けて頂いて、ありがとうございます」
言葉が通じないことは分かっているが、それでも何とか感謝の気持ちを伝えようと頭を下げる。
『いいんだ、俺がそうしたくてやってる事だから。その代わり、街に着いたらその楽器のこと、色々と調べてみたいな』
この世界にもお辞儀の文化はあったようで、気持ちは伝わったらしい。楽器も、壊されないなら見てもらって構わないと思い、頷きを返す。
『お、街が見えてきたぜ。くぅ~今回の遠征は長かったなぁ!』
ヴェレスの声を受け、大きく開いた前方部に視線を向ける一行。
心音の目に飛び込んできたのは、視界いっぱいに広がる長大な白い壁。そのずっと奥には離れていてもその壮大さが分かる、巨大な西洋風の城。大草原の真ん中に広がるその途方もない建造物に、ただただ言葉を無くした。
『コトはもしかしてこの街に来るのは初めてかな? あれが、ハープス王国の首都、科学と魔法と音楽に溢れた都、王都ヴェアンさ!』
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見渡す限りの人、人、人。
門を抜けるとすぐに、雑踏の喧騒に包まれる。どうやら商店街のようである。交易の利便を考えての配置であろうか。そのほとんどが二階建ての建物で、一階は営業用、二階は恐らく居住用であろう。食品から工芸品まで、ありとあらゆるものが取引されていた。そして、常に流れている民族音楽風の音色が気分を高ぶらせる。
「わぁ、すごく、華やかな街……」
思わず感嘆の声を漏らす心音。
絵画で見るような壮観な街並みに溢れる人々の様子は、まるで祭りの最中のようであった。
『がははっ、いい反応をしてくれるぜ! どうだコト、オレらの国はすげぇだろ!』
豪快に笑うヴェレスに、目をキラキラさせながら心音はコクコクと頷いた。
『しっかし、特に問題もなく検問を通過できて良かったわね。絶対この子のことで足止め食らうと思ってたわ』
アーニエが横目で心音を見ながら呟く。
『ただの行方不明者なら戸籍はそのままだけど、拉致されて奴隷として売り渡されたものの戸籍は死亡扱いになるだろ? 魔人族に捕えられていたヒト族の子供を取り返してきた、と言えば通してもらえるんじゃないかと思ってさ』
『とっても偉そうに話してますけど、それってギルドの特別講習で都政課の偉い人が話してた事例そのままですよね?』
得意気なシェルツの説明に、エラーニュがツッコミを入れる。乾いた笑いを浮かべるシェルツの後ろで、アーニエとヴェレスは明後日の方角へ視線を逸らした。
冒険者ギルドに入ると必ず受けることになる、基本的な冒険者としての知識を教えこまれる基礎講習というものがあるが、それとは別に冒険者全体を対象とした特別講習がある。外部講師を招いて行う講習であるが、参加することで個人の査定が上がるため、参加するだけして講習中は夢の中、というものも少なくないのが現状である。
『ところで、街に入れたはいいけど、身元すら分からないこの子の扱いはどうするのよ?』
アーニエの疑問も尤もである。シェルツは現時点での方策を答える。
『まずは行方不明者掲示板を確認しようと思う。コトに似た特徴の人が掲示されてないかを見てみよう』
なにやら特殊な事情を抱えていそうな心音であるから、この国のものであっても掲示板には恐らく掲示されないだろう、とは四人の共通認識であったが、一縷の望みにかけて情報局へ向かうのであった。
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『ん~、やっぱりそれっぽい掲示はないね』
この街では行方不明者がでても、首都警察がその殆どを早期に発見する。その中で見つからずに掲示され続けてる事案は犯罪性があるものや魔人族による拉致と言われているが、絶対数的には多くはない。そのため掲示されてる内容全てに目を通すのにそう時間はかからなかった。
「ヒト族の見た目なのに他言語を扱い、対外念話も使えない。そして未知の楽器を持って凪の森に一人……」
「首都警察に届出ても、ロクな扱いはされなそうね」
心音に分からないように対外念話を介さずに呟いたシェルツに、アーニエが眉をひそめて言った。
「ひとまずは誰かが匿って、今後の方針を考えようか」
「あー、うん。そうするしかないだろうけど、ウチはパスね」
家が研究機関であるアーニエは、関係者以外立ち入らせない方針があるため即答した。
「わたしの家も、ダメだと思います。もし押し通してもコトさんが良い思いしないかと」
医者の家系であるエラーニュの父親は気難しく、心音のような素性の知れないものを良しとしない。
「オレんちは、まぁ、男所帯だから良くねぇだろうな。つーかシェルツ、お前が連れてきたんだし、お前が面倒見ればいいんじゃねぇか? それに、あの妹もいるだろ?」
ヴェレスがそう口にすると、シェルツはそれもそうかと納得した表情を見せた。
『コト、とりあえずキミのことは俺の家で預かることにするよ。両親も温和だし、妹もきっと良くしてくれると思う』
すごく面倒をかけてしまっているなぁ、と申し訳なさそうな顔をしながら、心音はゆっくりとお辞儀をするのであった。
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シェルツたち一行は再集合時間と場所を決めた後一旦解散とし、シェルツと心音はシェルツの自宅へと向かった。ギルドからは徒歩十分くらいの距離であるが、無言で歩くのもなんであろうと、家の事をシェルツは語る。
『父親は学者でね、昔から科学のあらゆることを教えてくれたんだ。家にはたくさんの資料があって、眺めてるだけでも楽しかったよ。母親は治癒士で、民間の病院で働きながら、たまに軍属病院に出向いては主にケガの治療をしてるみたい』
魔法のある世界で、科学を生業とする人も存在しているのだと、魔法=なんでも出来る不思議な力、というファンタジー一色になっていた心音の頭を少し冷静にした。とすると、もしかして治癒士というのも、単に不思議な力で治すだけじゃないのかな、と思考を回す。エラーニュに治療してもらった時も、何やら色々と確かめながら呟いていた気がする。
『あとは妹がいてね、俺たちほど頻繁には活動してないけど、一応冒険者としても活動してるよ。普段は父の仕事を手伝っているんだ。魔法の腕は、我が妹ながらかなりのものだよ』
いまいち冒険者というものの実態が掴めないが、職業ではないのであろうか、と心音は思案する。
『そうそう、妹は今年で十三歳になるんだ。きっと妹みたいに可愛がってくれると思うよ。さ、ここが俺の家だよ』
「十三歳ならむしろ年下ですよ!」なんて反論はできず、口をもにょもにょさせながら、シェルツの後に続く心音であった。
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「あら~? おかえり、シェルツ。今回は長かったわね」
ふわふわしたブラウンの髪を後ろでまとめた女性がシェルツと心音を出迎えた。
『ただいま、母さん。ちょっと訳ありで、うちで預かりたい子がいるんだ』
シェルツに母と呼ばれたその女性は、おっとりとした口調で返す。
『まぁまぁ、可愛らしい子ね、どうしたのかしら?』
『凪の森で見つけたんだけどさ、ヒト語が通じないんだ。コトっていう名前らしいんだけど』
何も聞かずに対外念話に切り替えるあたり、シェルツの母は察しがよく気遣いもできるらしい。
『コトちゃんね。さぁ、こっちへいらっしゃい。あらあらこんなに汚れちゃって。暖かいお風呂に入りましょ』
そうして、心音はシェルツの母に浴室へと連れていかれた。
お風呂から上がった後、シェルツは母――ティリアという名前だと、お風呂で洗われながら心音は自己紹介を受けた――に一通りの説明を行なった。大体の経緯を伝え終えた後、シェルツは腰掛けていた椅子から立ち上がった。
『そういうことだから、俺はギルドに依頼達成報告をしに行くよ。コトのこと、よろしくね』
『行ってらっしゃい。今晩はお父さんも帰ってくるから、みんなで晩御飯食べましょうね』
仕事で忙しい父が帰ってくるなら、自分も早く帰らなきゃな、と思いつつシェルツは自宅を後にした。