3-7 影が残した痕跡
翌朝、里長の部屋で心音たち五人はアーシャから約束の情報を受け取ることとなった。
地図が広げられた大きめの机を前に、アーシャは椅子に腰掛けたまま魔法で地図に青い光の印を付けた。
「黒いローブの不審人物の目撃情報はねぇ、他にも幾つか報告されているのさ。ある程度規則性があるのが分かるかい?」
アーシャが指揮を振るように手首を翻すと、地図上の光が順番に光を強めていった。
それはヴェアンを中心に時計回りに動いているようで……
「一人の人物が、旅をするように痕跡を残しているということでしょうか?」
「その通り、ヴェアンの風刃。同時に目撃された情報はないから、同一人物の可能性が高いねぇ。それと……」
右手を薙いで光を消すと、今度は赤い光が灯った。
その光は不均等なリズムで数を増やしていき、チャクト、シェンケン、ベジェビ、と灯って増殖をやめた。
「最後の光、わたしたちが遭遇した異常と順番が一緒ですね」
「いい着眼点だ、巨人の肩に乗る知恵の子。これは、ここ最近発生した不可思議な出来事を順番に示したものさね」
エラーニュに視線を向けたまま、言葉を区切ってアーシャはまだ温かいお茶に口をつける。
その香りを舌の上で転がし、昨晩の夕餉のメニューを思い出すかのように言葉を並べ始めた。
「魚の大量死、
大熊蜂の肥大化、
極度の水不足、
子供の集団失踪、
――――、
そして、
生命を殺す巨木、
疾風を起こす猫、
統率された魔物群。
これらは全部、居合わせた者や調査に行った冒険者によって解決されているけどね。後ろ三つについては事が大きくなる前に解決してくれたようで、お手柄だよ」
「やっぱり他にも異常事態は起こっていたんだ……」
列挙された内容に、息を呑んで深刻さを悟る。
「これらの出来事には、どれも軍用魔物が絡んでいた。魔人族が管理する魔物が、偶然この国まで逃げてきて各地に都合よく散った、なんてことは無いだろうねぇ」
軍用魔物は自然発生しない。
明らかに人為的なものであると断定できるであろう。
「黒ローブの目撃時期と、出来事の発生時期は一致していなくてね。目撃時期からは三年ほどかけて順に土地を巡っている様子が見て取れるが、事が発生している時期は同時多発的での。明らかに今この時期に何かを狙っているね」
長期的な下準備を経ての計画。
各地で起こった出来事は上手く解決できていたようであるが、異常な事態に少なからず疲弊しているであろう。
そのような状態で何かを狙うとすれば……
「一番重要そうなのに、王都では、ヴェアンでは何も起きていません」
心音の口をついたそれは、誰もが思っていたことであった。
周辺のほとんどの地域では何かしら起きている。その中心に位置する王都が明らかに最終目的であると、嫌でも推察できた。
しかし、シェルツがそれに更に疑問をぶつける。
「何も起きていないのもそうだけど、さっきの青い光……そもそも黒いローブの人物はヴェアンで目撃されていない……?」
その点には思い当たっていたのだろうエラーニュが、一歩進んだ考察で返した。
「ヴェアンには、対魔物用の警報結界が貼られています。これは一定以上の魔力量に反応するものですが、魔物と同じくヒト族と比べ遥かに高い魔力量を内蔵する魔人族はその警報に引っかかってしまうのでしょう。犯人を魔人族と仮定しての話になりますが」
「つまり、王都が狙われるとすれば外部からの侵攻か?」
シェルツの口から出たぞっとする結論に、思わず心音から言葉が零れる。
「それって、戦争じゃないですか!」
「そうだよ、今は戦時中さね」
アーシャがピシャリと言い切り、場を静寂が支配する。
どうであれ、今後の動きは定まってくるだろう。
「すぐに王都に向けて出立します。アーシャ婆、有益な情報をありがとうございました」
「いんや、こちらこそ助かったよ。里に呼び留めて正解だったね」
優しい声音で紡がれた言葉であるが、どこか引っかかるところがあったのかエラーニュが質問する。
「ところで、どうして祭りまでの期間、わたしたちを里に留めたのですか? 笛の指導だけであれば数日でも効果はあると思いますし、特別やることの多くないわたしたちにまで宿を提供して引き止める必要はなかったと思います」
実際、魔物の討伐は早い段階で終わり、残りの日数は里の仕事を手伝いはしていたものの、ほとんどタダ飯居候状態であった。
いつか聞かれると思っていたのだろう。
そう間も開けずに、アーシャは顎に手を当てながら答えた。
「嫌な予感がね、していたのさ。最近の魔物の動きは妙だったからね。何かがあってもいいように、祭りまで戦力を置いておきたかったというのが、正直なところだよ」
一呼吸おき、視線を心音に送って続ける。
「それとね、〝音楽の天使〟の本質を見極めたかったというのもあるね。その身に宿す膨大な……いや、己が行使できる力を正しく使える心を持っているのか、わらは見定めねばならなかった。これは少し興味本位だけどね」
音楽の天使、という言葉が飛び出たことに五人は驚くが、そこは情報屋の本領発揮であろう、創世祭の一件とも既に結びついていたらしい。
最後に、顎に当てていた手を下ろし、座っていた椅子を揺らすと、年相応の雰囲気を醸し出して優しく語った。
「これは本音だよ。馴染み深い子達にね、ベジェビの祭りを純粋に楽しんで行って欲しかったのさ」
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帰路につこうとすると、屋敷の玄関で一人の少女がうろうろとしていた。
彼女は心音たちの姿を認めると、表情を輝かせて駆け寄ってきた。
「コトおねえちゃん!」
「ティスちゃん! 見送りに来てくれたの?」
駆け寄った勢いのまま心音に抱きついた彼女の手には、祭りで吹いた笛が握られていた。
「わたし、コトおねえちゃんのおかげで、自信を持って演奏できるようになった、です。コトおねえちゃん、また遊びに来てくれる、です?」
「もちろんだよ、ティスちゃん。今度は一緒に二重奏を吹いて遊ぼっか!」
「ほんとに? 約束、です」
ティスは三歩、心音から距離をとり笛を握りしめた。
「最後に、聴いて欲しい、です」
おもむろに、綺麗な流れで笛を構えると、深い呼気を流し始めた。
「え? これって……」
紡がれた旋律は、心音がこの里で初めて演奏し、そして指導の合間に何度かコルネットで吹いていた【ベサニー「主よ御許に近づかん」】であった。
一介の少女が戯れに吹き流す音楽ではない。
暖かく、滑らかで、感情を持つ、豊かな歌。
一人の〝音楽家〟が創り出す音楽がたしかに存在していた。
演奏を終えると、ティスは満足げに一礼した。
嬉しさと、困惑と、驚愕と、感動と。
感情のサラダボウルを掻き混ぜたような心境で、ぽかんとした調子で心音の口から言葉が漏れる。
「ティスちゃん、いつの間に練習してたの……?」
「えへへ、びっくりさせようと思って、です。成功したです?」
「大成功だよぅ、もうっ!」
感情が迷子になり、涙目になりながら心音はティスを抱きしめた。
「離れていても、わたしはコトおねえちゃんの音楽を奏で続ける、です。音楽で、つながってる、です!」
「そうだね、そうだねっ! ふふふ、今度また一緒に吹くのが楽しみだなぁ」
音楽と共に、人の繋がりは続いていく。
ふわりと沸いた精霊が楽しげに二人の周りを駆け巡り、きらきらと宙へ溶けていった。
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今回で第三楽章は締めです。
次回から第四楽章、新しいエピソードです!




