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精霊《ルフ》と奏でるコンチェルティーノ  作者: 音虫
第二幕 精霊と奏でるアリア=デュオ  〜王国に落ちる影〜
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3-3 山を統べる老婆

 木の温かみで溢れる屋内。

 

 里長の屋敷の中は、その外観に見合うだけの空間が広がっていた。

 細長い丸太で敷き詰められた床は、足の裏に心地よい刺激を与える。

 もう日が落ち始め、外から入り込む光もほとんど無いはずであるが、各部屋の天井に空いた穴から光が差し込んでいるのは、何かしらの魔道具によるものなのであろうか。


 なるほど部屋数が多い。これならば冒険者を多数泊めても支障がないだろう。


 広大な敷地を持つ一階建ての中を少し歩くと、やや大きな観音開きの扉が現れた。

 説明を受けるまでもなく、おそらくここが里長の部屋だと推察できる。


「里長は今、お独りで()られることをお好みです。挨拶は手短にお願いしますね」


 玄関からここまで案内してくれた、この家の者であろう身なりのきちんとした女性が注意として述べた。


 何かあったのかな、と小さな声でシェルツが呟いたことに耳が良い心音は気づいたが、つまりは普段から孤独を好んでいるわけではないのだろう。


 女性がくっきりとしたノックをすると、カコン、と何かが外れる音がした。


『分かっている。入って来なされ』


 慣れた念話の感覚が脳内に伝播する。

 しかし、そこに音声は伴っておらず……


(これ、対内念話だ)


 心音は最近修得したそれに思い至った。

 

 音声を介さず、魔力線パスを通して意思だけを伝えるため難易度の高い対内念話。


 いつの間に魔力線(パス)を繋いだのだろうかと考えたが、もしかしたらこれも何かしらの道具の効果なのかもしれない。


 案内の女性を含め、十二人が扉を開けて入室する。


 一人で居るには異様に広大な部屋。

 書類や様々な道具が収められた大量の棚に囲まれたその中心には、小さな老婆がポツンと、それでいて確かな存在感を放って椅子に腰掛けていた。


「いつも助かっているよ、シェンケンの(つるぎ)たち。それに、久しいね、ヴェアンの逸者(それもの)()。そちらの薄紅色の子は……ふむ、面白い子を連れてきたね、ヴェアンの」


 落ち着いていて、ゆったりとしたテンポの語り口。不思議とそれは、一言も聞き逃してはいけないという使命感すら錯覚させられる。


 ゲヴァイドがのしりと前へでて、いの一番に声を発した。


「里長よ、此度も、周辺の魔物掃討に参った。収穫祭が近い故、入念に調査する心づもりである」


 彼の落ち着いた声音にゆっくりと頷くと、静かに息を吸い老婆――里長は返す。


「近頃は魔物の動きが妙さね。よろしく頼むよ」


 定例的なやり取りは以上のようであり、ゲヴァイドたち六人は軽く一礼し、部屋を後にした。

 彼らが退室し終わると、シェルツも要件を切り出す。


「お久しぶりです、アーシャ婆。俺たちも、ベジェビ周辺の魔物の掃討を受注してきました。少しの間滞在しますので、その間お世話になれたらと思います」


 ゲヴァイドたちが退室してから、アーシャの雰囲気が少し柔らかくなった。大きくなった孫の姿を見るような、老婆らしい雰囲気だ。


「あぁ、構わないよ。せっかく来たんだ、ゆっくりしていきなされ。

 ――さてと……」


 その柔らかな雰囲気も直ぐに切り替わり、泰然、ゆっくりとした、無駄のない動作で案内の女性に指示を出すと、彼女はそれ従い退室し、室内にはシェルツたち五人とアーシャだけが残った。


「別の要件があるんだろう? 話してみなされ」


 星の数ほどの情報を仕入れているアーシャにとって、シェルツたちの纏う雰囲気からその目的を悟ることは、容易なことであった。


 生唾を飲み込む音が聞こえ、直後短い呼気と共にシェルツの口が開かれた。


「まずは、情報を提供します。ここに来るまでにチャクトとシェンケンに立寄って来たのですが――――」


 チャクトの怪木、シェンケンの猫について、まずはあったそのままのこと、続けて五人で検討した推測を話す。

 

 なかなかに異様な内容だと思うのだが、アーシャの表情は揺るがない。

 何かの間違いや虚言、冗談の類と思っているのか、あるいは既に心当たりがあるのか――


 ひと通り話し終えると、アーシャは三回静かに頷き、何かに注意を奪われているような、ぼんやりとした声で返答する。


「情報の提供、ありがとうね」


 話すべきことは話した。後は世界一の情報屋とも呼ばれるアーシャの考察を聞きたいのであるが……


「ん〜? いつまで突っ立ってるんだい? 部屋の準備ならもう出来ているよ」

「え、いや、俺たちはあなたの考えを聞きたくて……」

「今はちょっとそれどころじゃなくてねぇ。一人で思考する時間が必要なのさ」

「ちょっと、だって婆さんさっき話してみなさいって――」

「なんだい怠惰な水使い。私は一言も話してやるとは言っていないよ」

「たしかにそうだけど……」


 割って入ったアーニエの語気が弱まる。どうもアーニエはアーシャのことが苦手らしい。


 このまま部屋を後にするしかないだろう。

 一旦ここを去り、後で機会を伺おう。

 そう意思疎通して(きびす)を返そうとしたところで、アーシャが「待ちなされ」と声をかけた。


「薄紅色の嬢ちゃん。その魔道具はなんだい」


 アーシャの視線は心音が持つ桜色のレザーケースに向けられている。

 精霊術工房で行われた精霊付与の儀で、心音だけでなくコルネットにも幾許(いくばく)かの精霊が宿っていた。それによる存在感をアーシャは捉えたのであろう。


 心音はレザーケースを両手で胸に引き寄せると、ややこわばった口調で答える。


「この中身は、ぼくの、大事な楽器です」


 アーシャは片眉を上げじっくりと心音とケースを見て、そして興味が湧いたように語りかける。


「見せてもらっても……いや、聴かせてもらってもいいかの?」


 明らかに尋常ではない力を放つ〝少女が楽器だと言い張る〟もの。

 知識の海を抱えるものとして、未知への興味は湯水のように湧いてきた。


 心音は慣れたやりとりだ、とスムーズにケースからコルネットを取り出し、ピストンバルブやスライド管の動きを確かめる。


 心音は宣教活動も兼ねて、と賛美歌を一つ演奏することにした。



 ローウェル・メイスン作曲

 【ベサニー「主よ御許に近づかん」】



 旧約聖書を元に作詞された讃美歌である「主よ御許に近づかん」。

 いくつかのメロディーに乗せて歌われるが、最も有名なのはベサニーであろう。


 ソプラノ歌手が声を震わせているかのような音色が、コルネットの朝顔ベルから零れ落ちる。

 触れたら崩れてしまいそうな、細く繊細で、美しい賛美。

 その祈りは、書物に囲まれたこの部屋がまるで荘厳な教会になったかのように錯覚させた。


 規則的に揺れる終止音が静寂に吸い込まれ、ひと時の幻想から現実へ引き戻される。


 演奏を終え、コルネットを胸元に引き寄せた心音は、そのまま胸元で手を重ね合わせ「神よ、まことに、まことに」と呟いた。

 聖歌隊の衣装を纏っていないにも関わらず、その静謐な振舞いは神に仕える天使を彷彿とさせられる。


 先程までと比べ力の入った目線を心音に向けて、アーシャは訊ねた。


「お前さん、何者だい?」


 質問の意図を探りながらも、心音は無難な回答を試みた。


「ヴェアンから来ました、ハープス王国聖歌隊の、心音・加撫です」


 どうやら満足のいく回答ではなかったようだ。アーシャは少し目を細めると、やや音程を下げて再び問う。


「聞き方が悪かったかの。わらも精霊術を多少かじっておってな。精霊の動きに疎い者になら〝珍しい楽器〟で済むかもしれぬが、わらの目は誤魔化せないよ」


 どうやら、精霊絡みのことについては隠し事はできなそうである。

 心音は仲間の方に視線を向けるが、そこには苦い顔で両の手の平を上に向けるアーニエと、困った顔で頷くシェルツの姿が確認できた。

 今までもシェルツたちがお世話になっていて、今回も助力を仰ぎに来た人物である。

 心の中で頷き自分を納得させると、心音は自身の体質について話し始めた。


『お察しのことと思いますが、ぼくは精霊術士です。そして、この楽器だけでなく、ぼくの中にも精霊が住んでいます』

「そのようだね。それに、隠しもせず対外念話を使ったのう。此処か彼処か。お前さん、人里の生まれじゃないね?」


 体内に精霊が住み着いていることの意味――彩臓の欠落については直ぐに思い至ったのであろう。そして、そのような体質で生きながらえることのできる土地についても、既に幾つか候補を挙げていそうである。


 心音がどう答えるべきか口ごもっていると、シェルツが助け舟を出した。


「彼女の出自については、俺たちも、彼女自身もよく分かっていないんです。出会った時の彼女は、凪の森に装備もなく一人、言葉も通じない状態で彷徨っていました」


 フェイクを混ぜた事実。

 アーシャは見定めるような視線をしばらくシェルツに突き刺した後、自然と前のめりになっていた身体から力を抜き椅子にもたれかかると、問いただすような雰囲気を霧散させた。


「そうかい、そうかい。……少し、気分が変わったよ。黒いローブの人物について情報が欲しいんだろう? なら、わらのお願いを聞いてはくれないかの」


 アーニエが、二足歩行をする猫を見てしまったような目をして固まった。

 それほど、アーシャの提案が意外であったのだろう。


 この機会を逃してはいけないと、エラーニュが身を乗り出して条件を伺う。


「わたしたちにできることなら何でもお申し付けください。わたしたちにはアーシャお婆様の知識が必要なのです」

「いい心がけだね、巨人の肩に登る小人さん。でもねぇ、今から言うお願い事は、薄紅の子にしかきっとできないことさね」


 「ぼくですか?」と首を捻る心音に向け顔を上げ、アーシャはその内容を告げる。


「近々催される収穫祭は神事でねぇ、そこでは山の天使様に笛の音を届けるのが習わしなのさ。ところが、こないだ大雨があったろう? 土砂崩れを防ぐ魔法網の補強に笛吹きも出たんだが、劣化してた箇所から落石があっての。笛を吹くための大事な指が砕けてねぇ。もちろん直ぐに治療したんだけれども、繊細な指先の神経が傷ついたんだ、しばらくは笛を吹けそうにないのさね」

『そ、それは大事おおごとですっ!』


 同じく楽器を奏でる者として、奏者生命に関わる怪我の話は他人事とは思えず、心音は悲鳴をあげた。


「では、音楽を嗜んでいるコトさんに笛の演奏をしてほしい、ということですか?」


 コトにしかできないこと、と言うからにはきっとそういうことであろうとエラーニュがあたりをつけるが、アーシャは首を横に振った。


「いんや、外の者に神事を任せるわけにはいかないよ。代わりの笛吹きは、わらの昆孫が務めるかんの」


 代奏依頼でもなく、心音にしかできないこと。

 その答えをエラーニュが導き出す前に、アーシャはそれを紡いだ。


「薄紅の子には、わらの昆孫に演奏指導をしてほしい。あの子は笛自体は吹けるんだけれど、歌心や音楽的感覚が身についておらんでの。さっきのような演奏ができるんだ、お前さんはきっと良い師になるだろう」


 試すような口調。

 その矛先たる心音は、未知の楽器、未知の文化の音楽に思いを巡らせ緊張した面持ちになるが、目を閉じ深く深呼吸すると、再び開かれたそれは見ただけでどう答えるか分かるような眼差しをしていた。


『ぼく、引き受けます! 「昆孫?」さんを立派な奏者にしてみせます!』

「そうかいそうかい、助かるよ。さて、さっそく昆孫を呼びつけようかの」


 言い終えるとアーシャは椅子の横に置かれた魔道具を手に取り、何やら魔力を流し始めた。

 その様子を横目に、心音はエラーニュに質問する。


『すみません、「昆孫」ってなんですか?』


 この世界で学んでいなかった単語で、聞いたままの発音で会話には組み込んだが、もちろんその意味は分かっていなかった。


「ええと、なかなか日常で使う言葉ではありませんが、子の子の子の子の子の子、のことですね」

『つまり、孫の孫の孫……って、アーシャさんはいったいおいくつなんですかっ⁉』


 目を丸くして思わず口に出た心音の声に対し、「女性に年齢を聞くものじゃないよ」と笑交じりにアーシャは椅子を揺らした。


ブクマに評価等、ありがとうございます!

話の区切り上、ちょっとボリューミーにお送りしました。

作者ツイッターに今回登場した曲の演奏動画も上げています♪

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