1-5 枯れ木の中の巨木
ロープの先には背の低い樹木が立ち並び、自然のトンネルのようになっていた。
トンネルを構成する樹木にも果物のようなものがなっている。〝のようなもの〟というのは、それは色を失い萎びていて、とても食べられるようには見えなかったからだ。
少し不気味に感じながらも、三分程歩く。
トンネルの終わりを告げるように光が見えてきた。
光に飛び込み、景色が切り替わる――――
「で、でけぇ……」
「これはなんと」
「果物の木? それにしては巨大だね」
「こんな目立つものが今まで見えなかったって、認識阻害の結界でも張ってるわね?」
そこに現れたのは二十四メートル程の高さを誇る巨木であった。高さもそうであるが、非常な幹の太さを誇っている。
その枝には、艶めかしさすら覚えるほど鮮やかな赤色をした大きな実が多数生っているようだ。
心音は少し身震いした。それは見事な巨木であるのだが、どこか不気味な感じがしたのだ。
「すんげぇべ。三年前から育ててんだが、ぐんぐん育って今じゃ立派な大木よ」
「たったの三年でここまで!?」
思わず大きな声を出してしまったシェルツだけでなく、皆がその異常性に驚いていた。大凡普通の樹木の成長する速度ではない。
不審に思ったのか、エラーニュが疑問を呈す。
「この木の苗はどこで手に入れたんですか?」
「あぁ、三年前に旅の商人さんが村さ来てな。何日か泊めてやったんだが、そのお礼にって置いてったのさ。自然が豊かなとごさ植えれってな」
「旅の商人、ですか……」
どうもきな臭い。この成長速度は、何かしらの裏があると見て間違いないだろう。
その内心を知ってか知らずか、村人は巨木の下に歩み寄り、自然に落ちたのであろう木の実を一つ拾って帰ってきた。
「まんず、齧ってみれ」
そう言い木の実を差し出すので、シェルツたちは逡巡しながらも、一口ずつ食べてみることにした。
「ん……!? これは美味しい!」
「甘い、というよりも何か虜にされてしまうような味がします」
シェルツとエラーニュが口々に感想を述べる。ヴェレスとアーニエは、美味しいことは認めるものの、何か違和感を感じているようだ。
心音は木の実を口にしようとしない。
ここに来てから一言も発していないその口は、困惑したように固く結ばれている。
そしておもむろにコルネットを取り出すと、やや小さな音で響きを延ばした。
巨木の下に広がるB♭の音。
そして何事も起こらず、音は減衰して消えた。
そう、何も起こらずに。
「精霊さん、が、いません」
心音が震えた声音で呟く。
いつもは、音に呼応して精霊が輝くはずなのだ。巨木により日光が遮られたこの場所は、薄暗い静寂が支配したままであった。
シェルツがハッとしてエラーニュに指示を出す。
「エラーニュ、魔力の流れを見れる? 主に巨木周辺の」
「やってみます」
エラーニュはいつも携帯している分厚い本のページをめくると、少し瞑想し、詠唱を始める。
「流れる力の源よ、光となりその姿を映し出せ。〝魔力視〟」
詠唱を終えたエラーニュから一瞬魔力の波動が走り、それが何かに当たるとエラーニュの元へ反射する。
エラーニュにはそれが視覚情報として入っているようだ。
「周辺の木々の魔力が、巨木に吸われています。巨木が成長する栄養源は、他の植物です!」
「やっぱり、何か裏があると思ったんだ」
シェルツが村人に向き直り、巨木を切り倒した方がいいと告げようとするが、慌てて村人がそれを遮る。
「コイツを育てんのは、止めねど! この美味しい実をたくさん売って儲けんだ。それに、もっと生長させて村の象徴にすれば、観光客で村も潤うべ!」
後半、もっともらしい理由を付けているが、私欲が全面に出ているのが伝わってくる。
「……この巨木を植える前は、この辺りの果樹から果実は収穫出来ていたんですか?」
「……んだが? それがどうした?」
エラーニュは一呼吸置き、周りを見渡しながら告げる。
「この巨木は、周りの木から少し栄養を分けてもらっているとか、そういった次元にありません。明らかに根こそぎ魔力を奪っています」
異常性にはきっと気づいていたのだろう。それでも、開き直ったような態度で村人は返す。
「いいもんを作るためには犠牲は付きもんだべ。こんなすんげぇ木が育ったんだ、周りの木も役に立ったってもんよ」
憤りを感じていたシェルツが、耐えきれず前に出る。
「ここに来るまで歩いた道、かなりの範囲の木が干からびていました。このままでは村中の植物が枯れ果てますよ!?」
「ぐ……それは、いや、そうなるとも限らんというか……」
言葉に詰まる。村人自身、心のどこかで感じていた危険性から、うまく反論ができない。
「そいでも……この木は守らねばなんね。切り倒すなんてダメだ」
取り憑かれたような妄執である。
村人は巨木に近づき、抱きしめるように幹に張り付く。そのゴツゴツとした木の皮に頬擦りをし、肌が傷つき血が滲む。
「どうしても切り倒すなら、おいごと切ってけろ! そんたこと出来るんだばな!」
異常性すら滲む、一介の民がするとは思えない執念を感じる目をしながら村人は叫ぶ。その間も頬から流れ出していた血が巨木の幹に染み込み――――
――――そして巨木が細かく震え始めた。
「な、なんだ!? うわぁぁぁ!!」
巨木の枝が伸び、村人に巻き付くと上部に引き寄せられていった。
「ちょっと何!?」
「魔物だ! 擬態して力を溜めていたんだ!」
「防壁準備にかかります」
「あのおっさんはどうする!? オレはすぐにでも戦えるぜ!」
素早く戦闘準備を整えるパーティ四人。
残る心音は急な事態に対応出来ず、硬直してしまっていた。
「コト! ぼさっとしてんじゃないわよ! あの巨体と戦うには、アンタの火力も必要よ!」
「は、はい! すみません!」
アーニエに発破をかけられ、心音は慌てて思考を回す。
あまりに巨大すぎる魔物。
有効打として考えられる魔法は?
ここで火魔法は使えない。
斬撃性能の高い手段を用いるか?
手持ちの触媒を確認する。
今発現が可能な精霊術の種類は?
巨木の動きが活発になる。
ここまで攻撃が流れてこないか?
「わわっ」
突如足元に迫った枝のひとつを慌てて躱し、思考が途切れる。
巨木は無差別に周囲を攻撃しているようで、不用意に近づくこともできない状態だ。
考えるだけで動かないのはダメだ。そう思い心音は体内の精霊たちにお願いし、この一帯に広がってもらう。いざ攻撃手段が思いついた時に、効率よく精霊術を伝播させるためだ。
「チィ。シェルツ! 身体強化全開で一気に接近するぞ!」
「わかった! 強化強度を目一杯上げるよ!」
言葉を交わし、シェルツとヴェレスの二人は一度エラーニュの防壁内へ退避する。
そして黄檗色と蘇芳色の魔力がシェルツとヴェレスそれぞれから立ち上り――――霧散した。
「なっ……!?」
「力が、うまく扱えねぇ!?」
思わず驚きの声が漏れる。
「何してんのよ! ほら、来るわよ! 〝水刃〟!」
防壁に迫っていた枝を、アーニエが魔法で切り落とした。
しかし、更に多くの枝が蠢いているのが見える。追撃が来るのも秒読みと言った様子だ。
「あたしがやるっきゃないわね。デカいのいくよ!」
大声で宣言すると、アーニエは両手でその大きなメイスを額に引き寄せ、詠唱を始める。
「広大無辺な大海の水流よ、硬く鋭く、強く、強く収束し、大敵を千に切り刻め。魔力は敵を穿つ力、生き残るは強大な意思。力の奔流よ、あたしに従いなさい!〝千刃海流波〟!!」
水縹色の魔力が大量の水を生み出し、それはだんだんと刃の形を作り出して――――形になる前に勢いを失い、ただの水となって大地に染みを作った。
「はぁ!? どうなってんのよ!?」
渾身の魔法が不発に終わり、動揺を隠しきれず後ずさる。
その隙を逃さないとでも言うように、巨木の枝が五月雨の如く襲いかかった。
容赦のない猛攻で、なんとか発現させたエラーニュの防壁にヒビが入る。
「こ、このままでは長く持ちません! 強度を補強しようとしているのですが、魔力の補給を増やすと何故か防壁自体が霧散しそうになってしまいます!」
防壁は魔力そのものを硬質化して空間に固定するものであり、注ぎ込む魔力の量で強度を上げることができる出来るはずなのだ。しかし、魔力の残量はあるのにそれが叶わない、という経験したことの無い感覚がエラーニュを襲っていた。
仲間を襲っている異変に、心音も異常事態を感じ取る。
(ぼ、ぼくがなんとかしなきゃ……!)
とはいえ、有効な攻撃手段はすぐに思い浮かばず、そもそも強力な攻撃をするには準備時間がかかりすぎる。防壁が破られる方が遥かに早いであろう。
(何とかして攻撃を逸らせれば……)
敵は巨木、植物である。動物ではない魔物を見るのは初めてであるし、その特徴はよく分からない。
と、敵を観察していて心音は何かに気づく。
「みなさん! 植物系の魔物は、どうやって攻撃対象を補足するんですか!?」
いったいこんな時に何を、といった様子で皆が振り向くが、一人視線を巨木に向けたまま防壁の維持を続けるエラーニュがそれに答える。
「種類によります。感覚毛や振動で察知するものが多いですが、温度で場所を特定するものもいると本で読んだことがあります!」
それを聞き、心音は己が使えうる手段を必死に引き出しながら、有効打となる可能性があるものを選別する。
そしてまずは、と最も早く発動できる手段を試す。
(振動、であれば音で興味を逸らせそう!)
素早く楽器を取り出し、流れるような動作で管体に息を流した。
音響魔法を活用して、巨木の背後から音をぶつける。倍音を豊かに調整したその音は、巨木の樹体を震わせる。
しかし、巨木の攻撃は止まず、振動の影響は全く受けていないようであった。
(それなら、こっちでどう!?)
心音は目を瞑り、深くイメージを固める。無詠唱魔法の要領で意思を確定させると吹き込んだ楽器を振動させ、その〝想い〟を乗せた音をさっきのように音響魔法で巨木の後ろに届けた。
すると巨木の背後で小さな火球が生み出される。先程散らせた精霊が音に反応して、局所的に擬似魔法が発現したのだ。
「コトあんた、あんな所にちっぽけな魔法を出して何を……って、こんな距離の遠隔魔法、いつの間に魔力線を繋いでおいたの?」
本来であれば、遠隔で魔法を発現するためには、しっかりとした準備の上、発現の意思や魔力を送るための魔力線を、対象となる場所に繋いでおかなければならない。
現象の発現を自分の魔力ではなく、自由に空間を動ける精霊に依存している心音だからこそできる芸当であった。
そうこうしているうちに、火球の温度が上がる。それと共に、巨木の動きに異変が見え始めた。
何かを探すように枝が動き、その矛先を背後の火球に向けると、枝を一斉に突き出し始めた。
「――! 攻撃が逸れた!」
シェルツが驚きと希望が混じった声音で声を上げた。
火球の小ささと、その温度の高さから距離を掴みきれず、巨木の攻撃はまだ火球に届いていない。しかし、燃え移る危険性を考えると、長くは火球を維持出来ない。
「シェルツ! 今のうちになんとか出来ねぇか考えねぇと!」
ヴェレスが慌てて武器を構えるが、何故か身体強化が上手く使えない今、接近戦に持ち込むのは自殺行為に等しかった。
「原因はいったい……」
「コトさんだけが影響を受けていないようです。もしかしてさっき食べた果実のせいでは?」
「たしかに、コトだけが食べていなかったね。この魔物が効率よく獲物を狩るための毒が入っていたということか……!」
甘美な味覚で騙し、集まった獲物を一網打尽にするというのか。もしこの果実のことが村中に広まっていたらと考えると、ゾッとする。
「だとしたらどうするよ!? よく分かんねぇ毒なんて、解毒の手段もねぇだろ!?」
ヴェレスが声を荒らげる。危機的な状況に苛立ちを隠せないようだ。
直後、空気を切り替えるように、音が途切れた。
心音が演奏を止め、火球が緩やかに小さくなっていく。間もなく完全に消えるであろう。
「ちょっとコト、まだ体制が整わないのにどうして……」
アーニエが後ろの心音に振り返ると、桜色の髪をなびかせ、毅然とした口調で少女は告げる。
『ぼくが、みなさんを強化します。きっと、それが今の最善手です!』
ブクマに、評価、感想等ありがとうございます!
第二章も動きが見えてきました。
区切りが半端ですが、一連の流れが結構長くなってしまい……
続きはCMの後!みたいな引きになってしまいましたが、楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです(o_ _)o




