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精霊《ルフ》と奏でるコンチェルティーノ  作者: 音虫
第一幕 精霊と奏でるコンチェルティーノ ~落とされた世界、ここで生きる道〜
3/185

1-2 金色の剣士

 目を覚まして最初に感じたのは鋭い痛みであった。


「いっ――――っ。血……血!?  そっか、夢じゃなかったんだ……」


 ぼやけた記憶が鮮明になっていく。制服の左肩部分は裂け、赤黒い血が固まっている。森の方へ視界を巡らせると、赤い点が十と二つ、こちらを覗いている。


「わぁぁ、増えてる……。とりあえず、傷口、洗った方いいよね」


 制服の上衣を脱ぎ、まだ塞がりきっていない傷口を湖の水で洗う。


「ん〜っ。染みるぅ。でもなんか、気持ちいい?」


 決してドMになったわけじゃないよね? と自己弁明しつつ、確かに傷口を蝕んでいた鋭い痛みが和らいでいくのを感じる。


「湖の水、すごく綺麗だし、飲水としては問題ないよね? 食糧は……リンゴっぽいのが三つ。ネズミさんたち、いなくならないかな」


 このままじゃ飢え死にしてしまう危機感を覚えつつ、森の中に入れば巨大ネズミの餌食になるだけというジレンマ。何か打てる手はないかと必死に考えを巡らす。


「ん〜。ちょっと無理。どうしよう……でもまっ、何とかなるでしょ!」


 これといった打開策が思い浮かばないまま、誰か助けに来ないかなと淡い幻想を抱きつつ、果実を一つ口に運び、未だ抱えている倦怠感を解消すべく眠りについた。


 ♪ ♪ ♪


 目を覚ましたのは、陽の光が頭上に上がった頃だった。湖から離れようとしても、ネズミが向かう先についてくる。仕方がないと水辺に腰を下ろし、心音は一晩考え続けた。




 水面が朝日を受け輝く。遂に手持ちの食糧も底を尽きた。

 もう数えるのも嫌になるくらいに増えた巨大ネズミの群れは、その隙間を探すのも難しいほどである。どうやら夜行性らしい彼らは日中はやや動きが鈍るが、それでも森に近づけないという状態であった。

 天候に恵まれ、雨風に打たれることが無かったのは不幸中の幸運と言えよう。


「何かアクションを起こさなきゃ、未来は見えないよね。やらない後悔よりやる後悔! めっちゃ怖いけど!」


 巨大ネズミに視線を向け「そこまでして1人の女の子を捕食したいのか、食べるとこ無いよ」と恨み節を零しつつ、恐怖で震える身体を律し立ち上がる。この二日間、アテのない助けを待っていただけではない。手持ちのもので何が出来るか必死に考えた。


「やっぱり、ぼくと言ったら楽器しかないよね。上手くいきますように」


 レザーケースからコルネットを取り出し、何度か息を通して唇を慣らす。

 そしてたっぷりと息を吸うと、その歌口から勢いよく息を吹き込んだ。


《パァーーーーーーーーン!!》


 朝霧を一気に晴らすかのような、森林一帯に響き渡るhighB♭(シ♭)

 囀っていた小鳥達は驚き四散し、森のあちこちから様々な動物の鳴き声が聞こえる。

 そしてそれは巨大ネズミ達も例外ではなく、けたたましい鳴き声を上げると森の中へ逃げていった。


「やった! やっぱり動物相手には大きな音って定番だよね! ほら、クマも鈴で避けるし?」


 作戦――と呼べるものでもない短絡的なものではあるが――が上手くいき、喜びを表すように飛び跳ねる心音。しかし体力は落ちているようで、すぐに落ち着いて息を整える。


「ふぅ〜。よし、今のうちに食べ物探さなきゃ。あわよくば出口も!」


 太陽の位置で方角は把握している。森に侵入した方角とは逆向きに、探索を再開した。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



「イヤだぁぁぁ~〜~!ゴメンなさいぃぃぃ~~~!」


 楽器を片手に森林を全力疾走する心音。

 探索を始めて一時間と少したった頃であろうか。探索自体は順調だったのだ。久しぶりにたっぷりと果物にありつけたし、貯蓄もできた。

 例の巨大ネズミに襲われても、楽器での威嚇で追い払えた。追い払えたのだが……何事にも慣れというものが存在する。つまり、威嚇が効かなくなってきたのだ。


 追ってきてるのは一匹だけ、ではあるが森林初日の例もある。サイドからの強襲にも気を回しつつ、視界と走路の悪い状態で全力疾走を続ける。

 体力作りのため度々ランニングに出かけたり、楽器の演奏で心肺機能が鍛えられているとはいえ、心音は運動自体得意な方ではない。息が上がるより先に、足の筋肉が悲鳴を上げている。

 道ともいえない道。木の根があちらこちらで突き出ている。

 遂にその一つに足を引っ掛けて転倒してしまったのは、時間の問題であったと言えよう。


「わわわわっっ。」


 咄嗟に楽器を庇い、身体を丸めた状態で腐葉土に倒れる。そして全身に駆け巡る危機感に従い、そのまま横に転がった。


 ザシュッ。


 一瞬前まで倒れていた地面に、巨大ネズミの爪が突き刺さる。

 あれが背中に刺さっていたらもうこの世にいなかったかもしれないと、心音の顔が一瞬で青ざめる。

 すぐさま状態を起こし、巨大ネズミの方に向けてコルネットを構える。


《パァン!》


 慣れてきているとはいえ、一瞬驚かせる効果はある。驚きに巨大ネズミが目をつむった隙に、死角へ周り距離を引き離す。


(今のうちに少しでも遠くに……!)


 走り続ける心音、しかし一度足を止めてしまったことも影響し、体力的な限界が呼吸を乱す。

 身体の制御が難しくなってきた。

 視界が悪くなるからと我慢していた涙も、抑えきれず溢れ出てくる。

 後ろは振り向かない。しかし、音の衝撃から立ち直ったらしい巨大ネズミの鳴き声が確実に近づいてくるのを感じる。


(もう、ダメなのかな。まだ死にたくないよ。もっと生きて、たくさん音楽がしたい……!)


 強く、強く生を願う。だがここまで走り続けた身体には、その願いを聞き届けられるほどの余力は無かった。

 視界も、足元も覚束無い。自分がどこを走っているのか、追ってきているものとの距離はどれだけなのか、今どちらの足を出しているのか、全てが曖昧で思考が追いつかない。


「ギュアッ!」

「っ!!」


 突如左脚を襲った衝撃。数瞬後ようやく地面に転がっている自分を認識し、視界の先であらぬ方向へ曲がった自分の左脚を確認する。もはや叫び声を上げる体力もない。もう、逃げるという意思を保つことさえ、できなかった。


(どうしてこんな所で死ななきゃいけないんだろう。ぼくは、ただ普通に生活して、楽しく音楽をしていたかっただけなのに……)


 涙でぼやけた視界に、飛びかかってくる質量。己の行く末を悟り、世界に別れを告げるように目を閉じた。



「――――!!」



 ネズミの鳴き声ではない、何かの叫び声が鼓膜を揺らす。短い悲鳴と衝撃音がそれを追いかける。

 恐る恐る瞼を上げると、人型のシルエットが朧気に見えた。


「人間……?」


 涙を拭いながら心音は言った。


「助けてくれたの……?」


 霞が晴れた世界に凛と佇むのは、歳の頃は心音と同じくらいであろうかという青年。英国貴族もかくやというブロンドの髪を携えた剣士――実際に剣士というものを心音は見たことがある訳では無いが、そうとしか形容できない出で立ちをしていたのだ――であった。


 動きやすさを重視した最低限の防具、資料でしか見たことがないような西洋風のロングソード。彼の目線の先には木に叩きつけられ動揺する巨大ネズミの姿があった。状況を整理するに、この剣士が心音に飛びかかる巨大ネズミに対して体当たりを喰らわせたのであろう。


「――、――――?」


 剣士がちらりと心音に目線を流し、何かを問いかけている。しかし、心音はそれに反応することが出来なかった。声楽を勉強する過程で様々な言語に触れていた心音であるが、そのどれにも当てはまらない言語形態に感じていた。


 同時に、己から目線が外れた一瞬を逃さまいと巨大ネズミが飛びかかる。対象となった剣士はそんなの分かりきっていたことと言うように、大地が揺れるのではないかという程の踏み込みの後、一瞬で巨大ネズミに肉薄し、強靭な両腕をしなやかに振るい得物を下から上に流した。


 剣を振り抜いた姿勢のまま残心する剣士。交差した巨大ネズミは一瞬の停滞の後、止まっていた時間が動き出したかのごとく、血飛沫を上げて倒れ伏した。

 目の前の、非現実的な出来事により忘れていた呼吸を再開し、心音はようやく彼に声をかける。


「あ、あの、あ、ありがとう、ございます」


 身体を起こしながらお礼の言葉を伝える。しかし、声が掠れて上手く発音できない。それでもこの簡易的な礼を伝えるために必要な声量は出せていたと思っていた。


「――。――――?」


(そうだった、この人外国人さんだった)


 言葉は届いても、意味が伝わらないことに愕然とする心音。いよいよ日本に帰れるのか心配が膨らんでくる。しかし、次の瞬間思わぬ形でその懸念が裏切られる。


『もしかして、ヒト語が通じないのかな? キミ、こんな危険なところで何をしていたの? どこから来たのかな?』

「えっ!?」


 たしかに話している言語は変わらず聞き覚えのない響きである。なのに、その意味が脳内に伝わってくる。


(人語……?)


 聞き慣れない単語が引っかかる。まるで人間以外に言葉を用いる生物がいて、かつ人間の言葉は統一されているかのような言い回しだ。


「えっと、すみません。ぼく、あなたに分かる言葉で話すことができません」


 原理は分からないが、この剣士は自分に言葉を伝えることができるようだ。対してその手段を持ち得ない心音は、なんとかその旨を伝えようと身振り手振りを交えて発言した。


『おや? 対外念話は使えないのかな?』

「た、たいがいねんわ?」


 再び聞き慣れない単語が心音の脳内に流れる。


「……すみません。さっぱりわからないです」


 心音は首を振りつつ言った。


『ん~。他種族と話す時の基礎を学んでないのかな。とすると奴隷階級か何か特別な事情があるのか……』


 俯き思案する様子の剣士。しかし、すぐにはっとしたように顔を上げて言った。


『おっと、こうしてもいられないね。早くここを離れよう。あっちで俺の仲間が待機しているから』


 歩けない心音を剣士は背負い、二人はその場を後にした。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 早足で森の中を歩きながら、剣士から様々なことを聞いた。


 彼の名前はシェルツ。冒険者、というものをしているらしい。心音がまた聞き慣れない言葉に首を傾げていると、『野生の魔物から民を守る仕事だよ。昔は討滅者とか護衛団とか呼ばれていたけど、統一されたんだ』と注釈が入った。魔物という単語にも疑問を抱いた心音であるが、あの巨大ネズミを目の当たりにしている以上、ああいったファンタジーな生き物がいるのだろうと無理やり納得した。


 シェルツ達は、この森に逃げ込んだネズミ型の魔物の調査に来たらしい。繁殖力が強くすぐに増殖するため、その状況調査と可能なら殲滅しようとしているとのこと。

 この森〝凪の森〟は魔力が分解される作用があるため、弱体化したネズミの掃討はさして難しくないだろうと踏んでいるそうだ。


 心音を見つけられたのは、聞き慣れない〝音〟が聞こえたため、不思議に思って駆け付けたようである。「この音ですか?」と心音が楽器を吹いてみると、『それは笛の一種なのかい?』と驚いた顔をしていた。

 パーティの中で一番機動力のあるシェルツが先行したということで、『おかげで間一髪のところ助けられてよかった』と微笑みを向けられた。この人について行けば一先ずは安心できそうだと、呼吸のリズムが少し落ち着いたことを心音は感じていた。


 話を聞いているうちに、いや、これまでの経験で受け入れざるを得ない事実と感じてはいたが、どうやら己の知る世界とは別の場所に落とし込まれたことを心音は確信した。どういった経緯で、どのような現象により、あるいは何者の意思によりこんな目に遭わなきゃいけなくなったのか。憤りを感じるが、それをぶつける相手も分からず、そもそも言葉も通じないこんな環境の中ではと、胸の内で悶々とするしか無かった。


 そうこうしているうちに、八人くらいは乗れそうな荷車の付いた馬車が見えてくる。

 傍らには三人の男女が待機し、辺りを警戒している。そのうちの一人、長大なハルバードと大盾を携えた大男がこちらに気づき、そのハルバードを天に掲げ左右に振る。


「シェールツ!!  そっちはどうだったーー!?」


 見た目通りの大音声が森に響く。


「ちょっとヴェレス、声量考えなさいよ! 魔物に居場所が知れるでしょう!」


 隣にいる、身長ほどもあるかという杖を持つ女性が大男を窘める。


「まぁまぁアーニエさん、ヴェレスさんの大声はいつもの事ですから」


 馬車に腰掛け、大きな本を抱えた少女がのんびりとした口調で呟く。


「エラーニュ、ここは魔物の巣窟よ。笑って済ませられないでしょ?」


 大杖の女性――アーニエも十分に賑やかであるが、それを言うと余計ややこしくなることを知っているため誰も言及しない。


『ただいま、みんな。熊ネズミの子供がいたから、仕留めてきたよ。きっと他にもいるだろうけど、近くにいたのは一匹だけだったみたいだ』


 そう言い、シェルツは心音に視線を向け『まぁ、あの音の正体は魔物じゃなかったんだけど』と付け加えた。

 するとアーニエが怪訝な視線をシェルツに向ける。


「どうして対外念話で話してるの? その、後ろにいるちんまいのが関係してるのかしら?」


 心音には彼女の言っていることが分からない。それでも、いい感情が向けられていないことは感じ、更に後ろに隠れ縮こまる。


『彼女は……熊ネズミに襲われていて、武器も持たず、身体中傷だらけにして倒れていたんだ。放ってはおけないだろう?』


 そう答えるシェルツに対し、今度はヴェレスが口を挟んだ。


「対外念話なんて使ってるっつーことは、言葉が通じねぇんだろ? 見たところオレらと同じヒトに見えるが、ワケありか?」


『あぁ、でなければこんなに街から離れたところに小さな女の子が一人迷い込むなんてことは無い。連れて帰ろうと思うんだけど、いいかな?』


 そんなに幼く無いんだけどなぁと抗議の声を上げたいが、心音にはそれを伝える術がないため微妙な表情をする。


「連れて帰るって、熊ネズミの調査はどうするんですか? 戦えない人を連れ回すだなんて、効率が落ちちゃいますよね?」


 静観していたエラーニュが馬車から降りて問いかけた。


『森の中へは連れ回さないよ。馬車で待っていてもらえばいいさ。魔物避けの結界も敷くし、ヴェレスが見張りに付くだろ? 問題ないよね、ヴェレス?』

「あぁ、元々馬と荷車を守りながらの見張りだ。荷車の中に荷物が増えようと大した事じゃねぇが……」


 ヴェレスは眉をひそめながら、心音に視線を移す。


『嬢ちゃん、どんな事情があるかは知らねぇが、タダでおんぶにだっこ、とか考えてねぇよな? 何か、見返りはあるのか?』


 突然大男から意思が流れてきてびくっと身体を震わせる心音。しかし、見返りと言ってもこちらで使える金銭は持っておらず、手持ちの価値があるものと言えば……

 心音はおもむろにレザーケースを開けると、コルネットを取り出した。


『ん? なんだそれは? 金属でできた工芸品みてぇだが、そんな形見たことないな』


 訝しむヴェレスに、シェルツが答えた。


『この子、これを使って音を出していたんだ。さっき聞こえた音の正体だよ。』

『つーことは、笛みてぇなもんか? そこそこ価値はありそうだな』


 一応の納得はしたようで、ヴェレスは続ける。


『そいじゃ、馬車の中から出るなよ。オレがいる限り馬車の中は安全だ。嬢ちゃん、名前はなんて言うんだ?』

「……こと」

『コト、だな。ペットみてぇな名前だな、ガハハ!』


 そうか、名前くらいなら対外念話が使えなくても言えたか、とシェルツは顔を覆った。


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