1-3 心音が奏でるパストラール
「コーケコッコォー」
朝を象徴する鶏の鳴き声で目が覚める。
身体を起こし窓の外を見ると、ちょうど日が昇り始めた頃であるようだ。
ベッドから降りると共に広がる桜色の髪の毛。室内には女性がもう二人微睡んでいる。
桜色の少女は一度息を吐き切り、たっぷりと息を吸った。
「こーけこっこーーーっ!!」
「んなぁぁぁーーーーなにごと!?」
「敵襲ですか!? 今防壁を……?」
勢いよく起き上がった女性二人――アーニエとエラーニュの目に入ったのは、質素な室内で口を覆って笑う小枝のような少女の姿であった。
『んふふふふ。おはようございます、いい天気ですよっ!』
「コトあんた……朝っぱらから何バカなことしてんのよ……」
「えーっと……え、まだ五時じゃないですか。あと二時間は寝ていましょうよ」
『二人ともテンション低めです。村の皆さんはもう起きてるみたいですよ?』
そう言って心音は窓を開く。外では村人が続々と屋外に出て、体操をしたり薪を運んだりしている。
「あんたそう言ってもねぇ、農民達は日の出とともに活動を開始して日が落ちると寝る準備をするってのはそうだけど、あたしらはそうじゃないのよ」
「わたしも、昨日は遅くまで本を読んでいたので、まだ起きるには早いです」
困った人を見るような目を向けられ、心音もさすがに反省心が湧いてきた。
『ちょっとはしゃいじゃいました。すみません』
はにかみながら、こぶしで軽く自分の頭を叩く。途端に恥ずかしくなってきたのだろうか、照れ隠しのようなものだ。
「というわけで、あたしらは二度寝ということで……」
コンコン、と扉がノックされる。話し声で起きているのは分かっているだろうが、女性ばかりの部屋にノックもなしに入ることはしないだろう。
「元気な鶏さんはここかな?」
シェルツの声であった。さすがに寝巻きのまま出るわけにもいかない。心音が大きな声で対外念話を使うのも都合が悪いので、アーニエがドア越しに対応する。
「迷惑な鳥っころはここよ。朝っぱらからなんの用よ、シェルツ」
「みんな起きてるみたいだったからさ。この家の人が、今日使う薪をこれから割るってさ。お礼も兼ねて手伝おうかなって。昨日ファストの村から新しい乾燥薪が運び込まれたばかりだから、人数がいるうちにできるだけまとめて割ってしまった方が、家の人に喜ばれると思うよ」
アーニエが恨めしそうな顔で後ろの心音に振り返る。心音はそのまま後ろを振り返る。あ、トンビが飛んでる。
「みんな、準備が出来たら裏庭においで。冒険者の心得、だよ!」
足音が遠くなっていく。
『冒険者の心得……冒険者稼業への理解と円滑な遂行のために、常に民間人の助けとなり、頼りにされる存在でなければならない、って項目かな?』
「あんた、なんでスラスラ出てくんのよ」
「常識です。わたしは全項目ソラで言えます」
駆け出し冒険者の心音は、認定試験のために勉強したばかりである。冒険者になってそこそこのエラーニュが心音以上に完璧に覚えているというのは驚嘆に値するが。
『えへへ、着替えましょっか?』
「はぁ、さすがにこうなって寝ていられるほど無神経じゃないわよ」
「仕方がありません。午後の移動時に荷車の中で寝させてもらいます」
申し訳なさそうではあるがどこかウキウキとした心音と明らかに乗り気ではない二人は、窓の外から聞こえてくる〝本物の〟鶏の鳴き声をBGMに準備を始めた。
♪ ♪ ♪
清々しさを感じる空気感。
農村の早朝は、王都で感じるそれとは違った質感を持っていた。
薪割りを終え、朝食を済ませたパーティ一行は、少しの間心音の宣教活動に同行することとなった。
心音の装いも、聖歌隊の白いローブ姿である。
宣教活動と言っても、王都から近いこの村では異なる信仰は確認されていない。意味合いとしては、信仰心をより高めるための活動、となる。
良い塩梅に広く音と姿を届けられそうな場所を探していると、聞き覚えのあるメロディが流れてきた。
あからさまに心音が反応し、駆け出す。
「昨日の音楽!」
「ちょっとコト!? 宣教活動はどうすんのよ!?」
「まぁ、こうなるのも分かってた気がするけどね」
アーニエの制止が届くわけもなく、一同は軽く笑い合うとその後に続いた。
そう離れていない牧草地に着くと、小屋から出てくる家畜たちと、それを笛の演奏で送り出す若い農夫の姿があった。
繰り返されるフレーズ。心音は既にそれを覚えたのか、ウキウキ顔で楽器を取り出し、構えた。
笛の音に、ピッタリと合わせてコルネットが奏でられる。
笛の農夫は違和感を感じるも、そのまま続ける。その程度の違和感で済むほど、かなりの精度で音程、速度、音色のそれぞれが寄せられていた。
それでも、その違和感がいつまでも消えなければ、さすがにおかしいと思うだろう。いよいよ農夫は演奏をやめ、周りを見渡す。
笛を下ろしたのに続く音楽。そして視界に入る桜色の少女と見知らぬ楽器。
農夫は驚く……のもそうであるが、異様な状況に困惑する方が勝ったようであった。
家畜が小屋から出きったのを見計らい、心音も演奏をやめる。農夫に対して微笑むと、彼も軽く会釈して返した。
そして、一言も交わすことなく、心音はくるっと踵を返すと歩き去っていった。
(会話を禁止されているの忘れてました〜〜っ。これじゃあただの不審者です!)
コミュニケーションをとる気満々であったが、目先のことにとらわれて考えが及んでいなかった。
「あれって、王都の教会のローブだが? なしてこの村の曲知ってんだ?」
会話を交わさなくても伝わる情報はある。衣装にはそういった意味合いもあるのだろう。
「聞いだごどねぇ、でも柔らかくていい響きのする楽器だったな。髪の毛も見だごどね色っこしたった。まるで天使様みてぇだな」
何も言わず去ったことで、逆に想像を掻き立ててしまったらしい。信仰心を高める目的としては間違いないのであろうが、また必要以上の思い込みをさせてしまっているということは、心音の預かり知らぬところであった。
『困りました。会話が出来ないのでまともに宣教活動もできません!』
戻ってくるなり、アーニエに飛びつき小声で心音が囁く。
「あんた、何も考えてなかったのね……旅の目的は別にあるんでしょ? 建前の宣教活動なんて、テキトーでいいんじゃないの?」
『それは程々にはするつもりですが……王都から近いここで活動することで、きちんと働いてますよアピールになりますっ』
「真面目というよりは、強かね……」
とはいえ、喋ることが出来ないとなると、一体どうやって信仰を集めるというのか。
パーティの皆が諦めムードの中、頭を抱えて考えていた心音がハッとした表情で顔を上げた。
「こんな時、こそ、音楽、です!」
名案だと確信めいた様子で村の外れに向かう心音に困惑するが、早起きした分まだ時間的な余裕はある。パーティ一行はひとまず見守ることにした。
♪ ♪ ♪
太陽がそろそろ頂点に差しかかろうとしている。
村人たちはそろそろ作業を一段落させ、お昼休憩の準備を始めるような頃合いだ。
ふと、誰かが空を見上げる。
「…………?」
何かが聞こえた気がした。聞き覚えのないそれは、頭上から発せられているようであった。
何も無いことを確認し気のせいかと視線を水平に戻すと、何やら他の人々も周囲を確認している。
音が、次第に大きくなる。
もはや気のせいとは言えなくなる。それは何かの楽器の音のようであった。しかし、聞き覚えのないその音色に、村人たちは困惑する。
「この音どこかで……」
音に誘われ、家から出てきた女性が呟いた。
すると、隣についてきた少女が女性の顔を見上げながら答える。
「お母さん、王都の創世祭で聴いた音に似てる」
目の前の道路で佇んでいた男性がそれを聞いて彼女たちに話しかける。
「二人共、創世祭に参加してたんだったな。そこで聴いたってことは、聖歌隊の演奏だが?」
「んだ。でも、毎年創世祭に通ってるけど、今年は初めて聴く楽器の音があったの。その音……この音は、天使様が吹いでだ楽器の音色……?」
「天使様!? そんたお方が創世祭に!?」
男性が驚きで大声を出してしまう。
そしてその発言は、この小さな村の中で直ぐに伝播した。
「天使様だって?」
「綺麗な音……」
「初めて聴く曲だ」
奏でられる神籟に反応し、自然豊かなこの村のあちらこちらで、精霊がキラキラと喜びを示す。
その光景に、神を信仰している村の民たちは次第に祈りの姿勢をとるようになった。
天から降りてくる穏やかな旋律。
口ずさむようなpから始まり、緩やかに流れる十六分音符が時を引き延ばす。
L.V.ベートーヴェン作曲
【交響曲第六番「田園」】
パストラールは、牧歌とも訳される。
田舎が好きなベートーヴェンが自然の中を歩きながら着想を得たとされているこの曲は、大自然への喜びと感謝を示しているとも言われる。
次第にボリュームが上がり、心に音が湧き上がる。
言葉は、必要ない。
身近にあるはずの、それでも非日常的と言えるこの音楽が、民の信仰心を確かなものとした。
響きが溶けていき、聞き馴染んだ畜産動物の声が風の音と共に帰ってくる。
誰もが、浄化されたような表情をしている。
一人、また一人と、それぞれが生活へと戻る。
きっと、この共通の体験は大きく話が膨らみ、王都まで届くであろう。
「こんな大規模な擬似魔法の発現……コト、キミが持つ力の規模は底が見えないね」
「規模もそうだけど、何よ今の? 音響魔法って一人であんなことまで出来るの?」
「あぁ、アーニエさんは創世祭に参加していませんでしたね。コトさん、創世祭でも独奏で王都中に音を届けていましたよ」
「そん時も、この村の連中みてぇに天使様だなんだって話題になってたな。ガハハ、随分やんちゃな天使様だ!」
パーティの皆がそれぞれ口にした言葉に、心音は照れくさそうな笑みを浮かべながら帰ってくる。
「音楽の、力、です!」
そう言い切り、やり切った表情を浮かべる。
見事なドヤ顔である。
「うん、音楽が言葉以上に語ることもあるんだね。素直に感心するよ」
シェルツは一つ頷くと、続けて宣言する。
「さぁ、長居は無用だ。次の村に行くよ」
心音の髪と楽器は目立つ。事を起こした以上、村人の目に止まらないうちに去るのが吉だ。
シェルツはある程度想定していたのか、馬車を近くまで持ってきてあった。
シェルツが手網を握り、残り四人が荷馬車に乗り込むと、逃げるようにナルの村を後にした。
ブクマに評価、感想等ありがとうございます!
じわじわと読んでくれる方が増え、とても嬉しみです……!
今回登場したベートーヴェンの【田園】も、演奏動画を上げます♪
動画ですので容量が……WiFi環境に辿り着くまでお待ちください(o_ _)o




