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精霊《ルフ》と奏でるコンチェルティーノ  作者: 音虫
第二幕 精霊と奏でるアリア=デュオ  〜王国に落ちる影〜
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第一楽章 初めての旅路

第二章スタートです!

 多種多様な音色が、部屋中を走り回っている。

 木管楽器、金管楽器、弦楽器、打楽器。

 バリエーションに富んだ楽器の数々は、聴覚だけではなく視覚的にも楽しませる。

 合奏場の壁掛け時計を見る。短針が四つ目の数字を指したところだ。


「さぁキミたち。合奏を始めるよ。クラ、チューニング」


 指揮者(コンダクター)が合奏場に現れるなり指示を出す。

 ぼくは、手元の楽器を構え、チューニング管を調節する。


「あれ、これトランペットだ。久しぶりに……見た?」


 違和感を感じる。最近ぼくはコルネットばかり吹いていた気がする。本職はトランペットなのに。


「心音先輩、何言ってるんですか? トランペットなら毎日吹いてるじゃないですか。しっかりしてください、パートリーダー!」

「あ、ひかりちゃん。ごめんごめん、ちょっとボーッとしてたみたい」


 隣の席――ファーストアシスタント席に座る後輩に話しかけられ、意識を合奏に戻す。


「今日はー、えー、これだこれ、昨日渡した新曲鳴らしてみるぞ」


 指揮者(コンダクター)の指示で、皆が楽譜をめくり、楽器を構える。

 タクトが下ろされ、ハーモニーが場に重なる。


(……あれ、この曲……)


 聞き覚えのある、いや、それ以上に引っかかるその響きに、既視感を感じる。


(……あ、この曲、ぼくがアレンジしたアヴェ・ヴェルム・コルプスだ)


 この曲の編曲作業は、すごく苦労した覚えがある。たしか、特殊な編成で……


(……! 聖歌隊だ。聖歌隊? どこの? …………知らない世界。ヴェアンの!)


 ここで、平和な世界はブラックアウトする。

 覚醒する意識と共に、身体を巡る不思議な桜色の感覚が浮上してきた――――



♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 霞がかった大気が、滲むように明度を上げていく。

 日差しの強い季節ではあるが、この時間帯特有のひんやりとした空気感が肌を撫でる。


 目覚めた少女は周りを見渡す。簡易的なテントの下に、四人の男女が眠っている。

 周囲には四つの杭を支点に紐が張ってあり、僅かに藍白色に光っている。

 少女――加撫心音(かなでこと)は、厚手の毛布に包まり眠るパーティメンバーを見て微笑むと、近くの川に向けて立ち上がった。




『おはようコト、早いね』


 心音が川で顔を洗っていると、背後から若い男の声が聞こえた。


『シェルツさん。おはようございますっ!』


 美しいブロンドの髪に碧眼、スラリと伸びる引き締まった四肢。表情には柔和な気性がそのまま表れている。

 心音は、防具を外した丈夫な旅装といった格好の彼に返事をすると、立ち上がってまとめていた髪を下ろした。


『初めての野営はどうだった?』

『はい、初めだからかもしれませんが、お泊まり会みたいで楽しかったですっ』

『はは、呑気な感想だなぁ。今は夏だから快適だけど、夏を越せば野営も難しくなるから、今のうちに慣れておいてね』


 王都ヴェアンを出てからの初日。目的地はそう遠くはないが、初めての冒険となる心音のために、近くの魔物を狩ったり、野営方法のレクチャーを行なっていた。

 今日は簡単に朝食を済ませた後、馬車で三十分程揺られ、目的の場所に到着する予定である。


『シェルツさん、今日行く予定の、えっと、チャクトでしたっけ、どんな所なんですか?』

『チャクトってのは農村地区一帯全てを指す地名で、今日行くのはナルっていう村さ。近くにいくつか村が集まってるんだけど、実際にその場で説明した方が分かりやすいかな』

『なるほどです。それでは着いた時の楽しみにしておきます!』


 初めての冒険、初めての土地。頼れる仲間と一緒なら、こんなにもワクワクするものなのかと、心音は心の高揚を感じていた。

 会話の後、背後からした布擦れの音に、二人は振り返る。


『ちんま……コトの声って、朝からよく響くわね』

『アーニエさん、おはようございます! もう朝ですよっ、元気に行きましょー!』

『あーもう、分かったから、静かになさい』


 うねりのあるダークブラウンのミディアムヘアを携えた妙齢の女性がのっそりと現れた。その均整のとれた肢体も、寝起きのだらりとした猫背で台無しである。

 彼女……アーニエは最近心音を名前で呼ぶようになった。さすがに同じパーティメンバーとして活動するのに、名前覚えてませんとはいかないだろう。


『朝から賑やかだなぁ! がはは!』

『んー……おはよう、ございます、皆さん』


 続けて黒い髭をたくわえた筋肉質な熊のような男と、青みがかった銀髪を肩口で整えた小柄な――いや、心音からすれば十分な体躯をしているのであるが――眼鏡の少女が川辺に来た。


『ヴェレスさん、エラーニュさん、おはようございますっ! 全員早起き達成ですね!』

『よし、それじゃあ、朝の支度をしようか』


 パーティのリーダーであるシェルツの掛け声に従い、テキパキと、あるいはのっそりとそれぞれの準備を始めた。


♪ ♪ ♪


 タイネル山から伸びる川は、山の麓近くから二手に別れている。一つは王都に向かって流れるナービス川、もう一つは北側に流れリン川と呼ばれる。

 心音たちパーティ一行は、リン川沿いに農村地区チャクトに向かっていた。


 馬車の御者は、今はヴェレスが担当している。残りの四人が荷車で揺られる中、アーニエが耐えきれないように発する。


『あー、もう。気温が上がるのが早いわよ。どうせ村に行くんだし、冷却魔法使っていい?』


 シェルツがパタパタと手で顔を仰ぎながらも、首を振って返す。


『ダメだよ。冒険中は何があるか分からない。我慢出来るところは我慢して、できるだけ戦闘に備えなきゃ』

『そんなこと言ってもさぁ……』


 気温は三十度手前くらいであろうか、あまり汗をかかない心音でさえ、滲む汗が止まらない。

 意を決して、心音が言う。


『それじゃあ、ぼくが冷却魔法、試してみてもいいですか? たぶん魔素切れの心配は無いですし!』


 アーニエが気だるそうな表情から一転、一気に顔を明るくして心音に返す。


『いいじゃない、コト! 冷却魔法の原理や手順についてはエルに聞いてちょうだい』

『えぇ、わたしですか。いいですけど』


 突如振られたエラーニュは一瞬虚をつかれた様子を示すも、すぐに了承した。


『えっとですね、コトさん、水が蒸発する時に、気温が奪われる現象は知っていますか?』

『知ってます! 気化熱、ですよね!』

『そうです。冷却魔法は、水魔法で霧を発生させて、気化熱を利用して空間を冷やします』


 心音は、日本でも街を霧で冷やしている地域があったことを、朧気に思い出した。

 しかし、どうも冷却というもののイメージと齟齬があり、質問する。


『魔法で氷とか作って空気を冷やしたりとかはしないんですか?』


 傍らのアーニエが、なんて短絡的な質問をとでも言いたげな目をしているが、エラーニュは嫌な顔一つせずに答える。


『仮に氷を作ったとして、それが溶ける過程で荷車の中が水浸しになってしまいます。そして、氷魔法なんて高度な魔法は、高位の魔法士にしか扱えません』


 冷たい=氷と、簡単にイメージ出来そうであるが、いざそれを魔法にする時には、超えなければならない難しさがあるらしい。


 心音は気を取り直して、目を閉じて教えて貰ったことを確認する。


『霧で冷やす魔法、やってみます!』


 明確にイメージを固める。霧自体を発生させるのは、冒険者認定試験の時に無詠唱で発動させていた。今回は、直ぐに蒸発するような細かくまばらな霧をイメージする。


「清水は大気に広がり、その粒子は(くう)へ消えゆく。〝冷霧〟」


 馬車の中を霧が覆った。ひんやりとした感覚がやってくる。魔法は概ね成功したようだ。


『コトさん、お見事です。これで少しの間ラクになりますね』

『え、少しの間なんですか?』

『はい、気化熱で冷えても、またすぐに外から暑い空気が入ってきますから』

『そんなぁ……』


 それだと、何度も魔法を掛け直さなければいけなくなる。定期的に霧に覆われるのは、あまり良い思いではない。

 心音は考え、そして閃く。


『ちょっと、わたしの考えた冷却魔法を試してみてもいいですか?』

『独創魔法ですか? わたしは構いませんけど……』


 エラーニュはそう言い、アーニエを見る。

 案の定、アーニエが怪訝そうな表情をしている。


『ちょっと、大丈夫なんでしょうね? こんな閉所で魔法の暴発とか勘弁よ?』

『んっと、たぶん大丈夫です。冷却の理論に心当たりがありまして……』


 心音はそう言うと、頭の中を整理して詠唱を始める。

(温度っていうのは、分子の運動や振動による熱エネルギーがもたらすものだったはずだよね。だから、〝冷やす〟と言うよりは、音響魔法――振動を司る魔法で〝停滞させる〟というイメージを強くすれば……)


「大気は冷たくその場に留まり、止まった冷気は空間を巡る。〝空間冷却〟」


 唱え終わり、冷気が広がる――と言うよりは、空間のエネルギーが一気に落ちるのを一同は感じた。


『おぉ、すごくひんやり……さむっ』

『ちょっとコト、冷やしすぎよ!』

『これは……今までの冷却手段とは一線を画す効果を感じます。まるで真冬です』


 方々(ほうぼう)の感想を聞き、心音は慌てて出力を下げる。体感を頼りに調節し、ちょうどいい塩梅に落ち着けた。


『うん、これくらいならちょうどいいね。温度調節も任意でできるって、すごいねこの魔法』

『いったいどういう原理なのよ。後で教えなさい!』

『すごく、興味をそそられます。コトさん、詳細を』


 新しいおもちゃを見つけた子供のような三人の視線が心音に集まる。

 『おーい、なんか冷気を感じるんだが、お前ら大丈夫かー?』というヴェレスの声も入り交じり、やや賑やかになった馬車の中で、心音のプチ科学講義が行われた。




『へぇ、あんたの世界、科学が発達した世界ってのは、ホントだったのね』


 認めていなかったわけではない。それでも、その文明の一端を目の当たりにして、実感として湧いてくる。アーニエなりに、素直に感心した気持を伝えたものであった。


『分子……? という概念は初めて聞きました。目に見えない小さな単位で物質ができているという考えはありますが、その正体まで突き詰めているなんて、地球、ですか? の科学力は素晴らしいですね』


 本の虫であるエラーニュはあらゆる学説を知っているつもりであったが、全く新しい考えに舌を巻く思いであった。


『父さんに聞かせたら、研究で年単位で帰ってこなくなりそうで怖いな。でも、教えてあげたい気もするし、悩ましいね』


 シェルツがアシンメトリーな笑みを浮かべながら、冗談めかして言う。科学者たる父、リッツァーの知るところになった日には、技術革命が起こりかねない。


『しかしまぁ、氷魔法が難しいっていう理由は、こんな理論によるものだったのね。そりゃあ普通の魔法士じゃイメージの具体性が足りなくて氷なんて作れないわ』


 アーニエが呆れ顔で言った。それに対し、エラーニュが補足的に返す。


『具体性と言っても、コトさんの場合、振動の概念がある前提での魔法の発現です。いったいそれ無しで氷魔法を行使する魔法士は、どんなカラクリを使っているのでしょうか……』


 他のアプローチか、あるいはイメージを補強する何かがあるのか、パーティメンバーの中にそれを知るものはいなかった。

 アーニエが再び口を開く。


『この魔法は身内だけで使いましょう。世間に公表するには、あたしたちの立場はまだ弱すぎる。変に探られたり、拘束されるのは嫌でしょう?』

『そうだね、あまりに革新的すぎる。コトの出自にも繋がりうるから、内々に使うことにしようか』


 現代日本に突然タイムマシンなんかが登場した日には、国を上げた戦争が起こりかねない。これは極端な例えであるが、心音はそんな話を思い出すと、下手に人目につかない方がいいなと、少し身が縮む思いを感じた。


『それにしても、そんなに難しそうな理論、コトの世界では誰もが知ってる常識なのかい?』


 心音は科学の専門家には見えない。そんな彼女がスラスラと説明できるそれが一般教養だとすると、文明の発達具合に更に驚かざるを得ない。


『んーと、確かに学校教育で触れる事柄ではありますが……。ぼくの場合、パパが学校の理科の先生なんです。小さい頃からおうちにあった資料とか科学雑誌とか、テレビ……は置いておいて、とにかく科学に関係することに、ずっと興味を持ち続けていました!』


 つまりは一般常識ということ以上に、心音の知識が深いことを一同は理解した。


『ちなみに、パパは理科の先生なのに、トランペットのコンクールではグランプリをとったり、レッスンの依頼はひっきりなしで』

『えーっと、トランペットって? レッスン――は伝わってきた意思から察するに指導のようなものかな?』


 家族自慢が余計な疑念を引っ張り出してしまった。

 せっかくなので、心音はピアノ教室を営む母のこと、教職と音楽活動を並行する父のことを、懐かしみながら話すことにした。


♪ ♪ ♪


 そうこうしているうちに、人の営みの気配がして来た。


『おーい、お前ら! ナルの村が見えてきたぞ!』


 前方のヴェレスから声がかかる。

 心音はいてもたってもいられず、馬車の窓から顔を出した。


『わぁ、広い!』


 のどかな空気に、広大な農地。

 牧草地を、牛や馬、羊などが気ままに歩いている。

 シェルツが微笑ましそうに心音を見ながら、口を開く。


『あれがナルの村、見ての通り畜産が盛んな村だよ』


 畜産動物たちの鳴き声に迎えられ、パーティ一行はナルの村の門をくぐった。

ブクマ、感想、評価等々、ありがとうございます!

第一章最終話辺りでブクマ評価がぐっと伸びて、嬉しさで飛び跳ねています……!

新章突入で、より面白い展開ができるよう精一杯書き上げます!

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