4-7 精霊と奏でるコンチェルティーノ
模擬戦開始の合図と同時に、相手側が三方向に別れて迫ってきた。
心音は一先ず距離を取り、魔法の詠唱を始める。
「火球よ、一つは二つへ、二つは……っ!」
しかし、簡単に詠唱を許してくれる三段位冒険者ではなかった。かなり詠唱省略した風魔法で心音の足元を崩すと、一気に肉薄する。
心音はすぐさましゃがみこむ。小柄なことが幸いし、心音の頭上を木剣が通過する。
一気に足のバネを使って飛び退く心音。
しかしその先には既に別の冒険者が待ち構えており、鋭い突きが心音を襲う。
「くっ!」
咄嗟にダガーで剣の軌道を逸らす。
なんとか凌いだ。そう思った次の瞬間、背後から心音の的が貫かれた。
三人目であった。三段位冒険者の連携力は、初段位見習いの心音が見切れるほど、幼稚なものではなかった。
試験官補佐が、新しい的を持ってくる。その間、見学者席からは、いくつもの負の感情がゼメルに向けられていた。
あまりに、あまりに悪条件の試験であった。いや、これを試験と呼んでいいのかすら怪しい。
当のゼメルは、涼しい顔でその視線を受け流している。
模擬戦が再開される。
心音は、今度は接近戦に切り替えたらしい。目一杯に身体強化を施し、小柄な身体を生かして不規則な起動で素早く一人に接近する。
そして振りかぶり、下から上に強力な斬撃を繰り出そうとする。冒険者は脚を開き、踏ん張りを効かせてそれを受けようとする。
しかし、心音は斬撃を繰り出すことなく、開かれた脚の間をくぐって、振り返りざまに後方から的に斬りかかった。
(まずは一つ!)
心音は一つ目の的を取ったと確信した。しかし、その目論見は達成されることなく、サイドから飛んできた木剣にダガーが弾かれた。
(剣を投げちゃうなんてアリですか~っ!)
武器を失った心音はバックステップを踏んで距離をとる。しかし、その途中で足に何かを引っ掛けて転んでしまう。
「きゃっ」
(どうしてこんなところに出っ張りが!?)
冒険者の土魔法で作られたトラップであった。たとえ地面がマットであったとしても、変成させることが出来るようだ。
そのまま、当然のように心音の的は破壊された。
これで二度目である。もう、後はない。
見学者席には、目を背けてるものもいる。見てられないという気持ちも尤もである。この模擬戦は、一方的すぎた。
シェルツは、手のひらから血が出るほど拳を握りしてめていた。しかし、心音の表情を見て、思わず声を漏らす。
「……え、コト。まったく、諦めてないのか?」
シェルツの視線の先。心音の目の輝きは、失われるどころか、より輝度が高く見えた。確かな決意と、勝算があるようにすら思えた。
心音が、三つ目の的を装着する。
そして、再開の合図が出された。
同時に、心音は詠唱無しに魔法を発動させる。修練場が一気に霧で満たされる。
「これはちんまいのの魔法!? あの子、詠唱破棄で魔法を発現させたの!?」
アーニエが驚きの声を漏らす。
詠唱破棄の理論については教えていた。詠唱によるイメージの固定ができなくても、明確なイメージを脳内に浮かべていれば、出力は落ちても魔法が使える、と。
それを、土壇場で初めて成功させてみたのだ。
しかし、霧を発生させたところで、相手は三段位冒険者三人。近づいたところで気配を察知され、奇襲にすらならない。見学者の中でも戦闘経験が豊富なものは、誰もがそう思っていた。
そして、その霧はすぐに払われる。
「風陣!」
強力な風がひと吹き、冒険者の風魔法で、修練場の霧が払われた。
冒険者は三人とも無事である。もう結果は見えた、そう思われたが、霧が晴れた先の心音を見て、会場がざわめく。
「ん、なんだ、あいつ何か持ってるぞ?」
冒険者が呟く。
その視線の先で、心音はコルネットを構えていた。
「あれは……噂の神の楽器か? あんなもので何が出来ると言うんだ?」
気でも触れたかと、冒険者たちは顔を見合わせて笑う。
その先で、心音はたっぷりと息を吸い――――
――――修練場から音が消えた。
否、あまりに大きすぎる音に、心音が鳴らしたコルネットの音以外を、確認することができなかった。
心音が楽器を下ろす。耳を塞いでいた見学者たちも、呆然とした顔で耳から手を離す。
「凪の森で熊ネズミを威嚇してた時とは、比べ物にならないほどの音だ。こんな音まで出せるのか、コトは」
見学者たちは正気を取り戻し始める。
しかし、そこで異変に気がつく。
相手の冒険者三人が、未だに耳を塞いで転がり回っているのだ。
心音に視線を移すと、桜色の光が魔法を発動していることを示している。
(初めて音響魔法を見せてもらった時、ローリンさんが使っていた、いつまでも響き続ける魔法〝永響〟を、三人だけに響くように〝聴衆選定〟して使っちゃいました!)
金管楽器の音は、限界まで鳴らすと、ジェット機のエンジン音と同等の音量が出ると言われている。それがいつまでも響き続けると言うのは、拷問にも等しいだろう。
そして心音は、魔法陣を敷き、精霊術を唱える。
「ガイ デ ヒュウ コン へ」
たちまち炎が燃え盛り、その炎を前に、心音は演奏を始める。
ポレット作曲【コンチェルティーノ第二番】
軽快な曲調、そして技巧的ともいえるその曲を、心音は楽しそうに奏でる。
流れるような連符に、スキップするような跳躍。華麗なその演奏に、会場中が心を奪われる。
すると、心音の周りを炎が渦巻き始め、それは小さな龍のような形となり、冒険者三人を強襲する。
精密なコントロールをもって放たれたその龍は、正確に頭上の的のみを撃ち抜いて、霧散した。
演奏が終わる。
コンサートの余韻のような、あるいはにわかには信じられない出来事を目にした時の放心状態か、如何とも言えない静寂が訪れた。
『か、かかか!』
呼吸すら止まったその空間で、ゼメルの笑い声が落とされた。それは波紋のように広がり、止まっていた時間が動き出す。
『見事、実に見事じゃ』
ゼメルが間の広い拍手をしながら言う。
『さて、そう言えば遠征手当っちゅうのは、二段位以下は半額、三段位以上で全額支給だったかな? のう、支部長よ』
ゼメルが視線を見学者席に向ける。
やれやれ、と観念した様子で茶色いローブを着た人物が前に出て、目深に被っていたフードを外す。
そう、冒険者ギルドヴェアン支部長、その人であった。
『いつから気づいて……というのも可笑しいか。あなたならすぐに見破っていたことでしょう』
そして支部長は、諦めたように言う。
『……私の権限で初回認定できるのは、三段位が限界ですよ?』
『ふん、十分だ。鼻からそのつもりよ』
支部長にゼメルはそう返すと、心音の元へ歩み寄る。
『喜べ天使。おまえさんは今日から三段位冒険者だ。胸張って旅してこい』
『えっと……三、段位? え?』
心音はいまいち状況が飲み込めず、言葉の意味が入ってこない。
それは見学者席の方も同じようで、斜め上の方向から放たれたゼメルの言葉に、理解が及んでいないようだ。
『なんでぇおぬし、見込み違いか? 三段位冒険者三人をあしらったんだ、そりゃあ最低でも三段位に認定するのが当然だろう』
ゼメルが目を細め、髭を弄りながら告げる。
ようやく、心音の中に実感が芽生えてきた。
『つまり、ぼくも冒険者ってわけですね! 旅に、出られますっ!』
心音は嬉しくて、子犬のようにくるくる回る。
その様子で事態を飲み込めてきたのか、シェルツは思考を吐き出す。
「……つまり、コトが遠征に出たいことを知っていて、そして創世祭の件で潜在能力を察していたから、あんな試験をぶつけたってことなのか?」
エラーニュがそれに反応する。
「遠征には元々危険が伴います。初段位を引率しながらの旅では、パーティの総合力も下がります。遠征に出すために、それに見合った能力があるのか、見極めようとしていたのでしょうか」
アーニエが何となく認めたくないような顔で返す。
「ゼメル統括の認定試験は合格率が低いって話、無駄なケガ人や死人を出さないための、あのじいさんなりの考えがあっての事なのかもね」
そこまで聞いて、黙っていたヴェレスが口を開く。
「……あのおやっさん、昔はよく初心者を連れ回していたらしい。面倒みが良く、皆に好かれていたんだとよ。けど、ある時引率していた初段位冒険者が魔物にやられちまったみてぇでさ、それ以来人が変わって、親父とも関係が悪くなったって」
アーニエが少し意外そうに言う。
「ヴェレスあんた、あのじいさんの昔のこと知ってんの? ていうか親父さんと関係あったの?」
「うちの親父は有名人だが、それだけでゼメルのおやっさんは親父のことを知ってたわけじゃねぇ。昔、二人はパーティを組んでたんだとさ。まあオレも親父の話をするのはそんなに好きじゃねぇ。この話はここまでにしといてくれや」
少し低いトーンでヴェレスは言い、そっぽを向いた。
心音の方に皆が視線を戻すと、試験官補佐たちにより、心音は手続き等の説明を受けていた。これから、彼らに案内されて窓口に向かうようだ。
見学者席で見ていた者達の間では、様々な言葉が飛び交っている。誰の目から見ても、目の前で行われた試合の結果は、驚愕に値するものであった。数日中には、ギルド中の話題になるだろう。
「本当に、コトはいつもみんなの注目の的だね」
シェルツは小さく呟くと、これからの日々に思いを巡らせ、大変なことになるだろうなと、
少し気を重くしつつ、それでいて嬉しいような楽しいような、これも悪くない、と言った感情を感じていた。
♪ ♪ ♪
旅の準備に追われる日々を、パーティ五人は過ごしていた。
旅装、薬品、簡易的な調理道具、携帯食、野営道具、等々、あらゆる準備を何度も確認しながら整えた。
ギルドに顔を出す度に、パーティは、いや、心音は冒険者に囲まれることとなった。
あの一件により潜在能力が露呈したこと、そして小柄で可愛らしく、目を引く桜色の髪といった外見をしていることが、まるでアイドルを追いかけるファン達のような状態を作り出していた。
実際ファンクラブのようなものも発足しているらしいが、心音たちは触れてはいけない気がして、詳しくは聞かないようにしていた。
遠征に出るとなれば、しばらくヴェアンには戻ってこないこととなる。各メンバーは、それぞれ挨拶回りに街を奔走していた。
心音は知り合いも少ないし、聖歌隊の面々とは旅に出る名目で別れている。そのため、挨拶するような人と言えば、ヴァイシャフト家くらいであった。
出発の前夜、ヴァイシャフト家全員が揃い、壮行会のようなものが行われた。食卓にはティリアが気合を入れて作った料理が並び、リッツァーと心音が、科学の話題で盛り上がったり等、楽しい会となっていた。
暖かな空気感で包まれていたが、そんな中ティーネが、少し心配そうに言う。
『コトちゃんも、お兄ちゃんも、しばらく帰ってこないんだよね。どのくらい、街を離れるのかな?』
その問いに関しては、ある程度計画は立てているようであるようで、シェルツはすぐに答えた。
『最初のうちは、長くても二ヶ月くらいに一度は、ヴェアンに戻ろうと思っているよ。ハープス王国の町や村を、まずは回ってみようと思う』
『最初のうちってことは、そのうちもっと長くなるってこと?』
『あぁ、いずれは、国の外にも出ようと思ってる。世界を見て回りたいっていう目的があるからね』
『国の外……他種族の国にも行くの、かな。なんか、心配だな……』
国際情勢は、良くない。どこで争いが起こっているか分からないのだ。
それでも、心配しすぎることはないと、シェルツは返す。
『他種族と言っても、魔人族以外は敵対していないし、丁寧に対応すれば大丈夫だよ、きっと。冒険者として、自分たちの身を守ることは、もちろん優先して考えるからさ』
生きて帰ってこそ、冒険者である。遠征は簡単ではないが、そこはしっかりと守っていきたいと、シェルツたちパーティは考えていた。
『シェルツ、無茶はしないようにな。あと、土産話、期待しているぞ』
リッツァーは心配しつつも、新しい見聞への興味を伝える。シェルツが好奇心旺盛なのは父親譲りであろう。
『ちゃんと食事はとるのよ? 睡眠もしっかりね? あとエラーニュちゃんに迷惑かけないように、怪我には気をつけてね』
ティリアはその身を案ずる言葉をかける。
シェルツはもちろん、心音も大切な家族として見ている。心配する気持ちは大きい。
それでも、二人の成長を願って、明るく送り出す。
『二人ともいい旅を。天の加護はきっと進む道を照らしてくれるだろう』
リッツァーの言葉で、壮行会に区切りがつく。
今生の別れではない。
きっと、より大きくなって帰ってくる。
明るい未来を信じ、二人は一家に送り出された。
♪ ♪ ♪
いつ見ても、王都の玄関門は大きい。
心音は実地訓練以来久しぶりに見た王都の城壁と門を見上げ、ぽかんと口を開けていた。
『ほら、アホ面してないでさっさと行くわよ』
『は、はいっ』
アーニエに窘められ、心音はとてとて、と先に行ったパーティの元に走りよる。
今日は出立日である。
借りた馬車の手網をシェルツがとり、出都手続きのため、他の面々はその後を歩いていた。
『えーと、四段位冒険者四人に、三段位冒険者が一人ね。ほう、遠征か。気をつけて、良い旅を』
門番の検問が終わり、街を出る。
『風が、空が、大地が、広い!』
心音が声高く叫ぶ。
冒険者になってからは、初めて見るこの世界の広大な平原。
今までは、誰かに連れられて、馬車の中から見ていた光景。
自分の足で、意思で、これからはこの世界を歩くのだ。全く違った光景のように、心音は思えていた。
『がはは、コト! まだ街を出たばっかりだぜ。これからもっとおもしれぇもんが見れるぞ!』
『えへへ、ちょっとはしゃいじゃいました』
ヴェレスがその様子を笑いながら言う。
心音がパーティの皆に視線を移すと、皆が優しい顔でこちらを見ている。
自分も、冒険者パーティの一員になったのだ。
これから始まる大冒険を期待して心を弾ませながら、心音は、その広い広い大地に、小さな、それでいて大きな意味を持つ一歩を踏み出した。
〜♪
これは、少女が奏でるちょっぴり優しい序曲。
そして、世界に鳴り響く楽劇の、ほんの始まりの物語。
メッセージやブクマ、評価に感想等々、ありがとうございます!
感想・レビュー等いただけると、喜ぶ音虫が見られますよ……!
ここまでで一区切り、本にするとだいたい一巻分の分量になります。
異世界ものなのに冒険に出るまで丸一巻……
次回から第二章、ついに異世界を歩き回り始めます!




