第四楽章 旅立ちに向けて
音楽が鳴り続ける。
出会う時も、別れる時も。
山を登る時も、下る時も。
嬉しい時も、悲しい時も。
遠くからも、近くからも。
音楽は鳴り続ける。
ずっと、ずっと、ぼくたちの傍で。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
加撫心音の日常は、賑わいに溢れていた。
創世祭の一件以降、行く先行く先で、心音は人集りに囲まれていた。
心音は穏便に過ごしたい。しかし、王都全体をオーディエンスとして繰り広げられたあの出来事のせいで、それが許されることは無かった。
髪の輝きは収まっているが、その色は綺麗な桜色で定着したようだ。
その特異で艶やかな長髪は、遠目で見ても目を引き、より一層心音の逃げ道を無くしていた。
一連の騒動は、言うまでもなく国王の知るところとなっていた。さすがに無視できないほどの騒ぎである、国王直々に心音に対して招集がかけられるのは、時間の問題だったと言えよう。
『――――であるから、明日午前十時十二分に、謁見の間に参上すること。以上』
伝令係により伝えられた謁見の日時を聞き、心音の緊張が高まる。
一体何を聞かれるのか。
何を話せば良いのか。
如何に穏便にやり過ごすかを必死に思考し……そしてあまり眠れないままその時を迎えた。
謁見の間の扉は、大聖堂ほどではないものの、比較的大きなものであった。
心音は手元の時計を見る。ちょうど時間の一分前だ。
触らなくても分かる鼓動の大きさを感じながら待つと、扉番によって定刻通りに扉が開かれた。
室内に入ると、近寄り難いような、荘厳な雰囲気を纏った初老の男性が、大きな椅子に腰掛けていた。
髪の色は金と白の中間といった風貌で、立派な髭を蓄えている。身につけている衣服の豪奢な様子からも、ただならぬ身分であることが伺える。
心音がその男性――明らかに国王であるだろう――の前に進み出ると、彼から声がかけられた。
『そなたが、王都中で噂されている〝天使〟とやらだな』
決して大きな声ではない。それでも、その声は耳に、心に重く入ってきた。
『噂でございます、国王陛下。ぼ、私はその様な大層な者ではございません』
一生懸命、慣れない敬語を使う心音。王はそれを察知し、慣れた様子で言う。
『よいよい、そう畏まらずにいつも通りの口調で語れ』
『……はい。お気遣い、ありがとうございます』
目上のものと話す際の、いつも通りの口調に戻す。普段から丁寧な喋り方をしているため、さして違和感はない。
『して、そなたは何者なのだ? この国の生まれではないな?』
きた、と心音は思う。必ず聞かれると思っていた質問だ。
シェルツと打ち合わせて考えた偽のプロフィールを答える。
『ぼくは……遠い国で育ちました。物心ついた時には両親はおらず、誰かがお世話をしてくれていたみたいですが、よく覚えていません。自然に囲まれ、精霊と共に育ちました』
『ほう? 遠い国に、精霊、か』
曖昧な答えである。しかし、記憶がハッキリしていないという回答をすることで、それ以上の追求を避けることの出来る、都合のいい設定であった。
「進言致します陛下、特殊遠征部隊で生まれた子では無いでしょうか」
そばに控えている大臣が王に耳打ちをする。
「ふむ、遠征中に生まれた子は邪魔になる、ということか。ふん、望まれぬ子は遠くに捨ててしまえとな。なんとも野蛮な連中よ」
心音に分からぬよう対外念話を切っているようであるが、心音にはなんとなくニュアンスが伝わっていた。それでも、いいように解釈してくれればそれでよかった。
『よい、深くは聞かぬ。そなたが何者であれ、この国の信仰心に多大なる貢献をしてくれたことは確かだ。何か、褒美を取らせよう。望みはあるか?』
望み……富、名誉、地位、そのどれも、心音は望んではいない。ただ、一つ希望が通るとすれば……
『一つだけ、希望があります』
『ふむ、申してみよ』
『世界を、この世界を見て回りたいです』
『世界を旅して回りたいと?』
また不思議な希望を言うものだと、王は訝しむ。この都にいれば、安定は約束される立場にあるというのに。
『ぼくは世界について未知です。世界を見て周り、見聞を広げ、その過程でぼくの音楽で、我らが神への信仰心を募りたいと思います』
『ほほう、宣教活動に殉ずると』
王の口角が釣り上がる。宣教することは、王にとって都合のいいことらしい。
『なんとまぁ敬虔なことよ。よいだろう、王国聖歌隊楽長に伝え、書状とこの国の宣教師たる身分証を発行させよう。我が国のため、その身を捧げるが良い』
『ありがとうございます』
上手く事が運び、心音の緊張が緩んだ。
世界を見て回りたい、と言うのは本心であるが、理由は別にある。
音響魔法の概念を修得した時のことを思い出す。現在では失われた高度な魔法。もしかしたら、そういう類のものが他にもあるのではないか、と心音は考えていた。
王宮に来てから、時間を見つけては王立図書館で魔法の知識を勉強していた。しかし、それはどれも元いた世界で発展していた科学の枠から外れないものであった。
古代文明で発達した未知の力が手に入れば、もしかしたら元の世界に帰る手掛かりになるのではないか? 心音の目的はそこにあった。
『では、下がりたまえ。ご苦労であった』
『はい。失礼します』
聖歌隊のみんなや、ヴァイシャフト家のみんなにも挨拶しなきゃなぁと、心音は足取り軽く謁見の間を去った。
♪ ♪ ♪
あれから、目まぐるしく日々が過ぎた。
王城内部での様々な手続きや、王国聖歌隊内での引き継ぎや後進指導。この世の終わりのような顔をするローリンに、目を真っ赤にして引き止めるテンディ。
一週間ほどで出立に係るあらゆる準備が整い、ようやっと城を発つ時が来た。
『ローリン楽長、王国聖歌隊の皆さん。二ヶ月ほどの短い間でしたが、大変お世話になりました』
場所は大聖堂。心音が、とりあえずはと形式的な挨拶をする。眼前には、全演奏隊員と作曲者が控えている。
その中から、ローリンが一歩前に出た。
『コトさんの素晴らしい音楽で、私たち聖歌隊は数歩先の段階に進むことが出来たと思います。欲を言えばもっと一緒に活動したかったですが、コトさん程の音楽家を私たちだけで独占するのは、欲深すぎるというものでしょう』
後ろで控える聖歌隊員も、その言葉に頷いている。
『コトさんは、この都の信仰に大きく貢献してくれました。その信仰を、音楽を、今度は国中に、いや世界中に広げてきてください』
そうして、祈りの姿勢をとるローリン。
それに続き、聖歌隊員たちも「まことに、まことに」と続けて祈る。
『ここで学んだことは、一生忘れません! 本当に、聖歌隊で得たものは生涯の財産です。これ以上の、感謝の言葉もありません』
心音が深々とお辞儀をする。
そして顔を上げると、キッパリとした表情で言った。
『そろそろ、出発します。皆さん、また会う時までお元気で!』
回れ右をすると、淀みない足取りでその場を去ろうとする。長居してしまっても、気持ちがモヤモヤするだけだと思ったのだ。
大聖堂の正扉からでる。その足で事務室へ向かおうとする心音を、背後から呼び止める声がした。
『コト! また、ヴェアンに……聖歌隊に帰ってくるよな?』
馴染みの声に振り返る。テンディである。先程の挨拶時には、一言も発していなかった。いてもたってもいられず後を追ってきたのであろう。
心音は、少し目を大きくし、そして困ったような、それでいて優しい笑みを浮かべて答える。
『ハッキリと、どんな旅になるかは決めていません。でも、ぼくの籍はこのお城に残ったままですし、あくまで特別聖歌隊員としての宣教活動の旅です。きっと、戻って来ますよ』
『本当か!?』
心音の言葉に、テンディは目を輝かせた。
その様子が、引退した後も遊びに来る、と伝えた時の部活の後輩みたいで、微笑ましくなる。
『では、指切りげんまんしましょっか』
『指切り……なんだって?』
突如耳に入った物騒なワードに、テンディは訝しむ視線を心音に向ける。
『ぼくの故郷で、絶対に約束を破らないって誓いを立てる時にする儀式みたいなものです。右手の小指を出してください』
そうして差し出されたテンディの小指に、心音は自身の小指を絡ませる。
『ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本のーますっ。ゆーびきったっ!』
随分恐ろしいフレーズである。テンディは背筋がぞわりとするのを感じた。
『はい、これで、ぼくは約束を破りません。きっと、ここに帰ってきますよ』
少なくとも、心音にとって確かな意味のある儀式だったようだ。テンディはそれを感じ、少し安心すると、見送りの言葉をかける。
『オレ、ここで腕を磨いて待っているからな。次に会う時は、首席ルターヴィレイス奏者になったオレが迎えるよ!』
前向きな気持ちになってくれたようである。それがまた嬉しくて、心音も頑張ろうという気になれる。
『はい、楽しみにしています。それじゃあ、またね、です!』
『ああ、またな』
さようなら、ではなく、またね、とかけられた言葉。その意味に確かなものを感じながら、二人は背を向けあった。
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のんびり書いている物語ですが、見ていてくれる人がいることは、励みになりますし執筆も捗ります。
これからも暖かく見守っていただけると嬉しいです。