4-10 立ちはだかる桜色
動きを止め、どこか朦朧とした様子の心音に、シェルツは胸騒ぎを覚える。
ヨシュカ王がそんな心音の元に近づいていくにも関わらず警戒の色を見せないことが、その感覚を助長させた。
ヨシュカ王は心音の顎を丸めた人差し指で軽く持ち上げると、小さく口角を上げて声を転がす。
『ほう、こうして見れば中々端正な顔立ちをしている。余が創りし守護天使たちも悪くない造形ではあるが……なるほどコト・カナデを守護天使の筆頭に据えてやるのも一興ではないか』
未だ一切の反応を示さないコトに、ヨシュカ王は青天の霹靂とすら言える指示を落とした。
『さあ、コト・カナデよ、創人族の敵たる魔人族を討つのだ。それに与する悪しきヒト共にも遠慮することは無い。其方が持つ力を存分に振るい、世界を守るのだ』
『はっ!? バカげたこと言ってンじゃねェぞ! コトとオレ様たち魔人族の間には既に種族の壁なんざ――――』
途端早鐘を慣らした本能のまま、ノッセルは半身を逸らす。直前まで自身の頭蓋が在った空間を真っ赤な火球が走り、背後の壁に当たり大きく弾けた。
冒険者たち特設隊も、魔人族の精鋭隊も、皆が固唾を飲んでコトに注目する。輝きを無くした双眸は冷たく本来の仲間たちを突き刺し、突きだした右手に桜色の輝きを集め無慈悲な訪唱を紡ぐ。
『ガイ・デ・ヒュウ・コン・ヘ。精霊さんたち、たくさんの炎で焼き尽くしちゃって。創人族の敵は焼却しちゃわなきゃ』
楽器を構えずとも心音の〝想い〟に呼応した精霊たちが奏でる【火祭りの踊り】が、心音が放つ炎の火力を高めていく。いよいよ部屋全体が大火事の様相になる未来が見えてきたところで、トノンとノッセルが一斉に魔法を発現させる。
『放射濃霧――!』
『大氷瀑!』
トノンが部屋全体に発生させた特濃の霧が、ノッセルによって氷に変えられる。急激な温度の変化により、心音が放った獄炎のごときそれは痕跡すら残さず消え去った。
ダイヤモンドダストが煌めく謁見の間で、ようやく呼吸を取り戻したシェルツが心音に呼びかける。
『コト! いったいどうしたのさ! ここにいるのは皆、世界のために戦うと誓った仲間たちじゃないか!』
心音はシェルツの言葉に、小首を傾げる。
『シェルツさんこそ、どうして魔人族なんかの側にいるんですか? 魔人族はハープス王国を脅かす敵ですよ? 悪ものですよ?』
ヨシュカ王のクツクツとした笑いがこだまする。
『ここは余の新しい手駒に任せ、祈る国民でも眺めてくることとしよう。コト・カナデよ、王国の未来は其方に任せた』
心にも無い台詞を残し、ヨシュカ王は次元転移により姿を消す。残された心音は、魔人族たちに向けて滞魔剣を構えた。
『……シェルツ、あの様子じゃヨシュカ王の魔法かなにかにやられてるわ。大方想像はできるけど……エラーニュ?』
『ええ、強力な暗示魔法がかけられているのかと。即席にしては効き過ぎています、おそらくは遠征に出る前から……』
〝魔人族は敵である〟。
心音が国外遠征に出る前、謁見した際にヨシュカ王からかけられた暗示は、長い時をかけて膨らんでいき、そしてヨシュカ王が紡いだきっかけによって破裂してしまった。
その暗示を上書きするには、それ以上の大きな精神的衝撃を伴う魔法か、あるいは――――
『無力化するしかねぇか。シェルツ、オレらで押さえつけるぞ』
『俺とヴェレス二人で制圧して、エラーニュの光縛鎖で封じ込めるってことだね』
『視覚も塞いでおいた方が良いと提言しよう。魔法士は手足を封じられても脅威である故』
魔人族の精鋭部隊と冒険者たちが、予想すらしていなかった強大な敵に立ち向かおうと意思を固める。
味方としての心音は、強力な強化魔法や支援魔法を駆使するサポーターとして全幅の信頼を集めていた。
しかし、いざ加撫心音という人物を敵にしてみれば、国家規模の魔素を体内に蓄え、一柱でも強大に過ぎる大精霊を二柱も内包している五精英雄以上の難敵である。
ノーナスーラが率先して戦術を口早に伝える。
『連携の都合上、二手に分けるべきであろう。吾輩共精鋭部隊が左翼から注意を引く故、汝ら冒険者共が右翼から制圧されたし』
『殺すのは論外として、できれば大怪我もさせないようにね。あたしらも全力を尽くすわ』
瞬間、一斉に左右に散って心音に魔法の標準を合わせる。先に動くは、クラミによる極大の熱線であった。
『悪いけど、脚の一本くらいは奪わせてもらうよ。なに、あたいら魔人族にも腕のいい義足職人くらいはいる、さ!』
熱波をまき散らし貫く熱線に向けて、心音は涼しい顔のままひらりと手を払う。同時、呼応した精霊が瞬間的に魔素を破裂させ、その爆発の勢いで熱線は掻き消されてしまった。
『はぁ!? あたいの自慢の熱線を、魔法ですら無いただの力の発露で相殺したってのかい!』
『クラミ、コトはなかなか機転も効くよ。きっちり連携しないと僕らの魔法ですら届かない』
『ん〜、それに、ちょっと理性のたがも外れちゃってるね〜。いつもは戦闘であまり表に出たがらない子に見えてたけど、実のところ派手なことが好きだったってことかな〜?』
『実のところってかよ、コトの魔法の派手さはよく知ってるぜェ。何せ、アーギス帝国での訓練で、オレ様たちでも手を焼く最上位の八段位級魔物をただの一手で沈めたのは、ここにいる戦士たちの中でもコトだけだァ』
『――っと、おしゃべりしてる暇はなさそうだねぇ。散るよ!』
心音から放たれた紫電の一撃を、方々に散って回避する。
迅雷の大精霊が直接振るうものと遜色ない威力を誇るそれは完全に心音の支配下に置かれており、その余波により対岸で冒険者たちが手をこまねいているのが魔人族たちの目にも映っていた。
『みんなごめんね〜。俺特製の〝防壁〟でも、たぶんアレはむり〜』
『さすがにこれを防ぎきれだなんて言えねェよ。建物を破壊することに一切の躊躇いもねェぞ!』
『ずいぶんと部屋も広くなったね。さて、こうなると僕には手加減し続ける意味が薄いと感じられてきたんだけど?』
『その通りである、トノンよ。あれは今、大精霊が持つ本来の力すら完全に支配下に置いている。吾輩共が持てる最大の連携を以て、殺すつもりでしかけようぞ』
目配せすら必要ない。一呼吸の元再び五人は固まり、心音による強烈な雷はハリュウが極点集中させた〝防壁〟で弾く。
『さあ行くよ! 〝水瀑渦〟』
『おうよ! 〝波紋氷槍〟』
トノンによる巨大な水の渦が心音を包み、ノッセルが突き刺した氷の槍を起点にそれが凍っていく。
閉じ込められた心音が対策を講じようと炎魔法に切り替えたところで、突きだした右の掌に左手を添え、クラミが赤熱した杭を射出す。
『〝灼熱殺杭〟! 任せたよノーナスーラ!』
『よろしい。〝座標反転〟』
高速で迫る杭を心音が迎え撃とうと精霊群を多重に重ねたところで、突如視界から消えた杭が心音の背後に現れる。
その気配を察し心音が振り向いた頃には、もはや自身を守る手立ては残っていなかった。
『仕上げだよ、〝球式物理障壁〟』
『あたいらを恨むんじゃないよ、〝極破〟』
トノンが心音の周りに障壁を展開し、その中で抗が爆ぜた。爆発のエネルギーは障壁の中で何重にも重なり、いよいよ塵一つ残らないだろうと確信してしまうほどの余波が障壁越しにも伝わってくる。
固唾を呑んで見守る魔人族。
放心に似た絶望を感じる冒険者。
その双方の目の前で、魔法の暴威が収まったそこに現れたのは、紫電と緑風を纏った心音の姿であった。
それが意味するのは魔人族の完全敗北という絶望なのか――――。
声を詰まらせる彼らの前で、その絶望など知ったことではないなどと言うように、ひょっこり現れた紫色の猫が大きく伸びをする。
『いや〜、よくこの至上をコトの中から出してくれたよ。さっきまでは完全に制御を掌握されちゃってたからね』
『うむ、遂にコトもこの意志たちから直接的力を借りなければ、この窮地は脱せられなかったというわけじゃ。おかげでこの意志たちも自由を得られた。じゃが……』
ヴェデンが息をするが如く発現させた強力な重力球は、心音に当たるなり掻き消える。それを確認したハインゲルが、確証を得たとばかりに説明する。
『この至上たちの力の神髄は、あまりに知り尽くされ過ぎちゃってね。この通り直接的な役には立てなそうだ。でも――』
『はッ、オレ様たちの全力も無駄じゃ無かったてことだろ! 大精霊を追い出してやったぜ!』
『重畳。そして汝ら冒険者も気づいていような? この攻防での偏りを』
ノーナスーラに意識を向けられ、エラーニュが一つ頷きを返す。
『ええ、今までの応酬のなか、わたしたちには直接的攻撃はありませんでした。排除すべき魔人族と、それに与する創人族では、コトさんの中で扱いが違うのかもしれません』
『ってことはよ、ここからはオレたちの出番ってことじゃねえか?』
ノーナスーラがそれに返す。
『然り。故に吾輩らは離脱し、街の状況確認に出る。汝ら冒険者五人揃って合流できることを、切に願っている』
時を惜しむことなく、魔人族五人は〝次元転移〟により消え去る。途端、心音は矛先をどこへ向けるべきか、ぼんやりとした様子になった。
ここからは、長い時を過ごした仲間同士の戦い……仲間を取り戻す戦いである。
シェルツは長剣を握り直し、一声で場を引き締めた。
「みんな、コトを助けるよ!」
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