4-3 諸悪の権化
華美であるが整然とした広大な一室。
大理石の床にまっすぐ敷かれた赤絨毯の先にある存在感、それに自然と視線が集まる。
荘厳な雰囲気を纏う初老の男性。彼は――ハープス国王は薄く金色がかった白髪の下から覗く双眸を光らせ、圧力すら感じる声音を落とした。
『断り無く余に拝謁を試みる愚者がどのような面構えかと思えば……ほう、随分と愉快な旅路であったようではないか、コト・カナデよ』
『ほう、この我を差し置いてコトに意識を向けるとは。余程そこな少女に執心らしいな、ヨシュカ王』
『魔王か。何代目か知らぬが、所詮お前は材料に過ぎん。コト・カナデにはそれ以上に有効活用の余地があったのだが……魔に汚れて価値が落ちてしまったか。いつの世も魔人族の存在は煩わしい』
魔王が突然目の前に現れたという状況であるのに、全く動じる様子が見えない。そのヨシュカ王が見据える先、心音は生唾を飲みこんで質問を投げる。
『国王陛下……。ぼくは旅の果てで、ずっと昔にあったことを大精霊さんから見せてもらいました。あの戦争は魔人族による侵略ではなく、創人族――五精英雄による蹂躙でした。陛下があの時からずっと生きているって、本当ですか……?』
国王は背もたれに身体を預けたまま、深く嘆息する。
『大精霊が存在を維持しているとするならば、いずれ障害となることは想定済みであったが……千年もの間、余の〝万邦走査〟を逃れ続けるとは、いったいどこに潜んでいたのやら。
――さて、コト・カナデよ、先の問いに対する答えは肯定だ。余が千年研究を重ねた独自の理論〝変異魔法〟を余自身に施し、完全なる生命となるべく世代を跨がずして進化を重ねた結果が、ヒト種の限界を超え、世界を統べるべく君臨するこの余というわけだ』
『ふん、元々は魔人族が保有していた魔物生成の技術であろうに』
魔王の呟きなど意に介さぬというように、ヨシュカ王は差し込む光で王冠を照らす。
『そして、コト・カナデの存在によって時は満たされようとしている。工業都市マキアへの完全な渡世界漂流。その身に宿す国家規模の魔素。それに呼応し、世界中の魔素すら可用化される無尽蔵の力。もう二百年と持たないであろうこの世界にも、ようやく見切りがつけられるというものだ』
ヨシュカ王のセリフで、いよいよ心音たちの決意が固まる。今まで状況証拠で動いていたものが、目の前でなされた自供により裏付けされたのだ。
表情が変わった冒険者たちの様子を見て、ヨシュカ王は邪悪に口角を釣り上げる。
『このことは、世代を跨ぐなどという劣化措置で擬似的に生き延らえてきた魔王を除き、今まで誰にも知られてはいなかった。いやはや、想定に反して雄弁になってしまったことに、余自身驚いている。しかし全く問題はないのだ。――ここで皆息絶えるのであるからな!』
ヨシュカ王の指先が僅かに動く。瞬間、即座に反応した魔王が必殺の魔力を込めた〝魔弾〟を高速連射。瞬きの間よりも早く標的に到達するはずだったそれは、全てが衝撃波と共に現れた何かに弾かれた。
『もう少し警戒していてほしいものだ、ヨシュカ王。貴公の魔力が削れれば、この叡智にまで煽りがくる』
暴風の如き冷気を伴った衝撃を耐え切りその姿を認める。
深海色の頭髪は首の上で切りそろえられ、周囲に浮かぶは〝魔弾〟を弾いたものと思われる氷の板。男性にしては小柄で、心音よりも一回り大きいくらいであろうか。
纏うどこかヒト離れした雰囲気には、どこか既視感がある。心音がその感覚を処理しかねていると、緑色と紫色の大精霊が姿を現し明確な敵意を放つ。
『生きておったか〝蒼色〟の。いや、〝凍餓の〟と呼んだ方が良いかの。いやはや、真に生きながらえている五精英雄がおろうとは思わなんだ』
『〝緑色の〟と、この至上は宿る肉体の消滅に合わせて大精霊が意思を継いだけど、キミは違うね? 大精霊の方が喰われている』
浮かぶ氷が蒸発するように消え、蒼色の戦士は大精霊たちを注視する。
『随分と懐かしい気配だ。〝重力の英雄〟と〝迅雷の英雄〟それぞれに宿っていた大精霊だな? 宿り身は既に朽ちたが、その精神はお前たちに模倣されたというわけか』
『そういうあんたは、ヒトでありながらヒトの肉体を捨てて生きながらえているね? 身体の核を維持する魔力は……ははあ、創人族の王の魔力で補っているわけか。蒼色の大精霊を喰らったせいで、魔素で生命活動を維持する機構も失われてしまったんだ』
『五月蠅い囀りだ。お前らこそ、その精神性は宿り身から盗んだだけの紛い物であろう』
旧知同士のやりとりが白熱していく中、突如魔王から高い魔力反応が沸き起こる。
『何者だろうと関係ない。我らが宿願を妨げるのならば消えよ』
離れていても焼き殺されそうな熱量を放つ特大の〝炎弾〟が五つ、間髪開けずに一斉掃射される。
それらは避けることも叶わず凍餓の英雄に直撃し、エネルギーの余波で視界が不明瞭になる。
辺りが落ちつきを見せ結末がどうなったのかを確かめれば、そこには欠損した身体を氷で修復していく凍餓の英雄の姿があった。
『流石は世界最強を自称する魔王だ。この叡智がヒトのままであったなら、今頃髪の毛一本残っていなかっただろう』
魔王は眉をひそめる。
『なるほど肉体を捨てているとはこういうことか。殺しきるには核を打ち砕かねばならぬな』
『魔王様、このノーナスーラめの分析によれば、脳に当たる部分が核として機能している模様。かの英雄擬きは、吾輩たち精鋭部隊にお任せを』
『良き申告だ。ならば特設隊総員、我と共にヨシュカ王を討て』
魔人族の精鋭隊五人が凍餓の英雄に総攻撃を仕掛ける。同時に魔王と冒険者たち特設隊五人が左右に分かれ、ヨシュカ王を目がけて強襲を仕掛ける。
『コト、補助をお願い。俺が最速で仕掛けて牽制する』
『ぎゅっと詰めた強化を送ります――〝瞬間他者強化〟!』
シェルツ自身の〝身体強化〟と〝纏雷〟に上乗せされた他者強化により、弾丸の如き速度でヨシュカ王に肉薄する。
このまま首を取れてしまうのでは無いかという感覚を覚え、首筋に剣を振り抜けば――――寸での所で弾かれて後退を余儀なくされる。
妨害した何かを確かめるため再びヨシュカ王の方へ目を戻せば、白髪を流した長身の老爺が長剣を肩に乗せて斜に構えていた。
「おうおう、最近の若いのは活きが良いのう。だが、こんな老いぼれの片腕を前に後退するようじゃ、先が思いやられるってもんだ」
ずいぶんな歳に見えるが、立ち姿、そして筋肉の付き方から極限まで鍛え上げられていることが窺える。その正体を計り兼ねていると、その老人は釣り上げた口の端に歯を覗かせながら名乗りを上げた。
「なんだ? 大先輩を前に挨拶も無しか。ま、知らんのも無理はねぇか。儂ぁ六百年前に死んだことになってんだからな。それ以降、九段冒険者なんて現れてもいねぇだろうよ」
「九段冒険者だと!? そんなの伝説上の存在じゃねぇか!」
ヴェレスが大声で驚きを返す。それも無理ないことだと、心音は冒険者ギルドで聞いた話を思い出す。たしか、実質的な最高段位が八段位だという状態が何百年も続いている、という話であったはずだ。
加えて六百年以上前から生き続けているとなっては、いよいよその存在が信じられなくなる。
しかし、ラフに構えているように見えて一切の隙がない様子から、その実力について疑う余地はない。老齢はクツクツと笑い、身の上を語る。
「そうさ儂ぁ生きる伝説さ。まぁ寿命っちゅうもんをそこの王様に書き換えられちまったもんで、無理矢理生かされてるといった方が正しいがな。それでも悪くねぇ六百年だった。お国を守るための〝守護天使〟って言ったっけ? 名称にゃ興味ねぇが、いずれ年々強くなる異形と戦って鍛え続けることができたんだ。もし儂がギルドに顔を出すことが許されるなら、今頃前人未踏の十段位冒険者かもなぁ!」
「強さを求めた果てが世界を滅ぼす王の傀儡だなんて、お笑い草ね!」
「お、なんだねえちゃん、滅ぼすってなぁどういうこった? 儂ぁ、お国を守るために生き延らえてんだ、魔王と共に現れたあんたらはお国の敵だろう?」
「あーもう、状況としては普通の反応よね。いい、おじいちゃん? そこの王様をほっておけば、この国だけじゃなくて世界が無くなっちゃうの!」
老爺は頭を軽くぽりぽりと描き、声のトーンを一つ下げる。
「お前さん方にとっての世界がなんなのかは知らねぇが、儂にとっての世界はこの国だ。何言われようがやるこた変わらねぇよ」
「アーニエ、ここまでみたいだ、武器を構えて」
臨戦体勢に移ったシェルツが仲間に警戒を促す。その眼前で流れるように剣を構えた老爺が低くハッキリと呟いた。
「九段冒険者クル・シャイト、参る――――」
冒険者の頂点に立つ男と、現役冒険者の頂を目指す五人の戦いが、ここに開かれた。
一方では、魔人族の精鋭部隊と、因縁の五精英雄が激しい戦闘を繰り広げている。
それほどの騒ぎの中、どこか空間が切り離されたように、ヨシュカ王と魔王が静かに対峙する。
『さて、貴様も随分と溜め込んでいるのであろう? 創人族に似合わぬ混沌とした気配が滲み出ている』
『ふん、転生を重ねた長寿擬きが。ただの個に過ぎないお前ごとき、完全なる神となる余が保有する力の前では虫けらのようなものよ』
『ほう、永く生きると冗談も面白くなるらしい。いや、今のは少し笑えたぞ』
会話が途切れたかと思えば、二人の王を中心とした空間が震える。すでに込められた魔力は臨界を迎えようとしていた。
『さらばだ不死の愚王、決着を付けよう』
『ラクには殺してやらぬぞ魔王、世界を覆う力の糧にしてやる』
迸る閃光が開戦の合図となる。
質量を伴う魔力の衝突により、たった今テラスとを仕切る壁が崩壊したこの謁見の間で、世界の命運を分ける戦いの火蓋が切って落とされた。
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