第四楽章 決意、決戦
第四楽章は鳴り響く。
全ての主題はここに交わる。
和音は想いへの想起。
その終演は未だ書き記されず。
アレグロ・グランディオーソ。
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決戦の日、黎明の空は泣いていた。
冬の終わりを予兆させるような、久方ぶりの雨。
ベッドの上、身を起こして窓の外を眺める心音は、決意の裏から滲んでくる抑えきれない不安に苛まれる。
大義のため――双方の世界のためには斃さなければならない巨悪だ。
だが果たして自分程度の力がその役目の一端を負えるのだろうか。
そして、ハープス国王が巨悪であることを国民は知らない。打倒し得たとて、逆賊と化した自分たちに対して民はどんな目を向けるのか。どんな刃を向けるのか。
元より異世界の住民である自分は兎も角、シェルツたちは故郷すら去らなければならなくなるのではなかろうか。
起床直後にあって妙に冴えた思考を回すほど、負の想像が連なっていく。
――パンッ、と乾いた音。
心音は自身の両頬を叩いて思考を遮断する。
ここまで来て退く選択肢は無い。雑念は真に成し遂げなくてはならない瞬間に邪魔になる。
もう何度目か。亜空庫を開き、装備や道具がきちんと整理されていることを確認する。
自分程度の戦力でも、きっとその補助は必ず必要な歯車となる。
そして皆で勝ち取る未来は、きっと明るいものとなるに違いない。
そう自身に言い聞かせ、心音は聖歌隊のローブに袖を通した。
ヴァイシャフト邸の朝食を囲む食卓は、どこか重苦しい空気感であった。
常のようにティーネが明るく会話を投げているが、普段であればそれに対して小気味よく返すシェルツも、同調して盛り上がる心音も、妙な堅さがあってやりとりが弾まない。
見かねたティリアが、心配そうに問いかける。
「二人とも、やっぱり昨日からの魔物の襲撃が気になってるのかしら?」
そう問われ初めて自分たちが不審な態度をとっていたことに気がつき、慌てて返答する。
「あ、あぁ。方角は工業都市マキアの方からみたいだけど、侵攻速度と迎撃に当たる人員から見るに、たぶん今日にはヴェアンまでそう遠くない位置まで戦線が迫るかもしれない。ヴェアンには国軍も俺たち冒険者もいるから母さんたちに危険は及ばないと思うけど、やっぱり身構えちゃうかな」
「ぼくはこの後お城に戻らなきゃですが、きっとお城も忙しくしてると思います。こういうのは初めてなので、やっぱりドキドキしちゃいます」
ティリアは返答に納得がいったのか、少し表情を和らげる。
「そうね、でも大丈夫よ。いざとなったらうちにも頼れる愛娘がいるわ」
「そうだよお兄ちゃん! 私だってその辺の魔物くらい一人でも楽勝なんだから!」
細腕を自信満々に見せつけるティーネに微笑み返し、シェルツは食器を置く。彼が立ち上がるのに合わせて、心音も出立の気配を見せた。
「それじゃあ家のことは頼れる妹に任せて、俺は戦況を伺ってくるよ。なんだか励まされちゃったね、ありがとう母さん、ティーネ」
「ぼくも、そろそろお城に向かいますねっ。 今日もご飯おいしかったです!」
テキパキと、いつになく素早く身支度を整え終える。そして今すぐにも出かけていきそうな二人に対し、静かに朝食をとっていたリッツァーが落ち着いた声音を送る。
「シェルツ、コトちゃん。何かを成したいのならば、緊張をも味方に付けろ。不安さえ必要な要素として取り込め。己の内に累積した技術や経験に疑いを向けるな。大丈夫だ、二人とも十分に度胸は据わっている」
顔を向けずに語り聞かせると、リッツァーは再びスープに口をつける。
まるで見透かされているかのような助言に驚くも、それは確かに二人の背中を押してくれた。
雨空とはいえ、扉の外は朝の明るさを湛えている。
シェルツと心音は互いの瞳に決意を確認しあう。そうして冷雨の先の青空を目指し、温かな家庭から外へ踏み出した。
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心音が城に戻れば、案の定喧噪の中にあった。あちらこちらで伝令が飛び交い、駆け回る兵士や連絡員が交差している。
人の間を縫いながら事務室を伺えば、やはりその中も大忙しの様相だ。その最中心音の姿を認めた馴染みの事務員が、早口で要点を伝える。
「あぁコトさん、戻りましたね! 手続きは省略です、私が目視しました。大聖堂に向かって指示を仰いで下さい!」
そのまま慌ただしく離れていく彼女にぺこりと会釈し、邪魔にならないよう速やかに立ち去ることとした。
大聖堂に入れば、そこでも非日常が感じられた。
整然と並んでいた長椅子は全て撤去され、現在進行形で聖歌隊員たちが作業に勤しんでいる。
状況の把握に努めようとした矢先、心音の姿を認めたテンディが手招きして呼びつける。
「コト! 見ての通りここを避難所にする準備中だ! 今から敷物を広げるから、こっちきて手伝ってくれ!」
丸められた帯状のカーペットが多数。それを人海戦術で端から敷き詰めるように広げていっているようだ。荷物を寄せて駆けつけ、心音も聖歌隊員たちと共に準備を進めた。
演奏隊員に歌唱隊員を合わせればそれなりの大所帯となる。その彼らにかかれば広い大聖堂が避難所として整うまでそう時間はかからなかった。
力仕事を終え額の汗を拭っていると、テンディが心音に状況を教えてくれる。
「もう聞いてるかもだけど、城の兵隊も動員して魔物の襲撃に対応してる関係で、城内は今大忙しだ。こんな大規模侵攻は千年前以来だなんて言う学者先生もいるくらいで、オレたちもどうしたらいいか訳わかんなくてさ。ローリン楽長は幹部招集に行っててここにはいないんだけど、とりあえず避難所準備が整ったらオレらは自室待機だってさ。オレ、ちょっと怖いな」
いつも強気なテンディが弱々しく笑う。胸が少し締め付けられるのを感じ、心音は彼に励ましを送る。
「王国軍のみなさんも、冒険者のみなさんもとっても強いので大丈夫ですっ。いざとなったら、聖歌隊のみなさんは冒険者資格も持ってるぼくがお守りします!」
「本当か? はは、でもコトが戦っているところなんて想像できねぇや」
「もー、きっとカッコいいって言ってくれますっ。 ……でも、その〝いざ〟は来ないでほしいですね」
「あぁ、そうだな」
聖歌隊員たちが自室へ向かった後の大聖堂は、文字通りの伽藍堂となりゆく。
日常が少しずつ非日常に上書きされていく。
そのことに名状しがたい心のざわつきを覚え、それを使命感で振り払う。
(自室待機ってことなら、好都合だよね)
怪しまれずに自由な作戦行動ができることに一つ安堵し、心音は大聖堂を後にした。
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「精霊さん、お願い。ぼくに声を届けて」
自室に戻った心音は〝聴覚共有〟した精霊を城内に放つ。戦争の状況を把握すると共に、合図となる大型軍用魔物の出現を察知しなくてはならないからだ。こういった情報収集に集中するためにも、自室待機は願ったり叶ったりであった。
心音が一段落した様子を見せたところで、身のうちから意思が湧き上がってくる。
『ほう、よく精霊を使いこなしておる』
『小さき精霊たちの扱いなら、もしかしてこの至上たち以上かもね』
己の身に宿る大精霊たちからの意思に、心音は、はにかみながら返す。
『精霊さんたちとのお付き合いも、長くなってきました。いつもお願いを聞いてもらえて助かってますっ』
『ふ、たかだか一年足らずの年月を長い、とのう。いや、この意志たちの尺度で測るのもおかしな話とは思うのじゃが』
『この至上はコトの旅のほんの後ろの方しか知らないからね。きっと育んできたものがあったんだろう』
『命短きヒトの身だからこその時の密度、かの。その長い旅の果てに臨む終着点が、これでよいのかえ?』
『それは……』
会話の最中にも、早速城内での会話が情報として入り始めている。
戦線での負傷者数、
増援のための部隊編成、
近隣の町村への被害状況。
前哨戦の段階で、お世話になっている国の人々が次々と戦禍の機牲となっている。
誰がいったいそんな結果を望もうか。
しかし、それでも心音は堅く縛った唇を開く。
『必要な犠牲だなんて言いません。でもこれから拓かれ続いていく未来のためにも、絶対にこの過程は無駄にしません』
『うん、よく言ったコト。こんなことで日和ってるくらいじゃ、この至上が付いてきた意味が無いからね』
『さて、精霊たちの声も大きくなってきたのう。この意志たちも少し静かにするかの』
入ってくる雑多な会話を、擬似魔法の多重発現で身につけたマルチタスクの意識で処理していく。
幾分か幾十分か、集中力を高め意識を深く潜らせる。
……これ以上は――
城の守りを薄くは――
予備の武器庫を開ける――
ちゃんと申告してからに――
手の空いている王宮魔導士は――
――――正門前距離至近、大型の魔力反応との伝令……訂正、巨大な軍用魔物! 至急援軍を派遣されたし!
「きました、これです!」
魔王からの合図を受け取り、忍び足で部屋を飛び出す。
遂に決定的な行動を起こす時がきた。
高鳴る心拍は身体を突き動かす原動力だと自身に言い聞かせ、心音は大聖堂の屋上を目指し駆けていった。
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ついにここまで来ました、最後の第四楽章です……!