3ー3 纏雷疾走
祭りは過ぎ去り透き通る朝。
寝ぼけ眼を擦る心音は一人、貸し与えられた家屋の外に出て獣人族の村の空気を吸い込む。
東を見れば、朝日がようやく顔を出し始めたかという頃。皆はまだ寝静まっている。そんな中、身支度を整えてまで外へ出た理由たる自身の内側に心音は再度確認する。
『〝豪秘の森〟に用事があるんですよね? ハインゲルさん』
『そうだよ。なに、目的地は祠だけど心配することはない。この至上の補助があれば往復二時間もあれば余裕で戻ってこられるさ』
『〝迅雷魔法〟で移動速度をアップですねっ! でも……何をしに神殿まで行くんですか?』
『ちょっと力の配分を調整しに、ね。これからの戦いはこの至上も黙って見ているだけというわけにもいかないだろうから』
たしか、今自身に宿っているハインゲルの意思は神殿にある本体から分けられた力の一部であったはずだと、心音はぼんやりと思い出す。
なるほど大精霊としての決戦に対する準備の一つなのだと、納得を得た。
一つ伸びをし、意気揚々と村の門を出る。広がる松林を前にストレッチを始めると、横から思わぬ声……聞き馴染みのあるそれが飛んできた。
「コト? こんな早くに……どこへ行くんだい?」
「あれ、シェルツさん? えっと、ちょっと森に用事が……シェルツさんは早くから訓練でしたか?」
シェルツの右手には愛剣が握られ、周囲には氷の球体が浮かんでいた。
「うん、ちょっとね。目が覚めちゃって」
「それは氷魔法……ですか?」
「いや、ただの〝水球〟だよ。寒すぎて凍っちゃったんだね」
シェルツが球体を小突くと、ふわりとわずかに水平移動する。
「浮くという結果が同じでも、こんな風にただそこに浮かせておくだけなら〝念動力〟よりも〝重力魔法〟を用いた方が消費する魔力も注意力も節約できるね」
そうすると一呼吸、瞬きの間に周囲に浮かぶ十数の氷球がきれいに真っ二つになった。更に冴え渡っているシェルツの剣技に、心音は思わず拍手を送る。
「すごく鮮やかな剣ですっ」
「はは、ありがとう。鍛え直してもらったこの剣、切れ味が本当にすさまじいね。氷の球体ですら砕くことも無くきれいに両断できるだなんて」
朝日が透過しているかというほどに薄く鍛えられた長剣。
魔人族の魔法技術を前提として発達した技術であるそれの効果は絶大だが、剣をほとんど用いない魔人族にとってそれは室内での護身や儀礼的なものにとどまっていたというのであるから、なんとも勿体なく感じるものである。
魔法の維持を解除し氷球を落下させると、シェルツは姿勢をあらため、腰を折り心音に左手を差し出す。
「さてお嬢さん、魔物が住む森へ向かうにあたり、あなたの騎士の護衛は必要ですか?」
その不意の微笑みがあまりに澄んでいて、心音は少し顔を赤らめながらその手を取った。
冬の松林を駆け抜ける二筋の風。紫電を纏うその影は心音とシェルツによる〝迅雷魔法〟を伴った高速移動。
大精霊ハインゲルの補助を受けて高強度の魔法行使をする心音に対し、シェルツは自身の魔法のみでそれに追従している。
駆け出す前は大精霊の補助を受けられないシェルツに対して心音が心配の声をかけたりもしたものだが、「心配無用さ。俺は最速の剣士だって、今なら自信を持って言えるからね」などと返されては、その心配も徒労というものであった。
俊足の獣すら置き去りにする速度で駆ける最中、冒険者二人はまるでジョギング中であるくらいの気軽さで会話を交わす。
「なんだか、ずいぶんと遠くに来ちゃった感じがします」
「そうだね。ヴェアンを出てから魔王城に至るまで、おおよそ半年もの時間をかけて踏破した道のりだ。そんな気が遠くなるような距離をわずか数日で移動しようってことなんだから、次元魔法のすごさには驚かされるね」
「あ、それもそうなんですけど、距離というかなんというか……一年前のぼくは魔法がある世界なんて物語の中でしか知らなくて、音楽しかやってこなかったぼくがこんなに速く走れるようになってるだなんて想像すらしたこともなくて。なんだか一人の人間として、遠くに来た感じに思えたんです」
どこか自分自身を俯瞰して見ているような、小さい身体ながら視点の高さを感じる心音の横顔に、シェルツは瞳を止める。それでも確かに手の届く場所にいる大切な少女に対して、柔らかな声音を返す。
「コトはコトだよ。昔のコトのことは知らないけれど、それでも確かにキミには連続性があって、なるべくしてなった可能性の一つなんだ。昔も今も、心優しい一人の女の子だってことに、変わりは無いよ」
「えへへ、ありがとうございます。なんだか照れちゃいます……左お願いします!」
行く先を塞ぐようにそびえ立つ大熊の魔物が二体。
記号のように放たれた心音の言葉に従い、シェルツは左方の魔物を一閃、心音は右方の魔物を雷撃で消し飛ばした。
二人のやりとりにも、戦闘時の関係性にも、遠慮や、よそよそしさは既に無い。
長い時を過ごす中で得た、阿吽の呼吸とすら言える心地よさがそこにはあった。
その心地よさが途端に恥ずかしくなり、互いに視線を逸らし前方に集中しているフリをする。
「少し暑いね。一面雪で広がっている中、不思議な感覚だ」
「そうですねっ。たくさん走ったりしてるので、きっとそのせいです!」
会話が途切れる。胸の内に湧いた奇妙な感覚にわずかな動揺、心音は言葉を発するのにためらいを感じた。常のような会話が出来ず、おかしな言葉選びをしてしまうのではないかという恐怖があった。
隣を走るシェルツからも会話が飛んでこない。
居心地の良さと悪さが同居したあやふやさと共に、ただただ目的地へ向けて脚を回し続けた。
『コト、補助は入れるからそのまま速度は落とさないでね』
祠のある湖の気配が近づいてきた頃、心音の内側から迅雷魔法の制御を担ってくれていたハインゲルが、シェルツにも聞こえるように〝対外念話〟を飛ばす。
いったい何に対する補助なのか、意図を計りかねているうちにみるみる湖畔は近づいてくる。
『ああそうだ、騎士くんはそこで待っていてくれ』
『ハインゲルさん!? このままだと湖に――』
『――よし、飛べ!』
一際強いスパークと足下に集中する魔素。とにかく飛ばなければならないということだけを脳裏に、思いっきりの踏み込みで心音は大きく跳躍した。
『わあぁぁ! ぼく、飛んでますっ!』
『どうたい、これなら湖の魔法使用の制限を受ける間もなくひとっ飛びだろう』
『すごいですっ! ……あれ、でも着地はどうするんですか!?』
既に魔法の発現が分解される領域内。ハインゲルの補助があるとて、身体能力一つで華麗に着地する能力など心音は持ち合わせていない。
『大岩にぶつかっちゃいます――!!』
『やれやれ、意地の悪いことよの、紫色の』
島の上空に差し掛かったところでベクトルの違う浮遊感。覚えのあるその感覚は〝重力魔法〟による制動だ。
『ウェデンさん! ありがとうございますっ』
『この意志にとってもここでは魔法の使用も容易ではなくての。勢いは殺した故、着地はしっかり取りなされ』
浮遊感が消え、重力は元の下方へ向かうものへと変わる。おおよそニメートル程度の落下であるが、そのくらいであれば問題なく受け身もとれた。
『ふう、なんとか到着です。ハインゲルさん〜、ちゃんと事前にお話ししてくださいよ〜!』
『なに、今ある手札から導き出される単純な最適解を考えれば、説明なんていらないと思ってね。ほら、結果的に上手くいった』
『へりくつですよう.……』
着地時に付着した土を払い、祠たる大岩に意識を向ける。超自然的な造形物という印象を受けるそれにあらためて感心を覚えていると、ハインゲルによって先を促された。
『さあ中へ。時間はそうかからないさ』
大岩の中を進み、辿り着くはいつか見た祭壇。導かれるままその中心に身体を乗せれば、現れたもう一柱のハインゲルが即座に察しを告げる。
『なるほど、共に戻ってきたと言うことはそういうことか。さあ、同期し、力を移譲しよう』
洞窟中に走る紫電。
感じる膨大な力は、大空にたゆたう巨大な雷雲か。
途方も無いほどのその力は凝縮し、そしてそれが心音の中に入ってくる。
まぶしさに似たその衝撃を目を閉じて耐え、再び開いたときには静かな祭壇が戻っていた。
『終わりだよ、コト。ほらなんてことはない。さあ帰ろうか』
ハインゲルは軽い口調で心音に言う。しかし、その力を身に宿す心音とって、かの大精霊が尋常では無いエネルギーを内包していることは明らかに感じられた。
それに言及するか少し悩み、あえて口にすることも無いと首を振る。
心音は神殿を後にし、シェルツが待つ湖畔に向かうこととした。
『って、これ帰りはどうするんですか?』
再び湖を前にして気がつく。今度は助走も付けられなければ、それに伴う跳躍時の身体強化の補助も出来ない。
何か考えがあるのだろうとハインゲルに確認すれば、紫色の猫が頭現すると共に得意げな意思が返ってきた。
『それじゃあ、この至上の真の力の一端を見せようか。いや、この程度は本当に些事なんだけれど』
――突如、轟音と共に激しい力の本流が巻き起こる。
その音はまさに落雷が起こすそれか。
その力が収縮したかと思えば、指向性をもって放たれる。
『雷豪砲射』
巨大な雷の束が湖を駆け抜け、対岸手前で上空へ向け直角に曲がった。後に残るは、湖にぽっかりと空いた通り道であった。
『さ、すぐに水が流れ込んでくる。一瞬で駆け抜けるよ』
心音の中に戻ったハインゲルが〝纏雷〟による強化を施す。目の前の衝撃にあたふたしながらも、心音はその場から弾けるように駆けだした。
「おかえりコト。……今のはいったい?」
対岸まで一気に駆け抜けた心音を、シェルツは納剣しながら、やや惚けた表情で出迎える。
「えっと、ハインゲルさんが本来の力を少しだけ見せてくれたというか……ぼくもびっくりしてます」
魔人族による大魔法を凌駕するほどの魔法の発現。千年前の大戦時、たった五人で魔人族の軍勢を押し返した五精英雄の伝承の真の恐ろしさが垣間見えたように思えた。
当のハインゲルは二人の冒険者の驚愕もなんのその、用事は終えたとばかりに気軽に先を促す。
『帰りも〝纏雷〟の補助をしてあげるよ。さあさあ戻ろう』
心音とシェルツは目を丸くしたまま顔を見合わせ、それがなんだかおかしく、一つ笑みを交わし合うと元来た道を走り始めた。
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