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精霊《ルフ》と奏でるコンチェルティーノ  作者: 音虫
第五幕 精霊と奏でるシンフォニエッタ 〜旅の果ての真実《こたえ》〜
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2-14 エラーニュ-2

 曇天の下鈍く照らされるのは、額に魔石を光らせる巨大な猪。枝分かれした鋭利な牙は殺意に溢れ、口の端からは赤い液体が滴っている。


 ――――あの粘性、赤の濃さ、新鮮なヒトの血(・・・・)です……!


 エラーニュはさっと血の気が引くのを感じた。この魔物は、兵士を喰っている。

 皆が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。しかし、自分たちで作り出した岩石の残骸に足を取られ、パニックを起こした集団は絡み合うように互いを妨げる。



 後に待っているのは、惨殺だ。



 医師たちの悲鳴が飛び交う最中(なか)、エディはエラーニュを抱えながら冷静に〝風踏〟を使いながら距離を取る。

 キャンプ地で治療を受けていた兵士たちも、身を振り絞って応戦していた痕跡が見える。その多くは、すでに地に伏していた。


 死屍累々とすら表現されてしまう地獄の中、エディは一つのテントに駆け込み最奥の箱に手をかける。厳重に固定されたそれを魔法で解き開けると、中から彼の拳二つほどの大きさの球体が取り出された。


 両手でしっかりとそれを掴み立ち上がると、エディは静かな語り口でエラーニュに説明する。


「これは対大型魔物に対する奥の手だ。これなら奴を止められるかもしれない。しかし、確実に当てるにはかなり近くまで寄らなくてはならない。奴に感付かれたくない、静かにできるな?」


 エラーニュは息を止めながら、静かに頷く。


 そうしてテントから出ると、エラーニュをその場に残してエディは蹂躙を続けるの大猪の元に忍び寄っていった。

 大猪はちょうど場にとどまり大人しくしているようだ。どうやら目の前の餌を捕食するのに忙しいらしい。それを好機と、素早く距離を詰めたエディが両手を掲げ球体を投げつけた。


「喰らえ――ッッ!」

「ブオォォォ――――!」


 大猪の背中に直撃した球体から液体が飛び散り、それを被った部位から白煙が上がる。何らかの薬品であろう、みるみるうちに大猪の毛皮を溶かし、苦しさに獲物には目もくれずに暴れまわっている。


 ――――これならこれ以上の被害は防げたでしょうか?


 

 父の勇姿により巨悪を撃てたことに安堵しかける。その感情は、次の瞬間一転する。


「――――くっ、なんてしぶとい奴だ」


 身体中に走っているであろう激痛の最中にも関わらず、大猪はその元凶たるエディを見つけて襲い掛かり始めた。すでに薬品は骨にも届いており、爛れたその有様はまるで腐りかけの死骸のようであった。


「ダメです、お父さんが!」


 エラーニュは焦りに塗れて駆け出し、襲われている父を助けようと頭を全力で回す。


「わたしには攻撃魔法の知識はありません。ですが、医療の現場で座学の内容が踏襲されていたように、既存の知識を組み合わせれば何かができるはずです――――」


 一つの可能性に思い至ると、エラーニュは医師たちが作り出していた岩石の壁の残骸を咄嗟に拾う。そしてその握りこぶし大の岩石を散らされていた小物台の上に乗せ、高速で魔法を組み立て始める。


「空気中の酸素を凝縮させ、岩石の傍に集中。そしてそれを〝瞬間加熱〟で――――!」


 瞬間、爆発音。

 勢いよく弾かれた岩石は大猪の元に急行し、その頬を貫いた。


「やりました!」


 大猪の動きが止まる。薬品で弱っていた皮膚だからこそ、即席の攻撃の効果は大きく出たようだ。

 これで父を救うことができた。喜びに身体が震えるのを感じていると、その歓喜はエディの大声によってかき消された。


「エル逃げろ! まだ終わってない!」


 皮膚は崩れ始めている。それほどの状態の中、大猪は最後の攻撃の主だけは仕留めようと迫ってくる。

 死の間際の全力疾走。この速度なら自身まで到達するに五秒足らず。

 たったの五秒。戦闘経験のないエラーニュにとって、それはあまりにも短すぎる死のカウントダウンであった。


 目を瞑り死の瞬間を待つ。

 しかし、きっかり五秒後にエラーニュの元に届いたのは、身体を襲う衝撃ではなく、硬いもの同士がぶつかる衝撃音であった。


 恐る恐る目を開けると、光り輝く半透明の壁がエラーニュと大猪の間を遮っている。

 見たこともない魔法であるそれに目をしばたかせていると、軍服をきた兵士がエラーニュの隣に現れ、その壁に手をかざした。


「〝防壁〟が間に合って良かった。使える者が少ないこの魔法を自分が使えたことが、これほど良かったと思えた日はないよ。――――発破(バースト)


 兵士がトリガーを呟いた途端、光り輝く壁は砕け、衝撃を大猪に伝えた。

 そしてエラーニュの背後から弾き飛ばされた大猪の周りに複数の兵士が駆け寄り、確実な止めを刺した。前線部隊が合流したのだ。


 呆然とするエラーニュの元にエディが駆け寄り、強く胸に抱きしめる。

 危機が去ったことを確認すると、〝防壁〟でエラーニュを守った兵士が、申し訳なさげに頭を下げる。


「医師団長殿、大変申し訳ありませんでした。想定外の大型魔物を前線で押し止めることができず、ここまで被害が……」


 むせるような血の匂い。怪我に苦しむ声を絞る者、その声すら上げることがなくなった者。

 魔物がばら蒔いた被害の爪痕は、深く痛々しく残っていた。

 エラーニュをその腕から解放したエディは立ち上がり辺りをゆっくりと見回し、兵士の方へ向き直ると静かに首を横に振った。


「こういった性質の事業だ、いずれこういった事があるかもしれないとは、覚悟していた。分隊を挙げての速やかな対応、感謝する。おかげで全滅は免れることができた」


 兵士は言葉を詰まらせ、ただ腕を胸の前で一文字にする。

 その敬礼の姿勢を伏せがちにした瞳に映し、エディはそのまま、視線をエラーニュに落とした。


「エル、我々は医者だ。大抵の怪我や病気なら、歴史が積み上げてきた知恵によって治すことが出来る。しかし、死んでしまったものを蘇生することはできない」


 仲間の遺体の前で咽び泣く医師の声。唇を噛みながら亡骸を運ぶ兵士たち。そこに医療が及ぶ余地はない。


「ヒトは脆い。だから、民間人が死という名の、医療が届かない所に行ってしまわないように、軍人や冒険者が日々代わりに怪我をしてくれているのだ。彼らの活動をしっかりと目に焼き付けておくといい。我々医者は暴力の前では無力だ」


 憧れの父母が、幼い頃から怪我や病気を余すことなく治してきたのを見てきた。万能にすら思えていたその幻想が、今日この日、音を立てて崩れ去った。


 ――――そう、ヒトを生かすためには癒すだけでは足りないのだと。

 

 その日からだった、医療以外の知識にも興味を持ち始めたのは。

 適性者の少ない〝防壁〟の発現に成功した時に誓ったその使い方は何であったか。


 エラーニュは回想から浮かび上がりながら、あの日の決意を思い出す。


 ――――そうでした、わたしはヒトを生かす可能性を広げるために冒険者になったんです。


 信念、想いの力による魔法力の増強。

 エラーニュは自身の根底にあるその力をしっかりと確認する。


 ヒトを死の蝕みから救う〝癒しの力〟。

 ヒトを死の気配と分かつ〝護りの力〟。


 根源からもたらされた〝生かす力〟を確かにいだき、エラーニュは今へ帰還して行った。

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