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精霊《ルフ》と奏でるコンチェルティーノ  作者: 音虫
第五幕 精霊と奏でるシンフォニエッタ 〜旅の果ての真実《こたえ》〜
151/185

2-13 エラーニュ

 幅の広い片袖机。

 古びた本とインクの匂い。

 筆記体で綴られたノートの山。

 つい先日、年齢を数えるのに両手の指全てを使うようになったエラーニュにとって、当たり前に馴染んだ自室の様子だ。


 家系を連ねるのは皆医者か、あるいは医療に従事する者。当然のように医学の勉強が生活の一部となったエラーニュには、他の道を志す選択肢など浮かぶことすらなかった。

 誇らしかったのだ。多くの命を救い、患者から感謝と尊敬の念を向けられる父母の姿が。

 勉強も好きだった。身に着けた知識が世界に色を付けていくことが、楽しかった。


 そうして育ったエラーニュの医学知識は、成人前にして大人に引けを取らないものとなっていた。そうなってくると、次に望むのは理論の実践だ。

 そんなエラーニュの欲求を知ってか、父エディはノックと共にエラーニュの部屋の扉を開くなり言い放った。


「エル、旅の準備だ。魔物の群集(スタンピード)制圧の前線で医師が求められている。私が主催する医師団が派遣されることになったのだが、いい機会だ、エルも現場に出てみなさい」


「本当ですか、お父さん。実地で学べることはわたしも願ったり叶ったりですが……わたしが戦いの場に出向くことは危険ではないのでしょうか?」


「なにも危険地帯に放り込まれるわけではない。前線後方の宿営所(キャンプ)で待機し、負傷し運ばれてきた軍人の治療に専念すれば良い。私もこういった仕事は長いが、宿営地(キャンプ地)に危険が及んだことなどなかったさ」


 聡明な父が言うなら間違いがない。きっと自分にとって最善な学習機会と判断して誘ってくれたのだろうと、エラーニュはいよいよ高揚感を覚えた。


 知識は蓄えた。両親が働く姿も幾度となく見てきた。期待に口角を上げ、エラーニュは意気揚々と荷造りを始めることとした。




 工業都市マキアの更に向こうに、手付かずの天然樹林が広がっている。どうやら此度の群集の発生源はその樹林からのようで、都市を守るためマキア分駐隊と、更にはヴェアンからも国軍本隊が派遣されていた。


 キャンプ地はその前線とマキアの道中に設営された。

 前線から遠く離れているわけではない。それでも幾重にも敷かれた軍による包囲網がキャンプ地を危険に晒すことはないだろうと、勲章を胸に付けた立場がありそうな軍人から父が説明を受けていたのを、エラーニュは辺りを観察しながらも耳に入れていた。


 周囲に遮蔽物はない。キャンプ地専任の部隊も配置されている。布製の屋根でおおわれた治療所が展開され、臨時の簡易ベッドや台所まで用意されている。

 さすが父エディが誇るだけあって、かなり本格的な設備が整った医師団のようだ。


 見る見るうちに作業が進み、各設備が整ってきたかというところで、遂に負傷した兵隊たちがなだれ込んできた。


 そこからは兎に角場が回り続けた。忙しない医師たちの波の中で必死に現場を学び、出来ることを探し、そして書物からだけでは知り得ない実情を肌で感じた。


 例えばある場面、搬入されてきた重傷の兵士を見て、エラーニュは慧眼を光らせる。


「この人、魔物の毒牙による魔力汚染を受けています。汚染が広がる前に早く切開して対象部位を摘出しないと」

「エラーニュちゃん、よく勉強してるが、それは設備、時間共に余裕がある病院での話だ。ここじゃ失敗の可能性や患者の体力低下の危険性(リスク)が重い。だから……」


名も知らぬ先輩医師が患部に手をかざし意識を集中させながら、作業と同時に説明してくれる。


「魔力が集中している彩臓を〝魔力視〟で見つけ、そこから魔力の流れに異常をきたしている箇所を特定する。そして見つけた原因を――――対象は六、二十、三。悪素を熱し、灰燼と化せ。〝瞬間加熱〟」


 兵士がうめき声を上げる。医師の口から出た魔法名は、火種に着火する時などに用いるものだ。

 なぜそんな魔法を今? とエラーニュが不審な目を向けていると、患者たる兵士の苦しそうな呼吸が、次第に落ち着いてきた。


「切開には血と患者の体力低下が伴う。摘出した部位にも適切な処理が必要だ。ここでそれらの障害を回避するには、直接内部を焼き切ってしまえばいい。勿論かなりの技術が求められるがな」


 目に見えない場所に施す特殊な技術。確実性でいえば正規の方法よりも低く止まってしまう。それでもこういった場においては優位性を持つことがあるということを、エラーニュは初めて認識することとなった。


 実地での経験を重ねること数日。エラーニュは多くのことを学んだ充実感に包まれていた。


 プロの仕事――自分が到達すべき領城にいる医師たちの技を現場の中で感じ、学習してきた知識が実際の医療行為と確かに結びついてきていた。


 患者の数は日々減っている。それは即ち前線での戦闘が落ち着き、残党処理にシフトしていることを意味しているだろう。


「ふむ、この様子だと明日が最後になるか」


 就寝間際、報告書類を眺める父から放たれた独り言を耳にし、エラーニュは思い残しがないようにと決意を新たにした。



 医師団派遣の最終日となったその日、随分と少なくなった患者の治療の傍ら、キャンプ地では撤収作業も並行して行われていた。

 エラーニュにとっては初めての医師団派遣への同行。多少なりとも心配していたキャンプ地に及ぶ危険というものは、一切感じることがなかった。半ば一仕事終えたような雰囲気になりつつある先輩医師たちの雰囲気に、自身も一員としてやり遂げたことにそっと胸をなでおろす。


 任期終了の時刻が近づいてきた。先輩医師たちとの談笑がてらに現場ならではの知恵を吸収していると、ふと、エラーニュは遠くから迫る地響きに気が付く。

 他の医師もそれに気が付いたようで、視線を投げやり呟く。


「おや、これは馬の足音かな? いよいよ軍隊の凱旋か」

「ああ、そうだな……いや、ちょっと待て、よく見ろ!」


 (ただ)ならぬ焦燥の声に、エラーニュも慌てて立ち上がる。音の方向を見れば、向かってくるのはたくさんの騎兵ではない。ただ一つの巨大な塊(・・・・・・・・・)だ。


「おいおいおい聞いちゃいないぞ――――みんな身構えろ‼ 魔物の取りこぼしが来た‼」


 緊急事態を知らせる叫びに応じて、キャンプ地は騒然となる。同時、キャンプ地専任の部隊が一斉に陣形を組み、敵に向けて果敢に突撃していった。


 医師たちに戦う力はない。しかし、危険地帯に踏み入れる機会も多いことから、身の守り方の知恵はあった。


「エル、早くこっちへ! もしものこともある、可能な限り自衛の準備をするんだ」


 エディに呼ばれて中央部の広場に駆けよれば、医師たちが円陣を組むように密集していた。外周に配置された医師たちが小さく詠唱して想い(イメージ)を固めているのを鼓膜で感じながら、エディに招かれるままエラーニュは中心部に匿われる。

 何をしようとしているのか、生活や医療の現場で使われる魔法以外はからっきしであったエラーニュには想像がつかなかった。ただ、張り詰めたこの場の空気感だけは胸を圧迫するほどに感じていた。


 遠くから兵士たちの()けりが聞こえてくる。鎧がぶつかる音や、攻撃魔法が空を駆ける音。迎撃に向かった二十人余りの小隊が力を尽くしていることを、時間感覚が曖昧に思える緊張感の中で未だ自分たちが無事であることが証明している。


 しかし、その均衡も長くは持たなかった。


「すまない‼ 逃げろ、逃げるんだ‼」


 拡声の魔法を用いたエマージェンシーコール。それが迎撃に失敗した兵士の声だと気づいた瞬間、エディが大音声を上げ発令する。


「第一層、展開!」

「〝〝〝再変成・結晶化〟〟〟!」


 最外周に配置された医師たちが一斉に魔法のトリガーを口にする。途端、円陣の周囲の地面がパラパラと浮き上がり、岩石として円陣を囲み始めた。


「魔法の避難所(シェルター)……! これなら魔物は入ってこれません」


 エラーニュは初めて見る類の魔法に驚きつつ、医師団が培った知恵に関心を示す。

 見るからに丈夫そうな岩石の壁は、並みの魔物では突破することは適わないだろう。


 ――――それが並みの魔物であれば。


 轟音とともに大地が揺れる。ただの一度魔物が衝突しただけで、岩石の壁に大きなひびが入った。

 動揺が場に広がる中、エディが悪態をつきつつも檄を飛ばす。


「ちぃ、五段位級すら安全に処理できるはずの小隊が突破された時点で想像は易かっただろうに……第二層、展開! 時間を稼げばまだ助けが来る希望のぞみが持てる!」


 凌ぎ切るのは無理だ。誰もがそう確信している中、唯一の生存ルートをエディは明示する。耐え忍んでさえいれば、前線の精鋭部隊が追いついて討伐してくれるはずだ。

 二撃、三撃。四撃めの衝突で第一の壁が破られる頃には、二層目の壁がすでに構築されていた。


 エラーニュには、想像したこともない世界だった。

 情報として、魔物や侵略者たる魔人族と戦う者の存在は知っている。しかし、その現場でどんな光景が繰り広げられているのかは、想像すらしたことがなかった。

 医療の現場ですら、相当量の書物を読み漁っていても新鮮さで溢れていたのだ。ましてや専門外の領域、エラーニュは無力さに震えるしかなかった。


 二層目の壁も砕かれ、最後となる三層目。その壁も、願う間もなく突破されてしまった――――。


次週に続きます……!

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