2-12 アーニエ-2
アーニエの不安を他所に、レシーは無事救難者を連れて帰ってきた。ただ、未曽有の大雨は止むことを知らず、むしろ勢いを増すように叩き落ち続けていた。
この雨の勢いでは、それほど作りが頑丈ではない集会所の屋根はもたない。そのため冒険者三人がローテーションを組んで補強の防水魔法をかけ続けていたが、彼らの負担軽減のためにと、魔法の心得があるエルダとアンシェも途中からその中に加わった。
一夜が明け、翌日。太陽は隠され、時間の感覚も麻痺してきた。
雨が止むことを皆で祈り続ける中、いよいよ恐れていた事が現実となってきた。
「うわ、部屋の端から浸水してきてるぞ!」
避難所の一角から上がった声を辿れば、部屋の隅を中心に水が溢れ出てきていた。
男性冒険者のモウルが舌打ちする。
「天井に気を取られすぎた! 高台であるここも最早ぬかるみと化しているんだ! どうするレシー!」
「ホクスは交代したばかり……私が行くわ! 外から地盤を補強して、より上流に遡って土嚢を敷いてくる!」
言うなり即行動。レシーが去った避難所内で民たちの心配が膨れていくのを、アーニエは母の腕の中で縮まりながら見る。
このままでは、この避難所も時間の問題だろう。
今はただ、祈るしかなかった。
――――その祈りは、無常に流される。
レシーが飛び出してから数分、唸るような轟音と共に大地が揺さぶれれる。
取り返しのつかない何かが起きた。皆一様に心臓を跳ねさせた時には、絶望が避難所の壁を叩き破っていた。
迫りくる泥色を視認するが先か否か、男性冒険者二人が土魔法を発現させ壁を作る。
それすら焼け石に水という圧倒的な質量。
人々が次々と飲み込まれていく中、丁度壁の後ろで一瞬の猶予を得たアーニエたち家族は、両親の咄嗟の判断により魔法を練り上げる。
「〝土弾〟!」
「〝風踏〟!」
エルダが天井に穴を開け、アンシェがアーニエを抱えて空中を踏み駆けあがる。
すぐにそれを追うエルダが一瞬壁の方を向き、声を張り上げる。
「ここはもうダメだ! 冒険者さんたちも早く!」
「ああ、すぐに――――」
破壊音に声がかき消される。慌てて空へ向かうエルダが最後に見たのは、建物の崩落と共に土石流に巻き込まれる冒険者二人の姿であった。
篠突く雨降りしきる、家屋の上空。あの後すぐに合流したレシーによる雨除けの水魔法に守られながら、一先ずの避難先を求めて空を蹴る。
エルダはレシーと会ってすぐに冒険者二人の最期の姿を伝えたが、受ける彼女は「あれくらい切り抜けられない二人じゃないわ。雨が落ち着いたらきっと合流できる」と一蹴したきり、その話題には触れなくなった。
避難先として狙うは洞窟の類か……。広く探索の目を向け、蹴り跳ぶ上空から山の全容を眺めれば、いよいよ見えてきた全容にアンシェは言葉を詰まらせる。
「――――――嘘でしょ……? まさかそんな――――でもアレは――――」
「落ち着いて〝風踏〟を乱さないように、アンシェ。――――ああ、カルデラ湖が決壊している。元々弱っていたのか、この大雨による増水と浸食が決定打になってしまった、のだろう」
休火山の火口に出来た湖であるカルデラ湖。それが決壊し、溜まっていた湖の水全てが流れ出てきたのだ。その圧倒的な質量を受けてあの集落が無事でいられるかどうかは……言葉を交わすまでもなかった。
沈黙を騒がしい雨が賑わせる中、しばらく続いたそれを破ったのは父エルダに抱えられたアーニエであった。
「滝がたくさん見えるわ。前はこんなに無かったのに」
「そうね、あちこちで水の流れができてる。……そうか、アーニエちゃん素敵な着眼点だわ。冒険者としての勘に従うなら――皆さん、着いてきて!」
数ある滝の一つに急行したレシーに着いていけば、そのまま滝の中を突っ切るように雨除けの魔法を広げる。その先に現れたのは、やや上角に勾配のついた洞窟であった。
転がるように中に駆け込み、腰を落ち着けて呼吸を整える。
「なるほど、洞窟の立地構造上、こうなってしまえば滝に覆われている確率が高いのは納得だ」
「アーニエ、大丈夫⁉ ああ、こんなに冷えてしまって……今火を起こすからね」
落ち着ける場所と判断した父母がテキパキと場を整え始める。しかし、火魔法が不発に終わりふらついたアンシェに手を差し伸べ、レシーが落ち着いた声を響かせる。
「お二人共、冒険者や軍人でもないのに長い間高い強度で〝風踏〟を使い続けていたんです。今は身体を休めて魔力と体力の回復に努めてください」
そう言うレシーの表情に影を感じるのは、洞窟の暗さのせいだけではないだろう。
洞窟内に炎が灯り、四つの影が静かに落ちる。
一端の安心感を覚えた途端、アーニエは強い眠気に襲われる。落ち行く瞼の裏に浮かぶのは、今日経験した非現実。それが、恵まれた街で育ったアーニエが経験しえなかった〝現実〟の始まりに過ぎなかったということは、まだ夢にも思わずに。
翌日から訪れた日常は、アーニエの価値観をガラリと変えた。
特別な何かがあったわけではない。そう、何一つ特別な出来事はなかった。
〝今までの日常〟が特別だったと思い知らされたのだ。
跡形も無くなった山間の集落。
生き物の姿が消えた山の森林。
〝食べ物を探す〟という行為。
飲めない水があるということ。
自分の足で歩く大地の広大さ。
天候がこれほどにも怖いのか。
野生動物や魔物達の恐ろしさ。
自分の身体を守る力の必要性。
大自然の前では子供も平等だ。
あの惨劇の場からヴェアンまでは馬車で七日の距離。その道程を徒歩で、それも非戦闘員三人に護衛一人というアンバランスさで踏破するのは、手付かずの領域が多いこの世界では普通考えられない行為だ。更には、食料や装備品も最低限にすら届いていない。
その極限状態の中、王都ヴェアンに帰り着くことができたのは、レシーというアーニエにとって偉大に過ぎる冒険者の功労によるものだった。
食物の調達の仕方。
飲み水の確保の仕方。
魔物から身を守る方法。
身体一つで冒険する心得。
そして、使える手段を応用し生き延びる思考。
包帯がなければ服を裂けばいい。
泥水しかなければろ過装置を作ればいい。
おままごとの人形やお気に入りの毛糸の帽子ですら、組み合わせることで小動物を捉える罠になった。
そしてその考え方は、魔法技術でも同様だ。
初歩的な〝水球〟と〝火球〟を組み合わせれば暖かなお湯を注ぐことができる。
〝風刃〟に〝熱風〟を乗せれば魔物を内から熱することができる。
そもそも魔法とは名称のついた技術ごとに分類されるものではなく、本来理論と想像を硬めて発現する、流動的なものであるはずなのだ。
使える技術の思考を柔軟に回し、その場の最適解を導き出す。型や名称などの区分に捕らわれない、本当の魔法の使い方。
――――そんなこと、レシーからあんだけ教わっていたじゃない。
アーニエは戻りつつある〝今〟から過去を想う。
冒険者である今の自分を形作るのは、あの日みたレシーの姿。
扱う水魔法を固めるのは、経験した水の怖さ。
そして、レシーとの別れを回想する。
別れ際に彼女は何と言ったか。
「――――アーニエちゃん、この経験を忘れないで。あなたは他の誰も経験できなかった世界をその小さい身体で感じてきたの。辛い時は、どうやって今日まで生き延びてきたかを思い出して。大丈夫、どんな窮地だって乗り越えられるわ」
――――そう、この経験に勝る苦難なんて、あたしには想像できないわ!
最近は平和ボケしてたみたいね。ええ、魔王城までの旅ですら平和だわ。
でも、これからやろうとしてることは、ちょっとだけ身構えなくちゃいけないかもね。
それなら、あたしはできることを全て使ってみんなを助けてやらなきゃ。
根源から浮上し、現実へと帰りゆく。
そして、アーニエは忘れていた力の使い方を思い出す。
想像しうる中で最悪の〝水の脅威〟から得た、水魔法の在り方。そして命を救ってくれた冒険者から教わった〝技術の応用〟の極意。
根源からもたらされた〝想い〟を得て、アーニエは覚醒へと向かった。
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