3-7 創世祭に降りた天使
あれから練習を重ね、音響魔法の扱いにも慣れてきた。
歌唱隊との合同練習も順調に進み、心音も自分が書いた譜面が実際に音となる感動は、何度経験しても良いものだと感じていた。
そして、創世祭当日を迎える。
ヒト族の信仰する神が、この世界を作ったとされるその日は、街のどこを見ても祭りの喧騒が絶えない。
そしてここ大聖堂には、一年で最もたくさんの人が集まっている。大聖堂いっぱいに埋まった人々を、心音は大聖堂の最奥、中央祭壇から見下ろす。
『こんなにたくさんの人の前で演奏するの、初めてかも……』
思わず心音の口から零れたその言葉に、テンディが反応する。
『そりゃそうだ、この大聖堂には五千人もの人が集まっているからな。こんなところでビビってちゃダメだ、祭りの最後には王都民五万人に聴かせるんだぜ?』
『ご、ごまん……』
(つまり、十進数で表すと、え〜と、んと…………いっぱい!)
計算を諦めたくなるような途方もない数字に、心音は頭がクラクラするのを感じた――――実際、十進数で表すとなると十万近い数字となる。
しかし、それだけたくさんの人に聴いてもらえるだなんて、音楽家冥利に尽きると思い直し、頭を切り替える。
落ち着いて客席を見渡す。前方の席で、ぴょこぴょこ手を振っている者がいた。
『あ、ティーネちゃん!』
近くを見ると、シェルツもティリアもリッツァーもいる。ヴァイシャフト家全員で見に来てくれたのだ。
良くいい席取れたなぁ、並んだんだろうなぁ、と考えていると、指揮台にローリンが上がる。
ローリンは落ち着いた様子で、聖歌隊員たちを見渡す。
演奏隊員二十三名に、歌唱隊員四十名。中々の規模の合奏体である。
『さぁ、我らが神と、その臣民に、極上の音楽を届けましょう』
そしてにこやかにタクトを振り上げ、拍を刻むと共に賛美歌が奏でられる。
大聖堂全体を共鳴させるサウンド。
ステンドグラスから漏れる光が音符と共に歌っている。
静謐なコラールが、その高い天井から降り注ぎ響く。
美しく重なった音が倍音を生み出し、極上のハーモニーを産んでいる。
「美しい……」
客席の誰かがそう漏らす。
天上の世界が、そこにはあった。
演奏曲目の構成は、最初に演奏隊・歌唱隊合同の曲を一つ、次に演奏隊の曲を二曲、歌唱隊の曲を二曲、そしてもう一度合同で一曲を演奏する。
それらの演奏が終わり、最後に聖歌隊は大聖堂を一周する長い階段を登り、屋上の露台に向かう。
露台からは王都全体が見渡せる。
いつも通っていた、自然公園も。
魔法の練習をしていたギルドも。
あそこら辺がシェルツの家かな。
城壁って、こんなに壮大なんだ。
聖歌隊員たちの準備が整ったようである。
ローリンが、前方で舞うように指揮を始めた。
王都全体に響く、アヴェ・ヴェルム・コルプス。
元々はイエス・キリストを賛美する曲である。その歌詞は、もちろんこの世界のために変えてある。
多くの、本当に多くの民が、こちらを見上げている。
音響魔法を用いて広大なこの都市に降り注ぐ音楽は、民の呼吸さえも支配し、他ではありえない一体感を生む。
曲が終盤に差し掛かる。
ここで、原曲とは違ったアレンジを入れている。
聖歌隊の演奏が一斉に止み、特別演奏者たる心音の独奏が奏でられる。
ビロードのような滑らかな音色。
美しく特徴的なヴィブラート。
息継ぎで聞こえる呼吸の音。
重奏にすら聞こえる倍音。
跳躍時のポルタメント。
金管楽器特有の発音。
民はその音に祈る。
天から降る賛美。
流れ落ちる涙。
そして、民は、聖歌隊員は、気づく。
演奏する心音の周りに、光が集まり回っている。
『あれは……精霊?』
誰かが呟く。
精霊はその数を次々と増して、心音を包み込む。神々しいばかりに輝くその姿に誰しもが見惚れるが、心音の独奏がそろそろ終わることに気がついたローリンが、慌ててタクトを上げる。
そして合奏体と心音の独奏が合流し、美しくハーモニーがモレンドして収まる。
曲が終わり、心音を包む輝きが収束する。
そこに現れたのは、桜色に髪を輝かせた心音であった。
「天使様だ」
「現界なさったのか」
「あれこそ天上の住民」
あちらこちらで声が上がる。
心音は周りの様子に困惑する。
もしかして何かが降りてきた? と周りを見渡すが、聖歌隊員たちまでもがこちらを見ている。状況が飲み込めない。
テンディが傍に来て言う。
『コト、お前、その髪どうしたんだよ?』
言っている意味が分からなかったが、自分の髪を手に取って見てみる。
そこには、淡い桜色に煌めく髪があった。
『え、えぇぇ!?』
この世界に来てから、髪の色が変わってばかりである。他では見ないそんな現象に、皆が驚くのも無理はない。
そうしてもう一度周りに目を向けると、誰しもが心音に向けて祈りを捧げていた。
『あぁ、これこそが、神の音。今日この日、主が遣わしたもうた天使の音を、我が身体で感じることが出来たことを、深く深く、感謝致します』
聖歌隊員の一人が呟いたそのセリフに、いやいや、と心音が手を振る。
『『あぁ我らが天使よ、まことに、まことに』』
『えぇぇ……』
とんでもないことになってきた。
助けを求めるように心音はローリンを見るが、彼も彼でうんうんと頷き、涙を流し穏やかな笑顔を見せている。
この日、王都に伝説が新たに加わった。
この事態をどう収集つけようか、と思いつつ、悪くされている訳では無いので、如何に穏便にここでこれから過ごしていこうかと、懸命に考える心音であった。
※1 ポルタメント
――音と音の中間の音を入れる技法
これで第一章第三楽章終了です。
心音のキャラクターが固まりました。
次回からは第四楽章……の前に、少しだけ番外編を挟みます。




