3-6 古代文明の遺産〝音響魔法〟
今後大きな意味を持つチャプターまで来ました。非冒険的なお話にお付き合い頂きありがとうございます。
あの一件以降、テンディからイタズラを受けることは無くなった。無くなったのであるが……
『えっと、テンディさん。今度は何でしょうか?』
困ったような表情で心音が振り返る。その後ろにはテンディがピタリと着いてきていた。
『コト、喉が乾いてないか? 良かったら、これ飲めよ』
そう言いテンディは水筒をぶっきらぼうに差し出す。中身はハーブティーのようだ。
『えと、ありがとう、ございます』
心音はそれを受け取り、口をつける。いい香りのする、女性受けしそうなハーブティーだ。
テンディはその様子を、何かに期待しているかのように見ている。
心音は言葉をかける。
『とても、美味しいです、よ?』
目に見えて喜ぶテンディ。パタパタと振られる尻尾が幻視できる。
あの一件から、心音を毛嫌いしていたテンディの態度は一変し、プラスの意味での妙な執着を見せ始めた。
悪い気はしないのであるが……心音は少々鬱陶しさを感じていた。
(なんか、よく分からない感情を向けられている気がするんだよなぁ)
昔から身体が小さく、同級生からも妹のように扱われていた心音は、男女の間に成立することが多いその感情には疎かった。
『そう言えばコト、お前の髪は綺麗な白色をしているな。オレの銀髪とは少し違うみたいだ』
そう言われ、心音は自分の髪を手に取ってみる。日々色は抜けていき、今は真っ白な髪色をしている。
(リッツァーさんが言うには、精霊さんが関係してるってことだったっけ。確かに、精霊術使ったあとの触媒は色を失ってるし、精霊さんは色を食べちゃうのかな?)
髪の毛は魔を溜めるとも言われている。心音の内部に住む精霊が、髪の毛から色を奪っていったとするのが、リッツァーの見解であった。
『まぁ、これもこれで悪くないかなぁ』
『? 何を言っているんだ、コト?』
答えになっていないことを口走るコトに、テンディは首を傾げた。
『あ、コト、そろそろ合奏の時間だ。一緒に合奏場へ行こう』
そうして緊張した面持ちのテンディに手を握られ、どこかピンとしない顔で心音は合奏場へ向かった。
♪ ♪ ♪
合奏が始まる前、ローリンがあらたまった表情で――いや、いつも真面目な顔をしているが今日はさらに厳格な表情で、一同に告げる。
『さぁ、そろそろ創世祭です。今日から歌唱隊と合同で練習しますよ』
ローリンの言葉に、聖歌隊員たちは少しざわめく。
創世祭では多くの曲を、大編成の合奏体で国民たちに披露できると聞いていた心音も、期待をその表情に露わにした。
『創世祭のために、特別作曲者たるコトさんには、新しく三曲もの曲を書き下ろしていただきました』
そう言うとローリンは楽譜を配り始めた。
新しい楽譜を見る時は、演奏者として誰しもがワクワクするものである。聖歌隊員たちは穴が空くほどの勢いで楽譜に視線を落とす。
最初の二曲は、先代首席作曲者が残した曲を、心音の知る和声法に則りアレンジを加えたものである。元々あった旋律を生かして、それを飾るようにアレンジされたそれを見て、音を出す前から隊員たちは笑顔を見せていた。
『これから渡す三曲目は、完全新作です。フィナーレで演奏する予定です』
渡された楽譜を、隊員たちは割れ物を受け取るように両手に持つ。
モーツァルト作曲【アヴェ・ヴェルム・コルプス】
わずか46小節の、短い曲である。しかしその絶妙な転調による静謐な雰囲気から、天才モーツァルト晩年の傑作とされている。
『これから十日かけて、過去最高の創世祭を目指して練習しましょう』
聖歌隊員たちの顔が引き締まる。
ローリンの指示で随所に心音のソロも散りばめてある。楽器の演奏に関してだけは目立ちたがり屋な心音は、その事に気持ちが高ぶるのを感じながら、練習を始めた。
♪ ♪ ♪
合奏が終わると、ローリンが心音を呼び止め、誰もいなくなった合奏場に二人が残る。
『本日で、コトさんが聖歌隊に加入してから一ヶ月です。この一ヶ月間、コトさんは目を見張るほどの大活躍をしてくれました』
『あ、ありがとうございます』
もうそんなに経ったのかと、ここに来てからの時間の経過する早さに心音は驚く。
『創世祭も、間近に迫っています。そこで、コトさんにはある魔法の伝授をしなくてはなりません』
何故創世祭で魔法が? と疑問に思う心音に、ローリンは続けて説明をする。
『創世祭のフィナーレの曲は、大聖堂屋上の露台にでて、ヴェアンの民全体に届けます』
ヴェアンの民全体と聞き、心音の頭に疑問符が立ち並ぶ。ここ王都ヴェアンは、かなりの広大さを誇っている。いくら大きな音で演奏したといえ、その端から端まで音を届けるなど、ありえない話であろう。
ローリンは続ける。
『疑問に思うのも無理はありません。しかし、我々にはそれが出来る手段があるのです』
そう言ってローリンは楽器棚からリューズを取り出し、構える。
ローリンさん、リューズ吹けるんだ、と心音がぼんやり思っていると、ローリンはその横笛に息を通した。
「ピピッ」と軽快に鳴らされた音が、合奏場に響く。響き渡ったその音は減衰して…………いかず、いつまでも響き続けた。
どういうこと? と目を丸くする心音に、ローリンは説明する。
『これは、音響魔法の効果です。厳密に言えば振動を司る魔法なのですが、我々はこの魔法を演奏することに使っています』
音楽を愛する心音にとって、魅力的な響きのする魔法だった。心音は目をキラキラさせて説明を促す。
『この魔法は、音を遠くまで届けたり、特定の人だけに音を聴かせたり、響かない場所でも音に豊かな反響を持たせたりすることができます』
『おぉ〜!!』
心音は感嘆の声を漏らした。演奏者にとって、なんとも興味深い魔法である。しかし、そんな高度な魔法を、自分は理解できるのだろうかと、心音は不安を募らせる。
『音響魔法の原理は、現在では失われた知識です。そのため聖歌隊員には、ハープス王国が保有する〝魔法の概念〟を修得することを認められています』
魔法の概念、という知らないワードが心音に飛び込んだ。そんな心音に、ローリンは学校の先生のように解説する。
『野生動物や魔物が、魔法を使うのはご存知ですね?』
戦闘経験はほとんどないが、そういった話をシェルツから聞いたことがあった心音は、頷く。
『彼らは、人間のように理屈で理解して魔法を使っているわけではありません。ヒトは飛べませんが、鳥は飛べる。ヒトの耳には超音波は聞こえませんが、蝙蝠は音で自分と物との距離を測る。そういった具合に、ヒトにはない感覚を概念として宿している、と言えます』
なるほど、言われてみれば人間も、空気の組成を気にして呼吸はしないし、大地との摩擦や反発を気にして足を踏み出してはいない。父親の影響で科学的なものに興味が深かった心音は、すんなりとその例えを受け入れた。
『そして、遥か古代、今より発展していた文明があったと言われる時代に、今では失伝してしまった高度な魔法を概念として封じ込めた魔導具があるのです』
未知の知識に、心音の心が踊る。魔法には、そんな次元のものもあったのかということ。そして古代に発展していた文明というのも、ロマンがある。
『話を戻しますと、王都民全体に音を届けるために、この魔法を修得していただきます。気構える必要はありませんよ、とても簡単な儀式です』
ローリンは微笑みながら言う。
『これから、私と共に王宮の地下に来ていただきます。現在では王族と聖歌隊楽長のみに与えられている権限で通れる通路を行きます』
またまたロマン溢れる展開である。心音は未知のものへの不安を少し、そして大きなワクワクを背負い、ローリンの後に続いた。
♪ ♪ ♪
王宮の長い廊下に並ぶ扉の数々。そのうちの一つ、目立たないそれの鍵穴に鍵をさすと、ひとひねり、ローリンと心音は扉の中へ入った。
『光珠よ、暗闇を照らせ』
ローリンの簡易詠唱と共に、闇が払われる。扉の中は、直ぐに階下へ降る階段となっていた。
『コトさん、足元にはお気をつけくださいね』
心音は返事を一つ、慎重に階段を踏みしめた。
どれだけ降りただろうか。
長い、長いその階段を降った先は、行き止まりであった。
こんなに歩いたのに行き止まり? と心音が辟易していると、ローリンが手をかざし、何事かを呟く。
すると、道を塞いでいた壁はすーっと消え、通路が現れた。
『幻覚魔法の一種ですよ。優れた幻覚は、本当にそこに壁があると錯覚させます。解除しなければ決して通ることはできません』
なんだか、より秘匿されてる感が増して気分が高まる。心音は大きく息を吸い込み、その先へ進んだ。
しばらくして現れたのは、大きな魔法陣と、その中心にある台座と大きな本。
ローリンに促され台座に近づくと、台座の上にも魔法陣がいくつも掘られており、本の表紙にはこの世界で現在使われている文字とは、また別系統の文字が書かれていた。
『さぁコトさん。台座手前の魔法陣に、両手を乗せてください。それからは、決してその場を離れず、なるがままに任せるのです』
生唾を飲み込む音が、心音の喉から聞こえる。緊張しながらも、その台座に手を置いた。
瞬間、台座が青く光だし、その光は部屋中の魔法陣に伝播した。
台座の上の本はパラパラと音を立てて捲られ始め、激しくなった光は心音を包み込む。
心音は、朦朧とした意識の中にいた。
何を考えているのか分からなくなる。知識が、概念が、頭の中を出たり入ったり、通過したり落ちていったり、理解が及ばない感覚になる。
永遠にも感じる一瞬。ようやく光が収まり、心音はその場にへたり込む。
自分の中に、確かに新しい感覚があるのを感じる。
『コトさん、お疲れ様でした。お気分はいかがですか?』
ローリンが傍により、肩を支えながら声をかける。
『なんだか……長い夢を見たような気分です。今まで知らなかったものを、自然に理解しているような、そんな感覚です』
ローリンは心音のその言葉を聞き、満足そうに返す。
『そうですか。であれば、儀式は成功しているでしょう。大聖堂で、少し音を出してみませんか?』
少し疲労を感じている心音は弱々しく頷くが、早く新しい感覚を試したいと、気合を入れて立ち上がった。
しかし、心音は忘れていた。ここまで降りてきた長い長い階段のことを。
♪ ♪ ♪
『はぁ、はぁ。やっと、ここまで、着きましたっ!』
大聖堂に現れたローリンと心音。肩で息をする心音とは対象に、ローリンの顔は涼しいものである。
一体どんな体力をしているのかと心音はローリンを見るが、ローリンは少し微笑むと、心音を促す。
『聖歌隊員たるもの、どんな状況でも演奏ができなくてはいけませんよ。さぁ、楽器を鳴らしてみましょう』
優しい顔してなんて鬼畜な! と心音は内心愚痴るが、大きく深呼吸を数回、心を落ち着けて、コルネットに息を通した。
パン! と張った音が響く。大聖堂らしい、長い残響だ。いつも通りの音である。
『では、私だけに音を聴かせるつもりで吹いてください』
言われるがままに、心音はもう一度楽器を鳴らす。
パン! と同じように鳴った音。しかし、その後に続いていた残響が聴こえない。
驚く心音に、ローリンが言う。
『私には、しっかり届いていましたよ。私だけに届く音を鳴らせた、つまりはそういうことです』
嬉しさがこみ上げてくる。心音は、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
『ふふふ。これで、立派な聖歌隊員となりましたね。創世祭では、コトさんの音を、王都中に響き渡らせましょう』
心音のやる気が一段階上がる。きっとシェルツたちも聴いてくれるかな、と思うと、これからの練習に向かう姿勢がより強まる心音であった。
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