1-5 斜陽、この世界のこと
露店、
住宅地、
飲食店街、
広大な公園、
魔法競技施設、
保育施設や学校、
長く伸びる商店街。
ロンドジークの街に浮かび上がる様々な情景を見て回る。
創人族の国と比べても大きな違いのないそれらを見る度に、いよいよ心音は、この世界を取り巻く戦争について分からなくなってきた。
少なくとも一般市民を見る限り、闘争を求めているような民族には見えない。
いくつかの場面で心音たちが創人族であると露呈することもあったが、どうやら軍人たちのような創人族に対する敵対意識は、一般市民に浸透していないように感じた。
そしてその軍人からですら、印象付いていた邪悪さは感じない。
敵意を向けてくる相手に対応する敵意。
魔人族が創人族に対して危害を加えてきたと言うのは、つまりその逆があったからということなのだろう。
そうなると、やはり何故創人族が手を抜かれているとも知らずに魔人族に対する戦争を続けているのかが分からなくなる。
それも、千年という気の遠くなる年月を。
戦争の主導者は誰なのか。
誰にせよ、何故何十と世代が変わっているのに状況が変わらないのか。
創人族にとってのメリットや大義は何なのか。
一切が分からなかった。
心音は隣を歩くシェルツたちを見上げる。
一様に判然としない瞳を巡らせている彼らを見るに、やはり心音と同じように分からないことだらけに潰されかけているように見える。
まとまらない思考の中から顔を上げると、立ち止まったノッセルが難しい顔でこちらを見ている。
背後には斜陽。街巡りの最中に立ち寄った大きな公園に戻ってきていたようだ。
『あーなんだ、アンタら死にそうな顔してるぞ。軍隊庁舎に戻る予定だったが……少しここで休んでいけ』
ノッセルの半透明の髪が陽の傾きと共に煌めきを変える。
ぶっきらぼうに言った彼が背けた顔の先を見れば、公園で遊んでいた子供たちが、その手を引く親に従い家路につこうとしているところであった。
あぁ、こんなところも変わらない。
同じ〝ヒト〟が暮らす街だということは、今日一日でよく分かった。
もはや、冒険者五人の中にあった戦意はどこに向けていいのかわからず、そして消え失せようとしてることは、心音自身がそうであるようにハッキリと感じる。
この景色を国に持って帰って、果たしてどうする?
ギルド本部に調査結果を伝え、創人族連合の主催国王であるハープス国王に掛け合うのか?
一介の冒険者にできることがどれくらいあるのか分からない。しかし勅命で遠征調査を遂行した以上、きっと心音たち五人の声は通常より大きく届くであろう。
これからのことを考え、そしてそれは否応なしに第二の故郷を連想させる。
いつかヴェアンの自然公園から見下ろした夕焼け色の街並みを思い出した心音は、無意識のうちに桜色のレザーケースを開いていた。
ノッセルはその様子に目を細め、そして中から出てきた銀色に眉を顰めるが、敵意が微塵も感じられないその動作をただ見守っていた。
手入れの行き届いたピストンバルブを軽く動かし、ゆっくりと吸った呼気を音色に変えた。
A.ドヴォルジャーク作曲
【交響曲第九番より第二楽章】
あの時と同じ曲、同じ音色。
故郷である日本を想い奏でたそれが、今度は第二の故郷となったヴェアンとこの世界の繋がりを想い再現される。
これからの家路を想い、そして遠き山に日は落ちていく。
この街の人々にとっては間違いなく聞き覚えのない音色、そして旋律であろう。そのはずなのに、景色に浸透し柔らかく伝わる音楽表現は、自然と彼らに受け入れられ、その胸に染み渡った。
響きを残したまま楽器を下ろし、胸に抱き寄せる。
心音の演奏はシェルツたち四人にも確かに届いたことが、その表情から容易く察せられる。
不安、恐怖、疲労、憂鬱。
そういったものを浄化してくれる力を、音楽は持っている。そして心音の演奏表現力は、それを余すことなく伝えていた。
ノッセルが、ひょう、と口笛を吹き、やや口角を上げて心音に近づく。
『アンタ、どんな魔法を使った? 魔力の動きはほとんど見られなかったが……』
鳩が豆鉄砲を喰らったように心音は首を傾げ、目を丸くしたまま返事を返す。
『あ、えっと、勝手に演奏してすみませんっ。魔法は使っていませんよ! ぼくはただ、音楽を奏でただけです』
『……そうか、音楽を奏でただけ、か。首都の奴らが芸術事にうつつを抜かしてンのも、なんとなくわかる気がしてきたわ』
ノッセルにもどこか響くものがあったのだろうか。初めて彼が見せた小さな笑みに心音は今更ながらに気が付き、少し嬉しくなった。
辺りに夜の帳が降りる。
街が眠ると共に、今日の街巡りも終了だ。
『さて、軍隊庁舎に戻るぞ。アンタらはオレ様の監視の元、庁舎内の部屋に寝泊まりしろとのお達しだ』
いつものぶっきらぼうな動作で背を向けた彼から放たれた言葉は、心なしか棘がとれているように感じた。
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軍隊庁舎の一室、普段は研修時などの寝泊まりに使わせているらしいそこで、心音たち五人とノッセルは魔法の暖炉を囲む。
排煙や空気の供給がどうなってるのかまるで分からない半透明の半球の中でメラメラと燃える炎に照らされながら、心音はノッセルの顔を見やる。
『就寝前に雑談でも聞いてけよ』と思わぬ提案を受けて火を囲んでみれば、なかなか話し始めないノッセルに不思議そうな眼差しを向けるしか無かった。
しばらく炎の揺れを眺め、ようやく口を開いた彼から出たものは、なるほど雑談らしい話題であった。
『……アンタらのことを聞かせてくれよ。創人族の国のこととか、アンタらの仕事とかさ』
キョトンとした顔を見合わせる。それはすぐに融解していき、少し嬉しそうにしながらシェルツが初めに答え始めた。
『創人族の国も、この国の景色と大きく違うところは無いです。誰もが笑い合い、生活を楽しみ、音楽が聞こえたりなんかして、一日が回っていきます。
俺はシェルツ、冒険者という……仕事みたいなものを専門にしています。野生の魔物を狩って、市民を守るんです』
ヴェレスが力こぶを見せ続ける。
『軍隊だって、オレらの国も同じだ。オレらの国でもガッチリ訓練してたぜ。魔人族みてぇに魔力が多くねぇから、武器に頼るところも多いがな!
オレはヴェレスだ。シェルツと同じく専業冒険者として力を磨いてるぜ!』
アーニエがくすりと零しながら乗っかる。
『あ〜でもね、家の造りはあたしらの国の方が精巧よ。ものを作るのが得意な種族だもの。
あたしはアーニエ。冒険者は兼業で、本業は魔法研究家よ』
エラーニュが眼鏡を正してフォローを入れる。
『ですが、魔人族の国では創人族の国で見られないような造形物も見られますね。例えば今目の前にある暖炉なんか、わたしたちの国では再現できなそうですし……魔法技術はかなり遅れをとっているようです。
わたしはエラーニュといいます。冒険者稼業の傍ら、本業は医師として勤めています』
そして、視線は心音に集まる。
どこまで話すべきか逡巡。それでも加撫心音という人物が伝わるように、小さな口を開いた。
『創人族の国にも、色んな人がいます。創ることや身体を動かすこと、歌うことや話すこと、たくさんの好きが溢れてるんです! きっとそれは、世界中どこに行っても同じなんだなぁって。
ぼくの名前は心音って言いますっ! 冒険者にはなったばかりで、本業は王国聖歌隊の演奏家です!』
五人それぞれの声を聞き、ノッセルは『そうか、そうか』と小さく頷く。
普段触れることのない創人族の生の声を、瞑った瞼の奥でどう咀嚼したのか。静かに目を開いたと思えば、ノッセルは心音の楽器ケースを捉え指さす。
『コトっていったな。アンタのそれ〝守り人の証明〟だろ? 話は聞いてる。イディストゥラ王女殿下が行方不明になって一年になるが、アンタらの口からその名前が出たことは偶然じゃ有り得ねェだろうな。王女殿下が何故それをアンタらに託したのか、今なら少しだけ分からなくもねェ』
柔らかさが増した口調で言うと立ち上がり、ノッセルはすぐ側の壁に寄りかかり、冒険者全員の顔が目に入るように睥睨しながら語り始めた。
『千年続く戦争の理由、魔人族と創人族の関係。オレ様の立場じゃどうしても話せねェことはたくさんあるが、それでも〝真実〟を知りてェというアンタらに話していいことも少しはある。ガラじゃねェが、たまには長話もいいだろう』
冒険者五人は身体の向きを変え、居住まいを正す。
『一般論だ。創人族でも掴んでるであろう事実を話そう。まず、この世界に住む生物は基本的に、大昔に他の世界からやってきた奴らの子孫だ』
『はぁ!? そんな、まさ……か……』
思わず立ち上がったアーニエの叫びはすぐに収まり、心音を視界に捉えるとそのまま座り先を促す。
『やっぱりこんなことも教えられてねェのか。
……大きな魔力や魔素の爆発が生じた時に、次元――いや、空間が裂けることがある。そこから稀に、向こうの世界の物質や生物が転がってくンだよ。そいつらがこっちの世界に適応して繁殖していった結果が、今だ。大気中の魔素が不安定だった太古にはよく有ったらしい。
そして、それは近年、威力が高ェ兵器が戦争で使われることで、実際に裂け目が目撃されるようになってやがる』
ガタ、と椅子が揺れ、今度は心音が立ち上がる。
間違いない、心音がこの世界に落とされた理由そのものだ。
動揺で瞳を迷わせる心音に、訝しむような声が届く。
『……アンタ、何か知ってンな?』
『あ……えと、あの、ぼくは――』
『あー、この子、創人族の国でその辺のこと調べてた団体と一悶着あったのよ。深い意味は無いわ』
アーニエが助け舟をだす。心音に纏わる世界に関する話は、まだ相手が信用しきれない間は話すべきではないからだ。
『……ふん、まァいい。
で、だ。何故こんな歴史のことを話したかといえば、この事が戦争の継続や激化に関わっているからだ。だが、これ以上はオレ様も話せねぇ。国家機密だからな』
聞きに徹していたシェルツが静かに質問する。
『……国家機密と言う割には、俺たちが知らなかったことを随分と教えてくれたんですね。そこから推測する分には構わない、と?』
『さてな。隠してるみてェだが、どうせアンタらは元々密偵かなにかだったんだろ? この程度の情報からの推察じゃ、万が一無事に国に帰ったとして報告しようもねェだろ』
安易に言い返せず、シェルツは静かに口を閉じる。
そのやり取りをどこか遠くのことのように聞きながら、心音はアーニエが自身の頭に二度軽く手を乗せるのを感じていた。
……つまり、ぼくはマキアに落とされた魔法兵器による爆発で生じた〝次元の裂け目〟によってこの世界に落とされたってことなのかな。
千年続く戦争が、どういった因果か、この世界と隣合っているのであろう地球から自身を引き寄せてしまったのだ。
突如知らされた、自身の境遇を揺るがす大きな事実。
動揺収まらぬ心拍の中、同時に心音は高速で回る思考が一つの希望を捉え始めたのを感じていた。
――これを逆手に取れば、元の世界に帰ることだって、できないかな……?
原理も手法もその可否も、何一つ理解していない。しかし、実際に起こっている現象を知ったことで、少なくとも向けばいい方角だけは分かった気がした。
なんとも言えない空気感に、半透明の髪をくしゃりと握り、ノッセルは時計を仰ぎ見た。
『思いのほか長くなっちまったな。今日はもう灯りを落とすぞ』
ノッセルに促され、各々寝床に向かう。
情報を得るチャンスは何も今だけではない。
胸の内にくすぶる不安感を掴みあぐねながら、心音は皆に従い瞼を閉じた。
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ロントジークに着いてから早四日。
街のあちらこちらを見て回ると共に、ノッセルとのコミュニケーションも大分積み重なってきた。
冒険者パーティ間での意見のやり取りも頻繁になされ、特に話題となったのは世界の歴史のことである。
心音は自身のルーツに関わるそれに深く思いを馳せる。
思えば〝起源派〟の一件だって普通ではなかった。一学派の集団にしては規模が大きく、そしてあまりに戦力を持ちすぎていた。
起源派は国と繋がっていたのではないか。
起源を調査する過程で得た歴史は誰が求めたのか。
心音を欲したのは本当に起源派の総指揮者なのか。
あれやこれやと推測を飛ばし合い、それは重なるごとに既成の事実への不信感へ変わる。
創人族の国で――ハープス王国で学んできたことは、どこかモザイク状なのだ。
――まるで情報に制限が加えられているかのように。
とはいえ、魔人族の国で得られている情報も、全て鵜呑みにしていいとは思えない。今できることは、自身の目と耳で確かな真実を確かめるということだ。
軍隊庁舎での三度目の朝食を終え身支度していると、ノッセルから突然の指示が降りる。
『この街はもう十分だろ。荷物をまとめろ、首都に向かうぞ』
『え!? 国の中枢である首都にだなんて……いいんですか?』
『いいもなにも、コトが持ってる〝守り人の証明〟は、首都デンキャストジークに行かなければ宝の持ち腐れだ。少し癪だが、オレ様にも出張命令が降りた。王女殿下の意向に従って、アンタらを〝次元魔法〟の在処に案内してやンよ』
『わぁ、本当ですかっ!』
心音の表情が輝く。
古代の魔法を会得するための概念。特に〝次元魔法〟については、ここ数日で得た知識をより深くするためのヒントになり得ると思えるのだ。
〝次元の裂け目〟についての理解は、きっと心音が故郷に帰るためのヒントへ直結している。
テンションが上がった心音に引かれて、冒険者たちは明るく声を交わし合う。
それを一歩引いた位置で眺めながら「まぁ、それが魔王サマの意向でもあるからな」と呟いたノッセルの声は、誰にとも届かず風が吹き飛ばした。
いつもお読みいただきありがとうございます♪
少し短めですが、第一楽章はここまでとなります。
次回からはまた新たな街。第二楽章のスタートです!