4-7 迅雷魔法
早すぎず遅すぎず。身体を温めることを意識しながら湖の周りを軽く流す。
とはいえ、ここにいるのは体力が得手の冒険者たちと身体能力に優れた獣族、獣人族である。皆涼しい顔をしながら、かなりの速度で広大な湖を周回していた。
走り始めてからそこそこになるが、やはり生き物の気配は感じられない。それでも湖畔の森の奥を見ればたしかに魔物の影が確認でき、それが一層この場の異質さを際立たせていた。
心音は森から目を離し、湖中央の島に意識を戻す。
巨大な岩石は正面に空いた洞穴以外、どの角度から見ても代わり映えがしない。それはつまり、それほどまでに形が整えられているとも言えるだろう。
青い花は島全体に群生しているようで、その淡い光は常に岩石を照らしていた。
特に変わった点を見つけられないまま、気がつけば湖を一周し終えていた。裏を返せば目立った危険も見当たらなかった、ということであるから、その点については収穫と言えるだろう。
身体は十分に暖まった。
頃合であろう、一行は再び水際に並び中央の島を見据える。
『それじゃあ、レッツゴーですっ!』
心音が発した掛け声に乗り、森の寒中水泳が始まった。
足から順に水に身体を沈め、目的地へ向けて水を蹴る。
やはり冬の湖の水温は身に堪えるものがあるが、走り込みで火照った身体と上手く中和され、我慢できないほどではない。
更に、泳いでいるうちに身体もその水温に慣れてくる。不思議と暖かくすら感じるようになってきた頃には、既に行程の半分ほどに差し掛かっていた。
心音は比較的得意な平泳ぎの姿勢を保ったまま、皆の様子を確認する。
仲間である冒険者たちは苦も無さげに泳ぎ進めている。ヴルとロウについても心配はいらなそうだ。
そして気にかかっていたクゥも、小さな身体を懸命に動かして皆の速度に付いてきている。
体格差を考えればかなりの運動量と速度である。それでも表情にはまだ余裕を感じられることから、獣人族の体力には驚かされる。
この調子で泳ぎ進めれば全員が問題なく島に到達できそうだと安堵しつつ、心音は再び泳ぎに集中し始めた。
一心不乱に泳げば、あれほどの距離があった道程も気がつけば終わりを迎える。
目的の島に辿り着き、水から身体を引き上げる。同時に吹き付ける風を感じ、心音は思わず身を縮ませた。
『わっ、さむっ! 水の中の方が暖かいだなんて、理屈は知っていても不思議ですっ』
皆の身体を乾かし温めようと近くの枯れ草に一瞬だけ発現させた火種で着火しながら、水のスペシャリストたるアーニエが反応を返す。
『水は比熱が大きいからねぇ。こんくらい寒いと、慣れちゃえば水の中の方がマシってもんね』
心音もアーニエを手伝い燃料となりそうなものを集める。
焚き木で少し休み身体が乾き温まれば、いよいよ島の探索である。
目的物である青い花は一面に広がっている。
エラーニュがそのひとつを注視し、すぐに霧散してしまう魔力光を点滅させながら分析する。
青い花の正体について事前に当たりをつけていたからか、その作業はそう時間がかからずに終わりを迎えた。
『やはりこれは、青カビに反応して発光する花のようですね。創人族の国で見る品種とはまた違うようですが、同じ起源を持っているとみて間違いないでしょう』
『それじゃあ、クゥのお母さん、助けてあげられる?』
『ええ、勿論です。いくつか採取して、集落に戻りましょう』
エラーニュはクゥに優しく微笑み、頭上に乗せて泳いできた肩下げカバンに摘んだ花を詰めていく。
その背後で、ヴルとロウが大岩に空いた洞穴に身体を向け、なにやら会話を交わしている。
心音も釣られて洞穴を見てみれば、どこか既視感のある空気を感じた。
初めて見る景色なのに……?
その感覚に疑問を感じていると、身体に宿るヴェデンの意思が心音に語りかけてきた。
(ほう、この気配は。あやつ、ここに眠っておったか)
(ヴェデンさん、なにかご存知なんですか?)
(まぁ、そんなところよ。直に分かる)
最近感じた気がするその既視感が喉元まで上がってきている中、ロウがシェルツに向けて言葉を投げる。
『私たちはこの中に用がある。お前たちはどうする、急ぎだろう? 村に戻っていても構わない』
『たしかに早いに越したことはないけれど……』
シェルツは太陽の傾きを見て、そして仲間たちに意識を向ける。
空から察するに、夕刻が近い。好奇心旺盛な心音は例のごとく洞穴の中が気になるようで、慎重なエラーニュはこの時間から引き返すことに消極的なようである。
であれば、自ずと答えは決まってくる。
『その中は、寒さがしのげそうな空間があるのでしょうか? であれば、俺たちもその中で一晩を明かしたいです』
『……そうか。ああ、少なくとも雨風は凌げよう。とは言え、私たちもこの中は未知数でな。あとは中を見て判断してくれ』
ヴルとロウは尻尾をふわりと振り回し洞穴に入っていく。心音たちもそれに続き、荘厳な趣すら感じるその入口へ身体を運んだ。
青い花は洞穴内にも咲いていた。
日の届かない内部が青く照らされ、道標となる。
その光に案内されて奥へと進むと、一層と花々が群生している空間に出た。その中心にはどこかで見たような水晶が厳かに鎮座していた。
ここに来て、心音は既視感の正体に合点がいく。それをそのまま口にする。
『ここに祀られているのは、大精霊さんですね?』
『大精霊……? いいや、獣族の伝承には〝雷鳴様〟と伝えられている』
『そっか、森人族の国でも、ヴェデンさんは〝大いなる意思〟と呼ばれてましたね……』
呼び名が違ったとしても、その存在がどういったものか心音の中には確証があった。
そしてその感覚は今、目の前に視覚として顕現する。
『うぉ、眩しいッ!』
ヴェレスが思わず発した言葉と共に、皆一様に目を伏せる。
直視が不可能なほどの閃光の後に現れたのは、猫のシルエットを象った半透明の影であった。
得体の知れない存在の登場に一行が息を飲んでいると、感じたことの無い意思が〝対内念話〟のように伝わってきた。
『おやおや、ひっさしぶりの参拝者だなぁ。と思えば、もしかしてキミたちは大狼ガラウの子供たちかい?』
ヴルとロウが頭を垂れ、恭しく意思を伝える。
『十年もの間、お参りすることができずに申し訳ありませんでした。この〝豪秘の森〟に魔物が多数住み着いてしまい、それを掻い潜ってここまで到達するのに時間がかかってしまいました』
『知ってるさ、この森のことはよぉくね。でも、これもまた試練になり得た』
水晶の周りに飛び石の如く配置されている岩々をひょいひょいと飛び移りながら、猫の影は少年のように軽い口取りで言う。
そして一際高い岩の上からこちらを見下ろすと、声音が下がったと感じさせる意思が飛んできた。
『さて、可愛い子供たちに力を分けてあげたいところだけど……なんでここに創人族が居るんだい?』
バリ、バリと紫電が岩々から発せられる。心音が慌てて弁明しようとしたところで、その声より先に心音の中から半透明の影が浮かび上がった。
『まぁ慌てるでない。そなたやこの意思が生まれた太古とは彼らの有り様も変わっておる』
『慌てるなだって? この至上に向かって誰がそんな口を……って、なんであんたがここにいるんだよ!?』
紫電を霧散させ、猫の影が途端に狼狽する。
影に遅れて心音の身体から溢れた桜色の魔力光がグラデーションのように緑色に変わる。そして影と一体化した光は実態化し、緑色の長髪とドレスが印象的な女性の形に収束した。
『ほう、この意思のことを覚えておったか。何せ大戦後に共に過ごした百年以来の※遭逢じゃ。いやはや息災か、紫色の』
『ああ、見ての通りさ、緑色の。で、どうして出てきた?』
落ち着きを取り戻した猫の影が、静かに問い質す。突如として緊張感のあるプレッシャーが場にのしかかるが、それも何処吹く風とヴェデンは返す。
『厳密には、この意思の本体は〝守智の森〟にある。今ここにあるのは、この意思の欠片に過ぎぬ』
『なるほど、その強度で欠片か。という事はあんたも相当に溜め込んでるな? いや、聞きたいのはそこじゃない』
猫の影が色付き、紫色を主体とした虎毛模様の猫が顕現する。
『あんたの気まぐれで勝手に出歩かれたら困るよ。何のためにこの至上が悠久の時を耐え忍んできたっていうんだい』
『気まぐれではない、今が頃合と踏んだのじゃ。この意思が宿る人の子をよく見よ』
守智の風の言葉を訝しみながらも、紫色の猫は値踏みするように心音を観察する。
気恥しそうに笑う心音を中心にぐるりと回ると、猫は関心を示して言葉を転がす。
『へぇ、この子精霊に好かれてるね。まさか自分の魔力が無いのかい? 〝創られし者〟じゃ……ないね』
『器としての素質だけでなく、この意思はコト・カナデの心の有り様も気に入った。そなたも意識を通わせれば納得できようぞ』
『心の有り様、ね。たしかに、この至上も興味がないと言えば嘘になる』
猫は再び一際高い岩に登ると、紫色の宝石のような瞳を静かに光らせ心音たちを見下ろす。
『人の子らに問う。キミたち、森で炎を使おうとしてたのに、その魔法を破棄したね? それはどうしてだい。もっとラクに勝てたろうに』
あの時、炎魔法を制止した心音が条件反射的に答える。
『だって、森が火事になっちゃったら大変です! 森では動物さんたちや木々、お花や虫さんたち、たくさんの命が生きています。ぼくだって、もしお家の中で大きな火なんか使われたらいやですよっ!』
凄みを利かせていた猫の目が丸くなり、一拍置いてくすりと笑いながら返事をする。
『この〝豪秘の森〟を、お家、と言ったか人の子よ! 自然の恵みを一方的に頂戴して営んでいた創人族から出る言葉とは思わなんだ!』
足取り軽く心音たちと同じ地面に降りてくれば、猫は心音たちを見上げて晴天のような声をかけた。
『なるほど、精霊たちに愛されるわけだ。乗るよ、緑色の。獣の血を引く者だけでなく、人の子らにもこの森が護る真髄を伝えよう!』
着いてこいとばかりに首を投げた猫に従い、冒険者五人とクゥ、狼二名は岩に囲まれた水晶の前に歩み出る。
全員が水晶の周りに集まったことを確認し、猫は水晶の上に飛び乗り力を高める。
『さぁ、今からこの至上とキミたちの意識を繋げるよ。クラクラするかもしれない、座って目を瞑っていれば少しはラクかもね』
紫色の魔素が迸り、水晶から魔法回路が展開される。
紫色の大精霊から流れてくる古代の魔法の概念と逆行して、記憶の全てが大精霊に覗かれるのを感じる。
数時間が数分に凝縮されたような曖昧さ。
天地もあやふやになる感覚が次第に収まり、心音たちは確かに新たな概念を感覚として理解していることを感じた。
〝迅雷魔法〟。
――電気という力にまつわる魔法。
心音だけがその感覚を脳内で言語化できた。
概念として感覚のままに〝迅雷魔法〟が使えるようにはなった。だが、その使い方自体は自身で考えなくてはならない。
狼たちを見れば、これで俺たちも雷のような脚力を得られた、と喜ぶ会話が聞こえる。
なるほど獣族は感覚的に生体電気を刺激して運動能力を上げる使い方をしているのだなと心音がひとりごちていると、いつの間にか心音の目の前に猫の顔があった。
『わわわっ、大精霊さんっ! う、浮いてる?』
『世界を渡ってきたんだね、キミは。この魔法への理解も周りとは違うみたいだ。さて……』
猫の額から光球が生み出され、それはふわりと心音の胸に吸い込まれる。
『キミに拒否権はないよ。時が来たのなら、この至上にも緑色のと共について行く義務がある』
薄れていく紫色の猫は最後に一言だけ残し、洞穴の闇に溶けていく。
『獣の血を引く者たちは、この至上のことを〝豪秘の空〟と呼ぶ。コトも好きに呼んでよ』
再びの静謐さを取り戻した洞穴を後にする。
身に宿った新たな存在を感じながら、いつの間にか白い光が差し込み始めている洞穴の出入口に向けて心音は目を細めた。
※遭逢――出会うこと。
いつもお読みいただきありがとうございます!
またひとつ、大きく前進です……!
ボリューミーにお送りしました♪