4-3 森に拒まれる病
『失礼します。遠い東の国で医師を務めていますエラーニュといいます。〝拒森病〟という病に伏している方がこちらに居ると聞きました。診させていただいてもいいでしょうか?』
突然の訪問者に驚きをみせる獣人族たち。中にいるのは横になっている大人の女性と、看病する大人の男性一人、あとは子供が五人のようだ。
男性の顔には爪痕と思われる古傷が見える。生きるために争いは避けられない生活なのだろうか。
彼らの驚きの表情は、次第に怪訝なものに変わる。その理由は、口を開いた男性の言で判明することとなる。
『医師、とはなんだ?』
『……ああ、なるほど、この国には医師という概念が存在していないのですね』
元々が丈夫な獣族である。怪我やちょっとした病気は民間療法で対応できてしまい、医学を専門とする職業は発達しなかったのだろう。
しかし、ヒト種との混血である獣人族はおそらく病気に弱い面があり、それもまた数が少ないままである一因だと考えられる。
短いやり取りから即座にそこまで連想したエラーニュは、彼らにも分かるように噛み砕いて説明する。
『言わば、怪我や病気の専門家です。と言ってもわたしは創人族の症状にしか明るくありませんが、それでも何か分かることがあるかもしれません』
『よく分からないが、要するに妻の病気を治すことができるんだな!?』
『それを、これから診て判断します。あなたはこの方の旦那さんでしょうか、失礼しても良いですか?』
『あぁ、夫のガルだ。妻のこれは不治の病だ、俺たちにはどうしようもできない。なんとか見てやってくれ』
夫の許可を得て、エラーニュは女性の診察を始める。
発熱、発汗、荒い呼吸、血混じりの咳。
更には家の中に充満する異質な空気を察し〝魔力視〟を発現させてみれば、女性の魔力が垂れ流しの状態になっているのが分かった。
魔力を生体機能の一部として活用している生物にとって、かなり危険な状態である。
おおよその状態を察したエラーニュが、家族たちに向けて診察結果を伝える。
『完全に一致する症状は診たことがありませんが、少なくとも彩臓には障害が出ているようです。何か心当たりは?』
『何か変わったことをしたとか、食べたとか、そういうのはないんだ。ただ……俺たち獣人族は自然の摂理から外れた存在だ。本来生まれるはずのなかった俺たちを森が拒絶しているんだ。だから、森から少しでも離れて家の中で安静していれば、少しは楽になる。とは言え、こうなってしまってはもう長くは……持って三日くらいだろう。クソッ』
『なるほど……』
右手を額に当て、エラーニュはぶつぶつと呟き始める。
「症状の幾つかはあの病気に酷似しています。とは言え、それには見られない症状も……森が深く関わっているのでしょうか。であれば風土病の類? しかし森から離れると症状が落ち着くのはなぜでしょう。病原に対して特定の成分が……いえ、彩臓に障害を与える要因は他にも……それが生物的に不安定な獣人族に当てはまると仮定すると――」
しばらく思考に没頭するエラーニュにガルは困惑を見せる。その中で、クゥが彼の服の裾を引っ張って小さな声を届ける。
『お父さん、青い花のお話し、お姉ちゃん知ってるかな?』
『んー、あの話は、この国の古い伝承だからな……。それに、この獣人族の集落の者は誰も本物を見たことがない。不確かな情報だよ』
親子の会話を聴覚の端で捉えたエラーニュがぴくりとして彼らに顔を向ける。
『今は少しでも情報が必要です。その話、教えていただけますか?』
眼鏡越しに向けられた強かな眼差しを受け、一度息を吐ききると、やや気が進まなそうな口ぶりでガルは語り始めた。
『万病を癒やす青い花、という伝承がこの国にはあるんだ。この先にある森のずっと奥、日が昇り沈むまで歩き続けた先に、深い青色をした花が咲いているらしい。その花から抽出した薬は、不治の病ですら嘘のように治してしまうと伝えられている。それこそ妻のような症状にも効いたみたいだ。まさにこんな時にすがりたくなるような都合の良い話さ』
どの国にでもあるような、ある種の伝説に近いような言い伝えにも聞こえる。しかし、その内容から思い至る点があったのか、エラーニュはまとまっていく思考をハッキリとした口調で提示していく。
『青い花、病気に効く成分。顕在している症状の治癒が可能なものと考えれば……創人族の国にも似たものがあります。それは青カビに反応した魔力が青く光る、常咲花の一種の可能性が高いですね。そこから逆説的に考えると、この症状は彩蔵に限らず、合併的に要因が絡んだものなのでは。……つまりこれは創人族の間でも有名な病気、肺炎でしょう』
『肺炎? それはどんな病気なんだ?』
『肺……つまり呼吸をするための器官が、病原菌によって侵されている状態です。症状としては現状とはぼ一致しています。昔は治療が難しい病でしたが、現在では治療法も確立されています。ですが、魔力漏れについては、想像の域をでませんが恐らく獣人族が肺炎に罹った場合特有の合併症でしょう』
『どういうことだ? 治るのか? 治らないのか?』
『わたしの考えが正しければ、治ります。考えられる原因としては……いえ、その話をしても仕方がありません。いずれ、治すにはその青い花が必要です。肺炎自体は通常ここまで急速に致命となる病気ではないのですが、合併している魔力漏れが問題です。このまま森に近づけずに安静にしておいてください』
見たところ、獣人族は獣族の性質を持ちつつも、ヒト種の特徴を受け、その身に余る魔力量を内包している。
普段は体内を循環させるなどしてその魔力をいなしているようであるが、肺炎により身体が弱ると行き場を失った魔力が外に溢れてくるのだろう。
そうなると、その魔力に引っ張られ、過剰に体内の魔力が放出されてしまう。
その状態では身体の周りに魔力を纏わせておけないため、魔素から身体を守れず、魔素が豊富な森に近付くほどに体調の悪化を招いてしまうと考えられる。
この推測が事実から遠くない自信がエラーニュには有ったが、今はこのことを学問に疎い獣人族に説明する時間が惜しい。端的に必要なことを伝え、病気を迅速に根治することをエラーニュは選択した。
『事は性急さが求められます。今すぐに森の奥地への調査を――』
『おいおい、待ってくれ。そんな確かなものかも分からない伝承を当てにするって言うのか!? それで見つからなかったらどうする。他に方法は無いのか!?』
『青い花が――青カビが無ければ治療薬が作れません。創人族の国に薬を取りに行くのは距離的に不可能です。この場で調達する他に、その女性を救う手立てはないんです』
エラーニュは歯噛みする。
病原菌を打倒する万能薬は旅の最中も持ち歩いていた。しかし、先日の魔動兵との戦闘時に〝風刃〟による攻撃を受けた際、鞄からその薬がこぼれ落ちてしまったのだ。
製法は知っているが、材料が手元に無ければどうすることもできない。今はその青い花の伝説に賭けるしかなかった。
数秒間の沈黙。会話が止まった中でクゥが壁際に駆け寄ったと思えば、その身にとっては大きな背負い鞄を身に付け、素直に頷くことのできないガルに代わってエラーニュに宣言する。
『クゥが一緒に探しに行くの。青い花の場所、誰も知らないけど、お日様が沈む方から、たまに風に乗って知らない匂いが飛んでくるの。クゥわかるの』
『クゥ! ダメだ! どうして今まで誰も探しに行けなかったのか、何度も言い聞かせているだろう!?』
『うん、知ってる。でも大丈夫、クゥ、ちゃんと帰ってくるから』
『クゥが逃げるのが上手くて、今まで魔物に捕まったことが無いのは分かる。でもな、結界から先に行けば数え切れないほどの魔物が潜んでいるんだぞ? たまにこちら側に来る一匹や二匹とは訳が違うんだ』
どうやら青い花の捜索も一筋縄ではいかないらしい。エラーニュは詳しい事情をガルに尋ねる。
『その結界について説明いただいても?』
『ああ。この先の森――〝 剛秘の森〟は魔人族領と隣接していて、言わば国境の役目を果たしているんだ。
食糧資源の豊富な森で、古くから獣族、獣人族共に活用していたんだが、十年ほど前から魔人族が実験で生み出した魔物が頻繁に出没するようになってな。どうやら実験施設から逃げ出した魔物たちが繁殖した結果らしいが、俺たちにとっちゃ危険この上ない。
国に出入りしている魔人族に掛け合って、生活のために資源を採集できる範囲を線引いて魔物避けの結界を張ってもらったんだ。まあそれでもたまにこっち側にきてしまうんだがな』
『なるほど、結界の先はどれだけ多くの魔物がいるか分からないということですね』
創人族の国では通常、訓練を受けた冒険者や軍人が魔物の対応にあたる。一体であろうと危険性は高く、特に二段位級以上の魔物と戦闘を生業としていない者が戦うことは命取りにすらなる。
特にここは魔人族領に近い森林部だ。最新の研究で生まれた強力な魔物が視界の悪い森林に潜んでいると考えれば、その危険性は言わずもがなであろう。
エラーニュは少し考えた後、ガルに向けて質問を投げる。
『わたしは創人族の国で魔物狩りを専門とする、冒険者という仕事も務めています。仲間も外に四人控えています。危険な森林部でも、わたしたちだけでやり過ごすなら恐らく問題は無いでしょう。しかし――』
ちらりとクゥに視線を向けて、続ける。
『わたしたちだけでは目的地が分かりません。案内役が欲しいところですが、庇いながらの戦闘は容易ではないでしょう。できれば最低限自分の身が守れる方を案内役として当ててもらえると……』
クゥはエラーニュから視線を外し、傍らのガルを見上げてその裾を繰り返し引っぱる。ガルは葛藤からかしばらく言葉を喉の奥で留め、観念したように言葉を返した。
『あぁ、分かったよ。父親として情けないが、家族の中で最も力が強い俺でも戦い抜けるか分からない。嗅覚が利いて身のこなしが最も軽いクゥが適任だろう』
クゥの顔をがしがしと撫で、ガルはエラーニュの瞳に真剣な黒目を合わせる。
『大切な娘だ。妻を救うためではあるが、できるだけ危険に晒したくないのが親心ってものでな。どうか妻と娘を、頼む』
『はい。医者の誇りに賭けて、そして冒険者の矜恃に賭けて、必ず』
エラーニュがクゥを促し、共に家から出る。
外へ出ると、四人の人影がエラーニュに意識を向ける。
待っていた冒険者四人が、二人の姿を確認するなり経緯を訪ねた。
『エラーニュ、その様子だと……何か依頼を引き受けた、って所かな?』
『ええ、シェルツさん。クゥさんのお母さんの病を治すため、先程の森〝剛秘の森〟の奥に進み薬の材料を探します』
『へぇ、物探しの依頼ねぇ。あたしたち冒険者の十八番ってところじゃない。で、その子が案内役ってわけ?』
アーニエが腰に手を当て、エラーニュの後ろに付いていたクゥのことを指摘する。
クゥは隠れていたエラーニュの背中から出てくると、以前より少し決意を感じさせる瞳で宣言する。
『クゥが、案内するの。頑張ってお母さん助けるの』
健気にぐっと力を込めるクゥの様子に、心音が瞳を潤ませてぐいっと近づく。
『クゥちゃん! 本当に偉い子だよぅ〜』
クゥの頭を撫でようと、心音が手を伸ばす。が、クゥはそれをサッと躱した。
『ク、クゥちゃん……?』
『あの、えっと、クゥ、ヒトに触られるの怖いの』
『わ、ごめんね、距離詰めすぎちゃった』
まだ小さな子供である。打ち解けてきたとはいえ、外の人間への恐怖もあるだろう。
そんなやり取りもそこそこに、エラーニュが端的に方針を叩き出す。
『目標は〝青い花〟です。場所はクゥさんの嗅覚が捉えてくれるはずです。わたしたちの役目は、露払いです。病状は良くありません、速やかに出立しましょう』
日没まではまだ時間がある。
不明確な点が多い探索となるが、一つの命を救うため、可能性を求めて冬の松林に足を向けた。
いつもお読みいただきありがとうございます♪
今年最後の更新です……!
来年も引き続きよろしくお願いします♪