3-5 闇の温床
セイヴには、国を象徴する大広場がある。
大広場全体が巨大な日時計になっており、〝大自然が刻む時の下、姿の違う獣族たちが等しく照らされる影として一つになる〟というメッセージ性も込められているらしい。
太陽は天頂へ、日時計が正午を刻んだ大広場で、様々な姿をした獣族たちが整列している。
その数は五十にも届こうか。彼らが身体を向ける先には、大熊の獣族とアダンが威風堂々と存在していた。
整然と並ぶ自警団員たちを睥睨し、大熊の獣族が一歩前に出て声を張り上げる。
『長く手をこまねいていた闇肉の流通元が割れた。寄せられた情報を基に昨日密偵も放ったが、信憑性も確認できている。引退した前第一分隊長のアダンも全面協力してくれると言っている。今こそセイヴに潜む悪に正義の鉄槌を振り下ろす時である! この自警団長アウブの名の下、全力を尽くして闇を払おうぞ!』
『応!!』
鋭く短い応答が波紋となって大広場に広がる。
自警団を構成する彼らは、誰もが溢れる正義感に従いこの道を選んだのだろう。彼らの使命感に満ちた瞳を見るに、その士気を疑う余地は無かった。
『第一分隊、隊列はじめ!』
『第二分隊、隊列はじめ!』
『第三分隊、隊列はじめ!』
自警団長のアウブが正面から離れるなり、各分隊長が号令をかける。組み変わっていく列の横で、アウブが心音たちに話しかけようと近寄ってきた。
『あなた方のおかげで千載一遇の機会を得た。更には本作戦にも協力いただけるとのこと、重ね重ね感謝する。しかし、なんとも素晴らしい旅人を連れてきてくれたものだ、アダンよ』
心音たちに小さく頭を下げた後、アウブが肩越しに語りかけた先にはアダンも追従していた。アダンは丈夫そうに仕立てられた上着のポケットに忍ばせてある笹の葉に伸ばしかけていた手を引っ込め、軽く口角を上げて言葉を返す。
『趣味の人助けがこんな風に働くとは、私自身驚きですよ。彼らは優しく聡明で、頼りになる旅人さんたちです。私も初めて見た〝創人族〟である彼らですが、十分に信用に足る心の持ち主たちであると自信をもてます』
『ほう、アダンにそこまで言わせるとは、相当な人格者たちなのであろう。更には姿を消す魔法を見破るだけの魔法技術もあるときた。頼りにしている、よろしく頼む』
アウブが手を差し出し、心音たちは一人一人握手を交わす。焦げ茶色の体毛が覆うその巨大な手からは、創人族では有り得ない力強さを感じた。
自警団員たちの隊列が整ったのを見計らい、アウブは各分隊長に合図を送る。それを受けた分隊長たちが各々の傍らに控える銀毛の狼の姿をした団員に指示を出し、良く通る遠吠えが三つ放たれた。それを起点として、いよいよ犯罪者たちを制圧すべく正義の獣族たちが行進を始めた。
『さて、あなた方の助力を得られるとは言え、基本的には我々自警団の力で制圧するつもりだ。あなた方の力が必要となる場面が来ないことが一番だが、もしもの時のために、私の傍で力を蓄えていてくれ』
団長を囲む三匹の大型犬と共に、心音たちは順に行進する第二分隊と第三分隊の間に挟まり、目的地へと向かい始める。
これだけの士気と戦力。きっと問題なく作戦は成功するだろうと確信めいたものを感じながら、太陽が天頂に輝くセイヴの街の風を切った。
『ここか……』
自警団長アウブの呟きが黄土色の大地に落ちる。
自警団の隊列は例の認識阻害が施された採石場跡地に到達し、一旦行進を止め団長の指示を待つ。
整然と並んだ視線を集めながら、アウブは静かでくっきりとした声を発する。
『分かっていると思うが、ここから先は戦場になるだろう。心構えは十分か? 爪と牙は研ぎ澄ませてあるか? 鼻を機敏にし、わずかな変化も逃すな。自らと仲間の命を守り、そして悪を打倒するのだ!』
大きな声で返事をしたりはしない。熱い心を胸に、皆が静かに頷く。
確認するまでもなく、覚悟は決まっているようだ。
アウブからの声かけを受け、第一分隊長が崖に手を掛ける。わずかに崖が揺らいだことが確認できると、満を持して団長が静かな号令を掛けた。
『総員、突入! 速やかに作戦を遂行せよ!』
堰を切ったように隊列が駆け出す。崖に偽装された〝認識阻害〟を通り抜け、セイヴの暗部に自警団員たちが流れ込んだ。
アウブに続いて心音たちが崖を抜けた時には、既に第一・第二分隊が透明化の獣族が入っていった門の両端に控え、突入の準備を整えていた。
門から少し離れた大岩に第三分隊と共に身を隠すと、アウブは第一分隊に指示を送る。それを受け、第一分隊員が門に手を掛けた。
『……やはり鍵が掛かっています。ですが、埋め込まれた目盛盤を念動力で回す単純な鍵だと思われます』
隊員が後ろに視線を向け、別の隊員と位置を変える。どうやら解錠の専門家のようで、三分ほど門の前で念動力を発現させた後、全隊に向けて頷きを見せた。
準備は整った。
全員でアウブに注目し、時を待ち構える。緊張感が高まり、それは静かな号令で放たれた。
『総員、突撃!』
門が勢いよく開け放たれ、一気に自警団が流入する。門の内に広がるのは、木製の柵で区分けされた広い牧場であった。
そこに所狭しと詰め込まれている牛や豚たち。どう見ても健康的に育てられているようには見えなかった。
『うわっ、なんだ!?』
『ちっ、自警団の奴等だ!』
中で働いていたらしい十数ほどの獣族たちが慌てて背を向ける。
『捕らえろ!!』
脱兎の如く逃げ出す彼らに対し、脚力に優れた犬科や猫科の団員たちが即座に距離を詰めた。
為す術無く組み伏せられる闇肉業者たちを尻目に、アウブは続けて指示を出す。
『こいつらは下っ端だ。どこかに幹部連中がいるはずだ、探せ!』
広い敷地には柵が張り巡らされ、また牧場の奥には壁による仕切りも多い。雨避けの屋根のせいで明かりも十分ではなく、捜索には人海戦術が物を言いそうだ。
『ちぃ、匂いがキツくて鼻もアテにならないな。しかし、どこかに金を扱う事務所があるはずだ』
アウブの後をついて牧場の奥へ向かう。
創人族である心音たちですら鼻が曲がるような臭いを感じているのだから、鼻が効く獣族たちがどう感じているかは推して知るべしである。
正面の壁に取り付けられた扉が見えてきた。
まだこの牧場の全容は分からないが、とにかく足を使って回ってみないことには仕方が無いと扉に近付いたところで、突如扉が開け放たれ中から影が転がり出てきた。
『何奴……と、お前は第一分隊の』
『こここ、この先は地獄です! なんておぞましいことを……』
腰が抜けているのだろうか、猪の彼は後ろ足を引きずって扉から離れる。アウブと心音たちは顔を見合わせ、覚悟を決めて扉を潜る。その瞬間広がった光景と鼻を突き刺す臭いは――。
『……あぁ。闇肉が出回っているという時点で、覚悟はしていた。しかしこれはあまりにも』
一面に広がる赤黒い飛沫。まともな掃除も為されていないのだろう、蛆は湧き蝿が飛び交い、強烈な臭いと共に精神が削られる空間であった。
「屠畜場、だね。創人族の国にもあったとは言え、俺も実際に見るのは初めてだ」
「ぼくの故郷にもありました。でも、もっと衛生的で、こんな光景ではなかったです」
シェルツと心音が、行動を共にする獣族に配意して創人族の言語で言葉を交わした。
『っと、おい、大丈夫か?』
『すみません、少し目眩が。魔物の討伐には慣れていますが、それとは違った凄惨さがありますね……』
ふらついたエラーニュをヴェレスが支える。
肉食が当たり前の文化である創人族ですら精神的に堪えるものがあるのだ。自らの同胞が居殺される空間を見せられた獣族はどれだけの傷を負うことになるのか。屠殺の対象を創人族に置き換えるだけで、その恐怖は同い知れよう。
『この場からは早く離れたい。早々に向こうの扉まで向かうとしよう』
アウブとその側近が早足で屠畜場を横切る。次の扉さえ開いてしまえば、一先ずはこの地獄から脱せられると信じて、だ。
しかし、施設の構成上この次に待ち構えている光景を思い、アーニエは苦々しげに口にする。
『あんたたち、覚悟しといた方がいいわよ。きっとこの先も獣族にとっちゃ地獄だから』
『それでも、我々は止まるわけにはいかない。セイヴに蔓延る闇を払う使命があるのだ』
アウブが静かに喉を鳴らし、次の扉に手を掛ける。
躊躇いがちに開かれた扉、その先から飛び込んできた光景は、さらに獣族たちの精神を蝕むものであった。
『なんてことを。いったい彼らが何をしたというのだ』
苦悶の表情を浮かべるアウブの後、遅れて扉を潜った心音たちも、その光景を見て彼の心境を察する。
「加工場、か。創人族にとっては食用として一般的だけれど、獣族の感覚からしたら……」
「地獄以外の何でもないわよ。だからあたしは忠告したの」
「本当はもっと清潔な空間だと思うんです。でも、やっぱり違法な施設だけあって、そんな配意は少しもないみたいですね……」
大量の肉が天井から吊されて並ぶ。
処理が甘く血も滴るその様相は、食肉というよりは骸と言える。獣族からしたらなおさらであろう。
奥にもまだ部屋が続いているようだ。
どうやらその先にはまだ闇肉業者たちがいるようで、自警団員たちと争う様子が聞こえてくる。
それを聞いてか、アウブは気を取り直して自身に発破をかける。
『このような巨悪は根絶しなければならない! 先へゆくぞ、この組織は徹底的に叩く!』
勇み足で進行を再開する。
扉を抜け、正義と悪が爪を交える中、悪の根幹を求め施設の中を駆けて行く。
幾つもの扉を抜けた先、一旦外へ抜ける。
その拓けた空間の先を見れば、作りのしっかりとした木造の家屋が目に入った。辺りにはその家屋以外何もなく、状況からその目的が察せられよう。
ようやく晴れた空気をたっぷりと肺に取り込み、アウブが努めて冷静に認識を共有する。
『あれが幹部たちの根城であると見て、間違いないだろう。団員たちの多くは下っ端たちを捕らえるので手一杯だ。よって、この場における戦力は、私と近衛隊三名、旅人の方々五人、そして……』
『私と、私に付いてきてくれた団員三名ですね』
白黒の体毛を震わせ、アダンが鉤爪をカチンと鳴らす。彼もまた標的を幹部に絞り、施設内を抜けてきたのだろう。
アウブが口角を上げ、アダンに視線を投げる。
『心強いぞ、アダンよ。〝殲滅の白黒爪〟と恐れられたその腕を遺憾なく発揮してくれ』
『既に引退した身ですけどね。とは言え、道中軽く運動もしてきました。足手まといにはならないでしょう』
背後でアダンに付いていた団員たちが乾いた笑みを浮かべている。察するに、軽い運動程度ではない活躍を見せていたのだろう。
『さて、ある意味ここには最大戦力が揃っているとも言える。ゆくぞ、諸悪の根源を絶つのだ!』
いつもお読みいただきありがとうございます!
ブクマもいただけて嬉しいです♪
コンスタントに読み続けていただけてる方もいらして、励みになります♪