2-7 深緑の国を救え
森のヌシの通過予測点、街の広場ではあらゆる怒号が飛び交っていた。
弓を構える者、魔法の詠唱をする者、短剣を握りしめる者、戦士たちの配置を指示する者。
屈強な森人族の戦士たちが、固唾を飲み込んで来たる時を待っている。そしてその緊張は、ヌシに先行して走り逃げてきた森の動物たちによって破られた。
『みんなはヌシ様に対応するために待ってて、逃げてる動物たちはわーたちが対処するから』
心音たちを制止すると、フーリィは弓に矢を番えて放つ。同じように矢を放った森人族たちによって、興奮状態の動物たちは倒れ伏し、または群れから逸れていく。矢の雨の中短剣を持った森人族たちも遊撃にあたっており、抜群の連携が取られていた。
『たしかに、俺たちが入り込む余地はないね。でも……』
だからこそ分かる、ヌシの危険性。これだけの狩りの練度を誇っていながら、皆一様にヌシに対して怯えているのが窺えた。
第一波が捌けてきたところで、フーリィが心音たちのもとに戻ってくる。
『作戦を話しておくね。いつも、弓矢での集中射撃の後、短剣部隊が左足を集中して切りつけるの。そうすると左足を庇う形になるから、そこで十数人がかりの念動力で大岩をヌシ様の右側からぶつけるとね、左に逸れていくんだ。でも、今回はヌシ様が纏う魔力量が尋常じゃなくて、刃が通るか分からなくて……。だから、みんな緊張してるの』
殺せないから、進路を逸らさせる。今まではそれで対応できていたのだろう。今、それが通用するか判然としない中、新たな要素である心音たちにできることと言えば.......。
『俺たちにできることを話します。俺は剣術と風魔法を組み合わせた斬撃を、ヴェレスはハルバードによる強力な一撃が放てます。アーニエとコトは高強度の攻撃魔法を、エラーニュは丈夫な防壁や〝光縛鎖〟による妨害を得意にしています。それと』
シェルツが心音に視線を移す。
『ぼくは〝他者強化〟を得意としています! ぼくの演奏で、森人族の皆さんにも力を分けてあげることができるんです!』
『他者強化? わー初めて聞いたよ! それじゃあ、もしかしたらいつも通りの戦術も通用するようになるかもしれないんだね!』
ここでの戦いに慣れている者がいつも以上の力を発揮できる。そのことは大きなアドバンテージになり得えよう。
『さ、来るよ! 頼りにしてるよ、創人族の冒険者さんたち!』
木々がなぎ倒され、巨大な影が現れる。
墨色の毛に覆われ、何重にも生えた牙が正面で雄々しく広がっている。さながら、墨色の鎧に覆われた猪である。
木々を倒す過程でついた傷だろうか、身体のあちらこちらに見えるそれも、瞬く間に消えていった。
「ブモオオォォ!!」
ヌシが咆哮を上げのしりと広場に躍り出る。そして後ろ足で地を掻き走り出そうとしたところで――
『みんな、行くよ!!』
森人族たちによる一斉射撃がヌシに襲いかかった。しかし、魔法により補強が施され、かなりの威力が伴っているはずの矢の雨は、ヌシの固い皮膚に弾かれ大地に散らばった。
とは言え、同時に多数の術者によって発現した重力魔法により、足止めには成功した。ここからが正念場の近接戦闘である。
『〝他者強化〟行きます!』
心音がコルネットを構え勇ましく吹き込む。
Z.コダーイ作曲
【組曲「ハーリ・ヤーノシュ」より 第四曲「戦争とナポレオンの敗北」】
教育者でもあった作曲家のコダーイが曲をつけたこの物語は、ハンガリーの詩人ガライ・ヤーノシュが語った、ほら吹きの物語だ。
ほら吹きのハーリは初老の農民で、作り話の冒険談を語っては聞かせていた。心音が奏でる第四曲は、ナポレオンと戦って捕虜にしただなんて言う荒唐無稽な物語だ。
勇ましくも、どこか調子の外れたラッパのメロディを、少し柔らかな印象を与えるコルネットで演奏する。
スネアドラムの音が聞こえてくるような、戦におあつらえ向きのリズムが、辺りに響きわたる。
〝音響魔法〟により森人族とシェルツたち全員に届けられた演奏が桜色の魔法を戦場に走らせる。
たしかに張ってくる力をその身に感じながら、戦士たちは雄叫びを上げ果敢にヌシを攻め立てた。
元々高い身体能力が、心音の〝他者強化〟により底上げされているのだ。小さいながらも、ヌシの脚部には確実に傷跡が残されていった。
しかし。
『くっ、なんて堅さなんだ。攻撃が思ったように通らない』
『オレのハルバードが弾かれるなんて、コイツの皮膚は金属塊かよ!?』
森人族の戦士たちと同じく、シェルツとヴェレスも大きな傷は残せずに苦言を呈す。その背後で、アーニエと心音が練り上げた極大の〝水槍〟が二本、鋭く斜陽を反射させながら射出される。その勢いは貫かれるヌシを幻視させるが。
『効いてないわけじゃ無いけど、これは思った以上ね』
皮膚にはわずかな穴を空けたのみで、出血量もそう多くはない。更に、その傷跡すら驚異的な治癒力ですぐに塞がってしまった。
『コトちゃんの強化のおかげで、わーたちでも戦えてる! でも、ちょっとキツいなぁ』
強大な存在を前に、全力の継続した攻撃。戦士たちの間に疲労が浸透し始め、このままでは時間の問題である。
〝光縛鎖〟でヌシの脚を固定しながら、エラーニュは思考を回す。
『姿を見せたとき、既に小さな傷がいくつも付いていました。つまり、金属に比べ柔らかな木々でも傷は付けられるということです。なのにこの広場に出てから金属の武器でも傷が深く付けられないのは……』
はっと顔を上げ、辿り着いた思考を術者たちに伝える。
『重力魔法です! ヌシは重力魔法で押さえつけられることで、通常よりも身体全体に力が入っています! 収縮した筋肉は固くなり、武器を弾きます。なので、逆転の発想が必要です』
その場に押さえつけろ、街に入れるな。そういった考えに凝り固まっていては思い浮かばない発想。それは――
『宙に浮かせましょう! 重力に逆らい、踏ん張りを効かせなくするんです!』
術者たちは目を丸くしつつも、言われたことを理解し実行に移す。しかし、ヌシを押さえつけていた重力が弱まった瞬間、ヌシが暴れ始め近づけなくなる。
『くっ.......無理です、浮かせられません! 重力を弱めるならまだしも、これだけの重量を誇るヌシ様を持ち上げるのは、魔法が苦手な我々では難しいです!』
森人族の術者が弱音を吐く。今の状態では、ヌシにとって身体が軽くなっただけであり、これでは余計に暴れる力が強くなってしまう。術者たちが諦め、エラーニュの指示の撤回を求めようとしたところで、広場に流れていた音楽に変化が訪れた。
音に乗って、心音の意思が念話の要領で伝えられる。
(ぼくがやってみます! 初めてで長くは持たないかも知れませんが、その隙に皆さんのお力をぶつけてくださいっ!)
変化した助奏により、ヌシを対象に強力な重力魔法が発現する。それに気づいた森人族の術士たちが重力魔法を重ねることで次第にヌシの身体が浮かび上がり、ヌシは空中で脚をバタバタさせ無防備な状態となった。
『よし、今だ! いくよヴェレス!』
『おうよ!』
全身に滾らせた〝身体強化〟の魔力光が桜色のそれと混ざり合い、残光を尾のようにたなびかせヌシヘ急接近する。
全力を以て繰り出された二人の冒険者の一撃はヌシの腹部に深い傷を負わせ、大量の出血がもたらされた。
『わ、すごい! 二人の攻撃もそうだし、ヌシ様の血がすごく輝いてる』
魔力が飽和した血液からは墨色の魔力光が立ち上がり、蒸発するように消えていった。傷は深く、まだ塞がらない。かなりの量の魔力の発散が期待できそうだ。
(うぐ、そろそろ限界.......)
慣れない魔法の制御に、心音の精神力が悲鳴を上げる。しかし、決定打を与えるにはもう少し時間が必要だ。
意識を必死に保つ。そんな中、心音の中に住むもう一つの意識が語りかけてきた。
(ふむ、この意思の力が必要かえ?)
(ヴェデンさんっ。お力を貸してくださるんですか!?)
(積極的に干渉する気にはならぬが、まぁ、この森も居心地は悪くない。コトが制御するのであれば、少しだけ力を貸そう)
途端、心音にかかっていた負担が軽くなる。並列思考が一つ増えたような感覚の中、心音は〝重力魔法〟と〝他者強化〟の維持に集中する。
『よし、短剣部隊もいくよ! 構えてー!』
フーリィの指示に森人族の戦士たちも気を取り直し、全身全霊の攻撃を浴びせる。先程までとは違い、やはり彼らの攻撃も確実にヌシの身体に傷を負わせていった。
戦いが続き、ヌシが流した血もかなりの量となってきた。心音の〝重力魔法〟も限界を迎え、演奏の終了と共にヌシが大地に下ろされる。
ズシンと響き、砂埃が舞う。
辺りに緊張感が走る。ヌシの一挙手一投足を、固唾を呑んで見守る。
「ブモオオォォ......」
先程までの興奮状態が嘘のような鳴き声を小さく上げ、ヌシは森の方へ引き返していった。
『や、やったぞ.......』
誰かがぼそりと呟いたその声。それは一気に広場全体に伝播すると、大歓声となって辺りを支配した。
『やったぁ!! ヌシ様に勝ったぞぉ!!』
『ファイェスティアは、森人族は守られたんだ!』
『伝承にあった存続の危機は乗り越えたんだ!』
喜びの声で埋め尽くされた空間、会話もままならない中、パーティ五人は笑顔と共にハイタッチを交わす。
旅先で直面した、一つの種族が存続するかの危機。思いがけず居合わせたその場面で、持てる全てを尽くして力になれたことは、人々のために活動する冒険者冥利に尽きるというものだ。
そろそろ夜の帳が降りる頃だ。きっと、今日も宴になるだろう。
新たに会得した〝重力魔法〟が持つ可能性。
そして大精霊ヴェデンがもたらした力。
この世界に溢れる不思議が、少しずつ心音の胸に集まってくる。
きっといつか、これらのパズルのピースが世界の謎を解き明かしてくれると信じて。
今はただ、目の前の喜びに覚えれてみるのもいいかなと、心音は笑顔の中に飛び込んだ。
♪ ♪ ♪
森のヌシは退けたものの、ヌシから逃げていた動物たちによって、街は一定の被害を受けていた。
復興のために街が慌ただしい中、それでも族長は心音たち五人を丁重にもてなし、疲労がとれるまでの数日の滞在の間に獣族の国への通行許可証も発行してくれた。
さらに、族長が特別に、と心音たちに緑色の宝石を手渡す。
『この宝石は、長年かけて森人族の魔法士たちが研究してきた成果なんだ。これを誰かに渡す時が来るとは思っていなかったが……君たちはこの国の英雄だ。宝石を持っていれば、森人族の案内人が居なくても〝守智の森〟の魔法回路に迷わされることは無いはずだ。この国にまた来たくなったら、いつでも顔を出すと良い、歓迎するよ』
『すごく、きれいです.......』
『こんなに貴重なものを、ありがとうございます。族長のお気持ちを尊重し、謹んでお受けいたします』
迷える森に守られた森人族にとって、最高峰の贈り物であろう。受け取ったシェルツはそれを大切に布に包んで仕舞った。
『さて、やはりもう行ってしまうのかい?』
『はい、俺たちには旅の目的がありますから。俺たちの力や行動で、救えるものがきっと有ると思うんです』
『そうか、もっともてなしたかったが、私たちも君たちに救われた身だ。引き留めるのも野暮だろうな』
少しさみしそうに笑う族長の横で、フーリィが大粒の涙を流す。
『えぐ、ざみじいよう。ぜっがぐながよぐなっだのにぃ』
『フーリィさん.......!』
心音もつられて瞳を潤ませる。ひしっと抱き合いひとしきり泣き腫らすと、涙を拭ってフーリィは笑顔を作る。
『ふふふ、英雄さんたちを見送るなら笑顔じゃないとダメだよね。きっと、また来てくれるよね?』
『もちろんですっ! きっとまた来るので、遊んでくださいね!』
族長の館から出る心音たちを、族長とフーリィが見送りに出てきてくれる。
空は明るい。旅立ちには良い天気である。
『創人族の英雄たちよ、きっとこの世界に平和をもたらしてくれんことを』
『身体には気を付けてね! 休むときは休むんだよ!』
笑みと共に手を振り館に背を向ける。
そして、五人はいたずらっぽい笑みを交わし、駆けだした。
『みんな、飛ぶよ!』
『何回経験しても慣れねぇぜ』
『わーっ、クセになりそうですっ!』
大樹の上から、五人は飛び立つ。風を感じながら重力魔法を制御し、ふわりと自由落下する。
見知らぬ世界、見知らぬ種族の国での特別な体験。この風の匂いで鼻腔を焦がし、心音はこれから見る世界を思い笑顔を向けた。
いつもお読みいただきありがとうございます!
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第二楽章もこれにて終着、次回から第三楽章です!