2-4 はぐれた森の音楽会
森の動物たちのスタンピードが去った後、遠ざかる足音の中五人は立ちすくむ。
「〝守智の森〟では案内人から目を離してはいけないって何度も言い聞かせられたけど……この状況は良くない、よね」
先程とは打って変わって一気に静まり返った森の中、シェルツの声だけが木々に反響する。
一縷の望みに掛け、心音が逃げてきた方向に向かって深く息を吸う。
『フーリィさーんっ! 聞こえますかーっ!』
その声も反響を重ね薄れゆき、終ぞ返事は返ってこなかった。
「……ちょっと、これまずいんじゃないの? エル、どう思う?」
「下手に動き回るのは得策ではありませんね。遭難時の鉄則として来た道を引き返す、というのがありますが、はたしてそれがこの森でどこまで適用されるのか……」
目印になるようなものは何もない。同じような木々、茂み、風の音。太陽すらも木漏れ日を感じるだけで、その方向すら掴めない。
待てば待つほど、不安は膨らむ。
いよいよしびれを切らしたシェルツが、皆に提案した。
「せめて、さっきの動物たちが通った跡までは引き返そうか。あれなら目印になるだろうし、フーリィも見つけやすいかも」
現状を打破するため動くのも冒険者の性であろうか、シェルツの案に対する反対意見も出ず、五人は来た道を確実に辿り始めた。
そう、確実に逃げてきた方角に足を向けていたはずなのである。
そこまで長い距離退避したわけではない。
せいぜいが五十メートル程度、直線的に動いただけなのである。
それなのに、目立つはずのスタンピードの跡が一向に見えない。
これはおかしいとシェルツが足を止め、努めて声を落ち着かせる。
「もしかしたら、これは悪手だったのかもしれない。この森は、他種族が案内なしに少しでも動いていいものじゃなかったんだ」
――この森一つが全て我が国の魔法回路とお考え下さい。
最初に〝守智の森〟を案内された時、ティネルは心音たちにそう言った。
単純に森林や山中で遭難した時の常識は、一切通じないと考えるべきだったのだ。
心音は手元の懐中時計を確かめる。時刻はちょうど正午、暗くなるまではまだ時間がある。しかし、それまでにフーリィが見つけてくれなければ、暗闇の中猛獣たちの格好の獲物になることは必須だ。
もう一度〝精霊の目〟で辺りを見渡す。障害物を透過して見ることができるとはいえ、植物も生きていて、魔力を纏っている。遠くを見ようとすればするほどその魔力は重なって見え、思うように見通すことはできなかった。
こうなってしまえば、取るべき行動は一つしかなかった。
「どうにかしたいって、みんなが思っているだろうけれど、今はここでじっとしていよう。できるだけはぐれた場所から遠くにならないように」
フーリィを信じて待つ他ない。
ヴェレスが樹木を一本切り倒し、丸太に五人は腰掛け時が過ぎるのを待つこととした。
どんよりとした空気感が漂う。
己の力で道を切り開いてきた旅路。完全に他力本願で待つことの辛さが、冒険者たちの胸を締め付けるばかりであった。
その空気を払拭するべく、心音がわざと明るくした口調と共に立ち上がる。
「こんな時こそ、音楽です! 音楽は気持ちを落ち着かせてくれますし、演奏に気づいたフーリィさんが迎えに来てくれるかもですっ!」
桜色のレザーケースから煌めく銀色のコルネットを取り出し、にこりとして構えてみる。
「そうだね、名案だよコト! こんな時だし、明るい曲が聴きたいな」
落ち込む一方であった雰囲気が、それだけで和らぐ。
久方ぶりに、音楽家の本領発揮である。心音はじっくりと選曲に頭を回すと、軽いウォームアップの後にコルネットの音色を弾けさせた。
セルゲイ・プロコフィエフ作曲
【ピーターと狼】
プロコフィエフが子供のために作曲したこの曲には、物語が付随する。森の牧場に住むピーターやおじいさん、アヒルや猫、狼などの登場人物それぞれにメロディが割り当てられ、ナレーションと共に音楽劇が繰り広げられるのだ。
心音が奏でるのはヴァイオリンが担当するピーターの主題。
楽し気な旋律におどけたような、少し不穏な風味のある臨時記号を沿えて、森の物語が展開される。
音響魔法を応用した二重奏で奏でられる旋律は大自然のコンサートホールに響き渡り、心地よい残響を生んでいた。
不思議な響きの中、どこか優しさを感じる音色によって、暗雲が立ちこめていた心に陽が差す。
そんな皆の心境を反映するかのように、音に反応した精霊が踊るように煌めいている。
旋律が収束し、幻想的とも言える光景の中、心音は楽器を下ろし胸に引き寄せ一礼する。パチパチと四人の拍手をその身に受け、緩んだ笑みで独り言のように呟く。
「次の曲はどうしよっかなぁ。ちょっとテンポが早めの曲でも.......」
ふと、心音の鼓膜が違和感を捉えた。
残響に耳を澄ませていなければ気づかなかったほどの、小さなそれ。確かめるように、心音はその気づきを口にする。
「声.......声が聞こえませんか?」
「声? あたしにはそんなもの……」
「.......本当だ、確かに小さくささやき声のようなものが」
否定しかけたアーニエも、シェルツの同意を受けて静かに耳を澄ます。
「あっちから聞こえます! おいで、おいで、って!」
それぞれ互いに視線を交わす。その内容についても方角についても、皆同様に感じているようだ。
「なんだか、この声、どこかで感じたことがある気がします。声の元に向かってみませんか?」
「あたしは賛成ね。このまま待ちぼうけなんて性に合わないわ」
「わたしはあまり気乗りしません。この声が友好的なものとも限りませんし」
「でもよ、このまま待ってても助けが来る保証はねぇだろ?」
意見が割れてしまった。冒険者稼業、納得がいくまで話し合っていては命に関わることすらままある。こんな時にいつも意見をまとめてきたのは、自然とシェルツの役割であった。
「声の元を、探ってみよう。今できる可能性を追ってみた方が、きっと後悔は少ないと思うんだ」
エラーニュも静かに目を伏せ、うなずく。森人族のみが道を知るこの森で、創人族による手探りの探索が始まった。
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