3ー3 この世界で生きる道
魔法の修練の他に、心音にはもう一つ日課がある。毎日午後四時頃には自然公園に足を運び、そこで街を見下ろしながらコルネットの演奏をすることである。毎日楽器に触れていないと、どうも落ち着かないのだ。
風に乗っていた旋律が、静かに収束する。
「ふぅ。本調子に戻ってきたかな。しばらくちゃんと吹けてなかったからなぁ」
心音が楽器をおろすと、背後からパラパラと拍手が聞こえた。心音は照れくさそうにお辞儀をする。
ここ最近、毎日決まった時間に自然公園から美しい旋律が降ってくると、街では専らの噂であった。
初めて聴く音色、初めて聴く旋律、初めて見る楽器。
期せずして心音は、この街の民たちにとっての注目の的となっていたのだ。
「お客さんがいてこそ気合が入るってものだけど、やっぱりこんなに注目されるのは恥ずかしいね、えへへ」
心音が楽器を片付け始めると、足を止めていた人々も生活の流れに帰っていく。音楽で溢れているこの街であるが、それでも一層の注目を集めてしまう辺り、心音の音楽性とその特異性は一線を画すものであった。
ふと意識を人々の方に向けると、心音の視界の端に、足早に去る白いローブの人物が映る。
「あ……またあの人。いつも聴きに来てくれてるけど、振り向くと逃げるようにいなくなっちゃうんだよね」
フードは目深く被られており、表情は見えない。悪意は感じないが、何かしらの意図が伺えて少し気味悪く感じていた。
「こんなに人がいる場所だし、良くないことはしてこないと思うけど……はっ、日が暮れる前に帰らなきゃ!」
心音は止まっていた楽器の片付けを再開し、早足で帰路に着いた。
♪ ♪ ♪
翌朝、丁度朝食を食べ終わるような時間帯に、ヴァイシャフト宅の扉がノックされた。
「は〜い、どなたかしら?」
ティリアが玄関に駆け寄り、扉に手をかける。不用心に思うかもしれないが、首都警察の機能が発達しているヴェアンでは犯罪発生率が極端に少ない。それに、室内には冒険者であるシェルツとティーネもいた。
ティリアが扉を開けると、そこにはフードを取った状態の白いローブの男性が三人いた。胸には何かの紋章を模した襟章が付けられている。
「あら、王国の公務員さんたちかしら? この家に何かご用事でも?」
襟章が示すのはこの国の紋章らしい。訝しそうなティリアに対し、先頭にいる白いローブの男が頭を垂れた。
「突然の訪問、失礼致します。わたくし達は王国聖歌隊のものです。この家に、不思議な楽器を奏でる者が滞在していますね?」
心音はハッとした表情をする。この国の言語は未だ良く分からないが、少しずつヒアリングは出来るようになってきている。真っ先に覚えた〝楽器〟という単語が聞こえ、自分のことを話していると理解したのだ。
よく見れば、連日自然公園に訪れていた者の白いローブと同じ気がする。
シェルツとティリアが警戒したように前に出る。
「おっと、何も捕まえに来たとか、そういう訳ではありません。先日、彼女の音楽を拝聴させて頂きまして。是非、我ら聖歌隊の活動に協力していただけないかと、申し出に参りました」
ヴァイシャフト家の三人が顔を見合わせる。シェルツが頷くとティリアも頷き返し、玄関先に向き直った。
『詳しく、お話を聞かせてもらえるかしら? あと、よければここからは対外念話でお願いしますね』
そう言ってティリアは訪問者をテーブルに案内した。
ティリアが訪問者三人にお茶を出すと、先程先頭にいた男が語り始める。
『申し遅れました、わたくしは王国聖歌隊の楽長を務めております、ローリン・ライファーと申します』
そう言い、彼は再度頭を下げた。
『大変失礼ながら、ここ数日、自然公園でそちらのお嬢さんが演奏されているのを観察しておりました。お名前を伺っても?』
警戒のあまり情報を伏せすぎるのも不自然である。シェルツが心音に目配せをすると、心音は視線で了解を示して口を開く。
『ぼくの名前は心音。姓は加撫です』
『コト・カナデさんですか、不思議な響きですね。対外念話のことと言い、育ちは他種族であったりするのでしょうか?』
心音は当惑した様子でシェルツを見る。
その表情を見て、ローリンは慌てたように続けた。
『ああ、申し訳ありません。身の上の事情を探ろうとしている訳では無いのです。我々にとって大事なことは、あなたの音楽の才、それに尽きます』
咳払いを一つ。ローリンはさらに続ける。
『先日、王国聖歌隊の首席作曲者が老衰で亡くなりました。彼の作曲能力は非常に高かったのですが、頼りすぎていた故若手が育ち切っておらず、現在新曲を神に捧げられる目処が立っていないのです』
神という概念はやはりあるのかと考える心音。ローリンは語り続ける。
『コトさんが自然公園で奏でていた音楽は、どれも聴いたことがないものでした。あなたが作曲したものですね?』
元の世界で聴いていた著名作曲家たちの曲です、だなんて言えば大問題になる。心音は口を噤んだ。ローリンはそれを肯定と捉える。
『それに、あの未知の美しい楽器と奏でられる甘い音色。それは神から授かったものなのではないでしょうか』
話が飛躍している。しかし、真実を説明することも、やはり出来ない。隠し事をするのにここまで制約が出てくるものなのかと、心音は痛感する。
『是非、我ら王国聖歌隊のために、その能力を貸していただきたい。勿論王国公務員としての待遇は約束します。住居も食事も保証しましょう』
『王国公務員だって!?』
シェルツが思わず驚きの声を漏らす。
それも無理はない。王国公務員ともなれば、難解な試験を突破した極一部のエリートしかなれない超難関職なのだ。
それを知らない心音は、王国公務員と聞いて、つまり定職に就くということで、自立できるということだよね? 程度の軽い認識しか持たなかった。
いつまでもヴァイシャフト家にお世話になり続けるわけにはいかない。魔法の基礎は学んだ。対外念話にも慣れたし、出自を隠すための偽プロフィールはインプット済みだ。
悪い話ではないと思った。流石に自分の一存で決める訳にも行かないため、一家の面々に視線を送る。
シェルツと目が合った。彼には心音の意向が何となく分かったが、その前に説明しておかなければならないことがある。
『コト。王国公務員と言うのは、ひと握りの人しかなれない高位の職業なんだ。国王陛下の居城に勤めるわけだからね。それにね、そこで働くということは、お城に住み込みで仕事をするということなんだ。ここに、簡単には帰って来れなくなるよ』
甘く考えていた心音は、その事に衝撃を受ける。そうなれば、もうヴァイシャフト家のみんなに頼ることも出来ない。
いや、頼ってばかりではいけないんだ。自分の力で、生き抜く術を探していたのではないのか。
それでも、もっとこの場所にいたいという気持ちから、心音は葛藤する。
沈黙が訪れる。
そして数瞬。足踏みする心に鞭を打ち、心音は決心した表情で顔を上げる。
その表情を見て、シェルツはどこか納得したように言う。
『うん、そっか。コトは、やっぱり楽器を吹いている時が一番輝いてるよ。これがもしかしたら、この世界での生き方なんじゃないかな?』
続けて、ティーネとティリアも声をかける。
『コトちゃん、私と勉強してきたこと、信じて大丈夫だよ!』
『コトちゃん、いつでも帰ってきていいからね。ここはもう、あなたのお家でもあるのよ』
心音は涙腺が緩むのを感じた。
決して長い時間ではなかった。それでも、ここで過ごした密度の高い日々が頭に過ぎる。
甘えてばかりではダメだ、前に進まないと、と自分に言い聞かせる。
目を擦り、意を決したようにしっかりとした口調で心音は紡いだ。
『ぼく、王国聖歌隊に入ります。よろしくお願いします』
『おお! ありがとうございます。詳細は明日にでも書状を届けに参りましょう。準備のほど、よろしくお願いいたします』
聖歌隊の三人が家を後にする。涙を堪えきれなくなった心音はティリアの胸の中で泣きじゃくり、それを見たティーネももらい泣きして飛びつく様子を、シェルツは寂しさと嬉しさが入り交じった顔で眺めていた。
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この世界でも、晴天時には一切の雲がファインダーに映らないらしい。
衣類やお弁当などを持たされた心音は、ちょっとした大荷物を背負っている。実に引越し日和である。
あれから三日経過した。予定通り届いた書状には、本日午後一時に王城門まで来るように指示してあった。
ヴァイシャフト家の玄関先に立つ心音は、一家から見送りを受けていた。
『コトちゃん、創世祭の演奏は、絶対見に行くからね!』
『コトちゃん、食事はしっかりとるのよ。若い頃は太るとか気にしなくていいんだからね』
『コト。キミはもう立派に生きていけると思う。また会う日を楽しみにしているよ』
めでたい日のはずなのに、顔を涙で汚しそうになってしまう。上を向いて涙を留めると、皆に向き合って宣言する。
『本当に、今までありがとうございました。次会う時までに、立派な王国聖歌隊演奏者になってみせます!』
その宣言を祝福するがごとく、教会の鐘が十二時を示し、鳴り響いた。
『行ってらっしゃい、コト』
『行ってきます、皆さん』
心音は一礼して振り向き、王城の方角へ足を踏み出した。
お読み頂いてありがとうございます。
誤字報告、大変嬉しいです。
ここから、少し音楽の話が続きます。
どうかお付き合い下さい。