4-13 精霊と奏でたグラントペラ
ラネグの日常は、灰色に埋もれていった。
魔人族の王女、イダの処刑は粛々と執行された。
この戦時下、敵国の王族ともなれば交渉事における重大なカードにもなり得る存在であったが、魔人族の持つ力の強大さを垣間見てしまった以上、長く生かしておく訳には行かなかった。
処刑までの間、イダに魔力の行使をさせないために宮廷魔導師四人がかりで〝魔封〟をかけ続け力を封じていたが、わずか数時間の間で宮廷魔導師たちの疲弊度が顕著だったことも、その判断を助長させた。
処刑は、確実な執行のために重罪犯処刑場で行われた。重罪犯処刑場は中央にギロチンが設置された鉄の壁で囲まれた部屋で、〝魔封〟で封じられた受刑者の首を確実に落とすのに適している。
公開処刑にしなかった理由は幾つかある。
広く公開した場合に、間者による妨害が予想される身分の者であること。
何らかの弾みで〝魔封〟が途切れてしまった場合、大きな被害を出せうる力を持った存在であること。
そしてイダの存在は国民の間に友好的に広がっており、そんな彼女が魔人族であり裏切りを働いて処刑されたなどとなれば、民の間で隣人、ひいては国への不信感や不安が広がってしまう恐れがあったからだ。
王国指定の処刑人と宮廷魔導師だけが立ち会って執行された処刑の場には、将軍ラネグすら立ち会うことは許されなかった。
魔人族だということを隠してアディア王国に忍び込んだのか?
城に勤める前、行き場もなく困窮しているように見えたのは演技だったのか?
馬車に轢かれかけた子供を救い王女様からの関心を得られたのも計算の上だったのか?
――そして私との間に生まれた愛情は、偽りだったのか?
ラネグは着地点を失った心を迷わせたまま、喪失感の中思考を周回させる。
そんな彼の様子を見かねたアディア国王によって休暇を与えられたラネグは、連日資料館前の広場にある長椅子に座り、時の流れを眺めていた。
イダはよく資料館に通っていた。ここに居れば、彼女の残滓を感じとることが出来る気がしたのだ。
人通りの多い区画ではない。それでも、道行く人々は彼に不振な目を向ける。しかし彼の纏う雰囲気が人々を遠ざけ、話しかけるものはいなかった。
そんな中で彼の前で立ち止まる影が二つ。小柄な女性二人のシルエットが遂に彼に声をかけた。
「ラネグさん.......ですよね? こんな所でどうしたんですか?」
柔らかな少女の声に反応して、ラネグはゆっくりと顔を上げる。
「貴女は.......コトさん、でしたな。後ろのあなたはエラーニュさん。あぁ、貴女らには世話になった、覚えているとも」
覇気のない声を放つラネグの顔は、あの威風堂々とした将軍としての風格が感じられなかった。その衰弱した様子は、心音が謁見の間を後にしてからの次第を察するに十分であった。
「その、イダさんはやっぱり.......」
「あぁ、厳戒態勢を敷いての非公開処刑であった。別れの挨拶すら許されず.......いや、イダはそれすら望んでいなかったのかもしれんな。私はきっと、利用されていただけなのだ」
そうだ、そうであるに違いない。
己は国王を暗殺するためのダシでしかなかったのだと、ラネグは独りごちる。
それは大切な人を失った喪失感への反発か、大切だと思っていた思い出をひっくり返すための抵抗か。
自身にとってのイダの存在意義をどう転がそうと、辛いことには変わりがなかった。
であるのに、目の前の少女はそんなことお構い無しに持論をぶつけてきた。
「イダさんは、心からラネグさんのこと好きだったと思います! 分かりますよ、だって恋する乙女の表情は、嘘なんかじゃ作れませんっ!」
主観でしかない意見。そんなもの、安い慰めに過ぎないとラネグが一蹴しようとしたところで、それを許さないように心音は続けた。
「短い時間ですが、ぼくたちもイダさんとは同じ時間を過ごしました。見ず知らずのぼくたちの為に真剣に考えてくれたり、街の人達から親しげに呼びかけられたり、国のためにテキパキ働いていたり.......それって、魔人族だからってだけで全部ウソにしちゃっていいものじゃないと思うんです!」
前提条件が、この世界のヒトと心音では違うのだ。この世界では魔人族という存在が絶対悪と教育される中、心音にはその潜入感が染み付いていないからこその発言であることを、ラネグは知らない。
しかし、知らないからこそ己の中で引っかかっていた想いをすくい上げるように、心音の発言が働きかけていた。
個人的な想いだけで発せられた心音の発言にラネグが揺らいでいると、エラーニュがそれを理性的に補足する。
「それに、わたしたちは事が起こる前後、あなたやイダさんと行動を共にしています。その上で、イダさんを暗殺者誘致の主犯とするのは、非常に根拠が薄いと感じています。いえ、魔人族であるということが動かぬ証拠と言われれば否定しきれないのですが.......わたしはそれだけでは納得できない思いを抱いています」
あの場でイダが魔人族であると明かしたこと。
その事実が大きく、詳しく思考を巡らすことを、一体あの場の誰がしただろうか。そしてイダが犯人じゃないとするならば、それはつまり.......
「それを踏まえて言います。イダさんは、ラネグ将軍、あなたを庇うためにあの場で身分を明かしたのではないですか? 自身がこれから辿る運命を知った上で、です」
イダにまつわるショックな出来事が立て続けに起こり、ラネグは忘れていた。そうだ、あのままなら国王暗殺の容疑はラネグに向いていたのだ。
目を見開き、言葉の出ない口を動かしながらラネグはゆっくり立ち上がる。
荒れた呼吸を整え、ようやくラネグは想いを発する。
「イダは、最後まで私の知るイダだったのか。私は自分かわいさに彼女を裏切り者扱いなどして.......。すまなかったイダよ。私はお前のことを真に愛していた。お前も同じ想いであったのだな」
ラネグは膝をつき、天に祈るように両手を顔の前で組んだ。
天に昇ったと信じるイダへの懺悔か、彼女を導いて欲しいという天使への祈りか。
目を瞑り想いを巡らせること幾許か、ラネグの耳介を聞き馴染みのない音色が擽る。
天使の声かとも錯覚し目を開けると、桜色の少女が陽の光を反射させた銀色を奏で、感じたことの無い空間を生み出していた。
G.マーラー作曲
【「交響曲第五番」より「アダージェット」】
作曲者が恋人へ宛てたラブレターとも言われている、静謐で心を揺さぶる楽曲。
その曲想から現代では追悼の場で用いられることもあるが、そのどちらの意味においても、ラネグの心を揺さぶる音楽であることに違いはなかった。
ここにきて、初めてラネグは泣いた。
みっともなく溢れる声を抑えようともせず、冷えた空気を暖かな太陽が温めるこの広場で、二人の少女に見守られながら。
この日、心音がこの世界に来て初めての雪が降った。
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不思議と温かさを感じさせる雪が広場に舞うのを感じること幾分か、ラネグはくしゃくしゃになった顔を拭い、咳払いをひとつして心音たちに語りかけた。
「恥ずかしいところを見せた。本当に、貴女らには世話になりっぱなしであるな。何かその恩に報いたい、貴女らの旅の目的は魔人族の調査であっただろう? その助けになれるかもしれないツテを、一つだけ持ち合わせている」
そう言いラネグは中空に魔法を発現させる。
虚空が歪んだと思うと、降りしきる雪が一点に収束し、小さな雪玉が出来上がった。
「これは〝重力魔法〟と言ってな、古代に失われた魔法の知恵らしい。私はこの知識を、森人族の国で手に入れたのだ。森人族とは少し交流があってな、紹介状を書こう。魔人族の国とは中立関係にある森人族の国であれば、貴女らが求める情報も何か得られるかもしれない」
エラーニュが便箋とペンを提供し、ラネグは近くの長椅子でペンを走らせる。
それに封をしエラーニュに手渡すと、向かう先を示した。
「砦から南下すること馬車で六日ほどか。その辺から大森林が広がっているが、そここそが森人族の国だ。しかし、そのままその森に入ってはいけない。立ち入るものを永久に惑わせ続ける強力な結界が貼られているからな」
手振りを混じえて慎重に注意喚起をし、ラネグは続ける。
「その森の手前に、小さな集落がある。そこに幾人かの森人族が住んでいてな。アディアのラネグから手紙を預かっている、と言えばきっと通じるはずだ」
森人族の森は広大で、他種族を受け付けないことで大戦の戦果からも生き延びてきた。その森の厄介さから魔人族とも中立を保てていると心音は資料館で読んだが、その性質は不干渉だ。
そんな森人族とコンタクトがとれ、知り得ぬ情報が得られるかもしれないということは、心音たちの旅の目的に合致していた。
それに――。
心音はイダから貰った〝守り人の証〟に思いを馳せる。合わせて通行手形も貰ったが、そこに至るまでの障害を考慮していなかった。
そして、加えて今飛び込んできた情報に、心音は気持ちを高ぶらせる。
(〝重力魔法〟って、つまりぼくが使える〝音響魔法〟と同じ古代の知識ってことだよね? その知識が得られれば、元の世界に帰る手がかりに繋がるかも!)
通常の学習では知りえぬ感覚。その常軌を逸した古代の知恵が、心音にとっての希望であった。
雪が積もり始めてきた。
遠くから呼び声が聞こえ振り返ると、シェルツがこちらに手を振っていた。帰りが遅いことに心配して迎えに来てくれたのだろうか?
「これ以上泣き顔は見られなくないな」
ラネグは心音たちに背を向け、足を進める。
最後に少し足を止め、一言だけ言葉を添えた。
「貴女らがもたらした光に謝辞を、貴女らの旅路に全知全能の神の加護があらんことを」
去りゆくラネグを見送り、心音たちはシェルツと合流する。
だんだんと冷えてきた。宿で暖まりながら報告しなきゃ行けないことも、今できた。
心音は手のひらを天に掲げ、落ちてきた雪の結晶を眺める。
溶けて消えていくその形は、故郷で見るそれとなんの違いもなかった。
この世界のこと、もっと知っていかなきゃ。
まだ見ぬこの広大な世界に想いを巡らせ、次の目的地になるだろう森人族の国に希望を感じ歩みを進め始めた。
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これは、少女が演じた大歌劇。
そして、決然と、未来へ繋ぐ物語。
いつもお読みいただきありがとうございます!
ブクマも頂けて、嬉しいです♪
第三幕、これにて終幕です。
ですが、物語は加速度的に続いていきます.......!
次回からの第四幕もお楽しみください♪