序奏――イントラーダ
オクターブの跳躍から流れるような下降系音階。
レッスン室の窓から覗く桜の木が朝日に照らされている。防音設備の整った室内に、優しいトランペットの音色が響く。
奏でるのは随分と小柄な少女。腰まで伸びる栗色の髪の毛が身体とともに揺れている。
その身を包むブレザーには地元の高校の校章と、二つ目の学年を示す襟章が付けられている。まだあどけなさの残る風貌をしているが、楽器を演奏するその表情には確固たる意思が見えた。
コンコン、とノックの音。流れていたフレーズが途切れた。
「こと、もう七時よ。送ってあげるから早く朝ごはん食べて!」
はっ、と時計を見る少女――加撫心音は慌てて返事をする。
「わっ、没頭しすぎた! 日課おーわりっ!」
ママ呼ぶの遅いよ~と零しながら、軽く水を抜き、管体をひと拭きしてトランペットを楽器ケースにしまうと、横に立て掛けてあった一回り小さな桜色のレザーケースを手に、部屋を後にした。
澄んだ空気。
変わらぬ日常。
退屈な授業風景。
お昼の購買の喧騒。
放課後賑わう部活動。
いつもと同じ下校時間。
友達がいない訳では無い。
しかし、様々なジャンルの音楽を体験したいからという理由で、部活動には所属せず多様な音楽団体に顔を出している心音は、帰りのホームルームが終わると共に帰路に着く。
トランペット奏者の父、ピアニストの母から音楽的教育を仕込まれた心音にとって、毎日決まったメニューを繰り返す部活動は些か窮屈すぎた。
正門を抜け、ふと振り返る。真っ青なキャンパスに幾分かの白いアクセントを加えた空。それを背景とするのは、新緑が眩しい裏山。
「久しぶりに、登ってみようかな」
ぽつりと呟くと、軽やかな足取りで生徒の波から外れていった。
♪ ♪ ♪
小さな裏山を登った先の、街を一望できる隠れた名スポット。そこに現れた制服の少女は、買ったばかりのレザーケースを一撫ですると、中から新品同然のショートコルネットを取り出す。
「ん~っ! 空気が美味しい! 最近雨降りさんだったし、しばらくぶりって感じ」
眼前に広がる空間は、コンサートホールでは味わえない開放感を与えてくれる。街に降り注ぐのは、アーバン作曲の【ノルマの主題による変奏曲】。
確認するように何度か曲を繰り返すと一息。
「やっぱりトランペットとは息の使い方、楽器の鳴り方が全然違うなぁ。でも、やっぱりこの柔らかい音色はグッドだねっ!」
日常に彩を与える新しい感覚は、時の流れを忘れさせるには充分であった。
時計の短針が数字を二つほど跨いだだろうか、景色は夕焼け色に染まり始め、それもまたえも言われぬ感情を与える。
「わっ、また夢中になりすぎた! 早く帰らないと晩御飯に間に合わないよぅ」
そそくさと楽器をケースにしまうと、山を駆け降りようと腰を上げる。
そして、その華奢な脚を踏み出し……踏み出したはずの脚は大地を掴むことなく、日常は、その変わらぬ日常は、突如轟音と共に目の前でひび割れた漆黒に塗りつぶされていった。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
参考:ショートコルネット
初めて、小説というものを書いてみました。
新しい趣味として始めてみましたが、ご指摘、アドバイス、感想、誤字報告、なんでも頂けると喜びます。よろしくお願いします。
ショートコルネットはトランペットに似たラッパ状の楽器で、柔らかな音色が特徴です♪
作者マイページから飛べるわたしのツイッターで、今回登場した【ノルマの主題による変奏曲】を演奏、アップしています。是非聴いてみてください!