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吐く息が白く濁り始め、季節はより一層冬へと近づいていた。寒さや手の冷たさ、少し身軽な格好で出てきてしまったことへの身体的な感情とは裏腹に、駅まで歩くわたしの足取りは軽かった。
「…よう、久しぶり。」この日、洋介がこの街に帰ってきたのだ。
「洋介が好き。」その頃のわたしの言葉は思い出すたび、少し胸が痛む。わたしはとにかく恋愛体質で、優しくしてくれる男性に弱く、自分が好きと思った相手には、躊躇わず告白できるメンタルを持ち合わせていた。そして、その洋介に見事に撃沈したのはもう5年前。
「ゆっこ、変わんねぇな…相変わらず、社畜してんだ?」
「そうだよ〜。大学出てから大変だったよ〜。仕事が出来ないから、バリバリのキャリアウーマンなんてなれなくてさ〜。彼氏もいないわで充実してる日が無さすぎる!本当何やってんだろって感じ…」
「まあでもそれがゆっこぽくていいけどね。逆に、超イケイケで仕事も私生活も順調だし最高!とかなってたら、多分俺、とっくに惚れてるべ!」
「なにそれ〜!悪口言うために帰ってきたんじゃないでしょうね〜?!」
「悪口じゃねぇよ!めちゃくちゃ励ましてるんだけど!俺なりに!」
洋介はいつも暖かくて、優しい。だからこそ、わたしは洋介とずっと仲良くいられた。そして、この日のこの瞬間で全てが終わってしまうとは、まだわたし達は知らないのです。
「洋介、実家帰んの?」
「あー…まあそんな感じだな!」
T字路の左と右に別れて、自分たちの家に帰ろうとしていたとき。洋介の返答に違和感を覚えつつも、
「洋介パパ、洋介が帰ってきたってなったらきっと喜ぶね!しばらくいるんでしょ?親子水入らず、ゆっくりしていきなよ〜!」
「おう!ありがとうな。結局、よっちとかず、それとマリちゃんには会えなかったなぁ…やっぱ俺にはお前だけだわ!一生の親友!」
「みんなには連絡しておいたんだけどね…まあでもみんな忙しいみたいだから仕方ないよ。また集まって呑みにでも行こう、一生の親友!」
わたしたちは笑顔で別れた。
それからというもの、仕事帰りや休日、商店街や近所の大型ショッピングモール、この街の至る所で出会いそうな洋介に、その日以来、見かけることはなくなった。次第に気になったわたしは、休日に洋介の実家がある方へ向かった。
けれど、もうそこには昔あったはずの『沢田』の表札も、家も無かった。
特別、近所なわけではないが、一度だけ行ったことがある。それが例の卒業式の日だ。
「あー…まあそんな感じだな!」
あのとき、少し濁した言葉の答えがこれだったのかと、疑問もやや残る中で帰宅した。
台所で昼食の準備をしながら、お父さんと話す母に割って入り、聞いてみた。
「お母さーん!あっちの地区の沢田さんって知ってる?」
「あー…沢田さんね。おじさん1人で暮らしてたところでしょ?確か、息子さんが美容師になるために東京へ行ったすぐあとにね、まあちょっと警察沙汰というか、色々あったみたいよ。今は軽い認知症患って、一駅向こうの病院にいるとかいう話だけど、どうだかね。気味悪い人だったから…」
「へぇ〜…洋介のお父さんのこと近所では有名だったの?」
「まあ息子さんがいたときは、いつもビシッとスーツを着てお仕事へ行くような、真面目で愛想は無いけど、悪いことするような人ではなかったわ。荒れた様子もなかったわねぇ…どうしちゃったのかしらね。その事件以来、ご近所さんではまあしばらく話題になってたくらいかしら。あ、お父さんお皿出して。優子、テーブル片付けて、拭いて。お昼は、お父さんの大好きなビーフシチューよ!」
その事実を知ったあと、わたしはとても無神経で最低なことを言ってしまった気がして、父の大好物を食べ、病院へ向かった。