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どうやら私、動くみたいです  作者: 長尾栞吾
第一章 ツクモノと轆轤首
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さらば私の着物

 *


 気が付くと、私は仰向けになって知らない天井を見上げていました。何処だろう、ここ。


 少し腹部に重みを感じたので恐る恐る見てみると、綺麗な羽毛布団らしきものが乗っかっています。状況を察するにどうやら私も眠っていたようです。しかもこんな、上等な寝床の上で。

 この布団も何だか、柔らかい感じの匂いがします。言い表すのなら、甘い匂いと言う言葉が適切でしょうか。


 カーテンは締め切っているので部屋は薄暗かったですが、日が既に上がってしまってるのは木漏れ日から見て取れました。

 一応カーテンの光が私に直接当たらないように配慮してくれている辺り、轆轤首さんのしっかりとした気配りも垣間見えます。私、あの人に助けてもらってばかりだなぁ。


「と言うか私って眠れたんだ」


 ふと私は、思った疑問を口に出しました。

 かれこれ何年もお婆ちゃんの家の市松人形として飾られていた私ですが、実の所これまで眠った事は一度もありません。理由としては目を瞑るって言う行動自体を、私の動かない体が許してくれなかったからです。


 なので眠る事で得られるこの、すっきりとした爽快感も、同様に感じた事はありませんでした。意外と睡眠って気持ちのいいものなんですね、肩もより動きやすくなった気がしますし。


 しかし眠れなかったおかげで、ある程度私の知識も豊富になったと言えるでしょう。何せ私は眠れない以上誰も居ない部屋で考える事と言えば、言葉の意味を理解しようとするぐらいでしたから。

 まぁ自分自身の認識はあくまでも市松人形としてしか見ていなかったので、私の名前は考えようとも思いませんでしたけど。


「にしてもここの部屋、いつもの部屋に似てるなぁ」


 この部屋はお婆ちゃんの家で私が飾られていた部屋とよく似ています。多分この建物には、他にも同じような部屋が沢山あるのでしょう。故に見覚えがあるのも、無理はないかも知れません。

 懐かしいような、悲しいような、何とも微妙な心境です。


 ほんの数日前の思い出に浸る事も悪くはないですが、取り敢えず彼女に朝のおはようの挨拶をしなければなりません。

 何せ私はこの家に居候させて頂いている身、一切の挨拶も無しにここに居座るなど厚かましいにも程がありますし。


 そう思った私は自分の上に乗っかった重い布団を何とか跳ね除けて、敷き布団の上から起き上がりました。こうしてみてわかったけど起き上がるのもまた、気持ちがいい。


 道中の事なんですが部屋と廊下を繋ぐ境目の辺りには、ちょっとした段差があるんです。それは轆轤首さん、と言うか人間達からすれば、そこまで高くは感じない段差なのでしょうけど、私からすればその小さな段差でさえ、正直少し辛かったです。

 何せ足が短いのもさる事ながら、私は歩く事にまだ慣れていません。なので長襦袢ながじゅばんの裾は、容赦なく私を蹟かせようとしてきました。昨日は襦袢姿が快適だと感じていたのに、慣れも案外恐ろしい物です。


 台所と一体になった小さな廊下を抜けて昨日の部屋に辿り着いた私は、轆轤首さんがこの部屋に居ない事に気が付きました。


「あれ? 轆轤首さーん」


 一体何処に行ったのやら。そんな事を考えながらしばらく辺りを見回してみると、カーテンの締められていない窓の向こうで私はあるものを発見しました。


「えっ…………」


 それは長い間夢見てきた太陽の光、ではなく私の昨日着ていた筈の、金色の刺繍が入った赤い着物でした。


 もう絶句しちゃいましたよ。

 見たかった太陽の光以前に、そもそも私の着物がその直射日光の的になっちゃってるんです。もう色が褪せちゃうってレベルではありませんよ。

 それに着物を救出するべく急いで窓を開けようにも、全然鍵に手が届かない。察しの通り私の低い身長とまだ弱い腕力では敵わぬ相手だったのです。


 ただひたすらに日光に当てられて褪せていく私の着物。特にお婆ちゃんが気に入ってくれていた着物だっただけに、見ているだけで全身の力が一気に抜ける脱力感が訪れました。

 けれどどうあがいてもあの着物の運命は変わらず、着物はハンガーに吊るされたまま無残にも陽の光を受け続けています。

 ああ、哀れなり私の着物。


 絶望のあまり目のやり場に困っている私でしたが、ふと机に置き手紙らしきものがある事に気付きました。


「何だろこれ」


 昔から私は何故か字を読む事が出来たので、手紙の文字を読む事ぐらいは造作も無い事です。

 内容を読むにこの手紙の書き手は轆轤首さんらしく、割と綺麗な字であの可哀想な着物についての真意がつづられていました。


 わるい。

 きのうおまえがかけてくれたきものにげろはいちまった。

 いちおうあらってほしといたけどとれねぇとおもうんだ。

 ほんとごめん。

 しごといってくる。


 おそらく私に文字を読む力が無かった時も考慮して、彼女は文章全部を平仮名で書いたのでしょうか。

 要らぬ気遣いです! 何度も言いますが私は日本語を読むぐらいお茶の子さいさいなんですから。今やこの彼女の優しさですらも気に障ります。


 つまりはこの手紙の意味を理解するに、轆轤首さんは昨日私が掛け布団代わりに掛けてあげた着物に、自分の吐瀉物をぶっかけてしまったと言う事なんですね。

 だから洗って殺菌ついでに直射日光に当てちゃってたって事ですか。


「あり得ないですよ全く!」


 抑えきれぬ怒りを前に、私は遂に彼女の手紙をビリビリに破って放り投げました。

 着物に吐瀉物産のシミをつけるだけでは飽き足らず、直射日光まで当てて色褪せをも実行しようとするとは……。わざとではないにしてもやり過ぎです!

 もはやこの時の私には、これから彼女とやっていける自信なんぞ微塵たりとも残っていませんでした。


「もうこんな所には居られない!」


 非力故に物に当たる事すらままならない私は、この怒りを何処かへぶつけたい一心で叫びます。御近所迷惑、知ったこっちゃありません。


「こんな家出ていってやる! 轆轤首さんなんて大っ嫌い!」


 何度も何度も同じ発言を繰り返しながら玄関へと辿り着いた私でしたが、実はこの時、またある事に気付いて更なるショックを受けました。


「えっ?」


 それはまるでマヌケを見るように私を見下ろすドアノブ。そう、私がこの家の鉄扉を開けるには身長が圧倒的に足りなかったのです。

 まぁもし足りていたとしてもそもそも、腕力が無くて無理だったでしょうけどね。即ちこのドアもあの窓も同じ、私には強大過ぎる存在だったのです。


 拷問に等しい状態で晒されている着物も助けられない、家出しようにも身長が足りずドアが開けられない、もうこれでは自分でも何がしたいのかよくわかりません。

 私は自分の無力さを酷く痛感し、何足か並べられている靴の上で膝を突きました。これじゃあ轆轤首さんが帰って来ても笑われるだけですよ……。


 太陽の陽がだいぶ落ち着いてきた時間になっても、私の気持ちは晴れる事はありませんでした。寧ろ更に落ち込んでいったと言ってもいいでしょう。どうせあれだけ日が照っていれば、着物も褪せるちゃってますし尚更です。


 昨日の涙出た涙はどうやら昨日の内に消費してしまったようで出る事はありませんでした。どうりでスッキリしない訳です。


「はぁ」


 あれ程見たかった太陽の光も、今では何であんなにまでに見たかったのかが不思議なくらいに憎たらしく思えていました。

 早く消え失せてくれれば良かったのに、そんな想いが募る一方です。何もかも轆轤首さんのせいですよ、全く。

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