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どうやら私、動くみたいです  作者: 長尾栞吾
第五章 人間と妖怪
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二度目の挑戦

「しまった……」


 しかし気付くのが遅過ぎました。炎は瞬く間に燃え上がり、私の体をすっぽりと覆い隠します。

 熱さで全身が痛みました。声を上げたい、だけど声を発しようにも口の中に炎が入ってきて出来ません。加えて目の前の女の子の姿ですら、私の目には歪んで蜃気楼のように消えていきました。


 何が必ず助けてあげるだ。変に彼女をぬか喜びさせて、単に自己満足に浸っていただけじゃないか。私は燃えていく実感をしながら、自身の無力さに自己嫌悪しました。


 自分一人では何も出来ないのに、加胡川さんの言葉に浮かれ、自分が妖怪の中で唯一の存在であると錯覚し、ついには何も出来ぬまま消えていく。

 元が死んでいるので死ぬと言う言葉は間違っていると思いますが、取り敢えず馬鹿な私の死に様としては、お似合いの最後と言えるでしょう。


 でも私が消えれば、目の前の女の子はどうなるんだ……。頭に不安が過ぎりました。無責任に風呂場から連れ出されて、頼るものが無くなった彼女は、これからどうすればよいのでしょうか。

 私は苦悩しました。どうしても、彼女の命だけは救わなくては。その考えの元、私は必死に思考を巡らせました。

 そして体の感覚が徐々に無くなっていく中で、天狐さんのある言葉を思い出したのです。


『破壊ごときで魂の定着は解けん。一層の事、燃やして消滅させるぐらいの勢いじゃないとのう』


 初めは映画館に行きたいが為にしようとしていた幽体離脱、及び他者への憑依。あの時は単に私の自己満足でしかなかったけれど、今ならばその目的が私の中で明確に定まっていました。


 彼女を助けたいーー。


 過去に言われた幽体離脱のコツを思い返してみます。体から魂を脱皮させるような感覚じゃーー。この場に天狐さんは居ませんでしたが、彼女の声は鮮明に私の脳内で再生されきました。

 今ならいける気がする。私は背中から自分の着ている物を脱ぐ感じで、幽体離脱を試みました。


 あっーー。


 不思議な感じでした。何故なら自分の体が自分の物じゃないみたいに、宙に浮いて廊下に漂っているんです。それに目の前にはわんわんと泣いている女の子、どうやら私の姿は見えていないみたいですね。

 これが実態の無い体、霊体と言うやつなんでしょうか。


 ……って、こんな事している場合じゃありません!

 早速私は女の子が口を開けた瞬間に、そこから彼女の体へと飛び込みました。憑依の仕方がこれであってるのかはわからないけれど、取り敢えずそれっぽい事は試さなきゃ!


 瞑っていた目を開けると、そこには火を灯している何かが転がっていました。

 何か鼻を(つんざ)くような刺激臭を放ちながら、メラメラと燃えていく謎の物体。それがさっきまでの私の姿だと気付くには、少々時間が掛かりました。


 今でも過去の自分、もとい光江(みつえ)花子(はなこ)が何故、お婆ちゃんの市松人形に取り憑いたのかはわかりません。けれどこの体を得たおかげで、私は色々な体を得る事が出来たのもまた、紛れも無い事実です。

 お婆ちゃんとの繋がりが、こうして断ち切れちゃうのは悲しいですよ。けれどクヨクヨしている時間なんて無いのです。私にはまだ、やるべき事が残ってますからね。


 私は亡骸とも言える市松人形の体に、軽く手を合わせました。


 ありがとう、そしてさようならーー。


 髪の毛の無くなった白い頭は、何処か私を勇気付けてくれている。そんな気がしました。


 憑依したばかりの体がしっかりと動くのを確認すると、まず私は風呂場へ行って水を被ろうと考えました。だって轆轤首さんも家を脱出する時に水を被っていましたからね。多分暑さ対策としても十分に効果があるのでしょうから。


 すぐに風呂場の扉を開けて、捻った事のない蛇口を捻りました。

 こうして水を被った私でしたが、ふとそこの鏡に映る自分の姿を見て声を漏らします。「ほんとになっちゃってるなぁ、人間に」


 髪の毛は短めのショートヘア、ピンク色の長袖プリントシャツに青い短めのスカート。見ただけでわかる頬っぺたの柔らかさは、これまでの私には無かった違和感でした。

 (あか)く血走った目と腫らした目元も、さっきまでこの子が泣き叫んでいた証です。故にそれらへかかる冷たい水は、季節が秋にも関わらず気持ちいいものでした。まぁ家が燃えてる事もあり、気温が上がっているせいもあるんてしょうけど。


 髪の先までしっかり濡らすと、私は体を拭く事を一切考えずに扉を開けました。再び炎燃え盛る外界へと直面して、改めて自分がか弱い存在であるかを痛感します。

 今の私はこの子に取り憑いただけで、結局はただの浮遊霊です。なので全てを打開するには、またあの声に頼るしかありません。

 早く喋ってよ……。そう思った私でしたが、いくら炎を見ても、あの声が聴こえてくる事はありませんでした。


「なんで……。これじゃあ私、この子を助けられないじゃない」


 私は両手で顔を覆い隠します。

 ですがこの時、ある物が視界にチラつきました。すぐさま両手を離してその物の正体を探ってみると、それはあっさり正体を現しました。私の右人差し指には、炎へと真っ直ぐ突き進む赤い糸のようなものが結ばれていたのです。


 当然、謎の声との関連性を疑わない訳がありませんでした。私は自身の指先へと繋がる赤い糸を、まじまじと見つめます。


「もしかしてこの糸って、あの炎の抜け道を指し示しているの?」返答の無い質問が、私の口から漏れ出ました。


 仮にもし、これがあの声の代わりとして機能するのであれば、正直頼りたいです。しかし全く違う代物で、この子の体を破滅へと導く為の道しるべだったら……。私にはどう責任を取っていいのかわかりません。


「……でも、少しでも可能性があるのなら」


 迷った末に、私は糸を信じる事にしました。そして歩き出します。迷っている時間なんて無い。もはや私には、一刻の猶予も残されていないのです。ここで立ち止まっていては、いけないのです。


 幸いにも、糸の指す道は正しいものでした。

 糸を手繰り寄せ、ゆっくりと前へ進んでいく。そうすると片道と同じように、炎は体スレスレを通り過ぎて引き下がっていきました。しかも予め水を被っていたので、その火種が服に引火して全身に燃え移ると言う事もありませんでした。


 ですがそれも時間の問題です。服が炎で乾いてしまえば、引火する可能性も格段に上がってしまうのですからね。

 心に焦りを感じながらも、私はゆっくりと動作するように心掛けました。


 歩いている内に、徐々に景観として見えてくる表ベランダのある部屋。小さな廊下を通ると、轆轤首さんの家の寝室や、お婆ちゃんの家の私が置いてあった部屋と全く同じ作りの部屋に、私はドアを開けて入りました。


 部屋に入ってまず飛び込んできたのは、火を体に住まわせた木造のタンスです。更にその上にはまだ火が着いていない熊のぬいぐるみが、あたかも死期を悟ったかのように座り込んでいます。

 彼がもし心を持っているのなら、一体何を思っているのでしょうか。


 所々焼け焦げて黒くはなっていましたが、この部屋にはピンク色の物が多いです。ここはこの子の部屋だったんじゃないのかな。炎が揺らめく木材剥き出しの床を見て、私は虚しさを覚えました。


 そして私は、ついにゴールへと辿り着きました。

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