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どうやら私、動くみたいです  作者: 長尾栞吾
第五章 人間と妖怪
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殺意のある炎

「ああ」


 日野由美子ーー。それは私の大好きだった、お婆ちゃんの名前でした。まさかお婆ちゃんの名前をまた、こうして口にする時が来る事になるなんて思ってもみませんでしたよ。

 でもいくら繋がりがあったとは言え、彼女の家の市松人形に取り憑く程の理由なんて、私にあったのでしょうか。事故現場に花を手向けてくれたから? いいえ、もっと大切な理由があったのだと思います。

 確証は無いけれど、今の私にはそんな気がしていました。


「君はそこで、成仏せずに留まる事を望んだ。何故かはわからない。残念ながら市松人形に取り憑く事で君は、私が与えた力を使い果たしてしまったみたいでね。憑く者として動き出す事が無いまま、君は轆轤首と出会うあの日に至ったと言うわけさ」


 大方の話を言い終えた様子のぬらりひょんさんは、最後にこんな発言を付け足して締めくくりました。


「だがこれだけは言い切れる。あれは、君自身の意思だった」


 何度も言いますが私には、人間だった時の記憶は勿論の事、地縛霊だったり浮遊霊だった時の記憶もありません。でももし仮に過去に戻る事が出来て、当時の私に心境を聞けるものなら、是非とも聞いてみたい事がありました。

 それは何故、お婆ちゃんを選んだのかと言う事です。


「ツクモノ、お前……」


 多分今の私の顔は、言葉では言い表せない程に切ない顔をしているんだと思います。だからこうして轆轤首さんは、私に対して心配の声を掛けてくれているのでしょう。


「大丈夫です」何が大丈夫なのかはっきりと伝えないまま、私は彼女に軽く微笑み掛けました。


 市松人形に取り憑いた事、私は責めたりしません。寧ろその逆です。当時の私のおかげで、私はこうして轆轤首さん、加胡川さん、天狐さん、お初さん、エンコさん、野鎌さん、そしてぬらりひょんさん。妖怪である皆さんと出会う事が出来たのですからね。

 なので私は彼女にお礼を言いたいぐらいでした。あなたの選択は、決して間違っていなかったよってね。


「ワタシが知っている事はここまでだ」


 机の上に置いてあったビスケットを一枚手に取ると、ぬらりひょんさんは重そうな腰を上げて立ち上がりました。「それでは、お(いとま)させてもらうよ」


「えっ、もう帰られるんですか?」

「ああ。ワタシもこう見えて、結構多忙な者なんでね」


 そうですよね。ぬらりひょんさんは現代の妖怪の為、様々な事を為されているお方ですもの。ここでおいそれと時間を使い過ぎるわけにはいきませんか。

 でもまたこうして、ぬらりひょんさんとお話し出来る日は来るのかな。これから先、そんな日が来るのであれば、今度はもっと楽しい話をしてみたいものです。例えばそうですね、ぬらりひょんさんの大好きなお茶の話とかどうでしょうか。


 ぬらりひょんさんが家を出た後、私と轆轤首さんはまた、白いテーブルのある部屋へと向かいました。轆轤首さんは彼が使っていた湯呑みを片付けていましたが、不意に胸の奥が熱くなってきました。

 ここで轆轤首さんと私は、心を紡いだ糸で繋がったんだ。


「轆轤首さん」気付くともう、声は出てきました。


「私、妖怪になって良かったです」


 *


「起きろツクモノ!」


 瞼の上からでも十分に貫通するぐらいに、突如として灯った光は眠りを妨げました。更には体を左右に激しく揺さぶられ、私の神経にノックを打ちつけます。

 寝ぼけ眼の私は、ゆっくりと起き上がって言いました。「どうしたんですか、轆轤首さん……」


「説明は後! 早くこのリュックの中に入れ」


 轆轤首さんの慌てようは、これまでに無いってぐらいにあたふたとしています。こんな彼女の慌てっぷり、見た事ありません。

 本人の許可も仰がず、強引に私を例のリュックサックの中へと詰め込みました。そして彼女はいつものように前で背負って、玄関の方へと向かいました。


 何故かはわかりませんが彼女は外に出ようと、ドアノブに手を伸ばしました。しかしすぐにその手を離して、後ろに仰け反ります。


「あちっ! これじゃあドアの外もエライ事になってんだろうな」


 今の状況今日が把握出来なくなり、だんだん不安になってきました。

 何でそんなに慌ててるんだろ……。いよいよ私は耐えきれなくなり、轆轤首さんに訊ねました。


「一体全体、何が起こってるんですか!?」


「そんなに見たけりゃ見せてやるよ」轆轤首さんはそう言って、白いテーブルの部屋へと足を運びました。


「こ、これは……!?」


 一瞬、何かの見間違いかとも思いました。しかし今、私達の目の前にゆらゆらと揺らめいているオレンジ色に近い何かは、日常的とは言い難い存在として部屋に居座っています。

 これは炎だ。一気に眠気を覚まされた私は、すぐさま燃え盛っている物を見て確信しました。


「一階からの上の階、多分全部こんな感じだぜ。この建物がこんなにも炎上してるって事は、放火以外に考えらんねぇ」


 放火と言う言葉に、ふとおとといの記憶が蘇ってきます。過去に起こった火事で、私は一度死んだ。そして今回も、見慣れた部屋を炎が焼いていました。


 よく見ると、裏ベランダへと出る為の窓が開いています。

 そう言えばいつも、轆轤首さんは寝る時に換気の為と言って窓を開けていましたっけ。こんな時にそれが裏目に出てしまうとは。

 一応網戸も閉めてはありましたが、そんなもの燃え盛る炎の前では無力に等しかったんでしょう。これはえらいこっちゃです。


 どう言った形で過去の私は最期を遂げたのかはわからないけど、きっとこんな感じで絶望的な状況へと追いやられてたんだなぁ。私は人間だった時の自分を想像して、呑気に溜息を吐きました。


「……ったく、この建物には爺さん婆さんしか暮らしてねぇからな。こんな火災、アイツらじゃ逃げようが無いだろ。いくらこの建物が丈夫に作られてるっつっても、殺意がある火災にはどうしようもねぇっての!」


 轆轤首さんは風呂場へと移動しました。そして洗濯用に溜めてあったお風呂の水を、桶いっぱいにして被ります。

 勿論それは私の入ったリュックサックごと被りましたので、私の頭上からは、ポタポタと、水滴が滴り落ちてきていました。お化粧がどうとか言ってられません。


 そして察しました。彼女、家の重いドアですらも熱した鉄板に変えた、あの階段を無理矢理にでも下りる気みたいです。


「消防車が来たとしても、この燃え広がりようじゃあ全員が全員、助ける事は出来ねぇ。だからアタシらだけでもどうにかして逃げて、少しでも助かる命を増やすんだ」


 その意気込みに、私は捩伏(ねじふ)せられるように同意しました。しかし同時に、彼女はここより上の階に住む人間が助からないであろうと言う事も、密かに仄めかしていました。


 私達が暮らしているのは二階。確かお婆ちゃんがかつて暮らしている家にも、既に人が住んでおられると聞かされていました。なのでこの建物には、比較的逃げやすい一階の人以外はまだ取り残されているのでしょう。

 時計を見ると短い針がある範囲は二の場所。もしかすれば火事が起こっているとも知らず、まだ眠っている方もおられるやも知れません。


 ここで私はハッとしました。この建物にはお年寄りの方以外にも、小さな子供が住んでいたのを思い出したのです。

 彼女はお父さんと二人で暮らしており、尚且つお父さんの帰りが朝になる為に、基本的には一人で暮らしている。それは天狐さんと映画館へ行ったあの日、帰宅した轆轤首さんから聞いた話でした。


 確か彼女が暮らしているのは四階。もしかすればまだあの子は逃げ切れてないかも知れない。私は叫びました。


「轆轤首さん! この階の上に住んでる女の子、助けられませんか!?」

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