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どうやら私、動くみたいです  作者: 長尾栞吾
第三章 お初と付喪神
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エンコに出会う

 しかし部屋のドアを開けて私を外へと出した時、轆轤首さんはとんでもない発言をしました。


「お前の分の飯も食べとくな」

「……はい」


 それは私が居ない間に、一人でポツリと言っておいて欲しかったですね。全く気遣いが出来ているのか出来ていないのか、これじゃあ他の人から見ればさっぱりわかりませんよ。勿論私も例外じゃありませんけど。

 とは言え彼女は、いつも外で買ってきた惣菜とお酒ばかりを食べていましたから、こんなに豪華な夕食は久しぶりだったのでしょう。なのでここは、()えて大目に見る事にします。


 【六六】の部屋を後にした私でしたが、ドアが閉まり完全に外界へと放り出されて思った事がありました。それはとても重要な事であり、尚且つ知らなければ自分が進むべき道を見失ってしまう程の事でした。

 そう、私ってば天狐さんがいる部屋の番号を聞いてなかったんです。これじゃあ轆轤首さんの事、無計画なんて言えませんよ。


「どうしよう……」


 私はすぐさまその場で立ち止まってしまいました。

 今更轆轤首さんに部屋を開けてもらうなんて、そんなみっともない事は絶対にしたくありません。

 とは言え天狐さんは私と轆轤首さんが部屋に入るまではついて来ていたので、彼らの部屋がここ、三階よりも上の階にある事ぐらいは推測できました。


「よし!」


 しかし何階建てなのかもわからないこの建物で、闇雲に階段を上がっても無駄に体力を消耗するだけです。であれば、今の状態で私が出来る事と言えばただ一つ。この部屋に来た時の道を一旦引き返して、下の階に居ると思われるお初さんに会う事だけでした。

 それだともしかしたら、お初さんに天狐さんの部屋まで連れて行ってもらえるかも知れませんしね。


 ただ、私達の部屋に来る時も階段以外は自分の足で歩いたのでわかります。三階であるここから一階の玄関まで行くのは、正直至難の業でした。

 けれどそれ以外に天狐さんの部屋を知る方法はありません。だから頑張るしかないんです。満室と聞かされていたにも関わらず何故か静か過ぎる廊下は、その長さを察するように訴えかけているかのようでした。


 溜息を吐きながらも私は、遠過ぎて現在地と階段までの距離感が掴めない廊下を歩き出しました。先が長いのは承知の上ですからね、ここは私も踏ん張って行かなきゃなりません。

 一歩、また一歩進んでいくにつれて迫り寄ってくる疲労感の連続。ただでさえ今日と言う日は驚きや恐怖の連続だったと言うのに、小さい足に無理をさせた事が祟ったのでしょうか。もう私の足は、歩く事を拒んでいるように思えました。


 全然進んでないのにだらしないなぁ。自己嫌悪に身を浸りながらも、苦しむ足に鞭を打ちつつ歩きます。ここまで来ると轆轤首さんにもついてきてもらえば良かったと、後悔の念すら抱き始めました。

 そしていよいよ一旦の折り返し地点、あともう少しで階段だと思ったその時です。私の前にある妖怪が現れたんです。


「おやぁ、見ねぇ顔だなぁ」


 前から歩いてきた妖怪を、私は知っていました。勿論実際に会った事はありませんよ? けれど彼の有名さと言えば、もはや誰もが知っていると言っても過言ではない方です。

 あれですよ、あれ。見た感じちょっと体を覆っている毛の量は多いけど、その頭の上に乗ったお皿が何よりのヒントです。


 そう、


「河童……さんですか?」

「ううん……河童っちゃあ河童だけんど、正確にはオラはエンコなんだ」


 少し苦笑いをした様子の彼は、頭を掻きながら視線を下に落としました。

 もしかして間違っちゃったかな。だとしたら私、彼に対して物凄く失礼な事を言ってしまったのかも知れません。すぐに謝罪しなければ、私は両手を彼の前に何度も振りました。


「ごめんなさいごめんなさい! 私ったらなんて失礼な事を……」

「いやいや、そこまで気にしねぇでいいよ。それにオメェの言ってる事も間違いでねぇから」


 あまりの恥ずかしさについ蹲ってしまいましたが、そんな私をエンコさんは逆に励ます形で宥めてくれました。

 気を遣われるのは、やはり気持ちの良いものではないですね。とは言え失礼な事を言ったのは事実です。本当に、ごめんなさい。


 思い返してみれば妖怪屋敷でも、彼の姿は見ていました。通称ドロメキ淵のエンコ、その名の通りドロメキ淵に足を踏み入れた人畜の尻子玉を引き抜くと言う、話を聞く限りでは恐ろしい妖怪だったような気がします。

 因みに、人間が尻子玉を抜かれると腑抜(ふぬ)けになるそうです。抜かれても死なないって所を見ると、結構良心的な妖怪なのかも知れません。


「で、オメェ名前(なめぇ)は?」


 彼は私の思っている以上に、妖怪としての私に興味があるようです。付喪神として見れば何の変哲も無いただの市松人形なのに、この人も変わってますね。

 まぁ妖怪自体変わった方が多いですから、そう思うのもおかしくないのかも知れません。第一轆轤首さんとか加胡川さんとか、思い浮かぶ知り合いだけでも変人まみれですし。


 とは言えこれも何かの縁です。向こうも名乗ってくれたので、こちらも名乗り返すのが礼儀でしょう。


「私、市松人形のツクモノって言います」


 取り敢えず隠すよう事もありませんから、お初さんに言った事とほぼ同じような事を言ってみました。するとエンコさん、私の正体を推測したのか腰を屈めて、私に視線を合わせて問い掛けました。


「市松人形だぁ? んじゃあ付喪神って事か」

「まだそれはわかんないですけど……似たような者だと思っていただいたら大丈夫です」

「そかそか」


 反応から察するに、どうやらエンコさんは私の正体に深い関心は無かったみたいです。

 わかってはいましたが、やっぱり他の人にどうでもいい存在として見られるのは、あまり気持ちの良いものではありませんね。勝手に期待してしまった私が悪いのはわかってるんですけど。


 ここでお話は終わりなのかな。そう思って別れの挨拶を告げようとしたその時、エンコさんは少し馬鹿にした口調で問い掛けてきました。


「ところでオメェ、そんなみじけぇ足で何処さ行くつもりだ?」


 短い足は余計です!


「て、天狐さんって言う妖怪の部屋に用事がありまして……」


 彼の私に対する悪口に返答した私でしたが、遂に堪えていた笑いを露わにしたのか、エンコさんは大きな声で笑い始めました。それはもう、全ての階段に響き渡るぐらいで。


「ハッハッハ! 天狐さんの部屋なら確か五階(ごけぇ)にある【一一二】だぞ」

「それ、本気で言ってますか?」


 もし彼の言葉が真実を指しているのであれば、すぐさまこの場で立ち止まりたい程でした。

 だって考えても見てください、五階って言ったら三階であるここよりも更に二階も上、私の体の三分の一はある段差をいくつも登らなければならないんですよ。

 一応今から行こうとしていた一階とは同じ階数ですが、上りと下りではわけが違いますし。


 ただでさえ廊下を歩くだけでも苦労したのに……。絶望のあまり、私はその場にへたり込んでしまいました。家では階段を登る機会なんてありませんでしたから、正直言って階段の事を舐めてましたよ。

 しかしエンコさん、笑いながらもしれっとその親切心を垣間見せました。


「なんならオラが上まで運んでやろうか?」


 なんて親切な方なんでしょうか。私には疲れのせいからか彼が、ある種の仏に見える気がしました。

 轆轤首さんが私を拾った時はそれこそ比喩でしたが、今回のはその時のものとはまるで違う、実物であるかのような錯覚をしてしまったのです。疲れとは、やっぱり恐ろしい。

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