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どうやら私、動くみたいです  作者: 長尾栞吾
第三章 お初と付喪神
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休息の時

 廊下の内装は、私達が暮らしていた県営住宅のものとは随分違い、かなり古びた雰囲気となっていました。

 少し色褪せた木材の壁に、輝きを失った金具達。しかしそれらは汚れていると言った感じはせず、しっかりと清潔さを保っています。それもこれも全て、女将であるお初さんがこの宿を大切にしている証拠なんでしょうね。旅館の切り盛りって色々と大変だなぁ。


「ところでまだ二人の名前、聞いてなかったわね」


 階段を上がり長い廊下を歩いている途中、ふとお初さんは思い出したかのように、私達の方を見て微笑み掛けてきました。


「言われてみれば……確かに言った覚えがねぇわ」


 そう言えばそうでしたね。

 お初さんの事は天狐さんから紹介されていたので名前も知っていましたが、その逆はまだ話していませんでした。これから宿に泊まろうとしている人間が女将に名前を言わないなんて、礼儀知らずもいいとこです。


「アタシの名は轆轤首だ。こう見えても、結構首が伸びる妖怪なんだぜ」

「私はツクモノって言います。見ての通り市松人形です」


 私は自分の存在がまだわかっていませんから、轆轤首さんみたいに自虐を交えた自己紹介は出来ません。なのであまりおもしろくない自己紹介にはなってしまいましたが、気にしないでおきます。


「轆轤首さんにツクモノちゃんね。しっかりと覚えておくわ」


 お初さんは満面の笑みでこちらに顔を向けました。なんだかこんないい人に自分の事を覚えてもらえるなんて、感激です。


 そうこうしている内に、お初さんの足が何の前触れも無く止まりました。


「ここが轆轤首さんとツクモノちゃんのお部屋ね。鍵の方は轆轤首さんに渡しておくわ」


 どうやらこの部屋が今日私達が泊まる事となる部屋らしいです。このドアも建物と同じように木材で出来ており、ドアノブは少しばかり銀塗装が剥がれた、独特な金属光沢を放っています。


 そして何より驚いたのが部屋の番号です。なんと私達の部屋の番号は【六六ろくろく】! 狙って配置してくれたのかは謎ですが、偶然にも轆轤首さんを彷彿とさせるような番号だったんです。

 これには轆轤首さんも、目を丸くして私の方を見てきました。内心喜んでいるのは明らかですね。彼女、こう言う語呂合わせ好きそうですから。


 するとまたしてもお初さんは、気まずそうな顔でこう言いました。


「予約の方が無かったから、実を言うと貴方達の夕食は用意出来てないの。本当に申し訳ないわ」


 予約を取っていなかった分、私達の夕食が存在していないのは当たり前です。だからお初さんも、あまり気にしないで欲しいなぁ。

 第一、私は妖怪として生まれ変わってから一度も食事に口をつけていませんし。


「大丈夫だって。妖怪の食事なんてもんは単なる嗜みに過ぎねえから」


 轆轤首さんの方もそれは重々承知の上だったようです。道の駅の時にお腹が空いたとか言ってたのが嘘みたいですね。

 妖怪は人間とは違い食事を摂らなくても生きていけます。故に食事は妖怪とっての娯楽、人間のそれと大差無いものなんですから。


 すると後ろにいた天狐さんが食事の無い私達を哀れんだのか、轆轤首さんが答えたすぐ後に口を開きました。


「ならワシと地狐(ちこ)の分を此奴らに回してやってくれ。ワシらは今日、あまり腹を空かしておらんからの」


 無論、加胡川さんは何も言い返しませんでした。もう今日の天狐さんに反論するのは、無駄に労力を消費するだけだと悟ったんですかね。ご愁傷様です。


「わかりました。じゃあ轆轤首さん、ツクモノちゃん、お食事を持ってくるから、しばらくこの部屋で待っててね」

「おう、楽しみにしてるぜ」


 お初さんは轆轤首さんに部屋の鍵を渡すと、一礼してからその場を去っていきました。すると天狐さん、急に私に目線を合わせてきて言いました。


「ツクモノよ、飯の後で構わんから後でワシの部屋に来てくれんか? そこで大切な話がある」


 あら意外、天狐さんってば思ってた以上に積極的な方みたいなんですね。勿論答えはオッケーですよ。断る理由もありませんし、彼女と話したい事も山程ありますからね。


「はい。では後で天狐さんのお部屋、伺いに行きますね」


 こうして一旦、私達は解散と言う形となりました。まだ私は食事を摂った事が無いので美味しいとかどうかはわかりませんけど、轆轤首さんが喜ぶものが出るといいですね。


 *


 まさか今日と言う日で本当に気が休まる時が来るとは。加胡川さんに私達がイジメられた時には想像も出来ませんでした。


「では、ごゆっくりどうぞ」


 ここ、心紡ぎの宿にある【六六】の部屋は床が全て畳で、少し洋風だった廊下とはまた違った雰囲気を醸し出しています。

 少し大きめの長机に深緑の座布団。景色に関しては外が一面森なのであまり良いものとは言い難いですけど、それでも自然を楽しむ空間としてみればまた一興ですね。


「うっひゃー! こりゃあまた豪華な食事だな」


 額の皺が目立つお婆さんが部屋を立ち去ると、同時に轆轤首さんは嬉しさのあまり大声で叫びました。

 机の上に並べられた料理の数々。これらはもう、自分は食べないにしても素晴らしいの一言に尽きます。まだ鮮度を保っているからか、光を遺憾無く反射させているお刺身。それに箸をさっと入れるだけでほろっと切れそうな煮物なども、料理番組のそれよりも一層美味しそうに見えました。


「んじゃあアタシはもう食うからな」

「ど、どうぞ」


 ゴクリ……。何故か私の口の中は、目の前のご馳走を見て唾を飲み込み過ぎて渇き切っていました。

 無論私はまだ食事を摂れるかもわかりませんから、これらの料理はただ眺める事しか出来ません。なのになんなんでしょうか、この煮え切らない感じは。


 とは言えその理由は、私も薄々ですけど気付いていました。多分意識せずとも私の心は、食事と言う行為自体を渇望していたんだと思います。

 じっと眺めていても私の湧いてこない空腹感とは裏腹に、食欲は抑えられないぐらいに荒ぶっていたんです。いいえ、正確に言えば食欲ではなく食べてみたいと言う好奇心かも知れません。


 もはやこの場にはもう留まっていられないな……。そう考えると居ても立っても居られなくなり、未だ食事を見て楽しんでいた轆轤首さんに問い掛けました。


「あの轆轤首さん、私天狐さんのところに行ってきてもいいですか?」

「おう。今ドア開けるから待っとけ」


 するとまだ箸に手をつけていなかったからか、轆轤首さんは私の要望をすんなりと聞き入れてくれました。

 もしかすれば今のは、私が食事が出来ない事を気遣っての事なのかも知れません。今、そう言った気遣いは逆効果ですよ!

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