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どうやら私、動くみたいです  作者: 長尾栞吾
第二章 加胡川と天狐
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それが彼との出会い

 *


 青々とした木々のすぐ下にはあたかも、どなたかが手を加えた事を疑ってしまう程に、見事な岩肌が見受けられました。更にその渓谷には、見ているだけで心が洗い流してくれそうな水の流れも出来ています。

 長い年月を掛けて大自然が作り出した渓谷。それが私達の生まれるずっと前からここに存在しているって考えると、何だか私達妖怪と言う存在も、案外ちっぽけなものなんだと錯覚してしまいそうになります。


「はぁ……なんていい景色なんでしょう」


 実はさっきから私はこの風景ばかりを見て大歩危の土地を堪能していました。

 当然その姿を人間に見られてはいけませんので、轆轤首さんも私の入ったリュックサックを前掛けしたまま渓谷の景色を眺めています。


 いいえ、正確に言えば彼女はスマートフォンで次の行き方を考えている、と言った方がよろしいのかも知れません。つまりどう言う事なのかと言いますと、簡単な話轆轤首さんの旅行計画が大雑把過ぎたんです。


 普通の方であれば妖怪屋敷から出てくる時点でもう、次の目的地の経路ぐらい定めていることでしょう。しかし轆轤首さんときたら、「どうやって行こうか」なんて言い出したんですよ。あまりの無計画さに、思わず耳を疑っちゃいました。

 本気でそれを言っているのかってね。


 ならばいっその事、あのまま石の博物館へ行った方がよっぽど有意義な時間を過ごせましたよねぇ。まぁその後の行き先が定まらない事に変わりはありませんが。


 元より轆轤首さんは計画を立てる事が苦手な方でした。「今日この書類を完成させるぞ!」なんて言っても、計画的に実行せずに結局、行き当たりばったりになってしまう事なんてザラにありました。

 なので今回もその例に漏れず、彼女は行きの電車やバスの時刻表だけしか考えていなかったようです。


 あり得なくないですか。あんなに高いお金を出して旅行する場所だったら、誰しもが目的地への経路ぐらい予め決めておくでしょうに。


 でもまぁ無計画は過ぎるのも問題ですけど、そんな彼女をサポートし切れなかった私も悪いです。何せ前々から、轆轤首さんがそんな感じの人だって事ぐらいわかってましたからね。もう何をやっているのやら、これに関しては轆轤首さんばかり責めても仕方がないです。

 せめて祖谷のかずら橋の交通経路ぐらいでも、調べておけばよかったな……。後悔の念だけが私に牙を剥きました。


 しかしこれらの問題は、私達が思っていた以上に早く解消されました。それはおそらく、轆轤首さんがまだスマートフォンの画面と睨めっこしていた時の事だと思います。

 だって私は前を向いたまま、向きを渓谷の方へ固定されていましたので、彼の姿を見る事は出来ませんでしたし。彼女が一体何をやっていたのかなんて当然、私の視界には映ってなかったのでわかりませんよ。


「お困りのようですがどうかなされましたか?」


 彼の声は突然轆轤首さんに呼び掛けてきました。無論私には聞き覚えの無い声でしたから、轆轤首さんが後ろを振り向いた時にそっと、穴から声の主の姿を覗いてみました。


 性別は声質でもわかるように男性。また薄めの金色をした髪は少し艶を帯びており、耳たぶぐらいまでの髪の長さまであります。色以外は割と髪型も落ち着いているので、彼からは好青年さが感じられました。

 因みに目は私よりもずっと細くて、言っちゃあ悪いですけど空いているのか閉じているのかがよくわからなかったです。


「いやぁな、アタシってばここに旅行へ来たのはいいんだがよぉ。何の計画も無しに来たもんだから行く場所に困っちゃってんだ」

「なるほどそう言う事ですか」


 隠す必要が無いのもありますけど、何より話す以外にすることも考えていなかった轆轤首さんはすぐに口を開きました。今思えば初めからこうやって道の駅の方に直接聞けば良かったんじゃないのかと、更に追加の後悔です。

 何だか時間を無駄にした気分だなぁ。いいや、絶対無駄にしてますね。ただでさえここでの滞在時間も限られてると言うのに。


 するとお兄さん、さらっととんでもない事を言い出しました。


「よろしければ僕が車で案内致しましょうか? 僕も山城町の事は結構詳しいので」

「えっ、マジで? いいのか兄ちゃん」

「はい!」


 本気で言っているんですか、お兄さん! もしそれが本当であればこれ程嬉しい事はありません。何てったってこの地に詳しいとおっしゃる方が、土地勘ゼロの私達を案内して下さるなんて思ってもみませんでしたから。

 まさに地獄で仏に会ったかのような出来事ですよ。


 しかし同時に、なんでこの人はいきなり轆轤首さんに話し掛けてきたのかと言う疑問も浮かび上がってきます。

 過去に私は、初めて出会った人に挨拶をするといいなんて事を言いました。ですが困っている人を何の躊躇も無く助ける事など、そうそう出来るものでもありません。勿論私には出来ませんよ、例え私が普通の人間だったとしてもね。


「じゃあ……お願いしてもいいか?」


 それに彼が話し掛けてきたタイミングも、グッドタイミング過ぎます。まるでタイミングを見計らっていたみたいに。

 ふと私の脳内には、予定調和と言う言葉がチラつきました。


「勿論! 山城町に興味を持っていただいた方がいて、僕も嬉しいですし」


 ですが彼へと向けていた疑いの芽は、一瞬にして摘まれました。だって今のこの人の表情は、純粋に喜んでいるそれでしたから。

 自分の町をもっと知りたいと言われて嬉しい事はまぁわかりますよ。でもそれだけには留まらず、その発言をした人を無償で案内して下さるなんておっしゃったんです。

 どれだけこのお兄さんは山城町の事が好きなのでしょうか。


 と、ここまで頭の中が自分でもよく理解出来る程にお花畑になっていた私でしたが、続く彼の発言にすぐさま現実へと引き戻されました。


「あ、でもガソリン代は少しばかりかかっちゃうので出してもらえると助かります」


 案外ちゃっかりとしてるなぁ……。いえいえそれが悪いとは言ってませんよ。お金が掛かるものは掛かると伝えてくれた方が、こっちとしても気が楽ですからね。もっとも、経済能力の無い私にはお金を払う術なんて無いんですが。

 言うなれば全部轆轤首さん任せです。ともかく、勝手に無償だと思ってしまった自分が恥ずかしい。


「それぐらいはアタシも出すさ。じゃあお願い出来るか?」

「はい、喜んでご案内させてもらいますね!」


 細い目は相変わらず閉じたままのように見えましたが、口のすぐ横にえくぼを作りながらお兄さんは笑みを浮かべました。爽やかな人には爽やかな笑顔は付き物なようです。


 そんなこんなで私達の旅行には、地元の方らしきガイドさんが付く事となりました。土地勘のある人に名所案内してもらえるなんて私達はどれ程ついているのでしょうか。

 お兄さん曰く車を止めている所まで来てくれとの事なので、また移動の方頼みますね轆轤首さん。


 お兄さんの車に乗り込んだ轆轤首さんはスーツケースを車の後ろに詰め込むと、急にベルトのような物を私をカバン越しに押し付けてきました。

 轆轤首さんは車の免許は持っていないので私自身、一般の方が運転する車には乗った事がありません。ですから私には、この体を締め付けてくる紐状の物の正体がわかりませんでした。だってバスに乗ってる時にもこんなものされませんでしたし。


 それにしたって窮屈極まりない……。もしかして目的地まで、ずっとこのままなのかも知れません。

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