柴田勝家
1547年(天文16年)2月中旬 尾張国末森城 柴田権六郎勝家
――ガシャンッ!
勘十郎様のお部屋へ向かうため末森城の廊下を歩いておると、部屋の方から何かが割れる音が聞こえてきた。
「勘十郎様、おやめくだされ!」
それに続いて、勘十郎様のお付きの者らが主を諫める声が聞こえてくる。
今年に入り、これで何度目であろうか。
繰り返されるこのやり取りを聞き、儂は深くため息をついた。
「また勘十郎様が癇癪を起された様じゃ。一体今年に入り何度目であろうかのう」
儂の隣を歩いておった佐渡守(林秀貞)がぽつりと呟く。
こやつも儂同様、勘十郎様の奇行に頭を悩ませておるようじゃ。
昨年、三郎様(信長)に愛想を尽かし、勘十郎様へと鞍替えを行った佐渡守。
初めは弟の美作守と共に勘十郎様に取り入り、三郎様に変わり弾正忠家の次期当主に仕立て上げようと画策しておった。
しかし今年に入り、その勘十郎様に変化が起こった。
今までは大人しく物分かりの良い、良く言えば素直、悪く言えば扱いやすいお子であった。
しかし今年の年明け以降、癇癪を起すことが多くなり、物に当たられるようになったのだ。
「一体、勘十郎様はどうされたと言うのじゃ。あのうつけが仮初であったと分かった次は、弟である勘十郎様がこの荒れ様。……儂は余程主に恵まれぬ運命にあるようじゃの」
皮肉気に愚痴を零す佐渡守。
そんな彼を見ながら、儂は心の中で舌打ちをしつつ、彼を励ましてやる。
「まぁまぁ佐渡守殿、そうご自分をお責めなさいますな。今は勘十郎様も荒れてはおりますが、元々は賢く素直なお方。儂らがしっかりと導けば、また以前の様なお姿にお戻りになられましょう」
儂の言葉を聞き、ちらりとこちらを見つつ、佐渡守が再びため息をつく。
「……そうじゃのう。勘十郎様が荒れておられる今、儂らがしっかりとせねばのう。いや、すまぬな。ついつい愚痴を零してしもうた。権六郎殿、許されよ」
「いえいえ、お気になさるな佐渡守殿。三郎様の下で懸命に尽くしたにも関わらず、粗末に扱われた佐渡守のお気持ち、儂はよぉく分かっておるつもりにございまする。これからは儂らと共に、勘十郎様を盛りてていきましょうぞ」
佐渡守の言葉に、にこりと笑って返してやる。
……こんな爺に気を遣わねばならぬとは、全く嫌になる。
しかしこやつはこれでも弾正忠様からの信が厚い。
こやつに取り入っておいて、損はあるまい。
三郎様の傅役に付けなんだ時は、心底落ち込んだものだ。
しかしその三郎様がうつけだと分かり勘十郎様に次期当主の芽が出てきた時は、思わず笑ってしまった。
うつけが仮初だと分かり、神通力を備えておるという噂が流れ始めた時は嫌な汗をかいたが……
未だ三郎様に対して反感を持つ武士は多く、勘十郎様に対して期待を抱く者も少なくない。
儂はこんなところで燻る様な男ではないのだ。
絶対に勘十郎様を当主へと持ち上げ、儂の立場を確固たるものにしなくては。
そのためにも、勘十郎様のあの癇癪は絶対に外へ漏らさぬようにせねば。
「佐渡守殿。勘十郎様のご様子は、外へは漏れてはおりませぬな?」
「ご心配なさるな。土田御前様より頂いた助言により、甲賀との繋ぎも密かに得ることができ申した。勘十郎様のご様子が外へ漏れることは、万に一つもありますまい」
佐渡守の言葉に安心しつつ、その内容に思わず顔を顰める。
弾正忠様の奥方である土田御前様。
このお方も、何やら胡散臭いものを感じてしまう。
数年前よりふらっと現れては儂らに助言をして去っていく。
始めは半信半疑ではあったが、その内容がことごとく有用であるものじゃから、今では誰もが彼女の言葉を盲信しておる。
……まぁ、儂らの役に立っておる内は、放っておいても問題ないであろう。
しかしその甲賀との繋ぎと言う男、存外良く働いてくれておる様じゃの。
確か滝川、とか言ったか。
勘十郎様の様子がおかしい今、仕える者はどんどん使っていかぬとな。
儂の将来のため、しっかりと働いてもらうとしようかの。




