閑話 織田三郎五郎信広
2章は元服時に時間が飛びます。
その繋ぎです。
1545年(天文14年) 3月下旬 那古野城 織田三郎五郎信広
冬の厳しい寒さが過ぎ去り、温かな風がを感じられるようになった三月の終わり。吉法師がふと思い出したように口を開いた。
「そうだ。花見をしよう」
普段は稽古や手習いに熱心に取り組み、金稼ぎにも余念を残さない吉法師であるが、そう言った雅なことには不思議と今まで興味を示さなかった。そんな弟が花見とは珍しい。儂はその呟きに興味をそそられ、つい聞き返してしまう。
「花見か……吉法師は桜が好きなのか?」
儂の問いかけに、きょとんとしたした顔をして答える吉法師。
「いや? ただこの世界には娯楽が少ないからな。折角の機会を逃しては損だろう」
吉法師の風情もなにもない物言いに、儂は思わず吹き出してしまう。隣で儂らの話を聞いていた五郎左衛門(久秀)も苦笑している。
「そうか、損か。いや、吉法師らしいな」
儂の言葉に、吉法師が困ったように笑う。こんな軽口を許してもらえるのも、相手がこの少し変わった弟であるからであろう。儂が他人のことに興味を持つなど、半年前この弟に会うまでは夢にも思っていなかったことだ。
儂が自分の出自を知ったのは、今から10年ほど前。それまでとある商家の丁稚として働いていた儂のもとに、一人の男がやってきた。その男は以前から時折顔を出しては、たわいもない話を主人として帰る、よく分からない男だった。その男が自分の父親だと知ったのは、それからしばらくしての事だった。
自分が織田弾正忠家の長男だと知っても、儂は正直実感を持てなんだ。今までこの家で一庶民として育てられたのだ。急にそんなことを言われても、と正直困惑の方が大きかったことを覚えておる。
それからあれよあれよという間に武家の家の者として育てられる日々を過ごすことになった。立派な屋敷に移り住み、家臣も何人か付けられて、手習いや稽古の日々を送る。初めは新しい生活に戸惑ったが、元々要領がいいのかすぐに慣れることが出来た。
そして15の年になったある日、父が家にやって来て、元服と初陣の事を伝えられた。今川との戦に出よということらしい。家の者は元服を喜んでおったが、やはり儂は何の感慨も感じられず、ただ父の言われるがままに身をゆだねた。
初陣では後方に下げられ、特にこれと言った活躍もなく帰路についた。初めて人が殺し殺されている姿を目にし、これが武士の世界なのかなどと、どこか他人事のように思ったことを覚えている。
それからも特にこれと言ったこともなく稽古の日々を過ごしておった儂だが、そのころからよく耳にする話が合った。儂の弟でもある弾正忠家の嫡男の噂だ。なんでも奇抜な格好で近所の子供と野山を駆けずり回り、人々の間では尾張のうつけなどと揶揄されているらしい。そんな話を聞き、家臣の皆がため息をつく中、儂はその弟に少し興味をもった。弾正忠家の嫡男に生まれながらも、自分の我を通し好き勝手に生きている弟。そんな彼に何故興味を持ったのか、しかしその時の儂には分からなかった。
儂の母は儂が物心ついた時にはすでにこの世におらず、儂はあの商家の主人に育ててもらっていた。だから義父の機嫌を損なわぬよう、子供ながらに気を遣って育ったことを覚えておる。その後も自分の出自を知り生活が変わっても、儂の周りの評価を気にする性分は変わらず、みなの期待に添える程度に気を遣う日々であった。それに不満がある訳ではない。今の時代、満足に食えぬ者たちがおる中で、儂は十分幸せな部類であろう。しかし弟の話を聞いた時、儂は何やら今まで感じた事のない感情を抱いた。
そしてその噂が日に日に大きくなっていった昨年、儂は父より呼び出され、勝旗城へと赴いた。なんでもその弟が儂に会いたいと言っているらしい。儂は自分の胸が騒めくのを感じた。そしてその感情がなんなのか判別付かぬまま、儂は弟と対面することになる。しかしその直前、父が儂に弟のことについて話してくれた。
あのうつけの姿は仮初だと。
儂は混乱した。うつけの姿が仮初とはどういうことだと。弟は好き勝手に生きているのではなかったのかと。父の言葉が、儂の胸の騒めきをかき乱した。そして儂が聞き返す間も無く、吉法師が姿を現した。
凛とした姿勢で颯爽と姿を現した吉法師。整った顔立ちをした彼のその目はどこまでも清んでおり、儂の心を惹きつけた。
うつけの噂からは考えられないその凛々しい姿に、儂は父の言葉をすぐに理解した。そして同時に、自分の胸にあった感情が何なのかも。
あぁなるほど。これは羨望だ。
儂の持っていない物をすべて持ち、儂が周りの評価を気にして生きてきた一方で、自分を貫き生きている儂の弟。
自分には出来ない生き方をする彼が、儂は羨ましかったのだ。
それからは儂は吉法師の傍で彼の姿を見続け、彼の行動に驚かされる日々を送っている。
弟はやはり頭が良く、儂の知らぬことを知り、儂には見えない世界を見ておる。
そんな彼と過ごす日々は、儂が今ままで生きてきた20年間の中のどれよりも、新鮮で、輝いている。
儂の感じた羨望は、次第に憧れに変わり、そして今では人生の目的へと変化した。
吉法師と一緒におる限り、儂の人生はもう以前の様な無味無臭の味気無い者になることは無いであろう。
そんな風に物思いに耽る儂に、今度は吉法師が尋ねてくる。
「そういう兄上には、好きな物はないのか?」
儂の好きな物か。以前の儂では答えることが出来なんだであろうが、今ならはっきりと言えるな。
「そうじゃのう……吉法師、お主じゃの」
儂の今の人生で、お主以上に興味をそそられるものなど他にはあるまい。儂が自信を持って答える一方で、しかし吉法師は儂の方を見て怪訝な顔をする。
「兄上……すまんがワシには男色の趣味はないぞ。諦めてくれ」
吉法師に言われ、自分の言葉の綾に初めて気づく。
違うぞ、吉法師。そう言う意味ではない。おいこら、何故逃げる。違うと言うておろうに。
儂が必死に言い訳をする姿を、五郎左衛門が腹を抱えて笑い、正種が口を歪めてにやける。こら、お前たちも笑っておらんで何とかしてくれ。
やれやれ、儂がこんな感情を露にする日がこようとは。人生というのは、本当に分からんもんじゃの。
これはBLではありません。兄弟の親愛です(笑)




