腹切り騎士
一人の男が険しい山道を歩いていた。
その男の名はヒノデ。年齢は18。
(まだか。まだ着かないか。)
ヒノデは額の汗を手でぬぐい、水筒の水を飲んだ。焦りを紛らわせるように。
(あとどれぐらいかかるか…)
まだ明かりがある内に、野宿の用意をしなければ―。そんな考えが頭をよぎるその時―。
「やっとついたか…あれがクヌギ村…」
ヒノデは山の中にある入り組んだ雑木林を抜け、村人の住まいが発しているであろうポツポツとした明かりを視認した。
およそ12時間ほどの道程であった。
♦
「ドドメ村から?ずいぶん遠くまで来たね」
ぼんやりとした印象の眼鏡をかけた中年の男性がヒノデを見つめている。
「妹が寝たきりで」
ヒノデは急かすように本題に入った。
「昔、祖父が同じような病にかかった時、丁度仕事で立ち寄っていたこの村でいただいた薬がよく効いたと。その話を聞いて、妹の代わりに私が」
「ああ!」眼鏡をかけた中年男性、クヌギ村の医者・ブランクが手を高らかに打ち鳴らした。
「もしかしてそのおじいさんの名前はアカデかい?」
「…覚えているんですか!?」ヒノデは目の前にいる頼り無さそうな医者が急に大きく見えた。
「ハハハ、仕事があまり無いものでね…ぼくは自分が診た人ならみんな覚えているよ」ドクター・ブランクは誇らしげに、しかしやはりぼんやりと胸を張った。
(…大丈夫かなこの人)
先ほどまで大きく見えた医者の虚像は、ぼんやりと消え去った。
「ともかく、君のおじいさんに渡した薬と同じものを明日の朝には用意するよ。今日はもう遅いからしっかりと休養を取りなさい。」
♦
会話を終えたヒノデは、ドクター・ブランクが紹介してくれた宿へと向かっていた。
(あいつの病気…本当に治るのかな…)
考え事をしながら歩いていると後ろから唐突に声をかけられた。
「オイあんた」
「えっ」
ヒノデが振り返ると、そこには薄汚れた服装の、ぶかぶかの大きい兜を被っている少年が丸い瞳でこちらをじっと見ていた
「…薬をもらいに来たんだって?」
「ああ」
子供はヒノデの目を見ながら、投げ捨てるかのような口ぶりで言葉を発した。
「薬なんて諦めて早く出てけよ、もうこの村はまともじゃないんだ」
「!、それはどういう―「シーサー!あんた何してんだい!」
「…ッ」
シーサーと呼ばれた少年はぶかぶかの兜を揺らしながら走り去った。
「あっ!オイ!」ヒノデはその少年を追いかけようとしたが―
「すみませんねー!ヒノデさん!」…先ほど少年を怒鳴った、まんまると太った白髪の老婆に捕まってしまった。
「あの子には村のみんなも手を焼いてましてね!」
「えっあっそうなんですか」
「ブランク先生から話は伺っております!ささ、どうぞ我が家へ!」
息もつかせぬ怒涛の言葉の洪水だった。
その後、ヒノデは流れるかのように老婆の施しを受けることとなった。
♦
老婆の丁重なもてなしを受けたヒノデはベッドの中で横たわっていた
(…はぁ、疲れた)
この疲労感は山道を歩いただけのものではなかった。
妹の病への不安
老婆の強引という言葉が似合うようなもてなし(食事や風呂は大変よかったが)
…兜を被った陰気な少年が発した不穏な言葉
(…子供のおふざけにしては悪質すぎるな…)
ヒノデは重くなった体をベッドに沈ませながら、瞼を閉じた。
数刻後、空が白み始めた頃にヒノデは目を覚ました。
ただし、ヒノデにはその空を確認することができなかったが。
なぜならば、ヒノデが目を覚ました場所は老婆の家のベッドではなく
固い床と、座敷牢のような場所だったからだ。
♦
ヒノデが自分が置かれている状況を寝ぼけた頭を起こして確認した。
「…なんだここ!?」
確認したところで言葉を発することしかできなかったが。
「山を登って、村に来て、医者と話して、おばあさんに会って、寝て、そして、そして」
もしや全て夢の中の話だったのだろうか。
どこまでが?それならば妹の病は?そしてここは?
牢の鉄格子を掴みながら頭をぐるぐる働かせる。
「大丈夫だよ」
声がした。パニックとなっていたヒノデにはその声が聞こえるまで牢の前にいた少年に気づかなかった。
「落ち着いて、ここから出してやるから」
その少年はぶかぶかの兜を被っていた。
♦
「…それじゃあこの村はバケモノの住処で、住民はみんな人に化けたバケモノってこと?」
座敷牢から救出してくれた少年とともに外、クヌギ村のはずれに出たヒノデは少年から聞いた事実を反芻して言葉に出した。
「そうさ」
ヒノデの数歩先を進む少年、シーサーは顔を合わせずに同意した。
「昔はそんなんじゃなかったんだけどさ、あのオヤジもあの婆さんも、みんな」
「…ある日、この村のほこらから変な剣が見つけ出されてさ」
「それからみんなおかしくなっちまったんだ、体も…それ以上に中身もさ…」
とうてい信じられるような話では無かった。
目の前にいる少年はあのぼんやりとした医者や、あの老婆が人あらざるものだという。
おかしくなっているのはどちらか?あの村か?この少年か?
この少年から助け出されていなければ、ヒノデは迷わず子供の絵空事だと考えていただろう。
しかし、この子供の言うことを信じなければなぜ自分があのような牢に入れられていたのかを納得することができなかった。
「で、それがこの剣さ」
シーサーは後ろを振り返り、革に包まれた棒状の物体を取り出してヒノデに見せつけた。
「こんな剣消えちまえばいいのさ、だから盗み出してきたんだ。あんたに使うために準備してる時にさ」
「準備?」ヒノデはオウムのように少年が言ったことから単語を取り出して発することしかできなかった。
「…あんたにこの剣をぶっ刺して、仲間にするのさ、バケモノの仲間にさ」少年は話を進めた。
「頼みがあるんだ!この剣を持ってこの村から逃げてくれ!」
シーサはまくし立てた。言葉を出して恐怖を紛らわせているようだった。
そして、牛皮にくるまれた棒状の物体をヒノデに押し付けるかのように手渡した。
「逃げ出すって…君は」
「…オイラはダメだ、逃げられない」
シーサはぶかぶかの兜を頭から外した。
「!?」ヒノデは驚愕した。
「だって…オイラもバケモノだから…」
その頭には角が生えていた。どす黒く、見るものを威嚇するような角が。
「その剣が見つかった時さ、オイラそいつを持って、なんかの間違いで自分の指を切っちまってさ」
「数日間寝込んで、起きたらこれが生えてたんだ」
「…」ヒノデは黙って聞いていた。
「オイラだけならよかったんだけどさ、聞いたらオイラの親父がその剣を調べたらしくて、その剣でみんなを切りつけたらしいんだ」
「…なんでかよ、みんなそれを受け入れちまってたんだ。普段は隠してるんだけどよ、飲み会でどっちの角や牙がかっこいいかなんてさ、バケモノの集会って感じだろ?」
「シーサー…」
ヒノデがたまった感情を吐き出している少年を憐れんで、声をかけようとした。
大丈夫。君も自分の村に行こう。暮らせる。みんな分かってくれる。気のいい奴らばかりだ。そんなことを言おうとしたその時、
「…バケモノとは心外だな、シーサー。」
…牢から逃げ出した青年を追いかけてきた、ドクター・ブランクが立ちふさがった。
♦
「ブランクさん!」ヒノデは恐怖をごまかすように大声でその名を叫んだ。
「…その剣はすばらしいものなんだよ」
ドクターは患者に説明するように、優しい口調で言葉を発した。
「…その剣に斬られたものは、人智を超えた力を手に入れることができる。その剣をふるった者の思い通りにね」
「…父さん」シーサーは震えていた。
「その剣を返しなさい。そうすれば…命だけは助けてあげるよ。私たちの仲間になってもらうがね。」
グルル…と周囲からうなり声があがった
「!?」ヒノデは驚愕した
気が付くと、すでに目の前にいる医者の仲間のような村人らしきものたちに周りを囲まれていた。
それらはすでに人の姿ではなかった。
大きく横に裂けた口、凶暴性を見せつけるかのような牙、そびえ立つ角、輝く爪、昔読んだ物語にいるような人型の獣ともいえる存在―。
ただ、衣服をまとっていたのがかろうじて人間性を残していただけの怪物がそこにいた。大量に、取り囲んで、じりじりと近づきながら。
その中には昨夜もてなしてくれた老婆と同じ服を着ているのも混ざっていた。
「その剣を返したまえ、さもなくば。」
ドクター・ブランクは眼鏡を外した。その瞬間、体がメキメキと変形し、周りの村人だったものたちと同じような、しかしより大型の獣に姿を変えていく。長さも太さも、人間だった頃の3倍ほどの大きさに。
(どうする!?逃げられない!?この包囲を走り抜ける!?無茶だ!)ヒノデは絶望した。
そばにいる少年は固まっていた。息だけを荒くして
(武器―。どうにか武器を―。)ヒノデは先ほど渡された剣を牛皮から取り出した。
その剣は怪しく輝きを発した。
(こんな剣あったところで―。)剣を取り出すという行動を終えた後、その後どうするか、青年にはなんの考えも思い浮かばなかった。バケモノが迫ってくる。
(こんな剣何の役にも―この子だけでも―妹の病―)頭の中がぐるぐると、本日二度目のパニックを引き起こしている。座敷牢で目覚めた時よりはっきりと、走馬灯を見るかのような感覚を覚えた。呼吸が苦しくなっていくのを感じる。バケモノが迫ってくる。
「この剣に斬られたものは人智を超えた力を手に入れる―――」
極限にまで追いつめられた青年は、さきほど目の前バケモノが発した発言がふと、頭が浮かんだ。
その次の瞬間、ヒノデは藁にもすがる思いで―
妖しい輝きを発していた剣を自分の腹に向かってぶすりと突き刺した。
♦
最初に来たのは、冷たくて細長い物体が体のスキマから入り込み、熱を奪うような感覚。
その次は傷口から血と肉と魂が漏れる、大事なものが抜けるような喪失感。ではなく―。
剣の中から体に湧き出るような全能感であった。
「あ」声が漏れた。
「ああ」抑えきれない巨大なエネルギーが産み出されているのを感じる。
抑えようがないそれらのエネルギーが体の芯からあふれ出し、ヒノデは雄たけびをあげた!
「アアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
空気がビリビリと震えた、前方を向いたまま固まっていたシーサーがこちらを見た。
「なんだ…その姿は…」
巨大なバケモノとなっていたドクター・ブランクが小さく見えた。
朝日がヒノデの姿を照らした!ねじり曲がった巨大な二つの角を!バッファローのような雄々しい顔を!輝く毛皮を!人を数人まとめてつかめるような巨大な手足を!全長およそ十数メートルな筋骨隆々なその姿を!
ヒノデが自分がどのような姿に変わったかを自覚をしたとき、再び大空に吠えた。
♦
「ぁ…あんた…」シーサーが驚愕の表情でこちらを見ている。
「大丈夫だ」自分の声が出た。自分が思っていたより大きく。野太く。
「…大丈夫」今度は少し抑えた声で発音した。安心させるように。
周りに取り囲んでいた人型の獣はすっかりと固まっていた。
「な…」獣と化しているドクター・ブランクが声を出した。
「一体何を!そこまでの力を!どうやって!」剣を突き刺したヒノデ本人にも分からない疑問をぶつけた。
「…シーサー」ヒノデは周りの獣には目もくれず、足元にいる小さい少年に声をかけた
「俺は…大丈夫だ…信じてくれるか…?」
シーサーは戸惑いながら頷いた。
「そうか…そうか」
大きい翼がヒノデの体から生えた。ヒノデはシーサーを手に掴み、首にしがみつかせるように乗せ、天高く飛翔した。
「何を…何を!」ブランクが大空に向かって吠えた。
(体が思いどおりに変化する…!それがこの剣の力なら…!)
ヒノデは天高く飛翔するのをやめ、先ほどまでいた地面に照準を合わせた。
獣と化した村人がこちらを見ている。
そこに大きいヒノデが空高くから頭から突っ込んだ。流星のように。
「やめ…」地にいた獣が悲鳴をあげたその瞬間。
黄金の衝撃が地面にぶつかって、大地にはじけた。
♦
「…本当にこの村に残るのか?」
ヒノデが尋ねた。その体は人間の姿に戻っており、荷物を担いでいる。
「うん」
シーサーが応えた。その頭にあった角は無くなっていた。
「…みんな、もう元の姿に戻ったしさ、元通りの生活に戻れたら…それが一番いいなって苦労すると思うけどさ」
シーサーは笑みを浮かびながらそう言った。
ヒノデは大空から落下し地面へ激突した時、体に刺さっていた剣のエネルギーを放出した。
衝撃で村人は気絶したが外傷がなく、牙も爪も持たない人の姿に戻っている。じきに目覚めるだろう。
「アンタは…妹さんの薬を取りに来たんだろう?」
ヒノデは背に担いでいる剣を取り出した。
「この剣があれば…体を思い通りに変化できる…妹の病も治療できるかもしれない…ま、可能性はあるさ」
「もしかしたら…ブランクさんもそう思ったのかもな」
ドクター・ブランクも今は人の姿に戻って地面に横たわり気絶している。
彼が数刻後に起きだして、妖剣を失ったことを知った時、一体どうなるのか。
「…大丈夫さ!それに…また来てくれるんだろう?」
「ああ…妹の病を治したら、すぐまた来るさ。絶対な。」
ヒノデは小指を差し出した。シーサーもそれを見て小指を差し出した。
2人は小指を絡め合い、上下に振った。
「じゃ、またな」
会話を終え、ヒノデは歩き出した。故郷に向かって。
シーサーは手を振りながら、その背中をずっと見ていた。