表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/44

5月① Seacretのライブ

 ゴールデンウィークの5月3日。僕は正宗と共に上野駅にいた。アンボルデ美術館で開催されている若冲展を観に来たのだ。ゴールデンウィーク中とあって、やはり上野駅は人で混雑している。


 音楽ばかりに目が行く僕と違い、正宗は芸術全般に関心がある。今日、若冲展を観に行こうと誘ってくれたのも正宗だ。正宗によると、現代アートの源流の一つに江戸期の日本画があるとのことなのだが、美術に疎い僕にはさっぱりだった。


「うわー、若冲展、80分待ちだってよ」上野駅のインフォメーションセンターで待ち時間案内の看板を見た僕が言う。

「80分は待てないな。喫茶店に行こう」正宗も金髪の頭をボリボリ掻きながら言った。僕だったら80分素直に待って美術館に入るが、正宗はこういう場面で待てないタイプなのだ。


 上野駅からしばらく歩いて喫茶店に入った。味のある複数の油絵が壁に立て掛けられ、シックで古びた内装の店だった。人工的ではなく匂い立つような雰囲気のある店が正宗の好みだった。知らない場所でもこういう店を見つけ出して入るのは、正宗がよくやることだ。だから、チェーン店には正宗とは滅多に入らない。僕は安くて美味しくて落ち着ければどこでも良いのだけど。


「ここでしばらくゆっくりしようぜ」と、淹れたてのアメリカンを飲みながら正宗が言う。

「うん。でもまさかこんなに混んでいるとは思わなかったね」僕も熱々のアメリカンをすすりながら言った。

「来週の水曜のライブだけどさー、やっぱり来られないかな?」話題を変え、正宗が神妙そうな面持ちで聞いてきた。

 その日はベース教室がある。アカネと一緒に過ごす時間が楽しくて、正宗のライブの誘いを断っていたのだ。それに、正宗のライブには月1くらいのペースで足を運んでいるし。

「大切なライブなんだ。実は本当にここだけの話なんだけど、メジャーレーベルからお誘いを受けているんだ。そのレーベルの人も観に来るんだ」

「えっ!?本当!?」僕は驚いて声を上げる。


 正宗のバンド「Seacret」は、既にUSプロジェクトというインディーズレーベルに所属している。インディーズレーベルの有名どころであるUSプロジェクトからメジャーレーベルに巣立っていったバンドも多いが、雀の涙ほども売れずにメジャーレーベルに移籍できず、USプロジェクトとの契約も解約になったバンドも数知れず。正宗のバンドは、メンバーが全員20歳近くのバンドにして、メジャーレーベルからお誘いがくるところまできたのだ。


 確かにSeacretのライブに行くと観客は多い。都内でワンマンか対バンをすれば、キャパ四百人のライブハウスなら確実に埋まる。演奏中のキメや演奏の合間のMCではファンの女性の黄色い歓声も上がる。実力も人気も兼ね備えたバンドなら、メジャーレーベルからお誘いを受けることもあるだろう。


「行くよ、行く行く!」ベース教室は毎週あるし、一回くらい行かなくてもよいだろう。アカネとの縁が途切れてしまわないか少しだけ心配だが、冷静に考えればそんなことはないと頭の隅で分かっていた。

「今回のワンマンのライブ会場は渋谷のクラブアジアンでキャパは六百人。今までで一番規模がデカいライブハウスなんだ。もちろん、一人でもお客さんがいた方に越したことはないし、それだけじゃない、聡吾に大一番の演奏を聴いてもらえたら嬉しくて張り切っちゃうからさ」正宗が正面から僕の顔を見て、照れもせずにそんなことを言う。これはライブに行かなければ男がすたる!

「ああ、行くよ、観に行くよ! メジャーレーベルと契約できるといいね」

「いまどき、インディーズかメジャーかなんて音楽活動するのに変わりないけど、メジャーの方が宣伝に金かけてくれるし、注目されるし、聴いてくれる人は多くなるからね」正宗は相好崩して言った。

「うまくいけば、これで法律の道を目指さなくてすみそうだね」僕も笑顔で言う。

「ああ、法学も面白いけど、それ以上に音楽の方が面白いからな」


 正宗は音楽活動で芽が出るまでのモラトリアム期間として大学の法学部に通っている。正宗の頭なら東帝大などの超難関大学を目指すこともできただろうが、バンド活動と両立させるために単位が比較的取りやすいこの大学に入ったのだ。


 もし、バンドで芽が出なかったら、将来、法学を専門的に学んで法曹関係の資格を取って活躍するつもりらしい。頭が切れる正宗なら法曹として活躍することも可能だろうと僕は思っていた。腕利きの弁護士になって年収1億とかも夢ではないかもしれない。万が一僕がその頃ニート生活を送っていたら、忠実な下僕として雇ってほしいなんて冗談で思う。


 数日後、僕は正宗のライブを観に行った。クラブアジアンは大入り満員。バンドメンバーの4人は連日チラシ配りなどの宣伝をしていたのだが、その効果もあったのだろう。あとは、目だった失敗をせずに演奏し、熱のこもった演奏で客をわかすことができれば……。


 ライブが始まり、一曲目から高速テンポの楽曲で飛ばしていく。二曲目もディストーションをかけた派手なギターサウンドが鳴り響く。うねるベースの低音とバスドラムの強打が観客の身体を揺さぶる。客席は温まり、熱くなって声援が飛ぶ。


「今日も俺らSeacret、飛ばしていくぜ!」正宗がMCで勢いよくマイクに声を吹き込む。ドラムがシンバル類やスネアやタムをスティックで交互に叩き、正宗のMCに華を添える。


 一言のMCを終えると、今度は高速でリズムが跳ねている曲。正宗のリズムギターの切れ味は抜群だ。この曲を終えると、また正宗のMCの時間に入った。


「俺たちSeacretの二枚目のCDがUSプロジェクトから今度の9月に出ます! よろしく!」


 CDが出ることは僕も知らなかった。正宗がいつもよりも僕にライブに来るように働きかけていたのは、メジャーデビュー前の大切なライブだからというだけではなく、二枚目のCDが出ることをいち早く知らせたかったからというのもあるのだろう。


 その後も、しっとりとしたバラード曲なども挟みながら、目立った機材トラブルなどもなくライブは終了した。


 帰路に就く満足げな観客の表情を見ながら、メジャーレーベルの人もこのライブなら満足して帰るのではないかと僕は思っていた。

次回はナナがやってきて摩訶不思議なゲームを始める…?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ