第百四五話 リベンジと欺きと、欺きと執念 その1
のんきに歩いていたら突然洞窟の向こう側からムチが飛んできた。
体を右にひねって避けようとするが、左頬をかすった感覚が伝わる。
ムチはその後来た道を巻き戻すようにして道の向こうへ消えて行った。
あれには見覚えがあった。
「おお、あれは......」
まさかまた会うことになるとは。
頬を触って付いた血を指でねじりながら、影の奥から彼が登場するのを待つ。
革靴を履いた細い脚から、だんだんとそのシルエットを剥がしていく。
「お久しぶりですね、アイラさん」
「......ウォルトだったか。何だ? いわゆる「リベンジ」というのをしにきたのか?」
「ええ、あの時の借りは返させていただきます」
ウォルトが散切り頭の顔を見せると、ある違和感を覚えた。
それは考えるまでもなく、彼が忌み嫌っているはずの口元が露出されていることだと気付いた。
アイラは少々不意を突かれて、「へぇ」と感嘆の声を漏らす。
「貴様......マスクはどうした?」
アイラは特に煽り立てるようなことをせず、素直にウォルトに問いかける。
「......貴方に言われて」
「え?」
「あなたの挑発にまんまと乗ってしまいましてね、私にもプライドがあります。あなたに嘲笑われるのも実に気に喰わないものです。なのでここは尊厳にかけて、あえてこれで挑みます」
その理由がまたアイラをまた困惑させる。
別にあの時こんなことをさせるために、というか、挑発をしたつもりですらない。
しかしそんなので乗ってしまうとは、意外と短気というか、小物っぽいというか。
とにかく、これは良い情報にはなりそうだ。
「......中々面白くなりそうだな」
「ですね。あなたを殺れると思うと......私は......」
ウォルトが口を少しゆがませてそう言い放った後、ウォルトは何も言わず沈黙を保った。
結局何も言わんのかいというオチなのか。
アイラがそれにもどかしさを感じ始めたとき、戦いの火ぶたは突然切られた。
「なっ」
何の予備動作も無しにムチが下半身に伸びてきたので、アイラは慌てながら、といってもそれをできるだけ表に出さすにかわす。
ただ無防備に突っ立っているわけではなかったのだが、これは少し裏をかかれてしまった。
「ちょっと急すぎんだろぉ!」
「戦いにスタートのチャイムはありません!!」
ウォルトはさっきの静かな口調から一転、急に声を荒げ始めた。
ムチうちも、前より早くなっているようだ。
(これは......私を倒すのに相当躍起になっているようだな)
一体何が彼を感情的にしているのかは良くは分からないが、あの時に敗北宣言して逃走したのがかなり悔しかったのは確かだろう。
ウォルトは『蟻の巣作戦』の時、「欺くのは得意でも、戦いの中で弱点を見つけ出し、柔軟に作戦を企てるのは苦手」とアイラに言ってきた。
その言葉に疑いの余地はない。
瞬時の判断ぐらいはできるが、敵の情報を集めつつ、敵を倒すその瞬間までの道筋を立てるというのはどうしても難しい。
むしろあの時、弱点を見つけれたのが運が良かったとしか言いようがない。
であるならば、どうするべきか。
至極単純、『戦闘中に出来ないのであるならば、戦闘前にやればいい』。
彼の弱点は『死角』だ。
あの戦いも、死角からうまくナイフを刺し込めたから、マスクの破壊に成功した。
とはいえ、ウォルトも同じ攻撃を二度も喰らうような奴ではないはずとアイラは考える、少なくとも知能はあるのだから。
それなら、また別の作戦を考える必要があったのだが、それにはもう一つの弱点があると踏んでのものだった。
その作戦とは......。
「それっ」
アイラは武器を出すことはなく、代わりに自らの前に鉄の壁を作り上げる。
壁はウォルトの背後だけを開けて囲む。
「小癪なっ!」
ウォルトが愚かにも壁を破壊するのに全力を注いでいるうちに、アイラはその壁を囮にして、ウォルトの背後に全速力で回り込む。
アイラは忍者のようにして背を低くし、ウォルトの真後ろにまで回ると、早速、彼の後頭部の首に近い位置に『第三の目』であろう部分を発見。
白目しか見えておらず、ここもまた死角なのか。
アイラはナイフを一本手に出すと、極端にかがみこんでいた状態から跳ね上がり、ウォルトに飛び付いて、完全に目を捕捉する。
「なっ――」
ウォルトが気づいたようだがももう遅い。
アイラはそのナイフ一本を、達成感をフライング気味に感じながら一思いに、見開いた目に差し込んだ。
「アアアア......!!」
「『視覚』に頼りすぎなんだよっ!」
これこそがもう一つの弱点。
鉄を生成するときは全く音が出ない訳がないが、ウォルトはそんなことにも気づかず、間もなくマスクを破壊されてしまった。
だから彼の聴覚は低いと考えていた、彼の首に第三の目があるのもそれを補うためだろうと。
彼が感情的になっているのも大きな助けとなった。
アイラは痛みに悶えているウォルトを踏み台として蹴り倒し、地面に足を着ける。
「はぁあああ......やった」
アイラは大きくゆっくりと息を吐く。
恐らく、一番厄介な部分を破壊することに成功した。
これで彼を倒すのにだいぶ難易度が下がったと、気楽になる。
「く、くそ、こんなことになろうとは......」
血涙を流す目を覆い隠しながら、ウォルトはいかにも苦しそうに顔にしわを作っている。
「おう、こっそり行ったとはいえだいぶ足音を立ててしまったんだがな、やはりお耳がお悪いようで」
「はぁ、はぁ......冷静になれば、その足音が聞こえてたかもしれませんね」
「それをもっと前に気づけば良かったんだがな」
「いや......どうやらまだ手遅れではないようですよ」
ウォルトの謎の強がりに疑問を感じざるを得なかった矢先、ウォルトはまたしても突然にムチを飛ばしてくる。
また足元に向かっていったが、しかしそれを避けるのは簡単であり、アイラはひょいと避けて見せる。
彼の愚かさには笑いすら出てくる。
「おいおい、それさっきもやったじゃん。なんで一度避けられたものをまた――」
アイラが話している最中に、サクっと何かが背中から腹を通り抜けるような感覚に襲われた。
嘲る目を下に向けてみると、お腹から赤い革がビロンと出ているのが確認できた。