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十六話 前進

 それなりに時間が経っていたこともあり、教室の中は部活や既に帰った後のようでもうほとんどの人が残っていなかった。

 だがそれも私が戻ると入れ違いで出て行き、結局教室には私一人だけになってしまった。


 本当は早く帰りたい。

 だけど、智美に頼まれていた物を片付けないと後が怖い。



 教室の一番後ろに足を運び、ロッカーの上に置いてある二つのダンボールを前にする。

 とりあえずどのくらいの重さかがあるのか知っておきたいので、大きい方の箱を持ってみようと考える。これが楽々持てるようなら、小さい方も楽勝なはずだ。


 箱を両手で挟み、自然体で持ち上げてみる。


「……え」


 これは――、ひょっとするとひょっとするんじゃないかと、手から伝わる感覚ですぐに分かった。


 力任せに持ち上げてみたり、胸に密着させて体で支えるように持ち上げたりと、一応は試してみる。が、元々力の弱い私ではピクリとも動きそうになかった。



 全ての力を出し切ったと同時に、激しく乱れる呼吸。

 肩を上下させ、俯く頭の片隅には絶望感が駆け巡る。


 頑張っても動かせないとなると、小分けにして運ばなければいけなくなる。しかしそうすると、二階のここから一階にある図書室まで何往復もする必要が出てくる。それは階段の上り下りも増えるから疲れるのはもちろん、本を出し入れする手間も増える。


 そして何より――、時間がかかる。

 

 

 一際大きな溜息が漏れると、段々と泣きそうになってきた。



 ――なんで……私ばっかりなの……。何も悪い事してないのに……なんで……。



 心がよどみ、悲壮感に落ちていく。胸が苦しくなり、目尻に涙が浮かぶ。




 その時――、誰もいないはずの教室で、ふと声が聞こえて来た。


「あれ? まだ残ってたんだね、菊地さん」

「……え?」


 聞き覚えのある柔らかい声に、私は咄嗟に顔を向ける。

 開け放たれた教室の後ろのドア、そこには微笑み立つ一聖くんの姿があった。



「もう教室にはみんないないみたいだけど、一人でどうしたの? 忘れ物かな?」


 一聖くんは軽く教室内を見渡すと、再び私へと視線を戻しては問いかけてきた。


 ごく自然に、当たり前のように微笑みかけてくるけど、今の私にはその当たり前の優しさが凄く心に染み渡った。

 高鳴る感情が、グッと強く胸に込み上げてくる。


 私は咄嗟に背中を向け、溢れる涙を指先でそっと隠すように拭う。


「菊地さん?」

「……ううん、だい……じょうぶ」


 声を震わせながらもなんとかごまかし、一聖くんへと向き直る。

 

「菊地さん……その目、やっぱりひどかったの? 朝から気になってはいたんだけど……」



 前髪で隠してはいるものの、紐の部分とかは多少見えてしまっている。だから私の顔を見れば、眼帯を付けていると分かるのは当然と言えば当然か。


 おそらくこの眼帯のせいも余計にあるのだろう。魔眼のことを知らない一聖くんは、私の怪我の具合を心配してくれているようだ。



「……まだ傷があるから隠しているだけ」

「そうだったんだね。傷口が開かないように、あまり無理はしない方がいいよ?」

「……うん、ありがと」


 私のことを唯一心配してくれる存在。それが誰でもない一聖くんだからこそ、優しい言葉に心が温かくなる。

 私は下を向き、垂れる前髪の裏で照れ笑いを隠すのだった。



 すると、一聖くんは見慣れない二つのダンボールに気付いたようだ。


「あれ? なんだろうこの箱。いっぱい本が入ってる」

「……片づけるやつみたい。これから図書室に持っていくところ」


 私の言葉に一聖くんは少し目を丸くすると、おもむろに箱へ手を伸ばしては驚愕の面持ちへと変貌させた。


「――っ! これ、凄く重たいじゃないか! 菊地さん一人で運ぼうとしてたのかい!?」

「……うん」


 驚くのも無理もないだろう。それほどこれは、誰が持っても重たいのだ。


 肩を落とす私のことを見つめている一聖君は、丸くしていた目を閉じて、クスッと小さな笑みを零した。そしておもむろに小さい方の箱を持ち上げると、何かを確認するかのように一つ頷き、私の前にそれを持ち出してきた。


「はい、菊地さんはこっち」

「……え?」


 手渡される箱を受け取ると同時に、小さく零れる声。

 小さい方の箱は、私でも持てるくらいの重さだった。



 ――どうして一聖くんは私にこれを? それに「菊地さん”は”」ってどういう……。



 その答えは、一聖くんの行動が物語っていた。

 私に小さい方の箱を渡した後、残る大きい方の箱を一聖くんは抱えだしたのだ。


 目を丸くしながら硬直する私に、一聖くんは箱を持ちながら笑顔を向けてくる。


「僕も手伝うよ。菊地さん一人じゃ大変だもんね」

「……え、いいの?」

「もちろんだよ。それにどちらかと言えば、困ってる人を放っておけないのが僕の性分なんだよね」


 一聖くんは、そう言って一つウインクすると、廊下へと視線を移しては歩き出して行った。


 私はそのイケメンぶりに赤面しながらしばし呆然としていたが、距離が離されるとハッと我に返り、小走りで一聖くんの背中を追いかけて行ったのだった――。






 数冊の本を抱え、タイトルと見合う場所の本棚へと本を戻していく作業。

 貸し出し中を表すダミーが差さっていればそれを見付けるだけで簡単なのだが、いかんせん手に持つこれは、朝の読書用に長期予定で準備された物なのでダミーは無い。なのでタイトルの頭文字だけではなく、左右の本のタイトルとのバランスも考えながら戻さないといけない為、思ったよりも時間がかかっていた。


 額に流れる汗を腕で拭い、腕の中にある本のタイトルを確認し、本棚を見渡す。

 首を目一杯上へと向け、本棚の最上段を視界に捉える。


 どうやら、背伸びしても届かないあそこが、この子達の居場所のようだ。






「ふぅ……。もうこんな時間か」


 手分けして本の返却作業を行っている二人の内、一聖は額の汗を拭うと、腕時計の針に視線を落としていた。


 日の沈みかけた夕陽が、窓からオレンジ色の明かりを灯す。

 窓の冊子、並ぶテーブルや椅子、本棚の影が床に映し出される。


 一聖は足元にあるダンボールを静かに見つめ、おもむろに一冊の本を取り出した。


(一冊一冊の本でも、こんなに時間がかかっているんだ……。僕が手伝っていなかったら、菊地さんはこれを全部一人で……)



――ガタガタ。


 

 突如発した何かが揺れる音。

 思考にふけ込む一聖だったが、後方から聞こえて来たその音に反応するように、すぐさま振り返った。


 視界に映るのは、脚立の上でバランスを崩す口未子の姿だった。


 口未子は、手の届かない最上段の本棚へと本を返却する為に、脚立の天面に乗って作業していたのだった。

 本来、脚立は天面に乗ってはいけない道具である。バランスを崩しやすく、落下する危険性が増すからだ。



 揺れる脚立の上で口未子は必死に立て直そうとするものの、焦る気持ちが空回りし、ついには脚立が横転してしまう。


 宙へと体を放られた口未子は、目を瞑り悲鳴を上げることしか出来なかった――。






 何も見えない暗闇の中、私は徐々に意識を覚醒させていった。

 脚立の上から落ち、恐怖から咄嗟に目を瞑ったものの、床へと衝突する衝撃を感じなかった。


 もしかしたら、気を失って痛みが分からなかった?

 どこか怪我していたらどうしよう。


 ビクビクと体を震わせながらも、ゆっくりと目を開けていく――。



「大丈夫? 菊地さん」


 一聖くんの声と同時に、私を上から至近距離で覗き込む一聖くんの顔が視界に映る。

 だけどそれだけじゃない、よくよく考えれば私は床に立っていないのだ。

 

 背中と膝裏に感じる感覚、そしてすぐ横には心臓の音が聞こえそうな程近い胸。それらを意識して感じるようになると、私は自分の置かれている今の立場がようやく理解出来た。



 そう――、私は一聖くんに、お姫様抱っこのように抱きかかえられているのだと。



「いやぁ、間一髪だったよ。でも間に合って良かった! どこも痛い所はないかな?」

「へ!? あ、ひゃい……」


 熱く火照る顔からプスプスと煙を出し、大丈夫だと答える声も自ずと噛んでしまう。


 一聖くんが私を助けてくれたのは、かけられた言葉と状況から察しは付く。

 だけど、助けられたこのシチュエーションが、とても恥ずかしくて今にも心臓が飛び出そうだった。


「高い所は僕がやるよ。二人で共同作業をしているんだし、無理はせずに僕を頼って欲しいな」

「一聖くん……」

「菊地さんが怪我をするところ、二回も見たくない」


 私を見つめる真剣な瞳。吸い込まれそうな真っ直ぐなその目に、私も視線を逸らすことが出来なかった。

 顔はおろか、体中が熱くなってくる。心臓の鼓動も増す一方。


 このままでは理性が保てないので、潤う瞳を浮かべ、静かに一言だけ口を開いた。


「あの……、そろそろ降ろして……ください」

「あっ」


 私の言葉で一聖くんも気が付いたのか、ずっとお姫様抱っこされていた私はようやく解放させたのだった。


 へなへなと床に座り込み、体の熱が冷めるのを呆然と待つ。

 一聖くんは頭をかきながら照れ笑いを浮かべている。


 咄嗟の事とはいえ、あの状況は恥ずかしいながらも凄く嬉しかったのが本音だ。

 一聖くんがまた私を助けてくれて、誰もいない図書室で二人きりで、お姫様抱っこで。私には一生に一度あるかないかの、夢にまで見るおいしい展開だった。


 落ち着きを取り戻し冷静になりつつある今なら分かる。

 こんな展開はもうないだろう、これはチャンスだ。ここで勇気を出さなかったら、絶対に後悔する。


 恥ずかしさか緊張かはもう分からない。だけど、息が荒くなる程の高鳴る鼓動を手で抑え、私は前へと進む為に目に力を込める。


 

 一聖くんに――、告白する為に!



「よし、続きやっちゃおっか! 菊地さんは休んでていいよ」


 そう言葉を残す一聖くんの後ろ姿に、私は震える下唇を噛み締めると、目を瞑っては力の限り床へと声をぶつけた。


「一聖くんはっ――! す、好きな人とかいますかっ――!」


 自分でもビックリするくらい大きな声を出したと思う。

 足音は聞こえないし、間違いなく一聖くんに私の言葉は届いたはず。もう、後戻りは出来ない。


 スカートの前幅をぎゅっと握り、全身が小さく震える。

 聞こえてくるのは近寄って来る足音。それは私の目の前でピタリと鳴り止んだ。


 

 私はすぐに返事が来ない事と、目の前に一聖くんが来たのであろう事に不思議に思い、震えながらもゆっくりと目を開いていった。


 視界には、腰を落として私と目線を合わせている一聖くんの顔がある。真剣な表情を浮かべ、真っ直ぐと見据えてくる。



 怖い。聞くのが凄く怖い。

 いると言われれば、正直ショックだけど諦めるしかない。一聖くんはモテるから、彼女がいたっておかしくないのだから。

 逆にいないと言われれば、それこそ告白しなければならなくなる。この機会を逃したら、きっと私の性格上、二度目はないだろう。そして告白が……うまくいくとは限らないのだから。


 だからこそ、どちらの答えでも聞くのが凄く怖かった。



 しかし――、一聖くんの答えは、私の思っていたものとは少し違っていた。



「好きな人はいない……けど――」


 真剣な面持ちの一聖くんはそこで言葉を止めると、優しい微笑みを浮かべては、私の頭に手を乗せてきた。


「目を離せない子なら……いるかな」


 最後に飛び切りの癒し系スマイル。

 私は自分の予想と全然違った展開に、拍子抜けするようにきょとんとしてしまった。


 

 ――え、でも、今のって……。



「い、一聖くんっ……今のはどういう――」

「さっ、続き続き! 急がないと日が暮れちゃうよ菊地さん!」

「へ!? あ、あのっ――」


 一聖くんは作業へと戻って行き、一人残った私は……結局告白するまでは至らなかった。






 作業を終えた一聖と口未子は、昇降口で向かい合わせに立っていた。一聖は廊下に立ち、口未子はすでにローファーへと履き替えている。

 どうやら一聖は生徒会の仕事で、帰る前に職員室に寄るようだ。帰る口未子の見送りにと、昇降口まで足を運んでいたのだった。


「それじゃ菊地さん、また明日ね!」

「……うん、今日はありがと。また明日」


 笑顔で手を振る一聖に、口未子も少しハニカミながらも笑顔で手を振り返す。


 一聖は帰路に着く口未子の背中を見つめ、開いた自分の手へと視線を落とした。

 そして、掌を見つめながら小さく呟く。



「菊地さんは……僕が守ってあげないと」



 



 帰宅した私は靴を脱ぎ捨て、降ろしたリュックの肩紐を掴んではグルグルと回しながらスキップを刻む。

 告白まではいかなかったけれど、それでも以前よりは確実に進めたのだ。



「たっだいまぁ~!」


 ルンルン気分で階段へと差し掛かった所で、兄がリビングから顔を出してきた。


「くみ、おかえり。どうした? やけに上機嫌だけど」

「ふふ~んっ」


 私はピタっと立ち止まり、リュックと共に後ろで手を組むと、少し前かがみになって兄の顔を見上げた。


「教えないよ~だっ! ハ~ゲ!」


 きょとんとする兄を尻目に、私は再びルンルン気分で階段を上って行ったのだった。




 いつも通りに夕飯を食べ、いつも通りにお風呂に入り、いつも通りに歯を磨いて、いつも通りにベッドへダイブ。


 パジャマなんてオシャレなものは持っていないので、家にいるときはだいたいジャージだ。赤いジャージが家着と言っても過言ではない。


 うつ伏せに寝転がりながら、垂れたウサギのぬいぐるみに顔を埋める。


「んんんん~!」


 図書室での出来事を思い出し、足をバタバタとさせてしまう。

 しっかりと脳裏に焼き付いたあの瞬間が、何度も何度も甦ってくるのだ。


 落ち着くとあの光景が浮かび、足をバタつかせる。そしてしばらくして落ち着くと、また頭に浮かんできて足がバタつく。この繰り返しをしばらく続けていた。


「ハッ! ダメだ! 寝よう!」


 ウサギのぬいぐるみから顔を上げた私は我に返り、電気を消して仰向けになって布団をかけた。


 チクタクチクタクと、静寂の中に時計の音だけが鳴り響く。

 その音が一瞬一瞬を刻むかのように、あの出来事を切り抜いたページのように頭に浮かばせる。



 私を包み込む両手、暖かい体温、爽やかな香り、優しい笑顔――。

 お姫様抱っこをされる私と、抱きしめる一聖くんとの、息がかかるほどの距離。



 一つ一つが鮮明に甦って来て、とてもじゃないが寝付けそうにない。

 体も火照り、余計に眠れない。


 胸に手を当てると、心臓もバクバクと鼓動が早い。


「一聖……くん」


 心臓の位置から手をずらし、掌に収まるサイズの胸を包み込む。

 そっと優しく、軽く指先に力を入れる。


「んっ……」


 ビクっと震える体と共に、自然と零れる吐息。火照る体は勢いを増し、胸を包む掌も熱くなってくる。


 もう片方の手を、お腹から下へゆっくりとなぞらせ、滑り込ませていく。


「んぁっ……」


 ふいに口を軽く開き、熱い吐息が溢れる。


 

 薄っすらと差し込む月明かり。

 妄想に浸り込む私は静かに、艶やかな女の声を闇夜へと紛らせるのだった――。

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