一話 地味子
男女共にガヤガヤと談笑が飛び交う、とある教室内。一番前列の窓際の席には、周りの賑やかな雰囲気の中、腰まで伸びる黒髪の少女が一人、まるで空気のように本を読んでいた。
彼女は菊地口未子。口数が少なくいつも暗いイメージを持たれているのと、本名から菊の部分を除いて出来上がる文字列から、高校生特有の変なあだ名が付けられていた。その名も通称、”地味子”である。
――はぁ……うるさい。何がおもしろくてそんなにペラペラ話すことがあるんだろう。しゃべる為に学校に来てるのか、勉強する為に来てるのかどっちだよ。……どっちもか。友達のいない私には、勉強する為っていう選択肢しかないんだった。可愛い子やイケメンに優しい不平等なこの世界で、どう足掻いても地味な私は静かにひっそりと生きていくしかないんだろうなぁ。
憂鬱気味にそんなことを考えていると、ふと何かが床へと落ちた音を捉えた。
私は首を横に向け、流し目で音のした方へと視線を移すと、そこには床に落ちた一つの消しゴムがあった。おそらくその消しゴムは、後ろの席の女子が落とした物だろう。
私はちらりと背後の様子を伺うと、持ち主は私に背を向けては自分の机の上に座り、友達と向かい合って楽しそうにおしゃべりをしていた。
落とした物を拾ってあげるのは日本人のクセだろうか。私はごく自然に消しゴムを拾い上げ、持ち主の机の上にそっと戻してあげたのだが――、
その瞬間に、怒声とも思える甲高い声が私の耳に響く。
「おいっ! 触んじゃねーよ! 地味が移るじゃん!」
後ろの彼女は私が消しゴムを拾い上げた事に気が付いたのか、かなり不機嫌そうな面持ちで罵声を浴びせて来たのだ。
私は思わずビクッと体を硬直させていると、その子はすぐさま消しゴムを無造作に掴み取り、私の横を通り過ぎてはツカツカと教室の角に向かって歩き出す。そして角に設置されたゴミ箱の中に向けて、握った消しゴムを乱暴に投げ入れた。
その子は踵を返して戻ってくるなり一つ舌打ちしては、言い捨てるように私へと一言投げかけた。
「地味子、新しいの買って返せよ」
冷たく言い放つその一言に、俯く私は「うん……、ごめんね」――と、静かに返すことしか出来なかった。
なぜなら、その子は私の苦手な女子グループ――、”マジクソ三姉妹”の一人だったからだ。
本当の姉妹じゃなくて、私が心の中で勝手に呼んでる”マジでクソみたいな三人組”の略称だ。クラスにも嫌な奴はいっぱいいるけど、この三人組はその中でもトップクラスの存在として私の中で位置している。一年生の頃から何かと嫌がらせを受けていた私は、このマジクソ三姉妹が本当にイヤでイヤでしょうがなかった。
どんな拷問かは知らないけど、二年になってすぐの席替えで、私の後ろがこの子――『黄鳥れみ』になった。きっと神様なんてこの世にはいないのだろう。
れみは大胆に開いた胸元に、スカートは折りまくってミニスカ状態。外ハネショートの髪も凄い茶色に染めて、メイクもバッチリ決めてるいわゆるギャルと呼ばれるものだろう。
私とは性格も見た目もまるっきり正反対ってのもあるんだろうけど、いつも耳障りなほど甲高い声でキャンキャン犬みたいに騒ぐから、正直それだけでウザイ存在に思えていた。
そのれみと向かい合わせになって話しているのが、マジクソ三姉妹のもう一人。――『青葉 萌』。
茶髪よりはどちらかというと赤みの強い髪色で、少しウェーブの入ったセミロングの髪形をしている。身長も高くてスタイルも良く見えるのだけれど、その目つきの悪さといつも不愛想に腕を組んで立っている事から、昔のヤンキーっぽいイメージで正直目が合うだけで怖い。それとコンプレックスなのか、名前で呼ばれることを嫌うみたいだ。
マジクソ三姉妹は、悪の根源だと私は思う。
だけど、色々と心の中ではマジクソ三姉妹に対して言うものの、それでも恐怖心の方が強くていつも私は何も言い返すことが出来ないでいた――。
♦
口未子が猫背気味で本と向かっている中、教室の後ろのドアから足を踏み入れる一人の少女の姿があった。
ほんのり茶色がかったロングストレートの髪を緩やかになびかせ、手首に付けた髪留め用のピンク色のゴムがさり毛ないオシャレ感を引き立てる。きちんと着こなした制服と、整った顔立ちと漂う清楚なオーラが、見ただけでも育ちの良さを感じさせる少女だ。
その少女は教室に入るなり、談笑を交わしているれみと萌の二人の間に位置する。そしてブレザーのポケットからおもむろに一枚の手紙を取り出しては、それを二人の前でチラつかせた。
「三組の山田って男子から、こんな物もらっちゃいましたけど~?」
微笑みながら少し首を傾げては、甘い声で語尾を伸ばすその声に、れみと萌の二人はヒラヒラと目の前で踊る手紙に食い入る様に目を輝かせた。
しかし、心を躍らせるそんな二人の態度とは逆に、口未子は背後から聞こえて来た声にビクッと肩を震わせていた。本を持つ手は若干震え、小指の爪をかじっては怯えた様子を見せている。
それは、口未子にとって最も恐怖を感じる対象が、その少女であったからだった――。
♢
――うわ……、もう最悪。この二人がいるから絶対そのうち来ると思った。マジクソ三姉妹の中で私が一番大嫌いな女、”智美”の声だ――。
彼女はこのクラス――いや、地上において最大の汚点、マジクソ三姉妹のリーダー格にして女王――『赤城 智美』。
見た目では清楚なお嬢様って感じで、実際に親は弁護士だったか外交官だったかとか聞いた事もある。だけどいいのは外面だけで、その内面は超が付くほどの腹黒だ。
性格の悪さはクラスの人なら知ってる人も多いけど、このクソ女王のことを良く知らない他のクラスの男子には割と人気があるらしい。平然と猫を被るその度量は、同じ女子の私からして見れば寒気を通り越して怖さすら感じる。
何が気に入らないのか知らないけど、私にいつもちょっかい出してくるとても嫌な女だ。
そんな智美も交えて私の真後ろでキャンキャン騒ぐものだから、その会話が自然と私の耳にも入って来ていた。
「それってラブレターってやつ!? 今時そんなの書く人いたんだ! ウケるんだけど」
「どこにあったの? 誰かに手渡されたとか?」
おもしろ可笑しく笑い声を上げるれみと、クールな口調で興味を示す萌に、智美はくすりと微笑を零す。
「それがね、おかしな話なんだけど本人に手渡されたのよ。だから目の前で中身を読むしかなかったわ」
「「それでそれで!?」」
興味津々に聞き返す二人。
私は本を読んでいるふりをしながら、不思議と耳を傾けてしまう。
「もちろん断ったわよ。考えさせてちょうだいってね」
「それは後からちゃんと言うってことなのぉ?」
「へー、一応は考えてあげるんだね」
二人の言葉に、智美はクスクスと小さく笑い出す。
だが、それは不敵な笑み。何度も向けられた事のある私には、それが何かを面白がっている時に智美が見せる悪魔の微笑みだと気付いていた。
「フフフ、返事なんかしないわ。全然タイプじゃなかったもの。けれど、好意を向けられること自体は嬉しいものよ? だから――、”あえて”返事はしなかったの。そうすればあの男子は振られて落ち込むこともないし、気持ちが冷めるまでずっと私のことを見続けるようになるじゃない?」
「あはは! さっすが智美! やることがえげつないんだけど!」
「そうか、その男子はずっと夢を見れるってわけか」
三人にとって、それは何気ないやり取りなのだろう。
しかしその会話の一部始終を聞いていた私は、込み上げてくる激しい感情そのままに勢いよく本を閉じた。
――クソすぎる! あまりにもその男子が可愛いそうじゃん。好きっていう純粋な気持ちを向けているのに、クソ女王にとってはそれが自分のステータスなんだ。他の人を好きにならない様に自分に好意を向かせ続けるなんて、その男子の恋の可能性を独り占めして奪ってるだけだ。
心の中で智美に対するあれこれをブツブツと口にしていると、まるでその声を聞いていましたと言わんばかりに智美の嫌味ったらしい言葉が耳に入って来た。
「もう告られたのも何回目だろぉ~。私、”地味だから”そんなにモテる要素ないんだけどなぁ~」
私に聞こえる声量で、尚且つ地味の部分をわざと強調してくるその態度に沸々と怒りが込み上げてくる。
――あぁ腹立っつぅぅぅ! どこが地味なんだよビッチが! 地味の代名詞である私をディスってんのか!? あぁん? 男子に告られたどころか、まともに会話したこともないんですけどー? 大体お前、彼氏いるだろーが! ……そうだよ! 彼氏いるんだから告られても普通断るだろ! どこまで女王様気取りなんだよ! 豆腐の角に頭ぶつけて死ね!
そんなこんなで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ると、萌と智美は自分の席へと戻って行った。
萌は教室の真ん中くらいの席で、智美は一番後ろの中央の席。クラス全体を見渡せる智美のその席は、女王としてあまりにもピッタリで少しイラっとはするが、私の席から離れているからそれだけが救いだ。
私のすぐ後ろに位置するれみは、ヒマになるとよく私の頭に消しゴムのカスを投げてくる。だけど、基本的にスマホをいじってるか寝ているから、れみが一人になる授業中はさほど私に害は無い。
もはや、消しゴムのカスを投げつけられる事さえ無害と思える程に、私の感覚はマヒしてしまったのだろう――。
入学してから一年が過ぎ、まさかマジクソ三姉妹と三年間一緒のクラスになるとは思いもしなかった。いや、そうなって欲しくないと願っていた。
うちの学校は、二年へと上がる時に一回だけクラス替えがある。そしてその後の二年間は、同じクラスのままなのだ。
クラス替えの時に、マジクソ三姉妹と離れられるようにと一週間前から神に祈りの捧げていたのだけれど――、どうやら神様も私のことを空気に思っているらしい。
もう神様なんか信じない、絶対にだ。
――はぁ、出来ることなら過去に戻りたい。そして地味じゃない自分になりたい。変わりたいなぁ……。
そんなことを心の中で呟き、今日もいつもと変わらない憂鬱な日が過ぎていくのだと思っていた。
私の人生を大きく変える、あの事件が起きるまでは――。